<SIDE Alex,Felicia & Marion >
<SIDE Alex>
「なんだ? いまの?」
アレックスとマリオンが上を見上げ、つられて周りにいた人々も何人か上を見上げた。
「助けてー! 誰かおねがいっ!」
再び女性の悲痛な叫びが、降ってくる。
「あれだ!」
観覧車の向こうにある赤レンガの建物の五階の窓あたりに、小さな子供を抱いた女性がぶら下がっている。
さきほどからの悲鳴は、さらに上の階にいる女性が上げているらしい。
「あぶねぇ! いまにも落ちそうだぜ?どうする?」
アレックスが少し青ざめた顔でマリオンを振り向いた。何人か気づいた者が慌てて建物のほうへ走っていくのが見える。
「大丈夫だよぅ」
マリオンが答えるより早く、隣にいた老人がのんびりした声をあげた。
「なんでだよっ! もう落ちそうじゃねーかよ」
アレックスが老人に食ってかかると、そばにいた別の子供連れの夫婦がまぁまぁ、と彼をなだめた。
「ありゃ、魔女のインゲばあさんちに通ってるフェリシアだからな。確か魔法で空が飛べるはずだよ」
「ああ、そうね。飛んでるとこも見たことあるわ。誰か下の窓で子供を受け取ればいいのよ。大丈夫だわ」
「あぁ、あれは魔女か。なんでぃ、そういうことなのか」
と、アレックスは納得しかけたが、隣でマリオンが顔をしかめているのを見て、ふと気がついた。
そのわりにゃ、上の階の女性はずいぶん悲痛な声で叫んでいなかったか?
フェリシアとやらは、近所でも評判の腕のいい魔女らしい。
他にも何人かが上を見上げて、噂をしているのが聞こえてくる。
「大丈夫。ほら、あの子は風の魔女だから。なかなか筋がいいらしいよ。インゲばあさんも自慢の弟子だって」
えっ! 風の魔女?とマリオンが真剣な顔で声の主を振り向いて見た。
あまりの勢いに声の主が驚いてうんうんとうなずいたが、その時にはすでにマリオンは自分の腰の剣とマントを外しはじめていた。
「これ持ってて、アレックス。それであっちのほうを向いて」
いきなり、マリオンがアレックスに外したマントと剣を押し付け、少女がいる建物のほうへ肩をつかんで向かせた。
「おい? なんだよ? なんだっての?」
言われるまま素直に後ろを向くと、
「そのまま立っててくれ」
マリオンの声が少し遠ざかり、軽い足音が後ろから聞こえた。
「だからなにがどう・・・・・・。うわわわっ!」
いきなりアレックスの両肩にどん、と衝撃が走り、アレックスはぐらりと前へよろけ、危うくその場に踏みとどまった。
マリオンが、自分の肩を踏み切り台替わりにして空中へ飛び出したのだ、と気がついたのは、目の前にすでにかなりの高さに飛び上がった彼の後姿が見えたからだ。
マリオンは、そのあと回転木馬のテントのてっぺんの赤いポールを足場に、さらに高く跳躍していた。もうすでに三階分くらいの高さはありそうで、あとひと息で女の子のそばへたどりつきそうだ。
周りは「おおっ! すごい。ありゃ魔術師か!?」と感嘆の声をあげている。
「ぁんの野郎! 踏み台替わりかよ! おれは」
だが、アレックスも言葉ほど真剣に怒っているわけではない。
それよりも慌てて飛び出した相棒の様子にただならぬものを感じて、預けられた荷物を抱えたまま、建物の下へ向かって走りだしていた。
<SIDE Felicia>
どうしてなの? どうして今日は、誰も来てくれないの? 西風も北風も来てくれない。東風や南風や北西風は? フェリシアは今までにないくらい一生懸命に、風の呼び出し魔法の呪文を唱えた。
だが、ほとんど何も起こらない。風はほんの申し訳程度、そよりとしか吹いてはくれなかった。彼女は唇をかんだ。
今、フェリシアの左腕はジュールを抱え、右手の指は下の階の窓枠にかろうじてかかり、二人分の体重を支えている。ほんのわずかだけ風の力を借りて浮遊できているとはいえ、左腕のジュールが重い。
ジュールは今のところ大人しくて暴れないからまだよいが、ちょっとでも動かれたら自分が押さえきれるかどうか、とても不安だった。
それに魔法の力が、格段に弱まっている気がする。もしかして、魔法が使えなくなったのだろうか?
「魔術師や魔女の中には、魔力が弱まって、無くなってしまう者もいるのだよ」
おばば様がそう言ったとき、自分は他人事だと思って聞いていた。自分にそんなことが起こるはずはない。だってこんなにも風と仲良しで、何でも自由にできるんだもの、と。
だが、今はとてもそれが他人事とは思えない。
あの話が出たとき、ふーん、と言っただけで詳しい話をちゃんとおばば様に聞こうともしなかったことが悔やまれる。
きっと自分は魔法が使えなくなったのだ。普通の子になってしまったのだ。もう風は、フェリシアと仲良くしてくれない。
「でも今は、そんなことより」
半泣きになりながら、フェリシアは忙しく考えた。
落ちたらとても助からない。下までざっと七十フィート(約21m)はあるだろう。きっと石畳に打ち付けられて、体中ぐしゃぐしゃになってしまうのだろう、と思う。
でもジュールは? ジュールはどうするの? ジュールは、泣きそうなフェリシアの顔を不思議そうに眺めている。
気がついたフェリシアが無理に笑顔を作って見せると、また機嫌よくフェリシアの三つ編みを振り回し始めた。
あたしが下になったら、せめてこの子だけでも助からないかしら? 落ちるときは身体を丸めてジュールを上にしてみよう。この子の頭を胸に抱えて落ちたら、きっと大丈夫だわ。まだ赤ちゃんだし、柔らかいから助かるかもしれない。
あたしはきっと死んじゃうだろうけど、それでもいいわ、ジュールが助かるなら。でも、落ちたら痛いかしら?
「父さん。母さん、助けて・・・・・・トマス」
腕がしびれてきた。
いつしか涙があふれ、小さく声に出してフェリシアはつぶやいていた。
「お嬢ちゃん! こっちだ!」
はっとして、目だけ動かして下を見ると、フェリシアの斜め下の階段の踊り場の窓から、知らないおじさんが身を乗り出していた。
太い両腕を広げ、フェリシアを手招きしている。そうだ、あれは角の肉屋のおじさんだわ。
「飛べるんだろ? ここまでおいで。受け止めてあげるから」
ああ、助かった、と思うと同時に、あそこまでどうやって行こうか? と考える。
手を離して大丈夫?
不安だ。このまままっすぐ落ちてしまったらどうしよう? ジュールだけでも手渡せるかしら。斜め下だ。多分、機会は一度しかない。
もう一度、念入りに風の呪文を唱えてみる。弱々しい風の気配がする。深く息を吸う。
少し反動をつけて、できる限りおじさんの近くへ飛ぼうと、フェリシアは壁を蹴った。
<SIDE Marion>
「風の魔女が、こんなところで空を飛ぼうとするなんて」
アレックスの肩を借りて空中へ飛び出しながら、むちゃくちゃだ、とマリオンはひとりごちた。
気がつかなかったのだろうか、彼女は。それとも子供を助けようとしていて、よほど慌てていたのか。どちらにしても無茶なことにかわりはない。
よく見れば魔女とはいえ、まだ少女のようだ。真っ青な顔で、必死に自分と子供の重みに耐えている。
魔力オーラを見れば、外見だけが少女なのではないことは、マリオンにはひと目で知れた。そうか、まだ見習い魔女なのか。
では『あれ』に気がついていないということも考えられる。彼女は、いつ落ちてもおかしくないほど不安定だ。
しかもその身体は細く華奢で、いつまで二人の重みに耐えられるかわからない。斜め下の窓に見える男が、こっちへと声をかけているようだ。
マリオンは眉をよせた。手を離したら落ちる、確実に。
「頼むから、今しばらくそのままでいてくれ」
マリオンの祈りも虚しく、少女は反動をつけるようにして思い切りよく窓から手を離し、斜め下へ落ちていった。
「間に合ってくれ!」
マリオンは次に観覧車の中段を回っているゴンドラを足がかりに、少女のほうへ向かって最後の跳躍した。




