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王宮を追い出されて「眠れる森の悪役令嬢」になりました!  作者: 秋月 もみじ


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第2話 不眠症の皇帝陛下を拾いました


 森の夜気は意外と冷える。


 ハンモックに揺られながら、私はブランケットを肩まで引き上げた。

 近くからは、フェンリルの「スピィ、スピィ」という可愛らしい寝息が聞こえてくる。

 最高のBGMだ。

 このまま朝まで、泥のように眠るつもりだった。


 ガサリ。


 不穏な音が、私の意識を現実へと引き戻す。

 風の音ではない。

 何かが草を踏みしめる、重たい音だ。


(……魔物? それとも追っ手?)


 重いまぶたをこじ開け、音のした方を見る。

 月明かりの下、漆黒の茂みが揺れていた。

 そこから這い出るようにして現れたのは、獣ではなかった。


 人間だ。

 それも、男の人。


 長身の男性だった。

 夜闇に溶け込むような黒髪に、血のように赤い瞳。

 着ている服は上質な軍服のようだが、泥と葉っぱまみれで薄汚れている。


 何より目を引いたのは、その顔色だ。

 白磁のように白い肌に、墨を塗ったような濃い隈が刻まれている。

 眼光は鋭く、獲物を探す肉食獣のようにぎらついていた。


「……誰だ」


 低く、掠れた声。

 男は私を認めると、腰の剣に手をかけた。

 殺気、というのだろうか。

 ピリピリとした空気が肌を刺す。


 普通なら悲鳴を上げて逃げ出す場面かもしれない。

 けれど、私の思考回路は完全に「睡眠モード」に固定されていた。


(うわあ……すごい隈)


 恐怖よりも先に、同情が湧いた。

 あの顔色は、徹夜明けの社畜時代に鏡で見た自分そっくりだ。

 相当、睡眠不足なのだろう。

 あんな状態で森を歩き回るなんて、迷子になってパニックになっているに違いない。


 男が剣を抜こうと、一歩踏み出してくる。

 金属音が響きそうになり、私は眉をひそめた。


(うるさいのは困る)


 せっかくフェンリルも寝ているのだ。

 ここで剣戟の音など響かせたら、私の安眠計画が台無しになってしまう。

 私はハンモックから身を乗り出し、人差し指を唇に当てた。


「……しーっ」


 男が動きを止める。

 怪訝そうに眉を寄せ、私を睨みつけてくる。


「貴様、何をして……」

「静かに。わんちゃんが起きちゃう」


 私は地面で寝ているフェンリルを指差した。

 男の視線が巨大な狼に向き、ぎょっとしたように固まる。


「フェンリル……!? なぜ、こんな所に」

「迷子さんですか? 大声出すと危ないですよ」


 私は手招きをした。

 戦う気がないことを示すため、なるべく緩く、力の抜けた動作で。


「こっちに来て、座ったらどうですか。顔色が悪いですよ」


 男は警戒心を露わにしたまま、ふらりと足を踏み出した。

 剣の柄から手は離さない。

 けれど、その足取りは酔っ払いのように覚束ない。


 私との距離、あと三メートル。

 その時、男の体が大きく揺らいだ。

 膝が折れ、地面に崩れ落ちそうになる。


「っ……く」


 限界だったのだろう。

 私はとっさにハンモックから飛び降り、彼を受け止めようとした。

 もちろん、成人男性の体重を支えきれるわけがない。


 ドサッ。


 私たちはもつれ合うようにして、木の根元の柔らかな苔の上に倒れ込んだ。

 背中を打った私が下。

 男が上だ。


「……あいたた」


 私の太ももの上に、男の頭が乗っている。

 いわゆる、膝枕の体勢だ。

 重い。

 退かそうとして、男の顔を覗き込んだ私は、動きを止めた。


 男は、すでに気絶していた。

 いや、違う。


(寝てる……?)


 規則正しい寝息が聞こえる。

 さっきまでの鬼のような形相が嘘のように、表情が緩んでいた。

 眉間の皺が消え、長い睫毛が影を落としている。

 まるで、久しぶりに家に帰ってきた子供のような無防備な顔だ。


「……よっぽど疲れてたのね」


 無理に動かすのも可哀想だ。

 それに、この男の体、意外と温かい。

 森の夜気で冷えた私には、ちょうどいい湯たんぽ代わりになりそうだ。


 私は男の黒髪を指で軽く梳いてみた。

 サラサラしていて気持ちいい。

 猫を撫でているような気分だ。


(まあいいか。このまま寝ちゃおう)


 私は木の幹に背中を預け、男の頭を抱え込むようにして目を閉じた。

 人の体温があるというのは、意外と安心する。

 不思議な充足感に包まれながら、私は再び深い眠りの底へと落ちていった。


   ***


 翌朝。

 小鳥のさえずりと共に、私は目を覚ました。


 なんだか周囲が騒がしい。

 ガシャガシャと金属が擦れる音。

 ヒソヒソと交わされる話し声。


「……陛下?」

「まさか、ご無事か?」

「いや、見ろ。あの状態を」


 重たいまぶたを持ち上げると、そこには信じられない光景が広がっていた。


 銀色の鎧を着た騎士たちが十数名。

 私と男を取り囲むようにして立ち尽くしている。

 全員が剣を抜きかけているが、その顔には困惑と恐怖が張り付いていた。


 そして、彼らの中心に立つ、一人の老紳士。

 モノクルをかけた知的な初老の男性が、口をぽかんと開けて私を見下ろしている。


(……えっと、何?)


 状況を整理しようとして、私は自分の膝の上を見た。

 昨晩の「迷子さん」が、まだ熟睡していた。

 それどころか、私の腰にしっかりと腕を回し、顔を腹部に埋めて離そうとしない。

 完全に抱き枕扱いだ。


「ん……むにゃ」


 男が寝言を漏らし、私の服の感触を楽しむように頬を擦り付けてくる。

 くすぐったい。


 周囲の騎士たちが「ヒッ」と息を呑んだ。


「あ、あの潔癖症の陛下が……」

「女性に触れているぞ……」

「しかも、あんなに幸せそうな顔で……」

「死んでいるのか? いや、寝息だ」


 不穏な単語が聞こえてくる。

 陛下?

 潔癖症?


 私はゆっくりと状況を理解し始めた。

 どうやら私は、ただの迷子ではなく、とんでもない重要人物を拾ってしまったらしい。


 モノクルの老紳士がおずおずと進み出て、深々と頭を下げた。


「……失礼いたします、お嬢様。そのお方は、我がノクス帝国の皇帝、クラウス・フォン・ノクス陛下であらせられます」


 皇帝。

 隣国の、あの軍事大国のトップ。

 「氷の暴君」と噂される、恐ろしい人。


 私の膝の上で、幸せそうによだれを垂らしそうになっているこの人が?


「……はあ」


 驚くべきところなのだろうけれど、寝起きで頭が働かない。

 気の抜けた返事をしてしまった。


「それで、その……陛下を返していただきたいのですが」


 老紳士が困ったように言う。

 私も返したいのは山々だ。

 足が痺れてきているし、そろそろトイレにも行きたい。


「どうぞ。連れて行ってください」


 私は男の肩を揺すった。


「起きてください。お迎えが来ましたよ」


 男の反応は劇的だった。

 瞼がピクリと動き、赤い瞳がうっすらと開く。

 私の顔を認識した瞬間、男は驚愕に見開いた目で私を凝視した。

 そして、次に自分の置かれている状況――女性の膝の上であること――に気づいたようだ。


 バッと飛び起きるかと思った。

 あるいは、不敬だと怒鳴るかと思った。


 けれど、男は私の腰に回した腕に、ぎゅっと力を込めたのだ。


「……嫌だ」


 低い声が、私の腹に響く。

 子供のような、駄々をこねる声だった。


「陛下!?」


 老紳士が叫ぶ。

 男は騎士たちを鋭い眼光で睨みつけ、唸るように言った。


「うるさい。……まだ寝る」


 そう言って、彼は再び私の膝に顔を埋め、二度寝の体制に入ってしまった。

 騎士たちが絶句し、石像のように固まる。


 私は天を仰いだ。


(……この人、私の膝を高級枕だと勘違いしてない?)


 平和な追放ライフ初日は、どうやら前途多難な幕開けとなりそうだ。

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