突然の帰宅
お茶を飲んだ後、体験したことを三人に説明した。二人は神妙な顔で、優香さんはどこか困ったような顔をしていた。
細かな部分まで詳細に伝え終えた後、もう一度お茶をゆっくり口に含んで一息つく。黙って聞いていた祐樹さんが前のめりになって私に尋ねる。
「んで、霊の姿は見てないってこと?」
「あ……」
私はお茶を置き、小さく頷いた。そう、見えたのは黒い人型のものと、足だけ。どんな霊がいたのか具体的には見えていない。
「怖くて振り返れなくて……」
「せっかく接触出来たのに。姿見とかないと」
祐樹さんが残念そうに言ったので、私は小さくなってしまった。確かに、彼の言う通りだ。私ははっきり姿が見える、という力を必要とされて月乃庭に入ったのに、怖くて見れなかったのでは仕事になっていないではないか。
もし姿を見ることが出来ていたら、役に立つチャンスだったのに。
だが竜崎さんが祐樹さんを止める。
「祐樹。まだ花音は慣れてないんだから仕方ない。そんな言い方しちゃだめだ」
「……うす」
今度は竜崎さんに注意された祐樹さんが俯いてしまったので、私は慌てて割り込んだ。
「いえ、祐樹さんの言う通りです。お役に立てずすみません……!」
「花音は引きずられやすいから、霊の方を見なくて正解だったよ。そのまま連れていかれちゃうかもしれないしね」
「連れ……!?」
「そうだ、足は見えたんでしょう? 大きさとか、どうだった?」
竜崎さんの質問に、そういえば、と思い出す。記憶の中では、真っ白な素足だったが自分の物と比べるとどこか骨ばって、大きいサイズに思えた。
「そういえば……男性の足に見えました! 私より大きくて」
「へえ、男か……」
竜崎さんが考え込むように天井を見上げ、その隣の祐樹さんは目を輝かせた。
「男か! 優香さんは何か心当たりあります?」
「え……?」
突然話を振られた優香さんは、私の隣で目を丸くした。少し沈黙が流れた後、彼女は小さく首を横に振る。
「ありません」
けれど、私はその横顔を見ながらなんとなく、優香さんが嘘をついているように思えた。どこがと聞かれれば説明できないが、思い当たることがあるのに言わない……そんな表情に思えたのだ。
ちらりと前に座る竜崎さんを見てみると、彼は鋭い目で優香さんを見つめている。もしかして、私と同じように何かを感じ取ったのだろうか……。
だが竜崎さんは優香さんに追及はせず、話題を少し変えた。
「そういえば優香さん、この家にいると変な体験をするとのことでしたが、それは外にいるときも感じたりしますか?」
「いいえ。外出中に変な影を見たりはしません。悪夢はわからないですが……この家以外で寝泊まりしていないので。実家は遠方で」
「そうですか……」
そう呟いた竜崎さんは、一人小さな声で呟く。
「とすればこの家に問題があるのだろうか。それにしては土地や建物自体には問題はなさそう。じゃあ優香さんに憑いている? だとしても家を真っ黒にするのも変わってるなあ……」
さらに祐樹さんも続く。
「家自体が原因だとしたら、最大の謎が残りますよ」
「……幸太郎さんがなぜ影響を受けていないのか、だね」
二人の発言を聞いて私も気が付く。そうだ、夫である幸太郎さんは、何も不可解な現象を体験していない。優香さんのみ、影響を受けているのだ。
私は首を傾げて考える。
「このレベルで影響を受けないってすごくないですか?」
そう尋ねると、二人同時に頷いて祐樹さんが答えてくれる。
「おかしい。人間、それぞれ勘が鈍かったり鋭かったり個別差はあるけど、今回のこの状況なら何かしら感じるのが普通だよ。見えないにしても体調不良が出るとかな。でも幸太郎さんは元気で何も変わった様子はない、ってことだろ? 不自然だなと思う」
やっぱりそうなのか。ただ道端にいる霊が視えるとかの次元じゃないもんな、この家は。一日いるだけで気が滅入りそうだし、体調を崩しそうだ。ここに住んでいるのに何も感じないのは確かに不思議すぎる。
すると、竜崎さんが何かを思いついたような顔をした。私と祐樹さんはそれに気が付き、彼の発言を待っていると、竜崎さんがポケットに手を入れて、例のピンク色の名刺入れを取り出した。今更名刺を渡すのか? と思っていると、名刺ではなくこれまたピンク色の小さな折り紙を取り出したので驚く。
小さな折り紙を、テーブルの上で器用に折り始める竜崎さんに、私と優香さんは呆気にとられる。けれど祐樹さんは彼が何をしているのか分かっているようで、静かに見守っていた。けれど、どこか納得しないような顔に見える。
少しして竜崎さんが折り終えたのは、小さな人型だった。丸い頭部に体らしきものがくっついている、簡易的な形の人型だ。
彼はそこに、先ほども使った香水を振りかける。それを、優香さんに手渡した。
「今日は一日、これを持っておいてください。寝るときも必ず身に着けて」
「はあ……これは?」
「お守りです」
それを聞いた優香さんは、安心したように表情を緩めて、人型の折り紙をポケットに入れた。怖い思いをしている中でもらうお守りは、よっぽど心強いのだろう。
「ありがとうございます、今はこういったものがとても安心――」
言いかけた時、突然玄関の鍵が開く音がしたので全員顔を見合わせる。まだ昼だが、玄関が開いたということは……。
「うそ、幸太郎だ!」
優香さんが慌てた様子で立ち上がる。私たちを呼んでいることは、夫である幸太郎さんに内緒だったはずだ。普通なら夕方くらいに帰宅してくるはずの幸太郎さんが、予想外に早く帰ってきてしまったのだろう。
祐樹さんが素早く取り仕切る。
「落ち着いてください、優香さん。俺たちは友人ってことにしましょう。そうだな、学生時代の……は無理があるか。最近、近くのカフェで出会ったってことで!」
「は、はい」
優香さんがそう返事をしたと同時に、リビングの扉が勢いよく開いた。スーツを着たサラリーマンが顔を見せる。
「優香? 誰か来てるの?」
入ってきたのは、黒髪短髪の、人がよさそうな男性だった。少し細めの目は垂れ気味で、なんだかこちらの警戒心を解いてくれる優しい目元に見える。『いい旦那さん』と言われて思い浮かべるなら、こういう感じの人だろう。特別男前だとか、高身長だとかそういう感じではないが、とにかく穏やかそうな人だ。案外、竜崎さんよりこういう人の方がモテたりするのかもしれない。
優香さんはすぐに表情を取り繕う。
「おかえりなさい。友達が遊びに来てて」
「そうなの? 聞いてなかったから帰って来ちゃったよ」
「ごめんね伝えるの忘れてて……」
頭を搔きながら、幸太郎さんが私たちに挨拶をしてくれる。
「夫の幸太郎です。ええと、妻とは一体どういったご関係で?」
すかさず祐樹さんが一歩前に出て、笑顔で対応してくれる。
「初めまして、お邪魔してしまってすみません! 中川といいます。こっちは竜崎と安藤。実は、優香さんとは少し前にカフェで出会いまして……この安藤がコーヒーをひっくり返した時に手伝ってもらったのがきっかけで知り合いまして」
「へえ」
私がドジをしたことにされている。でもまあ、無難だろう。やりそうだもんな、私。
「まだ知り合って間もないんですが、遊びに来させてもらいました」
祐樹さんの言葉を聞いて、少し幸太郎さんの表情が曇った気がしてどきりとする。もしやばれてしまったのだろうか……?
けれど、彼はにっこり笑った。
「そうなんですね。ごゆっくりどうぞ」
「あーいえ! そろそろ昼時だし、失礼しようかと思ってたんですよ! 長々とすいませんね優香さん。ありがとうございました!」
「い、いいえ。来てくれてありがとう」
これ以上一緒にいるところを見られては、確実にボロが出る。そう判断した私たちはそそくさと家から出ることにした。荷物を持って挨拶をすると、逃げるように外へと出て行く。
見送りに来てくれた優香さんは、私たちに申し訳なさそうな視線を送ってくれた。それに対して私たちも『大丈夫です、また来ます』の視線を返し、すぐさま車に乗り込んだ。
結局、今日は男の霊らしきものを一体見ただけで、調査は終了してしまったのだ。




