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王宮を追い出されて「眠れる森の悪役令嬢」になりました!  作者: 秋月 もみじ


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8/10

第8話 実は私が『伝説の聖女』? いいえ、ただの居眠り屋です


 その日の午後、私の部屋は本の山に埋もれていた。


 ガラガラ、という重たい音と共に、ワゴンに積まれた古びた書物が運び込まれてくる。

 犯人はもちろん、宰相のセバスチャンさんだ。


「アリア様、大変興味深い記述を見つけましたぞ」


 彼はモノクルの位置を直し、分厚い本をテーブルに広げた。

 埃っぽい匂いが鼻をくすぐる。

 せっかくのお昼寝タイムだったのに。

 私はクッションを抱きしめたまま、不満げに口を尖らせた。


「あの、セバスチャンさん。ここは図書館ではありませんよ」

「ええ、存じております。ですが、これは貴女様に関わる重大な発見なのです」


 彼はページの一箇所を指差した。

 そこには、古めかしい挿絵と共に、読めない文字が並んでいる。


「これをご覧ください。『鎮魂の聖女』に関する伝承です」


 鎮魂の聖女?

 聞いたことがない単語だ。

 ファンタジー小説に出てきそうな響きだが、私には関係なさそうだ。


「数百年前、荒れ狂う竜を『歌声ひとつで眠らせた』という伝説の聖女。彼女の力は、癒やしや光ではなく、強制的な『鎮静』と『安息』だったと記されています」


 セバスチャンさんが熱っぽく語る。


「対象の闘争本能を奪い、精神を強制的にリラックスさせる。……どうです? 先日の謁見の間での一件と、酷似していると思いませんか?」


 ギクリとした。

 あくび一つで騎士団を壊滅させた、あの事件のことだ。


「……偶然ですよ」


 私は視線を逸らした。


「あの人たちが疲れていただけです。あるいは、部屋の二酸化炭素濃度が高かったとか」

「では、森のフェンリルは? 城の使用人たちの健康改善は? そして何より、不眠症の皇帝陛下を熟睡させている事実は?」


 畳み掛けないでほしい。

 セバスチャンさんは、まるで獲物を追い詰める猟犬のような目をしている。


「結論を申し上げますと、アリア様。貴女は極めて高い確率で、この『鎮魂の聖女』の再来、もしくはその血を引く者であると考えられます」


 部屋に沈黙が落ちた。

 聖女。

 その言葉の響きに、私の脳内で警報が鳴り響く。


(聖女って、あれでしょ? 朝から晩まで神殿に籠もって祈りを捧げたり、戦場に連れ回されて兵士を癒やしたりする、超激務職!)


 冗談じゃない。

 私はここで、一日十時間睡眠を確保するために生きているのだ。

 そんな責任重大な肩書きを背負わされたら、二度寝の権利すら剥奪されてしまうかもしれない。


「違います」


 私はきっぱりと否定した。


「私は聖女なんかじゃありません。ただの、よく寝る健康優良児です」

「しかし、状況証拠が……」

「体質です! 私の周りの空気が澱んでいるだけです! ほら、マイナスイオンみたいなもので!」


 必死で言い訳を並べる。

 セバスチャンさんが困ったように眉を下げた。


「アリア様。聖女であることは、決して悪いことではありませんよ? 帝国の国益にも……」

「ほら、出た! 国益!」


 私はクッションを盾にして抗議した。


「そうやって私を働かせる気でしょう! 『聖女なんだから国民のために祈れ』とか『隣国の呪いを解いてこい』とか言うに決まってます!」


 私の剣幕に、セバスチャンさんが言葉を詰まらせる。

 図星だったらしい。


 ガチャリ。

 ドアが開いた。


「……何事だ。廊下まで声が聞こえているぞ」


 クラウス陛下が入ってきた。

 いつもの休憩時間だ。

 彼は部屋の惨状――本の山と、クッションを構えて臨戦態勢の私――を見て、怪訝そうに目を細めた。


「セバスチャン、アリアをいじめているのか?」

「めっそうもございません。ただ、アリア様こそが伝説の『鎮魂の聖女』ではないかと、ご説明を……」


 セバスチャンさんが事情を説明する。

 陛下は黙ってそれを聞いていた。

 赤い瞳が、私へと向けられる。


 心臓が跳ねた。

 もし、陛下まで「お前は聖女だ」と言い出したらどうしよう。

 「聖女として国のために働け」と命令されたら、断れるだろうか。

 この快適なベッドも、おやつの時間も、全部取り上げられてしまうのだろうか。


「……アリア」


 名前を呼ばれ、体が強張る。

 私はクッションを握りしめたまま、陛下を見上げた。


「違います。私は聖女じゃありません。ただの怠け者です。役立たずです。だから……」


 だから、仕事を与えないで。

 ここに置いてください。


 そう言いかけて、言葉が詰まった。

 自分を卑下するのは簡単だ。

 でも、それを認めてしまったら、この人と過ごした穏やかな時間まで嘘になってしまう気がした。


 陛下はため息をついた。

 そして、本の山を乱暴に押しのけ、私の前のソファにドカリと腰を下ろした。


「くだらん」


 一言で切り捨てた。


「聖女? 伝説? そんなものはどうでもいい」

「……え?」

「お前が聖女だろうが、魔女だろうが、ただの眠り姫だろうが、俺には関係ないことだ」


 陛下はまっすぐに私を見た。

 その瞳に、迷いはなかった。


「俺が必要としているのは、『鎮魂の聖女』という機能じゃない。アリア、お前だ」

「……」

「お前が側にいて、俺の隣で寝息を立てている。それだけで俺は救われている。他に何の役割が必要だというんだ」


 彼の言葉が、すとんと胸に落ちた。

 機能じゃない。

 私自身を見てくれている。


 ルミナス王国では、私は「結界維持装置」か「次期王妃というパーツ」でしかなかった。

 役に立たなくなれば捨てられる、ただの道具。


 でも、この人は違う。


「……陛下は、物好きですね」


 喉の奥が熱くなるのを誤魔化すように、私は軽口を叩いた。


「ただ寝ているだけの女なんて、国のお荷物ですよ」

「構わん。俺の稼ぎで養える範囲だ」


 陛下はふんと鼻を鳴らし、いつものように目を閉じて横になった。

 その顔は、とても穏やかだ。


 私はクッションを置き、そっと手を伸ばした。

 ソファの肘掛けに置かれた彼の手。

 大きくて、ごつごつした武人の手。


 今までは、彼から触れてくることしかなかった。

 でも今は、私から触れたいと思った。


 そっと重ねる。

 陛下の手がピクリと反応し、すぐに私の手を握り返してきた。

 強い力だ。

 でも、痛くはない。


「……セバスチャン」


 陛下は目を閉じたまま言った。


「その古臭い本は片付けろ。埃が舞うとアリアが眠れん」

「……はっ。承知いたしました」


 セバスチャンさんが苦笑交じりに一礼する気配がした。

 ワゴンの車輪が遠ざかっていく。


 部屋にはまた、静寂が戻った。

 繋いだ手から伝わる体温だけが、確かな現実としてそこにあった。


(聖女でもなんでもいいわ)


 私は陛下の寝顔を見つめながら思った。

 この人がこうして安眠できるなら、私が何者であっても関係ない。

 ただ、この手の温もりを守りたい。

 そう思えるだけで、十分幸せだ。


 私も瞼を閉じる。

 今日はいつもより、いい夢が見られそうだ。


 ――だが、その平穏は長くは続かなかった。


 数時間後。

 再び部屋を訪れたセバスチャンさんの顔から、余裕の笑みが消えていたからだ。


「緊急事態です、陛下」


 彼は短く告げた。


「ルミナス王国軍が、国境へ向けて進軍を開始しました。その数、五千」


 繋いだ陛下の手に、力が籠もるのを私は感じた。

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