依頼人の話
竜崎さんの車に三人で目的地に向かった。竜崎さんが運転して、助手席に祐樹さん、後部座席に私だ。祐樹さんは何だか楽しそうに隣の竜崎さんに話しかけていて、兄に慕う弟のようだった。よっぽど懐いているんだなあ、と傍から見ても分かる。対して竜崎さんはいつものあのテンションで、常にマイペースを崩さない。
そんなコンビが微笑ましくて私は後ろから静かに見守っていた。
竜崎さんの車で約四十五分。目的の家は住宅街の中にあるようだった。周りも比較的新しいい家ばかりが並んでいるので開発した土地なのかもしれない。道路も綺麗に舗装されており、小さな子供連れの女性をよく見かけるので、微笑ましい温かな土地だと感じた。
車がやっと二台すれ違えるぐらいの細い道を進んでいくと、祐樹さんが前方を見ながら小さな声を出した。
「げっ」
その反応が気になり、私は後部座席から前のめりになって見てみる。祐樹さんが言った意味を瞬時に理解した。
真っ黒な家がある。
そこの一画は同じ建築会社が建てたのか、どこか似たデザインの家が並んでいたのだが、そのうちの一つだけが黒いモヤに包まれるような見た目をしていた。すぐ隣の家はなんら変わりない家なので、あの家だけが異様だった。
「……もしかしてあれですか?」
私が呆然として訊くと、竜崎さんが頷いた。
あんなに見るからにヤバイ家に住んでいるなんてぞっとする。私のアパートですらここまでおかしくはなかった。一体何がいればこんなことになるのだろうか。
家のすぐ前は駐車場になっており、二台停められるようだった。一台、白い車の隣に駐車し、竜崎さんたちと降りる。
改めて家を見上げ、私は唾を飲み込んだ。
どこにでもある普通の家だ。二階建ての造りで、四角い形をしたフォルムと白い外壁は、普通ならモダンでスタイリッシュな印象を抱かれるだろう。だが今は、それを包む黒いオーラのせいで不気味としか思えなくなってしまっている。
表札はローマ字で『MINOWA』と記されている。
「あの……黒い、ですよね?」
私が恐る恐る二人に尋ねると、同時に頷いた。
「黒いなー絶対いるじゃんこれ?」
「ここまで黒いのはあまり見かけないね」
恐怖心でいっぱいだった私だが、彼らの反応を見てなんだか少し気が楽になった。よかった、やっぱり見えているのは私だけじゃない。二人ともこれを感じ取っているんだよね。
胸を撫でおろしたところで、竜崎さんがインターホンを鳴らした。すぐに、ばたばたと人が駆けてくる音がして、玄関がガチャっと開く。
「はい!」
縋るような目をしながら飛び出してきたのは、三十歳くらいの女性だった。ショートカットですらりと細身の、キャリアウーマンっぽい人だ。目鼻立ちもきりっとしていて、美人だ。
ただ、その人は腰回りに黒いあれを纏っており、私は咄嗟に視線をそらしてしまった。
「ご連絡頂きました、竜崎です」
「中川です」
「あっ、安藤です」
慌てて頭を下げると、優香さんの顔がわかりやすくほっと緩み私たちに微笑みかけた。
「初めまして、わざわざ来て頂きありがとうございます。箕輪優香です。どうぞ」
優香さんに促され、私たちは家の中へ足を踏み入れる。中へ入った瞬間、うっと息を呑んでしまった。黒いモヤは家の中にもたくさんあったからだ。
視界が遮られるようなものではないのだが、うようよと影が生きて漂うように、そこらじゅうモヤがある。こんなものは初めて見るのだが、一目でよくないものだとわかる。
心臓がどくどくと脈打つのを感じながらリビングに通され、三人でダイニングテーブルに腰かけた。私は優香さんの隣で、正面に竜崎さんと祐樹さんが座っている。優香さんは温かなお茶を淹れてくれ、何度も私たちに頭を下げている。
「本当にありがとうございます。今は夫もいませんので……」
「一度詳しくお話を伺わせてください。この家、普通ではないですよ」
竜崎さんは厳しい表情で単刀直入に言った。優香さんは驚きつつも、どこか安心したような顔にもなり、複雑そうに肩を落とす。
「そうなんですか……? 結婚してようやく買った夢のマイホームで、何かいるなんて思いたくないと思うと同時に、不可解なことばかり起こるのでその原因をはっきりさせたいという気持ちもあって、複雑なんですよね」
「まあそうでしょう。でも、原因がわかって対処できればここはまた普通の家に戻りますから」
「そう……ですね、そうですよね」
「もう一度お話をはじめから伺わせてください」
竜崎さんの言葉に、優香さんは頷いて話し始めた。
箕輪夫妻は結婚して三年。二年前にこの戸建てを購入し、最初はずっと穏やかに暮らしていた。
購入の決め手となったのは静かな住宅地で、ここ最近開発されたばかりの場所だったので自分たちと同じぐらいの年代の人が多い。今後子供を産んで子育てをするのにもいいのではないか、と思ったのが一番だそうだ。小学校も近くスーパーも徒歩圏内にあるので、生活するのに暮らしやすい場所なのもいい点だ。
隣人関係も問題はないし、近所も親切な人ばかりなので安心して過ごせる家だったので、ここを買って正解だった、と夫婦でよく話していたのだという。
それが、二か月ほど前から生活が一変する。
優香さんはフリーランスで、全て自宅で仕事をしているので会社員の幸太郎さんより家にいる時間が長い。ある日、家でいつものように仕事をしていたところ、背後に変な空気を感じたのだという。
それは言葉には言い表せられない嫌なもの。誰かが自分をひどく憎んで恨んでいる視線のように感じた。だが、振り返ってみても当然ながら誰もいない。
初めはただそれだけだった。おかしな視線を時折感じ取るだけだったので、気味は悪かったもののあまり気にせず普段通りの生活を続けていたらしい。
だがそれからさらに二週間後のある夜、寝ている時に悪夢でうなされ飛び起きた。隣では幸太郎さんが気持ちよさそうに寝ており、異変は何もないようだった。その悪夢は今まで見てきた夢の中で最も恐ろしく、忘れられないものだった。
悪夢の内容としては、自分がこの家のリビングのソファでくつろいで座っている。スマホを眺めていたのだが、テレビをつけようと思い立ち、スマホから目を離さずにすぐ隣に置いてあるはずのリモコンに手を伸ばした。
そこで、誰かの手が当たった。じめっと濡れた、やけに気持ち悪い感触の手だった。
驚いて顔を上げるが、そこには誰もいない。首を傾げつつも気のせいかと思い、リモコンを持ってテレビをつけ、バラエティ番組を眺め始める。
だが、テレビの中の芸人たちを見ているのに、夢の中の自分はずっとちらちらと背後を振り返る。なぜかはわからない。ソファは壁付けされて置かれているので、後ろに何もないのは間違いないのに、何度も何度も後ろを振り返ってしまう。
テレビの笑い声。振り返る自分。見えるのは白い壁。
おかしな行動を続けていくと、突然誰かが隣に座ったのがわかった。てっきり幸太郎さんかと思い横を向いたが、座っていたのは見知らぬ『何か』だった。
この『何か』が一体なんなのか、よくわからないという。男でもあり女でもあり、老人でもあり子供でもあるような印象だという。そんな得体のしれない存在が家の中に、しかも自分の隣に腰かけているというのに、優香さんはまるで驚かなかった。
「おかえりなさい」
そう言って笑いかけ、何事もなかったようにバラエティをまた見始めた。そして、今度は背後を振り返るようなことはせず、穏やかな気持ちでテレビを眺め続ける。
だがすぐに、自分の中の本能が騒ぎ出す。一体何をしているんだ? なぜこんな状態でテレビを見ているの? これは夢であることは間違いない。でも隣のものに怯えず怖がらずバラエティを見ている自分が異様でおかしい。それが一番怖い。
そう焦る本当の自分とは裏腹に、体は全く動かないし笑顔でテレビを見ている。見知らぬものと一緒に。
そして、『それが』がゆっくり自分の首に手を伸ばし、両手で絞めるような形になった。喉元にべったりとしたぬるい体温が伝わってきてとんでもなく不快だった。これが夢だとは信じられないぐらいリアルだった。
なのにまだ笑ってテレビを見続ける自分。首を絞める力が強まる手。徐々に首が苦しくなり、笑い声さえも漏れなくなって、息が微かにひゅ、と漏れるのを最後に自分の体の中でぼきっと大きな音がした。
首の骨が折れた音だった。
そこで飛び上がり、現実に戻ってこれた優香さんは必死に首元を触って無事を確かめたという。夢か現実かわからないほど混乱し、あまりの怖さに寝ていた幸太郎さんを起こした。
幸太郎さんは起きてくれて、優香さんの悪夢の話を寝ぼけ眼で聞いてくれた。だがもちろん、『嫌な夢を見たね』ぐらいの感想があっただけで、そのまま優香さんの手を握ったまますぐに眠りに落ちていった。悪夢をみたと聞いただけなら、この対応が普通だろう。
だが優香さんはそのあとも寝付けないほど恐怖心でいっぱいで、朝を迎えた。
しかしそれは、全ての始まりにすぎなかった。
それから一人で家にいるときに、他の誰かの気配を感じることが日常になった。悪夢もほぼ毎日のように見てはうなされ、眠るのが怖くなり不眠気味に。病院に行って睡眠薬を処方されてからは悪夢を見る頻度は減ったようだが、それでも今も頻繁に見るという。
風呂に入っていると視界の端に変な影が通ったり、化粧をしていると鏡に誰かが横切る姿が映る。浴室のシャワーが突然出る、止めに行くとまた黒い影を見る……ただ、この体験は全て優香さんのみに起こるもので、幸太郎さんは一切そんなものはなかった。
夜は熟睡するし、人の気配などもまるで感じない。優香さんが必死に何かおかしいと訴えても、『疲れているのだから仕事をセーブしてゆっくりした方がいい』と優しく諭されるだけだった。
優香さんは、霊能者に見てもらいたいと言ったが幸太郎さんは苦い顔をした。そういった人物は詐欺師ばかりで、家にそんな人間を招き入れるだなんてあまりに無防備だしよくない、もしかしたら宗教の勧誘をされるかもしれない、と首を縦に振らなかった。
それでも全く減る様子がない怪奇現象に耐えられず、今回ついに幸太郎さんに内緒で私たちを呼んだ、というわけだ。




