0.5°
0.5
01.
外は街の灯りが消えかけ、カーテンのない大開口窓にはウォールナットのテーブルに並ぶ色違いのマグカップが反射する。怪盗としての任務もない、静かな時間。マグカップの持ち主たちは各々、別の作業で退屈を処理していた。近くない距離感、遠くもない。
それぞれがそれぞれを気にすることなく面前に没頭する中、こころの端末が静かに振動した。画面を開き、要点だけを確認する。
「みゆきくん、次の依頼。」
端末を彼に手渡す。人より少し高い体温、すらっと伸びる指。整えられた綺麗な爪先。
「うん」
そう一言だけ言って、画面の資料に目をやった。しばらく伏せられる目線。さらりとした長めの黒髪がかかる太めのフレーム、レンズ越しの瞳がたくさんの文字列を追う。
「ん?これ、僕たちへの依頼で合ってる?」
「合ってる。機密区分S。実行部二課では無理。」
——————
機密区分:S-2(対外非公開)
任務番号:K-0418
発行:管理部 戦略企画課
任務目的
対象物内部に記録媒体が内蔵されている可能性あり。
非公開音源データの回収および外部流出の防止。
対象物情報
名称:ぬいぐるみ(緑)
通称:りっちゃん
保管場所:月嶹邸 きらら自室
現保有者:未成年女性(推定5歳)
保持状況:常時抱擁固定状態を確認
外出時も携行の可能性が高い
警備レベル:警備会社連携あり
実行条件
・対象物の損傷不可
・記録媒体の破壊不可
・外傷ゼロ
・心理的影響最小化
補足
対象物と保有者の分離は困難が予測される。
慎重な判断を要する。
——————
「ぬいぐるみ……」
どちらかと言うと派手寄りじゃない?とでも言いたげなみゆきくんの声。気まぐれな彼の意欲を引き出すために、補足。
「内部記録媒体の内容は機密事項。リークは困る、世界が揺らぐほどのデータなのでは…?」
「……なるほど。」
作戦成功、意欲12%の向上を確認。
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02.
「こころ、月嶹って実業家だよね?家の規模と防犯性能わかる?」
テーブルとお揃いの回転式チェアに浅く腰掛け、背にもたれたみゆきくんが投げかける。
戦略企画部から送られてきた資料をモニターに共有する。
彼の視線は躯体表し天井の経年数を観測したまま。
仕方がないので、読み上げる。
「外周カメラ4台。庭に人感センサー2箇所。室内廊下に赤外線センサー。保有者の部屋の前には簡易的な振動感知装置あり。各センサーが反応した場合即警備会社に通報、到着まで12分。」
情報取得ののち、回答まで1.6秒。
「侵入成功率は一般で1割、僕で8割ってとこかな。」
続いて、現保有者の写真をモニターに表示する。
栗色の猫毛に、整った顔立ち。かわいいというよりは美人寄り。
少し拡大すると、幼女の手元に例のぬいぐるみが見える。
「ぬいぐるみって……これ?人型」
画面に顔を近づけて、みゆきくんの声。
「AXISのぬいぐるみ。公式。」
「AXIS……? くまとかうさぎじゃないんだ」
「男性ダンスボーカルグループ。各個体を模した商品。そういう文化。」
「……へえ。」
さらに写真を拡大すると、ぬいぐるみの服に入った緑のラインが目についた。
「緑ってこれのこと?」
みゆきくんが首を傾げる。
「最も支持している個体のカラー。緑は律モデル。」
「色で人格が分かれてるんだ」
「厳密には、違う。」
「詳しいね?」
「任務遂行のための知識。」
「5歳のお嬢様が持ってるぬいぐるみが目標……警備抜ければ、寝てる間にいけそうじゃない?」
「睡眠時も抱擁固定の可能性が高い。」
「分離困難ってやつね。成功率は?」
「32%」
「5割未満か……」
言葉に余韻を引きながら、椅子を少し回す。しばらく悩んだ後、同じテーブルの隣で少し上質な紙を引き寄せる。左手でペンを回して何やら線を描きはじめた。
「……何してるの?」
「成功率を上げる」
「具体的には?」
「予告状」
みゆきくんから聞いたことのない単語。
「どうしてハードルを上げようと?」
「逆。常時抱擁固定を解除する作戦。」
「しかも手書きなんだ?」
「センスが大事だからね〜」
「既存のテンプレでは不満?」
「おもしろくない」
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03.
任務実行当日、朝。さわやかな秋の風がぬいぐるみで遊ぶ幼女の横を通り抜ける。それとともに、一通の封筒がひらりと入り込んだ。
ステージ衣装を着て並ぶぬいぐるみたちの隣に落ちた封筒に気づき、そっと拾い上げる。
真っ白の封筒に真紅の封蝋。宛先、差出人の記載はない。
幼い手に少し力を込めて封を開ける。中にある少し上質な紙を掴み取り出すと、両方の手で紙をぴんと持って、しばらく見つめる。紙を遠ざけたり、近づけたり、斜めにしたりして眺めた後、それとお気に入りの緑のぬいぐるみをぎゅっと抱えて、一緒に部屋を後にした。
彼女の部屋の3つ隣、少し重たい扉を身体を使って開ける。正面の大きなテーブルに小走りで近づいて、姿は見えないが奥に座っているだろう大人に声をかけた。
「……パパ」
「どうした、きらら。」
「これ……」
少し背伸びをして、眺めていた少し上質な紙をテーブル越しにパパに差し出す。
「これは……」
長い沈黙。
「字が、汚いな。」
「…たぶん、かいとう」
彼女は空気で気配を読み取った。
「ほう。では警備を一段階上げておこう。」
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04.
同日深夜。大きな丸い月が、暗いカーキ色のツナギを着たみゆきくんのタイトなシルエットを映えさせる。左の髪は耳に、左目には多種UI搭載のモニター付きデバイス。
イヤーモニター越しに微かに衣の擦れる音。警備センサーの反応はなし。
「保有者の部屋に侵入。」
短い状況報告。本日も予定通り。
デバイス越しに共有している視覚の端に違和感。みゆきくんに伝達。
「室内壁面にセーフティボックス。」
みゆきくんの口角が少しだけ上がるのを確認。
「予告状がうまくいったみたい」
嬉しそうに左目のデバイスでセーフティボックスの中身をスキャンする。映るのは指輪、ネックレス、小さなティアラなどの宝飾品。
「……ぬいぐるみじゃなくない?」
情報処理に0.6秒。みゆきくんの視線の先に幼女がぬいぐるみを抱えて眠る姿。
「対象物、抱擁固定状態を確認。」
「移動……してないね……?」
「してない。」
また処理に時間を有している様子。
「こどもには、ちょっと抽象的で難しかったか〜」
「読めなかったのでは。震えるほどの達筆で。」
みゆきくんからの返答はない。
「警備は一段階強化済み。」
「最悪。」
呟きながら幼女のベッドに近づく。枕元にはずらっと並ぶ小さなAXISたち。
「並んでるやつもいるけど。緑もある」
こころ、被せ気味に即答。
「あれは違うシリーズ。幼女の腕の中が正解。限定モデル。顔が違う。」
「……ほんとに任務のため?」
「任務のため。」
7秒の雑談。幼女、覚醒。
「あ、」
みゆきくんと幼女、見つめ合い3秒。初めに声を発したのは幼女の方だった。
「……かお、つよ」
「かお…?それ、評価?」
「うん。センターがお。」
「……」
該当の用語が頭の中にない様子。遅延さらに0.3秒。
「パパ、ほうせきしまった。」
「うん。今日は宝石じゃないんだ」
幼女のぬいぐるみ抱擁強度上昇17%。
「りっちゃんでしょ。」
「……気づくの早いね」
幼女の勘に一瞬気を取られながらも、少し声が柔らかい。
「このりっちゃんはすうりょうげんてい。さいはんみてい。おわたしかいでしかてにはいらない」
雑談及び保有者の覚醒により、予定より38秒の遅延。
「それ、少しだけ貸してくれる?」
「りっちゃんはものじゃない。」
幼女、視線を落とす。
「……りっちゃんは、わたせない。」
ぬいぐるみと幼女の顔を一往復、左目モニターが淡く動くが何も表示されない。処理不能。
「そうか。」
これ以上の滞在は危険。みゆきくんに指示を出す。
「分離困難。速やかな判断を。」
「仕方ない。また来るよ」
任務離脱の意思を確認。すぐに退避をーー
「やだ」
「?」
幼女から予想外のひと言。さらに追撃。
「かお、つよい。」
「だから、それ、なに?」
「もっと、みる」
遅延1分27秒。
みゆきくんの理解まで、0.4秒。
「……今日はセットか」
口元を緩ませながら、幼女を抱き上げる。
「非合理的。」
「たまにはね」
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05.
「離脱ルート、予定のままでいける?」
モニターの中に今までなかった警備配置。
「動かないで。」
直後、屋内に響く警報音。
「警備AIの作動確認。」
「警備AI?この家にそんなのあったっけ?」
「昨日まではなかった。予告状失敗による被害。迂回ルート再構築、こっちでする?」
「任せる」
「おかばん、もっていかなきゃ」
幼女、みゆきくんの抱擁から離脱。みゆきくんの視線が追う先に、赤外線センサーの表示。
「ちょっと待ってそこセンサーが……!」
「ピッ」
「鳴らした!」
「ぴーした」
「だから動いちゃだめだって!」
「検知成功。」
「……は?こころも!?」
「……訂正。想定外。」
「もーこの際なんでもいい、窓から出る!
こころはカメラの撹乱だけしといて。警備はこっちで撒くから。」
言いながら幼女を抱き直し、部屋の窓を開ける。外周には予告状を受けて配置したであろう警備員が集まり始めている。
「ちゃんと捕まってて」
窓枠に足をかけて、一呼吸。警備の間の着地を目指す。落下速度は限界に到達。少しだけ足の速い警備員の背中に着地。
「ふんだよ」
「新人さんかな、ごめんね」
次々に到着する警備数人の背中を足場に外構まで。
「いまの、カメラいしきしすぎ」
「演出が過剰。」
「……あらんからの助言だよ」
——カメラにはノイズだけが残る。
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06.
某雑居ビル屋上。夜風がこころの髪を撫で、丸い月が大きさを増す。
「トン」
屋上に降り立つ対象物、および保有者と合流。みゆきくんの腕から降りた幼女が、ごそごそと鞄を漁っている。
「かいとうさん、スマホ」
「持ってるの?」
「うん。パパにでんわする」
「……どうぞ」
短い発信音。
『どうしたんだい、きらら』
「かいとうさんといる」
『…….怪我は?』
「ない。」
「かいとうさん、ビジュアルたんとう」
『……そうか。』
少しの間を置いて。
『二時間だ。』
静かに切れる通話の後、室内に低い声だけが響く。
「……警備は終了。過度な追跡は不要だ」
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「パパ、いいって」
「いいって何が……」
「かいとうさん、ビジュいい。いしょうきせておどらせたい」
「は?」
「りっちゃんひつようなんでしょ?」
「……交換条件?なかなかやるね」
「手配できる。」
「なにを?」
「みゆきくんに似合うのはマリンスタイルかアーミースタイル。あなたはどちらが好み?」
「だからなんの話?」
「まりんすたいる」
「合理的。」
こころ、実行部一課トラブル対策グループに連絡。
段差に座り、ぬいぐるみの手足を動かす幼女。その隣にみゆきくんが腰を下ろす。
7分後、ドローンに乗せられた衣装が到着。
「おねえちゃんすごい!おにいちゃんのいしょうさんなの?」
「少し違う。」
「全然違うよ」
ネイビー基調のジャケットに着替えたみゆきくんが被せ気味に言う。セーラー襟を模したラペル、控えめな金釦。左目のデバイスはつけたまま。
予想通りの爽やかさに目を輝かせる幼女。
「おにいちゃん、かいとうもったいない。」
「りっちゃんに似てる?」
「にてない。りっちゃんはゴリゴリ、こびない。」
「あ、似てないんだ…」
「でも、おせる」
ふたりのやり取りを見守る。感情は顔に出ていないはず。
「そろそろりっちゃん貸してくれる?」
「まだたりない。ふぁんさ、ちょーだい」
「ふぁんさ??」
「ファンサービス。ファンを喜ばせるための行為。指差し、ウィンク、ハート……」
「おねえちゃんくわしいね!おなまえは?」
「…….こころ。」
「こころおねえちゃん!」
きららちゃんとふたり、みゆきくんにはわからない話を少しだけ。彼女の観察力は抜群で指示も的確。いつの間にか、指先がわずかに熱を持っていた。
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07.
「そろそろ時間。」
約束の時間まで残り20分。
「たのしかった。ビジュいいはせいぎ。」
「それはよかった。顔強いの意味も理解できて、いい時間だったよ」
「りっちゃん……すこしならかいとうさんのところにいってもいいよ。でも、ちゃんとかえしてくれる?りっちゃんは、きららのたからもの」
みゆきくんが少しだけ体を屈める。
「それは保証する」
「りっちゃん、かいとうさんのおうち、たのしんできて」
きららちゃんが緑のぬいぐるみを両手で差し出した。ぬいぐるみが、そのままみゆきくんの両手へと移る。
「ありがとう。少し預かるね」
みゆきくんの目は、いつもより柔らかく微笑んでいるように見えた。
「きららちゃんの送迎は手配済み。」
まもなく屋上にヘリが到着。
ヘリに乗り込みきららちゃんが手を振る。私たちも、手を振り返した。
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みゆきくんが律モデルのぬいぐるみから内部記録媒体を取り出す。
「りっちゃんの返却は処理部に頼んでも?」
「いいよ。でもそれまではうちで預かる。」
風が吹き抜ける屋上。きららちゃんがいなくなり、空気の角度が微差で変わる。
「……僕、アイドルに転職しようかな……」
「視覚的要素基準以上。ただし歌唱力未確認。」
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08.
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残業申請書
提出日: 10月12日
所属:戦略実行部 第一課
職員ID:343478
氏名:深澤みゆき
以下の通り、申請いたします。
日時: 10月10日 午前3:00〜午前5:45
業務内容:
任務K-0418における再発防止策の一環
申請理由:
書字矯正、幼児心理把握、推し文化理解のため
備考:
ペン字練習帳、幼児心理学テキスト、AXIS音源の購入。
経費として申請。
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