<SIDE Felicia>
<SIDE Felicia>
日曜日だってのに憂鬱だわ、と鏡を見ながらフェリシアはつぶやいた。
黒く柔らかい髪を耳の横の部分で分け取り、器用に細い三つ編みを編んでいく。
それを左右両方に編んだら、後ろはそのまま結わずに、木製の小さなカーラーを巻いて、くるくるにしてから背中に流しておくだけだ。
最後に細い緑色のリボンを、三つ編みの端っこに丁寧に結んで出来上がり。
ちょっとだけお嬢様風でなかなか可愛い感じに仕上がった、と思う。いつもは頭のてっぺんでお団子にしてしまうのだが、今日は気分転換に学校で流行っている結い方を試してみたかったのだ。
「ちょっとおしゃれかな? でも全然役にたたないけどね」
せっかくすぐそばに移動遊園地が来ているのに、今日は出かけられない。
昨日、学校へ行くときに遊園地の組み立てをわくわくしながら見て、最初に何に乗るのか友達と約束までしたのに・・・・・・。
今日になってみたら、友達の慈善パーティとやらに出かけるおばさんに留守番を言いつけられてしまったのだ。
「別にあたしがいなくても、鍵かけとけばいいと思うんだけどな」
そうつぶやいてみるが、もちろんおばさんにそんなことは言えない。
五年前に両親と弟が馬車の事故で亡くなってから、十四歳の今までフェリシアはずっとおばさんの世話になっているのだ。おばさんはフェリシアの母親の年齢の離れた姉だった。だんなさんがずっと前に亡くなって、息子も靴屋の修行のため家を出た後は、独り暮らしで町の食堂でずっと働いている。
すごく貧乏でもないけれど、もちろんお金に余裕があるわけでもない。でも、ちゃんとフェリシアにご飯を食べさせて、学校にも行かせてくれている。
おばさんは特に優しいわけではない。おしゃべりなタイプでもないし、愛想もいいとはいえない。
おうちのことは料理でも洗濯でも家事は何でもしないといけないし、欲しいものがすぐ買ってもらえるような生活でもないけれど、とりあえず不幸だと思ったことはなかった。
だが、こんな日はすごくすごく寂しい。
友達はみんな移動遊園地に出かけているのだ。わざわざ誘いに来てくれたシェリルには、わけを話して断るしかなかった。
「しょうがないわね。明日、いろいろ教えてあげるね」
シェリルは残念そうに言ってくれたが、そのあと他の友達といそいそと出かけて行ってしまった。
「明日でもいいでしょ?どうせ来週までずっとやっているんだから」
おばさんはそう言って出かけていったのだが、フェリシアは学校が終わった後、魔女のおばば様のところで魔法の修行もしていて、帰るのはもう遊園地は終わっていそうな時間だ。
だからといって、修行をさぼるとおばば様がうるさい。さぼるくらいならやめておしまい、といわれてしまうだろう。
せっかく才能があるといわれてがんばってきたのに、今やめてしまうわけにはいかなかった。
早く一人前の魔女になってひとり立ちして、この町から出たかった。フェリシアの望みは王都へ行って治療魔術師になることだった。
フェリシアの得意な魔法は、治療。それと風を扱う魔法。風による浮遊術などは、かなり上達したと思う。
魔法には大雑把に言って『水』『地』『風』『火』の四つの属性があるといわれている。魔術師によって得意な魔法と不得意な魔法があるのだが、属性はそれとは少し意味合いが異なる。
魔術を行うときにどの力を使用してその魔法を行うか、魔術師がどこから力を得るのか、というのがこの属性というものである。
魔術師のエネルギー源、とでもいうのだろうか。
それでそのエネルギー源が、フェリシアの場合は『風』なのだそうだ。そのために風によって行う魔法が一番得意だった。
風の強いこの町にぴったりだね、とおばば様には言われている。
だからどんなにつらくても眠くても、月曜から土曜まで毎日、おばば様のところへ通っている。
日曜日も来られそうなときはおいで、といわれているのだが、基本的には休んでも文句はいわれなかった。となれば、次の遊べる機会は来週の日曜日なのだが、その日は移動遊園地が終わってしまう日だ。
なんでもどこぞの水害のせいで橋が流され、移動が遅れてしまい日程が立て込んだおかげで、本当はもっと長いはずだったのに、この町ではたった一週間という短さになってしまった、ということだった。年に一回しか来てくれないのに、来ないよりましとはいえ、あまりにも短いとフェリシアは不満だ。
しかも、その日は取り壊しが午後から始まってしまうので、午前中ほんの少ししか遊べない。だからといって、おばさんに学費を出してもらっている身のフェリシアとしては、学校をサボるわけにもいかない。
こんなにそばにあるのに、行っちゃいけないなんておばさんは意地悪だわ、とフェリシアはため息をつく。
実はおばさんは、フェリシアに魔法を習わせたくないのだ。もっと地道な仕事をする普通の女の子でいて欲しいと思っているらしい節がある。
おばさんは「行きたいなら魔法の修行をさぼって、学校の帰りにおゆき!」と言いたいのだろうと思う。
だから、日曜日はお留守番、明日行けばいいよ、なんて意地悪を言うのだ。
学校の帰りになんて意地でもいかないから、とフェリシアは思う。
「あーあ、つまんないわ」
せめて窓から見ていようかしら。でも見たら余計辛くなるかしら。
フェリシアの住んでいる建物は、六階建てで遊園地のすぐそばにある。
窓から身を乗り出して下を覗くと、たくさんのきらびやかな遊具と楽しそうに遊ぶ人たちが見え、明るい音楽と笑いさざめく声が聞こえた。
もっと身体を乗り出せば、観覧車にでも手が届きそうなくらいだ。(もちろん実際には届かないけど)
「いいなぁ・・・・・・」
石造りの幅のある窓枠から、足をぷらんと外に向かって投げ出して腰掛け、ぼんやりと下を眺めながらフェリシアは再びため息をついた。
「最初に回転木馬に乗るんだったのになぁ。それから観覧車に乗って、次は・・・・・・次は・・・・・・。 あぁ、あたしだけ・・・・・・置いていかれちゃった」
そういいながら楽しそうな下界を見ていると、寂しくて涙が出てきそうだ。
「そうやってみんな、あたしだけ置いて行っちゃうのよね」
なんにもならないただの感傷だとわかっているが、両親と弟のことまで思ってしまう。
フェリシアの両親は、夜中に急な熱を出した弟を連れて医者へ行く途中、馬車が崖から転落したのだ。 三人とも見つかったときは、すでに息はなかった。
うちで留守番をさせられていて、馬車に乗っていなかったフェリシアだけが生き残ってしまった。 明け方、息を切らしてフェリシアの家に走ってきた村長さんの赤い顔が、悲痛な声音が、いまでも忘れられない。
『いい子だね、フェリシア。落ち着いて聞くんだよ。お父さんとお母さんとトマス坊がね・・・・・・』
あのとき魔法が使えていれば、とフェリシアは何度も考えた。
そうすれば弟の熱は、自分が下げてやっただろう。夜に無理して崖の道を通ることもなかっただろう。両親は今も健在で、フェリシアはこの町に住んでもいない。
「でも、そうしたらおばば様に逢ってもいないし、今日ここにもいないのか。・・・・・・複雑ね」
フェリシアはちょっと哀しげな微笑をうかべた。
そして、フェリシアはまだ知らないが、これから一生忘れられない出逢いをすることもないのだ。
「フェリシアっ!」
切羽詰った声に自分の名前を呼ばれて、フェリシアは、はっと物思いからさめた。
「お願い、助けてっ!」
何が起こったかわからない。フェリシアは慌てて周囲の窓を見回した。
「なに? どこ? だれ?」
「上よっ! うえっ!」
声は大きくないが、悲痛な響きを持っている。
フェリシアは窓から身体を半分乗り出し、上を見上げた。
フェリシアの部屋の斜め上、最上階のいつもフェリシアにお手製の焼き菓子をくれるキングストンさんの部屋の窓から、子供が今にも落ちようとしていた。
「ジュール?!」
そうだ、子供は確かに今年二歳になったばかりのジュールだ。ジュールはまるでうつ伏せで空を飛んでいるような姿勢だった。
そして、そのジュールのつけている半分脱げかかったエプロンの端を、女の人の細い指がつかんでいるのだけ見えた。きっとキングストン夫人の指だろうと思う。
「フェリシア! そこにいる?お願い、ジュールを助けてちょうだいっ!」
そういえば、キングストンさんのお部屋の窓には、下半分だけ鉄格子がはまっていたんだわ、とフェリシアが忙しく考えた。
悪戯盛りのジュールがどうやってか、その窓の上半分から飛び出してしまい、気がついたキングストン夫人が慌てて格子の中に手を突っ込みつかんだところ、という感じに見える。
キングストン夫人の手の中にあるのは、ジュールのかけているエプロンの端っこだけだ。つかみ直そうにも夫人はすでに細い肩の半分まで格子のすき間の中に突っ込んでいて、それ以上はどうにもならない。
当のジュールはきょとんとして、いつもと髪型の違うフェリシアを見ていたが、やがて誰なのかわかったらしく「フェリチーたん」と言って、きゃっきゃっと笑いながら手を叩き始めた。
ジュールはフェリシアの名前がまだうまく言えないのだ。
「いけない、エプロンが脱げちゃう! 暴れちゃダメよ」
フェリシアの背中を冷たい汗がすぅっと流れていく。
夫人のつかんでいるジュールのエプロンは、今にも紐がほどけて脱げてしまいそうだ。
夫人の細い指も、いつまでジュールの体重を支えきれるかわからない。
だが、やっかいなことにフェリシアの部屋はジュールの部屋の真下ではない。
窓のふちに危なっかしくつかまって、身体を精一杯伸ばしてもジュールにはまるで手が届かなかった。
「ああ、どうしようっ! もうだめだわっ」
泣きそうなキングストン夫人の悲痛な声がフェリシアに聞こえた。
「大丈夫よ! おばさん、あたしにまかせて!」
そうよ、簡単なことじゃないの。風の浮遊魔法を使えばいいのよ。
フェリシアは自分の得意な魔法が、今この場合に有効に使えることを感謝した。
「風よ。我が命に従いて、かの幼子の身体を持上げよ」
いつも胸に下げているお守りの貴石をつかみ、ジュールに向かい、風の魔法を唱える。
だが、慌てているせいか、風がうまく作用してくれない。
吹いた風はそよ風程度で、ジュールのふっくりした頬をさらりとなでただけだ。
「・・・・・・! 今まで一度も失敗したことなんてないのに」
フェリシアが唇を噛み、もう一度呪文を唱えようと息を吸った瞬間、ジュールのエプロンの紐が解けた。
「いやあぁぁ・・・・・・」
その腕から我が子の重みを失ったキングストン夫人の悲鳴が上がる。
「お願い! 間に合って!」
フェリシアはもう何も考えずに窓から外へ、風の呼び出し魔法を唱えながらまるで自分の身体を投げ出すようにして飛び出していた。
ずっしりとジュールの重みがフェリシアの両肩にかかった。
肩が抜けそう。
だが、とりあえず、しっかりと腕の中にジュールがいる。
よかった、と思いかけてフェリシアは短い悲鳴をあげた。
重みがかかったとたん、一瞬の間、ちゃんと魔法で浮いていたはずの自分の身体が、がくんと大きく下へ落ちたのだ。
五フィート(1.5メートル)ほど落ちたところで、フェリシアのブーツのつま先が、下の階の窓の上枠にうまくひっかかってかろうじて踏みとどまった。
ほんのわずかしかない出っ張りだが、魔法で上へ飛び上がるための足がかりには充分、なはずだった。
だが、フェリシアは不安を感じた。風が弱い。
ジュールが、「フェリチーたん」と言いながら、彼女の顔の左右にゆれる三つ編みをくしゃりとひっつかんだ。
「い、痛いわ、ジュール。やめてちょうだい」
やっぱりお団子にまとめておけばよかった、とフェリシアは後悔した。
気が散ってしまう。
そのうえ今日は魔法の効きが悪い。
風があまりフェリシアの味方をしてくれない。
どうしてなの? とても不安定だわ、とフェリシアは眉をひそめた。
「ああ、フェリシア、ありがとう」
格子のはまっていないほうの窓から下を覗いたキングストン夫人の安堵した声が、再び悲鳴にかわった。
フェリシアの身体がまた、何フィートか下へ向かって落ちたのだ。
夫人はその後の光景の残酷さを思い描いて思わず目を覆ったが、聞こえてきたジュールの笑い声に恐る恐る目を開けた。
身を乗り出して下を覗くと、危ういところで下の階の窓枠につかまっているのが見えた。
「おばさん、あたし・・・・・・」
笑うジュールと反対に、泣きそうなフェリシアの声が遠くから切れ切れに聞こえる。
「魔法が使えなくなっちゃったみたいなの」
それを聞いてキングストン夫人が悲鳴をあげた。
大変だ。このままでは確実に二人とも落ちてしまう。
「助けてー! 誰かおねがいっ!」
夫人は、助けを求めて大声をあげると、慌てて部屋を出て下の階へ向かった。




