旅人
それは氷雨に体温を奪われ凍えながら偶然辿り着いた村でのことだった。
寒さは厳しくも雪の少ない地方であり、旅慣れた身なれば多少の事はやり過ごせると過信した。天候を見誤り急ぐあまりにどこで道を見失ったのか気付けば立ち枯れた木々ばかりの見慣れぬ地。身を寄せる場所一つなく、天候のすべてを真正面から受けるにはこの身は脆弱だった。
雨宿りできる場所を探す最中、僥倖にも民家の灯りを見つけられたときには安堵のあまり天を仰いだものだ。後から思えば神の導きであったのかもしれない。
快く迎え入れてくれた宿屋の暖炉で濡れた外套や荷物を乾かしながら茶を啜る。暖炉の周りには幾人もが集まっていて、何やら浮足立った様子。話を振ればもうすぐ祭りがあるという。
良い時期に来なさったと歓迎され是非に参加をと誘われる。よそ者の体験談というのはそれ自体が立派な余興となる。目的もなく全国を歩いて回っている私のような旅人ではなおさらだ。故に旅を続ける中でよくある事である。
ただ、変わった問いが多かったのには戸惑った。通常ならばまずは「何が目的なのか、家族が心配しているのではないか、資金はどうしているのか、目的地はあるのか」といった事を尋ねられる。当然の疑問であり、悪意ある来訪者への警戒という意味でも当然の問いである。しかしこの村では「あの背嚢は何kgなのか、歩くときの姿勢や速度は、休憩の時間は」などといった具合である。「あんたなら神様も目を留めてくださるに違いない、実用的な肉体をお持ちで羨ましい」そんな不思議な褒め言葉で称賛され、何やらむず痒かったが悪い気はしない。
翌朝、水溜りを避けながら祭りが行われるという広場へ行った。祭りの準備をしているという村長に挨拶をしておこうと思ってのことだ。
「やあやあ、あなたが祭りの儀のためにお越しくださったお客人かね! 徒歩では大層難儀したことだろうになんと立派なことか!」
村長は爽やかな笑顔が印象的な人物で、声が大きい以外はこれといった特徴はない。寒がりなのか随分と厚着をしているが見かけた村人の大半はそんな感じだ。そして祭りへの情熱が強いことがひしひしと伝わってくる。偶然立ち寄っただけということには口を噤んでお供え物になればと土産を渡した。
「これは…蛋白質と澱粉ではないか! さすがこの時期に訪れるだけのことはある! ありがたくいただこう」
大豆と馬鈴薯なのだが、この村では呼び方が違うようだ。何にせよ思いのほか喜んでもらえて良かった。
祭り前夜は蒸し風呂に入るのが伝統なのだという。当日も汗を流す決まりというのだから禊のようなものだろう。公衆浴場が賑わう中、垢擦り役の子どもたちは大忙しだ。蒸し風呂中に親しくなった村人から教えてもらった垢擦り名人に垢擦り札を渡す。入場時に強制的に購入させられた札だ。子どもの小遣いになるのならば、まあ、文句はない。
順番待ちの合間に村人たちとのんびり会話する時間が取れた。空いていた椅子に腰掛け水分補給をしながら旅の経験を話し村の暮らしも聞いた。
「俺は木樵だ」「俺は農耕」「大工」次々と上がる職にさもありなん、と思う体つきだ。驚くことに本業以外にも日常的にかなりの力仕事をしているらしい。重い荷を持ち上げ引っ張り、脚も身が張るほど酷使する、重労働ではあるがそれが人生であり、成長の糧だと思えば苦ではないのだ、と皆が皆口を揃えて答える。何と意欲的なことだろう。
しかしやはり日頃の疲れが出ているのか、腰掛けていても体が揺れ転げかけてしまう村人がいる。私にはわからぬ笑い話が含まれていたのか、よくよく見れば腿や腹が小刻みに震えている様子もある。
ふと別の村での木樵や鉱夫といった職人たちを思い出した。彼らも良く食べ良く飲み笑い、時に酒を過ごして乱痴気騒ぎとなっていた。彼らが仕事に誇りを持っていたのは確かだが漏らす愚痴には仕事の過酷さがあったと思う。この村人たちのように労働すら享受するという心持はどこから生まれるのだろう。他所では酒を旨く飲むためだと嘯く者もいたが、この村では未だ酒を飲む姿を見ていない。何が原動力となっているのだろうか。
少し考えに耽っているうちに順番が回ってきた。見回せばあんなに混み合っていた場も数人が残るだけとなり閑散としている。何かが意識にひっかかり注視してみれば、椅子が私の使っていた分しか無いのだ。他の村人たちが座っていた椅子はいつの間に片付けたのだろうか。
昨夜の蒸し風呂と垢擦りのおかげか乾燥して硬くなっていた皮膚の調子が良い。垢擦り後の手入れとして塗られた軟膏に色が付いていたのか少し黒くなった気もするが、皆が一様にその様子なのだから気にするのもおかしな話だ。
またも賑わう公衆浴場で湯を浴び、疫病から身を守るという油を全身隈無く塗られた。黒光り集団の出来上がりだ。思わず笑みが溢れる。周囲を見れば皆笑顔になっていた。顔まで黒く塗られて白さがより目立つ歯まで光って見えるほどだ。
祭り装束は羽織に猿股、好みで晒を巻く。とはいえ羽織は祭り開始までには脱がねばならぬ決まりだとか。寒さが心配だったがいざ到着してみればそれは杞憂であった。焚き火がそこかしこに準備されていて暑いほど。これならば確かに猿股一枚でも十分である。
日が落ちすっかり暗くなると祭りの儀が開始された。村人はそれぞれ配置につき、私も櫓近くに指定された場所に立つ。よそ者の身でこんな良い場所を与えてもらえるとは思わなかった。
集まった村人たちは揺らめく炎の灯りに照らされ、唯でさえ大きな体はより迫力のある陰影を醸し出している。
櫓の前に祭り装束を身に着けた村長が見えた。驚くほど立派な肉体で、老年にさしかかろうかという頃合いにも拘らず隆々とした肉体の張りは現役であることを物語る。この村長は誰よりも仕事を熟し村を導いているのだろう。凡庸な男かと思ってしまったのは服装のせいだったのか…これが脱ぐと凄いというやつだな。
村長の合図により里神楽が始まった。子どもたちの演奏に合わせ神楽を舞う。といっても難しいものではない。事前に教えられた姿勢をとるだけだ。櫓で準備を整えていた緑色の衣装を着た神楽師役の村人達が棒にぶら下がり体を持ち上げまたぶら下がったりとしている。遠目にも汗が光り肥大した肉体が輝くように見える。どう見ても大変そうだがあの役を得るため毎年熱い戦いが繰り広げられるそうだ。
いつしか子どもたちの演奏は止まっていた。どこからか囁くような調べが聞こえてくる。気にはなるものの一層熱を帯び神楽舞を続ける周囲に倣い規定の姿勢を繰り返す。それが終わりを告げたのは周囲に促され顔を上げた時だった。櫓の天辺に人影が現れたのだ。
その人影は大きくどっしりとしていた。こちらに背中を向け両腕を曲げ力こぶを作っている。もうひとつの影は何者なのか、ゴツゴツとした輪郭はわかるがここからでは目を凝らしても見え難い。「クリスマスツリー…今宵もなんと見事な…」周囲から感嘆の声が聞こえてきて気付いた。あれは、恐らく、クリスマスツリーを模していたのではないかと。櫓を木に見立て、緑色の神楽師は風に揺れる葉を表現するために上下に躍動していたに違いない。そして天辺に現れた人物はきっと星の形を模したのだ。遠方の文化が形を変えて根付くことがあると聞く。各地を旅して回る醍醐味とはこういう発見を肌身で感じることなのだ。
「サンタ・クロス・スクワット神様、獣神トナカイ様御降臨!」
村長の声を合図に一斉に頭を下げる。「合図があったら萬の礼だ。足の先まで気を抜かず丁寧に」という教えに集中していたため村長の言葉は一部聞き逃したがサンタクロースとトナカイと言っていたように思う。ゴツゴツとした影がどうしても人に見えなかったのは当然だ、トナカイの角だったのだ。
全身を漲らせ続け疲労に音を上げそうになった頃、ふ、と何かを許された。よく分からない感覚だったが許されたと感じたのだ。恐る恐る、サンタクロースの様子を覗った。
サンタクロースを間近で見たのは初めてだ。仮装なら見たことはあるがこんなに人間離れした存在ではもちろんなかった。目の前に御座すこの方は正に神である。一言も発せられておられないのにその威厳に肌が粟立つほど。トナカイもただのトナカイではなかった。二足歩行で胸を張り村人たちと神楽を舞う存在が獣である訳もない。
サンタクロースが顕現される時に聞こえてきた調べはトナカイの首元の鈴が鳴る音であったようだ。子どもたちはトナカイの近くに侍り鈴の音に合わせて「まちょう、まちょう、」と歌いながら神楽を真似て踊っている。
太鼓と笛の演奏が始まった。これから神楽師たちの奉納演舞が始まるのだ。
「これらの者共は今宵のため、苦難を乗り越え鍛え上げて参りました。この栄誉は子々孫々末代までの誇りとなりましょう。身命を賭していざ発する! 我らの勇姿、御照覧あれ!」
逞しくも靭やかな肉体を持つ神楽師たちが様々に技を繰り広げ始めた。丸太を斬ったり持ち上げたりする力自慢だけでなく、数人で塔の形を作ったり、絶妙な均衡を表現したりと、それは動でありながらも静であり、力強くも繊細で、たいへんに見応えのあるものであった。黒く塗られた肌が巨大な巌のような筋肉を一層迫力に満ちたものにしている。
やんややんやと囃し立てながら、演舞の素晴らしさに杯が進む。酒を飲みたいところだがこの村ではお目にかかったことがない。「酒では良い体が作れないんだ汗をかいた後には蛋白質さ」と渡されたのは豆乳という豆の搾り汁だ。体に良さそうな味はする。そういえば蒸し風呂の後に飲んだのも豆乳だった。
叱声が夜気を裂いたのは演舞も終わり神楽師たちへ感動を伝えていたときだった。
「このような場で何を言い出すのか!」
こんなに離れていても村長の声はわかりやすい。いったい何事だろうか。「さん…かいの大会に……俺なら……」ざわめきの合間に若い男の声が途切れ途切れに聞こえてくる。
「都会など行くだけ無駄だ! 最近働きが悪いと思っていたがさては訓練ばかりしていたのか! そんな様だから神楽師にも選ばれな、い…っ」
激昂した村長の言葉は咎められた。束の間ではあったが押し潰されんばかりの圧迫感に襲われたのだ。離れた位置にいても息苦しくなるほどだった。
「サンタ様、お騒がせして申し訳ありませぬ。確かに私も若かりし頃はそうでしたが……しかし都会よりも息子にはこの村で…」
村長の声しか聞こえないが概要はわかった。どうやらよそ者が聞いていて良い話ではなさそうだ。ともすれば私の存在が旅立ちへの後押しとなりかねない。目立たぬようにその場を離れた。
耳を澄ませ辺りを見回す。トナカイの鈴の音が移動していたのも気になっていたのだ。少し探せばすぐに見つけられた。子どもたちも共にいたので合流させてもらう。しかし二足で歩くというのはトナカイの体に無理はないのだろうか。不躾に見てしまい目が合ったが問題ないとばかりにトナカイが頷いた。さすがサンタクロースのトナカイである。
どうやら足袋が掛けられた家を訪ねているらしい。トナカイが枠の付いた大きな椅子や長椅子、平たい重石のようなものなどを次々と置く。それを指示に従って運び、そこに同じ物が置いてあれば交換してゆくのが私の仕事だ。どこに持っていたのであろうか。そして回収した物はどこへ収納したのであろうか。子どもたち曰く「トナカイ様はすごい神様だから大きい角で何でも運べるんだよ」とのことだ。真に不思議な存在である。
そして思いがけず私にもお恵みを戴けた。ずっしりとした重みのある吸筒だ。トナカイは働き者を好みその働きに合う恵みを与えるのだそうだ。旅は困難も多いがそれも楽しさのひとつ。そう思えばこの村の辛苦を糧とする考え方と通じるものがあったといえる。
はじめ、この村のクリスマスの様式は独自に発展したものだと思い込んでいた。しかし実際に二柱が顕現したのを目の当たりにした以上私の認識が間違っていたのだろう。正しいクリスマスはこの村なのだ。今まで他所で見てきたものこそが紛い物、もしくは全く別の催しである。サンタクロースの正しい姿とは豊かな白い髭、袖がなく丈の短い赤い羽織、赤い猿股、赤い草履、そして逞しき体躯。トナカイは二足歩行、立派な角から恵みを齎す。
稀なる体験だった。この村での出来事は一生忘れることはないだろう。
そして村を去る日、私の背嚢にはたっぷりと水の入った水筒が二つ括り付けられた。村に来た時よりもずしりと肩に食い込むが、担ぐだけで感嘆の声を受けては不甲斐ない姿は見せられない。涼しい顔で立ち去らねばならぬ。
ではまた、と手を振り村を後にした。
続きはネタバレ編です。




