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十三

 中級コースのスタート地点に立っている蓮は、悠然と構えている様に見えるが、既に五分はその儘微動だにしていない。知佳は蓮の心は読めないが、然し流石に見れば判る。蓮は竦んでいるのだ。そう云う知佳だって、一回コースを覗いて見ただけで後退(あとじさ)り、覚悟を決め兼ねている。

 「やめる?」

 母が心配そうに訊くが、蓮は若干震えた声で、

 「そんなまさか。行くって」

 と云ったきり、また固まって仕舞う。

 「知佳は? やめとく?」

 「やめない。それじゃ完太と同レベル」

 知佳だって怖いのに、何故か強がって仕舞う。

 「うーん、好いんだけどさ。余り怖がってる状態で滑ったらほんとに事故るよ」

 「こっ、怖がってるなんて、そんな訳ないし! あたしだってもう直ぐ十一歳なんだから!」

 「蓮何云ってるの……齢を云うならあたし、もう十一になってるけど」

 蓮は知佳を急度(きっと)睨んで、

 「なめんなよぉ!」

 と云って滑り始めた。慌てゝ母が後を追う。知佳は蓮の父と取り残される形になって仕舞ったが、この儘残されるのは敵わないと思い、死に物狂いで付いていく。心の何処かで、いざとなったら蓮が……なんて思わなかったと云えば嘘になるかも知れないが、寧ろそんな当てがあったからこそ、思い切れたのかも知れない。

 滑り始めて直ぐ、想定していたよりスピードが出ていることに戸惑ったが、コース端でのシュテムターンは思いの外巧くいった。そしてその儘ボーゲンにする間もなく次のターンを迎え、必死に外側の足を踏み締める。

 「知佳上手い! 今のパラレル!」

 「えっ!?」

 反応する余裕もない儘次々ターンを繰り返していく。あっという間にコースも終わり、リフト乗り場の所で無事止まることが出来た。そこには蓮が得意げな顔で待っており、先に出た筈の母が何故か後から遣って来た。

 「あれ、お母さんなんで後ろにいるの」

 「途中であなたが追い抜いて行ったのよ」

 母はニコニコしながら応えた。

 「あたし滑れたぁ」

 「知佳上手くなったね!」蓮が得意げな顔を貼り付かせた儘、知佳を褒める。

 「何で上から! むかつく!」

 「蓮ちゃんも上手だった。二人とももう、十分中級者ね!」

 「やったあ!」

 「うそぉ、あたし昨日初めてスキーしたのに」

 素直に喜ぶ蓮と、自分の上達に動揺を隠せない知佳。

 「今のスキーって曲がりやすく出来てるし、抑々スキーなんて、いきなり山頂行ったら(ふもと)に下りて来る頃には滑れるようになってる、なんて云う人もいるぐらいで」

 「そんな無茶な」

 母の説明に呆れる知佳を余所に、

 「今のコースもう一回!」

 と、矢張り蓮は表情を貼り付かせた儘云う。

 「蓮あんた、先刻から顔固まってるよ」

 「やだ、知佳ったら、何云ってんの」

 蓮は両手で頬をぱんぱんと叩くと、口を開けたり閉じたり、瞬きしたりしながら顔を(ほぐ)している。

 「空気冷たくて、顔固まってた」

 「なにそれ」

 二人でけらけら笑った後、蓮は「もっかい行こ!」と云って乗り場へと進んで行った。

 二回目はずっと上手に滑ることが出来た。こうしてコースを覚えていくと、もっと上のコースも滑れそうな気がしてくるから不思議だ。

 「小母さん、別の中級行こう!」

 蓮も調子付いている様だ。

 「じゃあ、白樺クワッドリフト乗りましょう」

 「どこそれ」

 「こっち!」

 母に付いて行くと、ゴンドラ中間駅の少し手前にそのリフトの乗り場はあった。

 「これ乗ったら、もう中級以外の選択肢ないからね!」

 「望むところよ!」

 蓮が威勢よく応える。

 リフトで上がってみると、先ほどのコースよりも幅が広い気がする。

 「こっちの方が滑り易そう」

 知佳の正直な所感だ。

 「そう? まあ、同じ様に気を付けて滑ってね」

 「はーい」

 ここでも蓮が一番に滑り出した。知佳はそれに続く。大人達は二人を見守る様に、後から滑って来る。知佳は自分がここ迄スキーを堪能出来るなんて、昨日迄全く思いも寄らなかった。運動は昔から苦手だったのだ。嫌いな訳ではないけど如何しても同年代の子たちより能力が劣っている、そう常々思い知らされて来た。それが如何だ。今、蓮と並んで中級コースを滑っている。蓮は昔から人並みに運動の出来る子だった。知佳なんかと較べれば全くセンスの塊でしかない。その蓮と今、共に上達し合っているのだ。確かに常に蓮の方が先を行っている様ではあるが、だからと云って大きく後れを取っている訳でもない。知佳はこの状況が楽しくて仕方なかった。いつの間にか身に付けたパラレルで、中級コースを蓮と一緒に滑り下りていく。もう二人ともボーゲンは、たった一日で卒業したのだ。

 コース終盤で母が知佳の横に並び、

 「ゴンドラ乗るよ!」

 と云ってから、蓮を追い駆けて行った。自分は十分速く滑っている心算だったが、母はそれより早く滑ることが出来る様だ。と云うか、知佳達よりも急角度で、殆ど真っ逆様に滑り下りて行く様に見える。右へ左へと腰を振りながら、雪煙を左右に撒きつゝ真っ直ぐ滑って行く様は、格好良過ぎて、眩しかった。

 蓮に指示をした後、母はコースの端に寄って知佳を待った。そして知佳が通り過ぎてから、再び後ろに付いて滑り出す。そんな母を視界の隅で捉えて、あんな風に自由自在に滑れる様になるのは、もっと先なのかなと思ったりしていた。

 ゴンドラの駅で四人揃い、スキーを外してゴンドラに乗り込む。母と並んで座った時に、知佳は訊いてみた。

 「お母さん先刻の滑り方、すごかったね。真っ直ぐ下りてった」

 「ああ、追い付かなくちゃって思って」

 「ウェールデンですよね。巧いですよ」

 蓮の父が向かいから口を挟む。

 「ウェールデンて何?」

 蓮が興味深そうに聞く。

 「お前たちはコース幅目一杯使って、端から端迄行ってターンしてるけど、もっと短いスパンでターンを繰り返して、殆ど真っ直ぐ下りて行くような滑り方がウェールデンだ。スキーの動画とかでカッコいいのは大体それだよな」

 「なにそれ、教えて!」

 「お父さんには無理だな」

 「えーっ、使えねぇ……」

 「口悪っ!」

 知佳と母が笑っている。

 「蓮ちゃん、お父さんには容赦ないのね」

 「えっ、そんなこと無いよ、お父さん大事にしてるよ!」

 「はい……大事にされてるそうです」

 「なによそれ、逆じゃないの」

 そしてまた母は、ケラケラと笑う。

 「小母さん、ウェールデン教えて」

 「えー、あたしも教えるほど上手くないと云うか、何をどう教えりゃ好いか判らないわ。ちょっちょっちょって、小刻みに腰振ってりゃ好いのよ」

 「えー、なにそれ、好く解んない」

 「そうねぇ……見て覚えなさい」

 「そんなぁ」

 そう云いながらも蓮の瞳はギラギラしていた。屹度蓮のことだから、あっという間にマスターして仕舞うのだろう。知佳には流石にそこ迄付いて行ける気はしなかったので、黙って微笑んでおいた。

 ゴンドラを降りた所で、母がマップを見せながら山頂を提案した。

 「もうあんまり時間無いから、何往復も出来ないのよね。山頂から殆どずっと中級だけど、一気にこの、ハンの木第三リフトの乗り場まで滑り下りちゃわない? このリフト使えば中級ばかり繰り返せるよ」

 「もちろん行く! 山頂行きたい!」

 「知佳は?」

 「いいよ、中級ならいけると思う」

 母は目を細めて、「成長したわね」等と云う。

 「何よぉ、子供扱いして」

 「十一歳は子供です」

 母はぴしゃりと云い切ると、山頂へ行く為のリフト乗り場へ向かって移動を始めた。

 山頂のリフトを降り立つと、周囲ぐるりと遠く迄見渡せた。これ以上高い処は無く、遠くの峰迄良く見える。

 「仁美どっちの山にいるんだろう」

 知佳は四方を見渡しながら、溜息を吐きつゝそんなことを呟いた。

 「お母さんも方向感覚無いから、好く判んないわ。南の方の筈だけど、どっちが南か知ら?」

 蓮の父がスマホを取り出して、何やらポチポチといじっていたが、やおら顔を挙げると、

 「南と云うか、八方尾根はあっちの方角ですね。ただ流石に遠くて見えないですが……」

 知佳と蓮も一緒に伸び上がってそっちの方を見ていたら、一瞬で世界が白くなって、目の前に都子の顔がぬっと出て来た。


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