第10話 プロポーズの言葉は『一生、俺の隣で寝ていてくれ』
戦争――という名の「集団お昼寝会」から数日が過ぎた。
帝城には、いつもの穏やかな時間が戻っていた。
私は今日も今日とて、天蓋付きのベッドで微睡んでいる。
窓の外は快晴。
絶好の二度寝日和だ。
コンコン。
控えめなノックと共に、セバスチャンさんが入室してきた。
その手には、銀のトレイに乗せられた数通の手紙がある。
「アリア様、ルミナス王国より親展の書状が届いております」
嫌な予感しかしない。
私は布団から顔だけ出して、トレイを睨んだ。
「差出人は?」
「元婚約者のライル殿下、ならびに実父のローズベルト公爵です」
やっぱりだ。
私は大きなため息をついた。
「読んで聞かせてもらえますか? 要約でいいです」
「承知いたしました」
セバスチャンさんは恭しく一通目を開封した。
「ライル殿下より。『愛するアリアへ。私は騙されていたのだ。君こそが真の聖女であり、私の唯一の運命の相手だ。すぐに迎えに行くから、過去のことは水に流してやり直そう。追伸:あのあくびは凄かったね』……以上です」
鳥肌が立った。
どの面を下げて言っているのか。
水に流す?
私が流したいのは、貴方との記憶全てだ。
「次、お父様」
「はい。『アリア、我が自慢の娘よ。お前の部屋はそのままにしてある。すぐに戻って結界を張り直せ。公爵家の復興はお前の双肩にかかっているのだぞ』……とのことです」
自慢の娘、ねえ。
追放する時は「家の恥」と言っていたくせに。
都合が悪くなると手のひらを返す、見事な風見鶏っぷりだ。
怒りすら湧かない。
ただ、呆れるばかりだ。
「セバスチャンさん」
「はい」
「それ、ゴミ箱へ捨てておいてください」
「おや、よろしいのですか? 返信は?」
「必要ありません。彼らの相手をする時間は、私の睡眠時間より価値が低いので」
私が冷たく言い放つと、セバスチャンさんは嬉しそうに目を細めた。
そして、懐から小型の箱のような魔道具を取り出した。
「では、こちらの『最新式魔導シュレッダー』の試運転に使わせていただきましょう。紙を入れると、一瞬で塵になります」
「素敵です。ぜひ、跡形もなくお願いします」
ウィィィン。
軽快な機械音と共に、身勝手な愛の言葉と父親の命令文が吸い込まれていく。
排出されるのは、雪のような紙吹雪だけ。
見ていて清々しい。
これでもう、過去の亡霊に悩まされることもないだろう。
「さようなら。私はここで幸せになります」
私は紙吹雪に向かって小さく手を振り、再び枕に頭を沈めた。
***
午後。
クラウス陛下に「庭へ来い」と呼び出された。
帝城の中庭は、色とりどりの花が咲き乱れる美しい場所だ。
中央にあるガゼボ(西洋風の東屋)には、ティーセットが用意されている。
「……座れ」
陛下が椅子を勧めてくれた。
今日の彼は、いつになくそわそわしている。
軍服の襟を何度も直したり、紅茶のカップを持ち上げたり置いたり。
落ち着きがない。
「陛下? まだ眠り足りませんか?」
「いや、体調は万全だ。お前のおかげでな」
陛下は咳払いを一つして、真剣な眼差しで私を見た。
赤い瞳が、まっすぐに私を捉える。
「アリア。契約の更新について話がある」
「契約、ですか?」
今の条件に不満はない。
まさか、睡眠時間を減らされるのだろうか。
私が身構えると、陛下は首を横に振った。
「逆だ。期間を無期限に延長したい」
陛下が立ち上がり、私の前に片膝をついた。
まるで、物語の騎士様のようなポーズだ。
彼は懐から、小さな箱を取り出した。
パカッ。
中には、私の瞳と同じ色をした、大粒の宝石が輝く指輪が入っていた。
「……え」
「俺と結婚してくれ、アリア」
直球だった。
風が止まり、小鳥のさえずりさえ聞こえなくなった気がした。
「皇后になれとは言わん。公務もしなくていい。ただ、俺の妻として、一生この城で暮らしてほしい」
陛下の手が、私の手をそっと取る。
震えていた。
あの戦場でも堂々としていた「氷の暴君」が、たかが小娘一人の前で緊張している。
「俺はもう、お前がいない夜など考えられない。……いや、睡眠だけの話じゃない」
彼は顔を赤らめ、視線を泳がせた後、意を決したように言った。
「お前のあくびを見るだけで、胸が温かくなる。お前の寝顔を見ている時が、一番幸せだ。……愛しているんだ、アリア」
愛している。
その言葉が、じんわりと心に染み込んでいく。
私は自分の胸に手を当てた。
ドキドキと、少し早鐘を打っている。
嫌じゃない。
むしろ、すごく嬉しい。
私は「完璧な令嬢」でも「聖女」でもない。
ただの怠け者だ。
そんな私を、この人は丸ごと肯定してくれた。
それに。
陛下の膝の上ほど、安心して眠れる場所は世界中のどこにもないのだ。
「……条件があります」
私は努めて冷静に言った。
ここで流されてはいけない。大事なことだ。
「なんでしょう」
「朝は十時まで起こさないこと。お昼寝の時間を確保すること。そして――」
私は指輪を手に取り、自分で左手の薬指にはめた。
サイズはぴったりだ。
「毎日、陛下の腕の中で眠らせてくれること。……一人じゃ、寒くて眠れないので」
最後の方は、少し声が小さくなってしまったかもしれない。
顔が熱い。
陛下が目を見開き、それから破顔した。
氷が解けたような、春の日差しのような笑顔だった。
「ああ、約束する。一生、俺が温めてやる」
陛下が私を抱き寄せた。
私はその胸に顔を埋める。
硬い筋肉の感触と、鼓動の音。
ああ、やっぱり落ち着く。
私は目を閉じた。
プロポーズの直後だというのに、強烈な睡魔が襲ってきたのだ。
安心しすぎたせいだろうか。
「……ふあ。おやすみなさい、あなた」
「おい、ここで寝るのか? ……まあ、お前らしいか」
呆れたような、でも慈愛に満ちた声を聞きながら、私は幸福なまどろみの中へと落ちていった。
***
それから一ヶ月後。
ノクス帝国で、盛大な結婚式が執り行われた。
純白のドレスは、重かった。
レースや宝石がふんだんに使われた特注品だ。
綺麗だけれど、肩が凝る。
大聖堂には、国内外から多くの貴族が集まっている。
長ったらしい祝辞。
終わらない賛美歌。
お香の匂い。
(……限界だ)
祭壇の前で、私は船を漕ぎ始めていた。
隣に立つクラウス陛下(今日から夫だ)が、ハラハラした様子で私を支えている。
「誓いのキスを」
神官様の言葉が、遠くから聞こえる。
やっと終わりか。
陛下がベールを上げ、顔を近づけてくる。
整った顔立ちが目の前に迫る。
赤い瞳が、愛おしそうに私を見ている。
触れ合う唇。
温かい。
その温もりに触れた瞬間、私のスイッチが完全に切れた。
「……んぅ」
私は脱力し、そのまま陛下にもたれかかった。
膝から崩れ落ちそうになる私を、陛下が慌てて抱き留める。
「アリア!?」
会場がざわめく。
花嫁が倒れた? 貧血か?
いいえ、違います。
静寂の中に、私の寝息がマイクを通して響き渡った。
「……スゥ……スゥ……」
「……寝てる」
「寝てますわ……」
「誓いのキスの最中に!?」
驚愕の声。
しかし、陛下は高らかに笑い出した。
「ははは! 見ろ、これが俺の妻だ! 世界一肝の据わった、愛すべき『睡眠の皇后』だ!」
陛下は私をお姫様抱っこすると、スタスタとバージンロードを歩き出した。
参列者たちから、割れんばかりの拍手と、温かい笑い声が湧き起こる。
私は夢の中で、その祝福を聞いていた。
***
数年後。
穏やかな昼下がりの庭園。
「ママー、おきなさーい」
私の腹の上に乗っかってくる、小さな重み。
黒髪に赤い瞳の男の子だ。
私の息子、レオンである。
「んん……あと五分……」
「だめー。パパが、おやつできたって」
おやつ。
その言葉に、私は片目を開けた。
視線の先には、ティーワゴンを押してくるクラウスの姿がある。
彼はすっかり不眠症が治り、今では健康的な顔色で、私と息子を溺愛するマイホームパパになっていた。
「起きろ、寝坊助ども。今日は特製のパンケーキだぞ」
「わーい!」
レオンが駆け出していく。
私はあくびをしながら体を起こした。
風が気持ちいい。
隣には愛する夫と、可愛い子供。
そして、ふかふかのクッション。
私は大きく伸びをした。
「……幸せ」
かつて「悪役令嬢」と呼ばれ、国を追われた私。
でも今は、世界で一番幸せな「お昼寝好きの皇后」だ。
「アリア、早く来ないとレオンに全部食べられるぞ」
「はいはい、今行きますよ」
私は立ち上がり、愛する家族の元へと歩き出した。
もちろん、食後のお昼寝の予約も忘れずに。
(完)




