十七
「ま、山が見えた所で、そこで滑ってる六郷さん達は見えないんだけどね」
知佳の背後で母が云うので、知佳はそれ迄の会話の流れを思い出すことが出来た。もうずっと前のことの様だが、つい今し方のことなのだ。
〈やばい、蓮、あたし滑り方忘れてるかも〉
〈大丈夫、あたしが先導してあげる〉
知佳と蓮はテレパシーで会話を交わすと、見詰め合って、微笑み合った。
「見えないんじゃしょうがないね。――それでお母さん、どっちに行けば好いの?」
「ああ、中級はこっちよ。間違えて上級行かないようにね!」
知佳は拓巳を思い出して仕舞った。超上級コースで事故を起こしかけていた。あんな風には絶対になりたくない。
「気を付けよーっと」
そんな呟きを洩らす知佳の横から、蓮がスッと抜けていった。
「先行きまーす!」
「あ、待ってよ!」
知佳が間を空けずに後に続く。
「何か二人共、随分逞しくなったわね……」
知佳の母が感慨深げに呟きながら、二人の後から行く。そして蓮の父が最後尾を護る。
ハンの木第三リフトの乗り場まで順調に滑り下り、二度三度リフトに乗って中級コースを堪能した。
「あなた達、なんと云うか、山頂行ってから一寸貫禄ついたわね」
「なにそれ?」
知佳はドキリとしたが、顔には出さない様気を付けた。
「貫禄ってよく解んないけど……鳥渡疲れたかも」
「そっか。じゃあ時間的にもそろそろ好い感じだし、なんか雪がちらついて来てるし、この一本滑ったら、最初のゲレンデに戻ろうか」
「うん」
「蓮ちゃんそれで好い?」
「好いよ、あたしも疲れた。結構滑ったよね」
「そうね、あなた達スキー初心者とは思えないわ。若いって良いわねぇ」
母はそんなことを云いながら、リフトに乗り込む。中級コースばかりを通ってゴンドラ中間駅の辺り迄進んだ処で、母が四人を集めた。
「ここでお父さんたちと待ち合わせ。カフェでも入っとこっか」
昼に入ったラーメン屋と同じ施設内に、カフェが入っている。そこのメニューを見て、蓮と知佳はきゃいきゃい燥いでいる。
「お母さん見て見て! ドリンクにドーナツ乗ってる!」
「えっ、何よそれ……うわ、胸焼けしそう」
「えー、美味しそうじゃん!」
「それが好いの?」
「ううん、ココアだけで好い」
「なにそれっ」
母はずっこける仕草をした。
「あたしチャイが好い」
蓮がメニューを見ながら云う。
「蓮ちゃんもドーナツは付けない?」
「要らない」
「あ、そう」
四人席を見付けて、大人二人で買いに行った。蓮と知佳は並んで座って、飲み物を買ってくるのを待っている。
「なんか一日が長いね」
「そりゃあ、ミヤちゃんに延ばされちゃったからねぇ」
「そっか。――なんかすごく疲れた」
知佳はテーブルに突っ伏した。
「あたしの所為だよね。ゴメン」
「何云ってんの、あたしと蓮の仲じゃない」
突っ伏した儘蓮の方に顔を向け、優しく笑い掛ける。
「あたし知佳が親友で良かった」
「あたしも蓮と親友で良かったよ」
「本統?」
「もちろん」
そこへ親たちが飲み物を持って帰って来た。
「知佳如何したの。疲れた?」
「うん、何か、心地よい疲れ」
「そう。ココア飲んだら疲れ、多少取れるかもよ、砂糖入ってるから」
「ほんと?」
「多分ね」
母はにこりと笑って、知佳にココアを渡した。
「はい、蓮のチャイ。これも甘いぞ」
蓮の父が娘にチャイを渡す。
熱いのでふうふうと冷ましながら、知佳はココアを啜った。甘さが体に染み渡って行く感覚が心地よい。
「嗚呼、極楽」
チャイを一口飲んで、蓮が嘆息する。
「蓮ちゃんホント、爺臭いんだから」
知佳の母が可笑しそうに笑うと、蓮の父は恥ずかしそうに苦笑した。
「楽しそうだなー、お疲れ!」
知佳の父が完太を連れて到着した。
「座るとこ無いんだけど」
「あっちのテーブル空いてるよ」
母は鳥渡遠くのテーブルを指した。
「えー、遠いな」
そんな事を云っていたら、隣のテーブルが空いた。
「お父ちゃん、空いたよ!」
「おお、ラッキー!」
空いた途端に素早く座る。
「お父さん、あんまり恥ずかしいことしないでね」
「お? おう……」
三科の父は少し肩を窄めて、完太に向かってぺろりと舌を出した。
「完太何か飲むか?」
「りんごジュース!」
「寒くないか?」
「あつーい!」
「そ、そうか?」
三科父は微妙な表情で注文カウンターへ向かった。一人でテーブルに残された完太に、蓮が声を掛ける。
「完ちゃん今日、楽しかった?」
「楽しかったよ! いっぱい滑った!」
「そうかぁ、よかったね!」
「うん!」
「知佳姉ちゃんより上手くなった?」
「うん!」
「ちょっと待って! 何を根拠に!」
知佳が物凄い勢いで異議を唱えるので、蓮は大笑いした。
「完太はボーゲン上手くなったぞぉ」
飲み物を手に戻って来た三科父が云う。
「ボーゲンが何よ、あたしはパラレルだから!」
「おお、やるじゃないか、知佳!」
知佳は得意気にしていたが、蓮も、知佳の母も、そんな遣り取りにけらけら笑っている。
「ええ、鳥渡、何で笑ってるの」
「必死過ぎて可笑しいよ!」
蓮は笑いながら、知佳の背中をポンポンと叩いた。
「そんなぁ」
知佳は不満そうにしていたが、次の瞬間には連られて笑って仕舞っていた。
「ジュースもういらない。冷たい」
そんな遣り取りには興味も示さず、完太は半分も飲まない内に、りんごジュースをあっさり放棄して仕舞った。三科父が渋面を作って、「ほらぁ」と云う。
「母さん飲むか?」
「やあよ、寒いじゃない」
「知佳――」
「いらない!」
父が何かを云う前に、知佳は言下に拒否した。
「蓮ちゃん……」
「要りませーん」
「お父さん責任取って飲んでね」
母に云われて、父は渋々ジュースを飲んだ。
「ひえぇ、芯から冷える。完太このやろぉ」
完太はきょとんとしている。そして父に向かって、更にこんなことを云う。
「父ちゃん、ココア飲む」
「はああ!?」
一同は大笑いした。