十八
カフェでのんびり過ごしている間に、ゴンドラの運転終了時間が近づいていた。それに伴ってこのカフェも閉店するという。雪も結構降って来ている様だ。
「もう四時かぁ。ナイター無いのが寂しいよなぁ」
「仕方ないんじゃない? 雪が少ないのよ。――六郷さんが行ってる八方尾根だって、雪少なくってコース半分ぐらい閉鎖してるみたいよ」
「白馬でこれかよ、悲しい時代だなぁ」
「今日の雪で積雪量増えたらまた状況も変わるかも知れないけど、でも自家は明日で帰りますからね」
「東北か北海道行きたいなぁ」
「お金無いの」
「世知辛いなぁ――って、俺の稼ぎの問題か」
「そうねっ」
「母さん働かない?」
「家事分担できるなら」
「うーん」
三科父は腕組みして仕舞った。知佳は大人の話に首を突っ込みたくないので、黙ってココアの入っていた空のカップを握りしめていたが、なんだか情けない気分になって仕舞った。自分のこのお仕事の報酬って、幾らなんだろう、これあったら自家の家計は助かるのだろうか、なんて思ったりするものの、どう云うお金なのか説明出来ないので如何仕様もない。結局知佳には黙っているより外無いのだった。
「まあ取り敢えず、ここ閉まるから出るしかないね」
三科の父はそう云って立ち上がり、自分と完太の飲み終わったカップを塵箱へ捨てに行った。
「じゃあもう、リフトも終わるし、ペンション帰りましょうか。朝来たところまで、あんた達道判る?」
母は知佳と蓮に視線を投げた。
「判るよ! 朝練習してたところだもん」
蓮が元気に応える。知佳もそれに合わせて、
「蓮に尾いて行くから大丈夫!」
「なんだそりゃあ、あ、知佳方向音痴だっけ?」
「さあ、何のことだか」
母は不安そうな顔をして、「お母さん後からついて行くから。ゆっくり行きなさいね」
「はぁい」
そして全員店を出た。然し蓮は三科母の云い付けにも拘らず、いきなり全速力で滑り出す。
「あっ、蓮待て! 置いてくなぁ!」
「ちょっとあんたたち! 道間違ったら大変なんだから、緩り行って!」
然し蓮はスピードを緩めず、知佳も必死に追従する。尤も、蓮の全速力は所詮母の速度には敵わない。母は絶妙な距離をキープし、道を間違えそうになったら直ぐに前に出る心算でいたが、幸い蓮は道を間違えることなく、正しく今朝到着した辺り迄滑り切った。知佳、母、そして蓮の父がそれに続いて到着する。
「お父さんと完太は?」
知佳が斜面を見上げると、ゲレンデ中間辺りに綺麗なボーゲンで滑り下りて来る完太と、それを監督しながら付き従う父を見付けた。
「おお、ほんとだ、完太上手だ」
「知佳負けてない?」
「負けてはいないさ!」
蓮はにやにやしている。
「もぉ、そうやって姉弟喧嘩を嗾けるの、良くないんだぞ!」
「まさかそんな。あたしは何も」
依然として蓮はにやにやしている。
「蓮、このぉ!」
知佳は拳を振り上げて、蓮に迫った。
「きゃあー、知佳が暴れるぅ」
蓮はけらけら笑いながら、スーッと滑って逃げた。
「こらぁ、この辺にいなさいよぉ」
知佳の母が二人に向かって声を掛けるが、二人はきゃいきゃい云いながら追い掛けっこをしている。
「散々滑って疲れているだろうに、こんな平地でスキーで追い掛けっこ出来るなんて、子供のパワーは凄いですねぇ」
蓮の父は溜息交じりに呟く。
「ほんとにねぇ。あたしはもう、へとへとですよ」
「僕もです。帰ったら温泉浸かりたいですね」
「同感です。どうせ蓮ちゃんが温泉行くって云うだろうから、知佳連れて三人で入りますよ」
「蓮をお願いします」
「はいはい」
その内に完太と父が到着する。
「あっ、完太来た。おつかれー」
知佳と蓮も戻って来て、皆はスキーを外すと、ロッカーに預けてあったスノーブーツに履き替える。
「うわー、なんか足変な感じ。凄いふわふわってして、何も履いてない感じがする」
蓮はスキップをするが、疲れの所為か、感覚が狂っているのか、何処か下手糞なスキップになっている。
「スキーブーツは締め付けるからな。開放感が心地よいだろう」
「楽ぅ」
知佳はその場で足踏みをした。
「さて、明日どうするかで、このスキーと靴をどうするか決めるんだけど」
三科父が母にお伺いを立てゝいる。
「どういうこと? レンタルは最終日までパックになってるんじゃなかった?」
「そうだけど、明日滑らないならもう帰り掛けに返しても良いかなって」
「お天気次第かなぁ。どうなるか判らないし、もう一旦宿に持ち帰ったら好いんじゃない?」
「そうか? じゃあそうしようか」
結局一行はスキーセットをペンションに持ち帰り、乾燥室に置いた。そしてそれぞれ自室へと引き上げ、スキーウェアから部屋着へと着替える。
「さあ知佳、お楽しみの時間ですよ!」
着替えを済ませた蓮が、知佳を迎えに来た。
「あゝはい、温泉ね。行くよ」
「お母さんも後から行くから。浴衣持って先行ってて」
「はぁい」
知佳と蓮は浴衣とタオルを抱えて、仲良く大浴場へと向かった。
着衣を脱いで籠に入れ、浴場に入ると掛け湯をし、湯船にそっと入る。体が冷えている所為か迚も熱く感じる。
「うわー、指先がジーンってする」
「脚の感覚やばーい」
二人で肩まで浸かって、ほうっと溜息を吐く。
「矢っ張り温泉だよね、もう、魂が洗われるよ」
「蓮の表現はいつも年寄り染みてるんだよね」
「何云ってんの、知佳より若いのに」
「二箇月じゃん!」
「二箇月でも若いんだぁ、あたしは未だ十歳なんだぁ」
「ちっ、むかつくっ」
蓮は蕩けた目付きで知佳を見て、
「舌打ちなんか、下品だぞぉ」
と云った。
知佳は十二月の後半、蓮は二月の頭の生まれなので、正確には一箇月半も離れていない。それでもそんな細かいことは、二人共余り気にしていなかった。何箇月若いだの、何分余計に生きただの、そんなことを一々気にする様な齢でもなければ、性格でもない。二人共単なる話のネタとして云っているだけで、どっちが先に生まれたかさえ全く如何でも好いことだった。
間も無く知佳の母が入って来た。暫く三人で呆けた後、連れ立って露天へ移動した。
「雪降ってるわねぇ。庇があるから直接は降って来ないけど」
「でも風に乗って舞い込んで来るよ」
「なんか風流」
母は笑いながら、「小学生が『風流』なんて感想口にするんだ。さすが蓮ちゃん」と云う。
「えー、変ですかぁ?」
「変っちゃ変だけど、まあ好いんじゃない、蓮ちゃんらしいわ」
「変なのがあたしらしいのかぁ」
「それはそうでしょ」
知佳が駄目を押すと、「何をうっ」と云って蓮が知佳に組み付いた。暫くばちゃばちゃと戯れ合っていたが、軈て二人ともくったりとして、岩に体を凭せ掛ける。
「あー、なんか凄い疲れた」
「脚がやばい。筋肉痛かも」
二人の様子に母は苦笑する。
「明日滑れない?」
「えっ、滑るよ、滑りますとも!」
「蓮は元気だなー」
知佳は相変わらずくたっとして、眩しそうに蓮を見ている。
「なんだ知佳、若いのにだらしないぞ!」
「蓮より二箇月お婆ちゃんなのぉ」
「なんだ、じゃあしょうがないか」
今度は知佳が「何をうっ」と云って蓮に組み付き、第二ラウンドが始まるが、矢張り長くは保たずに再び二人で岩に俯せに貼り付く。
「静かに入ってなさい」
「はぁい」
「もうしませぇん」
露天は若干湯温が低いのと、外気の冷たさとのコントラストの御蔭で、長く浸かっていられる気になるのだが、流石にそろそろ上せそうになって三人は屋内に戻り、洗い場で髪と体を洗った。
「蓮の髪は素直で好いなぁ」
髪を洗いながら知佳がぽつりと云う。
「えーっ? 全然。直ぐクタってなっちゃって、貧相に見えて困るよ」
「そうなの? 何時も艶々サラサラしてゝ綺麗じゃん」
「知佳の確りした髪質の方が憧れるけどなぁ」
「こんなの云うこと聞かなくって面倒臭いだけだよ」
「云うことはあたしの髪も聞かないな」
二人の遣り取りに、知佳の母はくすくす笑い出す。
「何、お母さん」
「いやぁ、あたしと凛の会話そのまんまだなって思って。髪質も遺伝するのねぇ」
「そりゃあそうでしょ。御蔭であたしは毎朝寝癖との戦いだよ」
「あたしは毎朝ボリューム出すのに精一杯」
「まあ、それぞれ一長一短てことよ。みんな自分に無いもの欲しがってるだけ」
「それはそうかも知れないけれど……」
「足して二で割れたら好いのにね」
「割り方間違えたら悪いとこ取りになっちゃうけどね」
「やだそんなの!」
この話題も結局三人、笑って終わるのだった。




