調査開始
翌日、朝起きて身支度を整えた。誰かと一緒に住む、しかも男性が相手ということで、いつでも身だしなみに気をつけなければならないのは少し面倒だ。でも、昨日すでにお風呂上りに二人とリビングで会ったりしたので、すっぴんは晒してしまっているのだが。
それでもだらしない恰好でうろうろするわけにはいかないし、何せ今日は外出の予定がある。私は化粧を施し、しっかり着替えも終えたところで外へ出た。
リビングにはまだ誰もいなかった。昨日は必ず自分以外の人がいたので、無人だとやけに広く感じる。
「あ、朝食ぐらい作った方が……食材ないんだった」
ガクッと項垂れる。昨晩はカレーをご馳走になったのだし、次は私がお礼をしたいのに、まだ何も買ってきていない。早くスーパーに行かねばならないな。
「はよ」
立ち尽くしていると、後ろから祐樹さんの声がしたのでびくっと体が跳ねた。彼は着替えも終わった状態で私を見下ろしている。
「おはようございます!」
「朝飯食べる?」
「え、いいんですか? じゃあ、私作ってもいいですか?」
「マジ、いいの?」
祐樹さんが目を輝かせたので、なんだか嬉しくなって気合が入る。彼に許可を得たので、簡単に三人分の朝食を作った。冷凍ご飯をチンしておにぎりにし、目玉焼きとウインナーを炒めただけの質素なものだが、案外祐樹さんは嬉しそうに眺めていたので安心する。
「うまそうじゃん」
「簡単な物なので……スーパーに行ったら、お返ししますから」
「いやいや、十分うまそうだってこれ。ありがてえー」
にこにこ顔で祐樹さんが席に座った時、リビングの扉がガチャっと開いた。顔を出してきたのは竜崎さんだ。彼はまだ黒いスウェットのままで、寝癖もつきっぱなし、お腹を掻きながら眠そうな顔で中に入ってきた。裾から少しお腹が見えて、なんだか少しだけドキッとしてしまった。
「いい匂いがするな……」
「作ってくれたんですよ、食べましょう!」
「へえ、美味しそう。花音、ありがと」
竜崎さんは私に向かって、そっと微笑んだので、またさらにドキッとした。
そういえば彼がこんな風に笑うのは初めて見たかもしれない、と思う。いつもあまり表情が変わらないので、心の内もよく見えないタイプの人なのだ。
「お口に合えばいいのですが……」
「じゃ、食べよ。ついでに今日の話もしよう」
三人で座り、また一緒に挨拶をして食べ始める。それぞれおにぎりを手に取って頬張り出したところで、竜崎さんが切り出した。
「さて、さらっと花音には説明したと思うけど、今回の調査依頼は箕輪さんっていうご夫婦の、奥さんの方から。奥さんの名前は優香さんで、旦那さんは幸太郎さんね。どうやら優香さんだけ変な体験があるばかりで、幸太郎さんは全くないらしい。だから、調査に入るのは反対してる。それを優香さんが隠れて僕らを呼んだ、ってとこ。美味いねこれ」
「あちゃー、揉めそうですねー。家族内に調査に反対している人がいるとやりづらいんだよなあ。美味いっすねこれ」
祐樹さんが嫌そうにそう言った。二人が何気なく味の感想を放り込んでくれたことに嬉しく思いつつ、舞い上がることなく竜崎さんの話をしっかり聞いておく。なるほど、幸太郎さんは何も感じていないので、優香さんの思い込みだとか勘違いだとか、そんな風に思っているのかもしれない。
竜崎さんは指先についた米粒を食べながら続ける。
「まあ、幸太郎さんは平日昼間は仕事に行ってるから、会わない可能性が高いらしいよ」
「パパっと終わればいんですけどねえー」
「内容としては、オーソドックスだけど体調不良、やたらうなされる、家の中に変な影を見る、とかだね。ただ、その家は新築でしかも引っ越して二年経つらしい。なのに、最近突然現れるようになったってことだよ」
私はゆっくりおにぎりを頬張りながら考える。ということは、例えばその土地が呪われていただとか、そういう可能性は低いということか……。
はじめて行く場所で、しかも霊を見ることは大前提。今更だが、自分はとんでもない世界に足を突っ込んでしまったのだと実感がわいてきて落ち着かなくなる。転職どころの騒ぎではない、一体どんな風に調査は進んでいくのだろう。
そわそわしながら食べていると、竜崎さんがお箸でウインナーを取って齧りながら言う。
「花音は一人になることはないから。君、引き込まれやすいし、基本は僕か祐樹のそばにいること」
「は、はいっ」
竜崎さんの言葉に少しほっとした。いつでも必ず二人のどちらかがついていてくれるというのは、やっぱり心強い。それに、不安になっている私の様子を感じ取って声を掛けてくれた竜崎さんの優しさも、私の心を楽にしてくれた。自然と自分の顔が微笑みを作る。
頑張ろう。やっと見つけた静かに眠れる場所を、失いたくない。私はそう思って気合を入れる。足を引っ張りたくないし、役に立ちたい。
ふと、空いている椅子が目に入りもう一人の存在を思い出す。
「あの、雅さんは戻られないんですか?」
「ああ、雅はまだ戻らないよ。いないことの方が多いからね。女性同士だし早く会いたいと思ってるかもしれないけど、まだしばらく会えないと思った方がいい」
竜崎さんの言葉に、私は俯いた。竜崎さんも祐樹さんも親切だけれど、彼の言う通り同じ女性がいてくれたら……とは思ってしまうので、まだ会えないことはやはり残念だった。
「雅さんってどんな方なんですか?」
私が尋ねると、竜崎さんは少し頭を傾げて答えてくれる。
「んー……花音とタイプが違う感じ」
「私とタイプが違う……」
「昔から雅は何でも激しい」
「そんなに昔からの知り合いなんですか?」
質問に答えたのは祐樹さんだ。
「二人は幼馴染。俺は五年くらい前からの知り合いだけど、竜崎さんと雅は子供の頃からよく遊んでたんだって」
「へえ、そうなんですか。幼馴染とシェアハウスって、なんだか漫画みたいですね……」
「遊んでたって言っても、雅と僕は年が四も離れてるから、僕の後をついて回ってただけだよ。もう一人の妹って感じかな。まあ妹はもう会えないから、雅の方がずっと付き合いも長くて妹っぽいかも」
「もう会えない?」
私はつい、反応してしまった。妹にもう会えないとは一体どういうことなのだろう。だが彼は、少し困ったように頭を搔いた。
「僕の家庭環境は複雑でね。説明するには今は時間がないし、またいつかね」
竜崎さんはそう言って話を切り上げると、ご飯を全て完食して手を合わせた。なんだか踏み込んではいけない雰囲気を感じ取り、私は黙り込む。まだ出会って間もない私なんかに、家庭環境の事なんて説明したくないだろう。しかも複雑、って言ってた。
私はもちろんそれ以上は訊かず、黙々と食事を終えた。私が月乃庭の本当の仲間になれたら、いつか聞けるのかもしれない。