八
その日の晩、知佳と蓮はそれぞれの布団の中から、テレパシーで話し合っていた。
〈蓮、一年生の頃一緒だったのは覚えてる?〉
〈うん、でも……知佳、ごめん……あたし……〉
〈いいの。あたし、一年位前は蓮の心も見えてたの。聞きたくなくても聞こえてきた。あたしも未だ、未熟だったから〉
〈うん〉
〈だから、蓮が幼稚園の頃をちゃんと覚えてないって知ってた〉
〈覚えてないわけじゃないんだ。だって……〉
〈それも知ってる。仁美と弘子と、誰か、でしょ〉
〈うん……〉
〈その誰かが、あたし〉
〈そう……なんだね……でも……〉
〈なんか、理由か原因があるんだと思うの。蓮の記憶に、ちゃんとあたし居たよ。でも蓮は、あたしが居なかったって思ってた。多分今でも〉
〈うん……〉
〈あたしには理由が判らなかった。判らない儘、蓮の心は聞こえなくなったの。だから、今でも判らない〉
〈あのさ〉
〈なに?〉
〈今あたしの心が読めたら、それ、判るかな……〉
〈如何だろう。確かに、心の奥へ下りて行く遣り方は沖縄のときに覚えたよ。でもそれだって絶対じゃないし……抑々蓮の心は読めないから……〉
〈心開けないかな。ピートの心は読めたじゃん?〉
〈あの時は、なんか隙間あったからね〉
〈その隙間って、意図して作れないかな……〉
〈うーん、如何だろ〉
暫くお互いに、沈黙が続いた。
〈うん、でも……ごめん、今は未だ……怖いかも……〉
〈そうだよね。急がなくて好いと思うよ〉
〈そう?〉
〈無理したら傷が付くから。出来る時が来たら、出来る範囲でやろ〉
〈うん……なんか、ごめんね〉
〈なんでよぉ〉
知佳は優しく笑った。その微笑みも、蓮に届いた。
〈あたし知佳が大好きなのに、なんでこんな……忘れちゃってるんだろう……〉
〈だからこそ、かもね。判らないけど〉
〈どういうこと?〉
〈嫌だから忘れるとは限らないから。でも何云っても今は想像でしかない。だから本統のところは判らない。判らないなら、気にしない方が好いよ〉
〈そうは云っても〉
〈あたしは好いと思う。大事なのは今だよ。いま、あたし達、大親友なんだから〉
〈うん……そだね……〉
その時、二人以外の世界が忽然と消えて、数米先に横たわるお互いの姿が見えた。
「オムカエデゴンス!」
二人の間には都子が立っていた。
「あ、都子さん。こんばんは」
知佳は緩りと起き上がった。
「時間かぁ」
蓮も眩しそうな顔で立ち上がる。蓮の顔は少し辛そうに見えた。
「今何時ですか?」
知佳が聞くと、都子は「ちょっと待ったり」と云って手を翳し、何かを数える仕草をした。
「おーけい、今、真夜中の一時や」
「えっ、もうそんな時間?」
「一時にしたんやん」
「如何云うことですか?」
「ミヤちゃん、なんかした?」
蓮が目をキラキラさせながら、都子に擦り寄る。そんな軽薄な蓮の姿を見て、知佳は稍複雑な溜息を吐いた。無理をしているんだろうな、と思ったからだ。
「おお、うちのファンやな。君にだけ教えたるわ!」
都子はそう云うが、声が大きいので知佳にも十分聞こえる。
「昼間は時間を遅らせたけどな、今は時間を進めてん。夜中まで起きとんのん辛いやろ? それにこれで、君等の年齢も辻褄合うたからな。てか、寧ろ若なってるから」
「ミヤちゃん、時の旅人? もしかして未来から来た?」
「んなわけあるかーい! あんな、時間の進み方はコントロールでけるけど、過去には戻せないねん。止めるところ迄や。若なってる云うのは、通常に比べてって意味やで。一寸だけ未来に来たと思って」
「そうかぁ、残念……」
「なんや、その齢で、過去に戻って遣り直したいことでもあるんか? やめとけやめとけ、そんなん仮令出来たとしても、碌なことにならんで」
「如何して?」
「過去は過去。過ぎたことに思い悩んでも、前には進まれへん。過去に囚われると、大事な眼の前のモン見落とすで。せやから、先だけ見とけ。な」
「――はい」
「昔アレした、ナニしなかった、云うてな、みんな後ろばっかり向きよるねん。アホかーってな。ほんで眼の前の大事見逃して、また後悔するやろ。ほんまアホばっか」
「都子先生!」
「お? 何や立派な敬称ついたな。でも先生はやめて」
「なんでぇ?」
「先生と、云われる程の、莫迦は無し、云うてな。教師でも何でもないのに、理由もなく先生云われるのは、なあ。底が知れるっちゅうかな」
「そんな」
「今迄通り、ミヤちゃんでエエやん。そうしといて」
「じゃあ、最大の敬意を込めて、ミーヤちゃーん! て呼びます!」
「まあそれは、好きにし」
そして都子はケラケラと笑った。
「まあツカミ確りしたところで、次行こか、本編」
「どうするんです?」知佳は都子に歩み寄りながら、訊いた。
「今繋ぐからちょい待ち」
都子がそう云うと、目の前に寝姿の仁美が現れた。仁美の姿は何だか透き通っていて、いわゆる立体映像の様な感じがした。
「別々の時空を緩く繋いだから、触ったりはでけへんけど、心は読める筈や。知佳ちゃん、遣ったって」
「え、遣ったってって……」
「取り敢えず、この子が持ってるか如何かが判ればえゝよ」
「あゝ……はい」
知佳はそうっと、仁美の中へと下りて行った。起こさない様に、夢を見ているならそれを邪魔しない様に。
仁美の中は、キラキラしたもので溢れている。ヘアゴム、カチューシャ、シュシュ、ヘアピンに髪留め、櫛に簪迄ある。更には指輪にネックレスにイヤリング。玩具の様な物から、本物の宝石をあしらった物迄。これ全部が仁美の所有物ではないのだろうが、それにしてもこの子の興味は際限がない。この中から目的物の有無を判断するのは、ちょっと大変そうだなと思ったので、知佳は二人に仁美の中をテレパスで中継した。
「結構大変そうなので、手伝ってください」
都子と蓮の目の前に、知佳が伝えた光景が展開される。
「おお、これはなかなか壮観やな」
「仁美やっぱり凄いな。キラキラばっかり!」
「ここにあるのは、仁美が好きなものとか、興味のあるものです。持っているとは限らないけど、例えばこのヘアゴム」知佳は手近な一品を指し示した。「これは如何云うものなのかなーって深掘りしていくと……」そのヘアゴムに纏わる仁美の想いが展開されていく。クリスマスの日に大型のショッピングモールにて、母親と入ったアクセサリー屋で買って貰った物の様だ。「と、こんな風に、仁美の持ち物だって判ります。それで……えーとそうだな、例えばこれとかは……」そして一寸遠くにある大粒のダイヤが付いた指輪を示すと、その指輪に対する想いが展開される。半年ほど前に母親と入った宝石店で、目を奪われていた仁美の姿が見える。退店時もずっと後ろ髪を引かれていた想いが伝わる。「こんな感じで、単に憧れているだけで持ってはいないんだって判るんです」
「流石やな。解りやすい」
知佳は都子に褒められて、鳥渡照れ臭そうに含羞んだ。
「まあそんな感じで、先ずは目的のイヤリングがあるかどうかです。ここになければ仁美は知らない可能性が高いです。ここにあったとしても、今みたいに知ってるだけなのか持っているのかは、調べることが出来ます」
「無ければ仁美は完全無罪ね?」
「まあ殆どそうだと思うけど……ただ、若しかしたら別のところに、深い記憶として存在している可能性もあるの。でもそれを調べるのは相当大変だと思う」
「所謂『悪魔の証明』云う奴やな」
「悪魔?」蓮がちょっと怯えた目付きで都子を見遣る。
「ある、っちゅうことを示すのは簡単やねん。現物持って来て、ほれって見せるだけやから。せやけど、無いって証明は物凄ぉ難しいか、もしくは滅茶糞大変やねん。宝箱が百個あって、そん何処にも聖剣入ってないですよって証明するためには、全部開けなならん。宝箱が千個、一万個ってなってったらどんどん大変なる。終いには、この国の何処にも埋まってまへんとか云い出したら、国中の地面ぜんぶ掘っくり返さんならん。そんなんは事実上不可能やん。それが悪魔の証明」
「ああ……」蓮の表情は物凄く嫌そうな感じに変わった。
「せやからな、まあこの中に見付けられんかったら、一旦この子は推定無罪ってことにしよ。可能性はゼロではないとは謂え、そんな専務が近々に失くしたようなもん、深層心理に眠ってるってのも中々考え難い気がするからな。で、その場合は他当たろ。他から見付かったら、自動的にこの子は無罪確定なるしな」
「はい。じゃあ取り敢えず、この中の捜索はお願いします」
「よっしゃ任しとき!」
三人はイヤリングの捜索を開始した。種々雑多なアクセサリーを、一つずつ選り分けていくと、イヤリングの数はそう多くはなかった。そしてその中に、目的のアルテミスの紋は見当たらなかった。
「よかったあ、無かったよ!」
蓮は嬉しそうに飛び跳ねている。
「無かったね……」
知佳は如何も納得行っていないかの様に、口許に手を遣った儘佇んでいる。
「なんか引っ掛かっとるようやね」
「いやぁ……別に……」
「なんかあるなら云うといてや」
「うん……」
知佳の様子を見て蓮は不満気に、「何よ、仁美が無実じゃ気に入らないの?」
「やだ、そんな訳ないし!」
知佳は真っ赤になった顔を挙げて、慌てて否定した。
「あたし別に、仁美が盗ったなんて思ってないよ。でも、知らないとは思わなかったんだ」
「何で?」
「だって仁美、月ブレ大好きじゃん。専務さんが持ってて、仁美がそれ知らないとか、なんか不自然と云うか……」
「見せる前に盗られたんじゃない? それか、仁美宛のプレゼントのつもりだったとか」
「あー、うーん、そうかなあ……」
「ま、最初に云うたとおり、見付からんかったので、他当たるで」
「はい」
都子は仁美を退場させ、次に仁美の母を連れて来た。仁美にしろその母にしろ、非常によく寝ている。スキー疲れの所為だろうか。蓮も知佳も、ブーツで歩くのがしんどかったぐらいで、雪山では殆ど雪達磨作りに没頭していたので、余り疲れていない。
「流石はあの子の母親、これまた半端な量ではないわなあ」
都子の云う通り、仁美の数倍の物量のアクセサリーが、三人の前に広がっている。イヤリングも相当沢山ありそうだ。
「よーし、気合い入れっぞー!」
蓮は男の子の様に腕捲くりし、舌舐めずりをした。
そこから何十分経ったか。総ての確認が終わった頃には三人共地べたに腰を落としていた。
「無いなあ」
都子は疲れ切った声で、天を見上げた。
「後はあんま期待でけへんけど、まあ一応見とくか」
「ミヤちゃん、今何時?」蓮は目を閉じて仰向けに体を倒しながら、質問する。
「一時、十分位かなあ?」
「げ、また寛悠にしてる!」
「どんだけ掛かるか判らんかったからな。まあ、一時迄進めたときの貯金、未だあるから」
「少し休憩したい……」知佳が両手で顔を覆いながら訴えた。
「あたしも。トイレ行きたい」
「ほな休憩な。トイレはそこ」
都子が指差した先に、赤い扉があった。
「山科の三階のトイレ、確保してきとん。自由に使て」
「何かミヤちゃんて、自由自在だね」
「空間繋いどるだけやて。そない大したことはしとらん」
「してるよ」
そう云い残して、蓮は赤い扉を押し開けた。
「個室三つあるから。知佳ちゃんも今のうち行っとき。うちも行くしな」
そう云うと都子も赤い扉に入って行った。知佳もそれに続く。