布団の中に
掛布団が不自然に盛り上がっていた。私が普段使っているアイボリーの掛布団が、なんだか別もののように感じる。ひんやりと全身が冷え、毛穴からどっと汗をかいた。
いるね……って、こっち? 確かに今までも、部屋の中で変な物を見ることはあった。またあいつらが、入り込んでいるのか。
呆然として恐怖から足も動かない。だがそんな私をよそに、つかつかと竜崎さんはベッドに歩み寄り、躊躇いなく布団に手を伸ばしたのでぎょっとした。
「竜崎さ……!」
止める間もなく、ばっと布団が持ち上げられる。そこにいたもの達を見て、私は短い悲鳴を上げた。
「……子供か?」
竜崎さんは顔を顰めてそれを凝視する。私は口を手で覆ってがくがくと震えた。
「赤ちゃん……です……三、違う、四人……」
ベッドの中にいたのは肌が黒く変色した赤ちゃんたちだった。みんなベッドの上に座り込んだ状態で体を寄せ合い、こちらを凝視している。全員干からびたような姿になり、やせ細っていた。目玉だけが異様に飛び出てこぼれそうに私の方を見つめており、瞳孔が開ききったその目からは、恨みや悲しみ、でも同時に嬉しさも感じ取れる。
彼らはじいっと私だけを見つめている。
その目に魅入られるようになっていると、ふと自分の足が自然と動く。意識していないのに向かった先は、すぐベッドの向こうにあるベランダだった。とにかくあそこから外へ逃げなくては、と瞬時に思ったのだ。逃げないと、今すぐ、絶対に、今すぐに。
ふらっとベランダの鍵を開けて戸を開こうとしたとき、呆れたような竜崎さんの声が耳に入る。
「こらこら」
彼は布団を適当に投げ捨て、私の肩を強く掴んだ。その力で突然意識がはっきりする。ベランダに一歩足を踏み出していた私は、今自分が何をしようとしていたか思い出してぞっとした。
「あ、あれ……」
「君、三ヵ月よく無事だったね。すぐ影響されちゃうタイプか。うちに住んで正解かもよ、ほっといたらどこでも飛び降りたり飛び出したりしそう」
「なんか急に頭がぼんやりして……」
「目を合わせ続けるとよくないって教えたでしょ。ほら、入って。寒いよ」
彼にそう言われ、とりあえず中へ戻ろうとした私だが、ふと外に気になる光景が目に入った。狭いベランダには、アルミニウム製の手すりがある。私の腰ほどの高さなのだが、その隙間から竜崎さんが停めた黒い車が見えた。
その隣に、小さな少女らしき子が立ってこちらを見上げている。
「あ、あの、あれ……」
「ついてきて正解だったね。こんなのにふらふらされちゃうんじゃちょっとも目が離せない。ここに住みついてるこの子たちの対処から始めようか」
竜崎さんがベッドの前でそう言ったので、私は慌てて返事をして戸を閉めた。霊はそこら中にあふれているので、竜崎さんの車の隣にたまたま立っていた霊なんて、気にしてる暇はないのだ、と思って。
「ついでに仕事の練習だ。目をなるべく見ないようにして、そいつらの特徴を教えて」
私の隣で竜崎さんがそう言った。彼の手はしっかり私の左腕を掴んでいる。おかしな行動をしないように、とのことだ。
私はいまだベッドの上から動かない彼らをなるべく見ないようにして、でもそれとなく視界に入れつつ特徴を捉えていく。
「ええと、赤ちゃんと言っても一人で座ることが出来るぐらいの月齢が四人……肌が干からびたように真っ黒で、全員人相もわからないほどです。目を凄く見開いて、ずっと私のことを見ています……悲しそうな、寂しそうな、それでいて嬉しそうな? そんな感じが伝わってきますが、私の主観です」
「そういう主観は大体合ってるから大事にね。なーるほど、僕の方をちらりとも見ないってことは、花音が見えてるって気付いているね。それでいて、助けてほしいのかな」
「助ける?」
「相手は赤ん坊でしょ。原因はわからないけれどこの世に残ってしまうような死に方をしたんだ。わけも分からず助けてほしいと思ってるんだろう。花音に見つけてもらって喜んでるんじゃない」
竜崎さんの言葉を聞いて、なんだか張っていた気持ちが少し楽になった気がした。確かに、普通に考えればそうではないか。
ここにいる子たちは言葉すら話せないような月齢の子。なのに、この世に残ってしまったなんて、何か想像を超える亡くなり方をしたのだ。なぜ自分がここにいるのかもわからないまま、自分が見える存在に助けを求めているだけなのか……。
「……可哀想ですね」
怖いとしか思っていなかったけれど、背景を知ると少し恐怖心が和らぐ。だが、竜崎さんが私の腕を摑む力が強まった。
「同情する気持ちも悪くはないが、引きずられるから用心して」
「あ、はい……」
「僕はこんな小さな子たちを消滅させるほど冷酷な人間じゃないんだよね。祐樹がいればまだよかったけど今はいないし、とりあえず蹴散らすだけにしておこう。そのうち誰かが供養してくれるか、もしくは時間が経って自分たちで成仏するかもね」
そう言った竜崎さんは、すっと左手を彼らに向かって伸ばし、翳すようにしてぴたりと止めた。その手から何かが出てくるのかと期待したけれど、私から見て彼の手は何も変化がなかった。
ところが、竜崎さんの手に嫌がるように赤ん坊たちは身をよじりだす。口をぽっかり開けて叫び出しそうな顔になった直後、逃げるようにその姿が消えていく。
あっという間に私のベッドの上は無人になり、無造作に掛布団が取られた状態のままどこか寂しさを醸し出している。
「……なんだか可哀想ですね」
「仕方ないね。それぞれできることは限られているから。それより、君の引きずられやすさは想像以上だ。慣れるまで一人で外出しない方がいいよ」
「は、はい。ありがとうございます。竜崎さんが一緒に来てくれなかったらまたやばかったのかも」
「いいよ別に。さあ荷物をまとめて。布団持っていくの?」
「……可哀想な子たちと言えど、あのビジュアルの霊が過ごしていたベッドはもう使いたくないですね……布団買います」
「僕ははっきり見えないからなー。そういう点では、はっきり見えるってきついんだね」
他人事のように言った竜崎さんに苦笑いして返すと、とりあえず私はクローゼットを開けて荷物の準備を始めだした。キャリーケースに着替えや日用品を入れていく。もちろんそれだけでは足りないので、あらゆる紙袋などにも詰めていく。
「僕は何を手伝おう?」
「えっ。本当に手伝ってくれるつもりなんですか?」
「そう言ったけど」
私は困り果てて竜崎さんの顔を見たけれど、彼は『何か?』と言わんばかりに首を傾げて私を見ている。だって、ほぼ初対面の人に私物を触らせるのは申し訳ないのだが。女性ならではの物もあるし……。
とはいえ、まだまだ時間がかかりそうなので待っててもらうのも申し訳ない。
「……じゃああの、テーブルの上に広げてある化粧品をこの袋に全部入れてもらえますか」
「おっけ。うわ、凄いね、女性っていろいろ大変なんだね。雅も確かにいつも化粧品を現場に持ってきたりするしなあ。男でよかった」
「竜崎さんが女性だとしても、その顔の造りなら化粧いらずだと思います……」
「あーよく言われるそれ」
謙遜もしないのか。私は彼のキャラが面白くて少し笑ってしまった。なんだか独特の雰囲気を持った人だなあ。マイペースであんまり笑わないけど、茶目っ気がある感じもする。今まで出会ったことがないタイプの人だ。
竜崎さんはしげしげと私の化粧品を見ながら、それぞれ袋に入れてくれる。そんな彼の目を盗んで、下着を急いでキャリーケースの奥底にしまっておいた。改めて、自分は何をしているんだろう。知り合ったばかりの男性を家に上げて、荷物をまとめるのを手伝わせて、こっそり下着を移動させて……少し前の自分からは考えられない。
結局、両手にいっぱいの荷物を持った私は、竜崎さんと共にアパートを出た。恐らくしばらく帰って来ないはずの部屋なので、戸締りをきちんとし、ガスの元栓も切って再度竜崎さんの車に乗り込んだ。
あの少女の霊はもういなくなっていた。