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王宮を追い出されて「眠れる森の悪役令嬢」になりました!  作者: 秋月 もみじ


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3/10

第3話 王宮への連行? 最高級の羽毛布団があるなら考えます


「嫌だ。……まだ寝る」


 一国の皇帝にあるまじき駄々っ子発言が、森の朝に響き渡った。

 私の膝にしがみついているのは、ノクス帝国の支配者、クラウス陛下だ。


 周囲の騎士たちは彫像のように固まっている。

 彼らの主君である「氷の暴君」が、見ず知らずの女の腹に顔を埋めているのだ。

 見なかったことにしたい、という必死の願いが背中から滲み出ている。


「あの、陛下。そろそろ離れていただけませんか」


 私は努めて冷静に声をかけた。

 足の痺れが限界に近い。

 クラウス陛下は不満げに鼻を鳴らしたが、ようやく重い頭を上げてくれた。


 乱れた黒髪の間から、鋭い赤い瞳が覗く。

 至近距離で目が合った。


「……ふん」


 陛下は私の顔をじろりと観察し、それから周囲の部下たちへ視線を巡らせた。

 その瞬間、彼の纏う空気が一変した。

 さっきまでの甘えたような雰囲気は消え失せ、冷徹な支配者の仮面が張り付く。


「セバスチャン」

「はっ。ここに」


 老紳士が滑るように進み出る。


「状況は把握した。帰還する」


 低い声だ。

 威厳たっぷりに立ち上がろうとして――陛下はふらりとよろめいた。

 私がとっさに腕を掴んで支える。


「おっと。まだ寝起きで血圧が低いんじゃないですか?」

「……うるさい。誰が支えろと言った」


 口では悪態をついているが、私の手を振り払おうとはしない。

 むしろ、私の手に触れている指先が、何かに縋るように震えているのがわかった。


(相当、無理をしていたのね)


 不眠症というのは辛いものだ。

 私も前世では睡眠導入剤のお世話になったからよくわかる。


「女。名前は」

「アリア・ローズベルトと申します」

「アリアか。……来い」


 陛下は私の手を握ったまま、顎で馬車の方をしゃくった。


「城へ連れて行く」

「はい?」


 耳を疑った。

 連れて行く?

 挨拶もなしに、いきなり命令形?


「お断りします」


 私は即答した。

 一秒の迷いもなく。

 手を引こうとしていた陛下が、驚きに動きを止める。

 周囲の騎士たちが「断った!?」と小さく悲鳴を上げた。


「……断るだと? 皇帝であるこの俺の命令を?」

「はい。昨夜、国外追放されたばかりですので、どこの国にも属しておりません。陛下の命令に従う義務はないはずです」


 私はにっこりと笑って、捕まれていた手をそっと引き抜いた。


「私はこの森で、静かなスローライフを送る予定なんです。王宮なんていう窮屈な場所には、二度と戻りたくありません」


 王宮。

 その響きだけで蕁麻疹が出そうだ。

 どうせ朝から晩まで公務、夜会、派閥争い。

 睡眠時間は削られ、肌は荒れ、心は死んでいく。

 あんなブラック職場に再就職するくらいなら、森で熊と相撲を取る方がマシだ。


「さようなら、陛下。良い旅を」


 私はカーテシーをして、自分のハンモックへ戻ろうとした。


「待て!」


 切羽詰まった声が背中に投げかけられた。

 振り返ると、陛下が必死の形相で私に手を伸ばしていた。

 その顔には、焦りが滲んでいる。


「行くな。……いや、頼む。来てくれ」


 皇帝のプライドはどこへ行ったのか。

 陛下は額を押さえ、苦しげに呻いた。


「お前がいないと……眠れない気がするんだ」

「気がするだけでは?」

「昨夜、数年ぶりに熟睡できた。お前の側にいた時だけだ。頭痛が消え、耳鳴りが止んだ。……これは命令じゃない。懇願だ」


 深刻だ。

 目の下の隈が、彼の言葉の真実味を物語っている。

 同情はする。

 とても可哀想だと思う。

 けれど、私の安眠ライフを犠牲にする理由にはならない。


「お医者様に相談されてはいかがでしょう。私はただの素人ですし」


 やんわりと拒絶を示す。

 陛下が絶望したように口を閉ざした。

 その時だ。


「アリア様、少しよろしいですかな?」


 横から、宰相のセバスチャンさんが割って入ってきた。

 モノクルの奥の瞳が、油断ならない光を帯びている。

 彼は懐から一枚のハンカチを取り出し、汗を拭うふりをして私に近づいた。


「アリア様は、睡眠を何よりも愛しておられるとお見受けします」

「……ええ、まあ。人生の最優先事項ですね」

「ふむ。この森のハンモックも素晴らしい。ですが……野外では虫も出ますし、雨風も防げません。冬になれば凍えるでしょう」


 痛いところを突かれた。

 確かに、冬の対策はこれからの課題だった。


「我がノクス帝城には、歴代皇帝のために整えられた最高の寝室がございます」


 セバスチャンさんは、商人のような口調で囁いた。


「特に、陛下専用の客室にご用意している寝具は、伝説の魔獣『天空の羊』の毛を百パーセント使用した特注品です」


 天空の羊。

 私の耳がピクリと反応する。

 聞いたことがある。

 空に浮かぶ島にしか生息しないという、幻の羊。

 その毛は雲のように軽く、絹のように滑らかで、一度触れたら二度と離れられないという。


「……天空の羊、ですか」

「はい。体圧を完璧に分散し、まるで無重力空間に浮いているような寝心地。夏は涼しく、冬は発熱して体を温める。市場に出れば、枕一つで城が買えるほどの代物です」


 ごくり、と喉が鳴った。

 無重力。

 発熱機能。

 ハンモックとは比較にならない極上の響きだ。


「さらに」


 セバスチャンさんは畳み掛ける。


「アリア様が城に来てくださるなら、宮廷魔導師による完全防音結界、最高級のアロマ、そして専属のマッサージ師をお付けしましょう。食事もベッドまでお運びします」

「……労働条件は?」


 私は身を乗り出していた。

 重要なのはそこだ。

 どんなに環境が良くても、働かされては意味がない。


「公務は一切免除。夜会への出席義務もなし。アリア様の唯一の仕事は『陛下の近くで過ごし、安眠をサポートすること』のみ」


 セバスチャンさんは指を一本立てた。


「一日十時間の睡眠時間を、契約書にて保証いたします」


 ――勝負あり。


 私の脳内で、天秤がガシャンと音を立てて傾いた。

 森での自由な生活(虫刺され・寒さ・野宿)対、帝城での軟禁生活(最高級布団・三食昼寝付き・過保護な契約)。

 比べるまでもなかった。


「その契約、乗りました」


 私が手を差し出すと、セバスチャンさんは「ありがとうございます!」と深々と頭を下げた。

 陛下を見ると、彼は呆然と口を開けていた。


「……布団で釣れたのか?」

「陛下、布団ではありません。『天空の羊』です。重要度が違います」


 私は真顔で訂正した。


 交渉が成立すれば、話は早い。

 私はテキパキとハンモックを片付け、魔法収納へ放り込んだ。

 フェンリルが寂しそうに「クゥン」と鳴いたので、別れを惜しんで頭を撫でてやる。


「元気でね、わんちゃん。また来るから」


 立ち上がると、陛下が待っていた。

 彼は馬車の扉を開け、エスコートのために手を差し出している。

 皇帝にエスコートさせるなんて不敬極まりないが、今の私は「陛下の安眠を守る専門家」だ。

 堂々とその手を取る。


「よろしく頼む、アリア」


 陛下の手は、大きくて少し冷たかった。

 けれど、私を握る力は優しく、壊れ物を扱うように慎重だった。

 赤い瞳が、不安と期待の入り混じった色で私を見ている。


(まあ、悪い人ではなさそうね)


 ただ、とんでもなく寝不足なだけで。


「こちらこそ。最高の寝床へ案内してくださいね」


 私は馬車に乗り込んだ。

 革張りのシートはふかふかで、これだけでも十分に眠れそうだ。

 対面に座った陛下が、安堵したように息を吐き、すぐに瞼を重くし始めた。


 馬車が動き出す。

 森の緑が窓の外へと流れていく。

 こうして私は、追放された翌日に、隣国の皇帝陛下によって拉致(合意の上)されることになったのだ。


 目指すはノクス帝城。

 待っているのは、夢の快眠ライフ。

 ……のはずだったのだが。


 隣に座るセバスチャンさんが、なぜか悪い顔で笑っているのが少しだけ気になった。

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