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10/21

 翌日は朝から雪がちらついていた。窓外を粉の様な雪が音もなく舞っている。知佳がその光景にすっかり目を奪われて、窓辺に座って凝と眺めている所へ、蓮が遣って来た。

 「知佳! 温泉!」

 「ええ、朝から?」

 「朝からやってるって!」

 蓮の勢いに押される儘に、知佳は朝風呂を浴びることとなった。

 「昨日は愉しかったねぇ」

 温泉に浸かりながら、蓮はそんなことを云う。

 「どっちが? スキー? それともお仕事?」

 「おしごと? ――あはは、そう、お仕事!」

 「でも最後、蓮厭がってたじゃん」

 「あー、あいつなー」

 蓮は眉を顰めた。

 「あいつのさ」少しの間を置いてから、蓮は仕切り直す様に言葉を継いだ。

 「あいつの靄々(もやもや)したところ」

 「ああ」

 「あれって本人には中見えてるんだよね?」

 「それがそうとも限らないんだ。彼のが如何かはちゃんと調べてないから判らないけど、ガードが堅い程、本人にさえ見えていないことが多いの。なんかの理由で、自分に対しても隠しちゃってるんだね。無意識って云うの? なんかそんな感じ」

 「ふうん……じゃそれって、あたしにもあるのかな……」

 「へっ?」

 知佳は思わず蓮を見詰めた。ああそうか、知佳との思い出のことを云っているのだ。

 「それは判らないけど……思い出せない記憶が、如何(どん)な風にその人の中にあるのかは、それこそ人それぞれで、色々だから、同じ様にあるかは判らないよ」

 「そうなんだあ。なんか面白いよねぇ」

 蓮は他人事(ひとごと)の様に云ってるけど、その本心は知れない。

 「よぉし!」蓮はざばりと立ち上がり、「今日は山頂行くぞ!」

 「あたしは行かないよぉ」

 「何云ってんの、知佳も一緒に行くんだよ」

 「蓮こそ何云ってんの、無理だから」

 「遣りもしないで諦めるなー!」

 「良い様に云ってるけど、危ないだけだからね」

 「もー、絶対連れてくから」

 「行かないって」

 そんなことを云い合いながら、二人は温泉から上がった。着て来た浴衣は回収籠に入れて、スキーウェアのインナーとして用意して来た温かいシャツを着る。

 部屋に戻ると、朝ご飯が用意されていることを母から告げられた。

 「あなた達待ってたのよ。すぐ行ける?」

 「行けるよ、お腹すいた」

 「はいはい、蓮ちゃんにも声掛けてね」

 「うん」

 行き掛けに柏崎親子の部屋に声を掛けると、直ぐに父娘で出て来た。食堂に入ると、既に知佳の父と完太が着座して、皆が揃うのを待っていた。

 「お待たせ」と母が云うと、「おっせぇ!」と完太が毒突いた。

 「ごめんね完太。姉ちゃん風呂入ってた」

 「何で朝なのにお風呂?」

 「気持ちいいよ!」横から蓮が口を挟む。

 「えー。完太も入りたい」

 「今更おせぇわ。食ったら出るぞ」

 三科父は一蹴した。

 朝食は焼き鮭に溶き卵に納豆に海苔、副菜が幾つかと云う、極めて在り来たりなものだった。特に可もなく不可もなく、ケチを付けることも殊更称賛することもなしに、黙々と食べて、終わった者から順次部屋へ引き上げて行く。

 「完太残さず食えよお」

 父の言葉に完太は首をふるふると振った。

 「多い」

 「まじかよ」

 結局父の助けを借りて、漸く完太も食べ終わった。

 知佳も蓮も、蓮の父も、既にスキーウェアを着込んでロビーで(くつろ)いでいる。娘と同時に部屋へ戻っていた筈の三科母の姿が見えないが、三科父と完太が急いで着替えを済ませてロビーに出て来ると、その後ろからスキーウェアに着替えた三科母も尾いて来た。

 「全くあなた達は。雪道用のブーツ持って来たの忘れてたの?」

 母が父親達を叱っている。両手には人数分のスノーブーツを抱えていた。子供サイズのそれは、未だタグが付いている状態だ。子供の分をロビーにドサドサと落とすと、大人の使い古したブーツは玄関へ置きに行った。

 「なにこれ、可愛い!」

 知佳と蓮の分と思われるブーツには、花柄の刺繍が(あしら)われている。

 「小母さんありがとう!」

 蓮は大喜びで、スノーブーツを履いた。

 「ぴったりだよ!」

 「うん、まあ、買ったのはあなたのお父さんよ」

 「そうなの? お父さんありがとう」

 「ああ、うん」

 「今朝まで買ったこと忘れてたみたいだけどね! うちのお父さんもね!」

 「すみません……」

 「ごめんなさい」

 父親たちは小さくなって、素直に謝った。

 「まあ好いわ、これ履いて、早く行きましょう」

 そんな訳で今朝は全員スノーブーツを履いて、スキーブーツはスキー共々担いで歩いている。荷物は増えるが、スキー靴で歩くより何十倍も楽だ。朝の雪は今は止んで、(にび)色の曇り空が広がっている。

 「お父さんてばホント、いい加減なんだから」

 知佳は歩きながら、父に文句を付けた。三科父はすっかり悄気(しょげ)て仕舞って、下を向いてトボトボと歩いている。柏崎父も稍反省気味に、俯き勝ちである。

 「こんな可愛いブーツあるんだったら、昨日から履いてたかったな」

 蓮のボヤキに、二人の父は益々縮こまる。

 「まあまあ、そのくらいにしといてあげて。でないとスキー教えて貰えなくなっちゃうよ」

 「ヤダ、それは困る」

 「大丈夫。失敗はしてもスキーはちゃんと教える」

 三科父は若干元気を取り戻すが、

 「失敗しないのが一番なんだけどな」と知佳に云われてまたしょんぼりして仕舞った。

 「知佳」

 「はぁい……」

 母に(たしな)められて、流石に知佳も口を(つぐ)んだ。

 途中のレンタル店で、母の分のスキーとブーツを借りて行く。

 「そう云えばお母さんも、自分のウェア持って来てたんだね」

 「今頃何云ってるの。あなた荷造り全然手伝わないから知らなかったんでしょ」

 「あっ」

 「知佳、藪蛇」蓮が意地悪そうに笑いながら、知佳を(つゝ)いた。

 スキー場(ふもと)の更衣室で、スノーブーツからスキーブーツに履き替えて、脱いだスノーブーツはロッカーに預ける。昨日はここに家から履いて来た運動靴を預けており、雪の中運動靴では危ないからとスキーブーツで帰ったのだった。今日はスノーブーツなので帰りも楽である。

 「よおし、山頂!」

 「蓮未だ云ってるの? 危ないだけなんだけど」

 二人の遣り取りに、三科父が口を挟む。

 「山頂行きたいか! でもまずは、中腹ぐらいからにしような。先ず初心者コース何回か滑って、それで小父さんがオッケーって思ったら、連れてってやるぞ」

 「やった! よおし、がんばるぞ、知佳!」

 「だから、あたしを巻き込まないでぇ」

 その遣り取りを微笑みながら見ていた三科母は、完太に向って、「完太如何する? 昨日は橇したでしょ?」

 「そりって何?」

 「あれ?」

 三科父は頭を掻いている。

 「橇してないの? 何してたの?」

 「雪達磨! あのね、初代は皆全滅しちゃったから、母ちゃんに送ったのは二代目なの」

 「ああ、そういえば昨日、なんか写真送って来てたけど……そうか、あれは雪達磨なのね」

 「なんだと思ってたの?」

 知佳が訊くと、母は()まり悪そうに、

 「なんか雪のお城でも作って失敗したのかと思った」

 「どこがお城よぉ、あれ、雪達磨の家族なんだからね。あたしも手伝ったんだから」

 「父ちゃんと母ちゃんと、姉ちゃんと蓮ちゃんと、完太!」

 「うそ、そんなにあった?」

 母は昨日の写真を見返している。

 「ええ? うーん……ああ……ええ?」

 「完太、判んないってよ、教えてあげて」

 「なんでだよぉ。これが父ちゃんで――」

 完太は母のスマホを覗き込みながら、一つ一つ解説してゆく。

 「まあそれは判ったけど、なぁに知佳、あなたもずっと雪達磨作ってて、スキーしてないの?」

 「したよ、最後にちょっとだけ」

 「そう……完太如何する? 今日こそ橇する?」

 「そりって何?」

 「あなたが引き摺ってるその赤いヤツよ。それに乗って滑るの」

 「へえぇ……する!」

 「じゃあ、あたしと完太は隅っこの方で橇しとくから、あなたたち好きに滑ってらっしゃい」

 「お母さんはスキーしないの?」

 「お父さんの気が利けば、途中で交代してくれるんじゃない?」

 母の皮肉交じりの言葉に、父はまた頭を掻いて、

 「諒解(わか)ってるって。適当にキリの良いところで連絡入れるよ」

 「それじゃよろしくね。行っといで」

 完太と母を残し、残りの四人は昨日父親たちが乗っていたリフトに乗って、ビギナーエリアの上迄行く。

 「よおし、じゃあ、ちょっとずつ下りて行こうか。先ず、あっちの端っこまで滑ろう」

 父の指導の元、知佳と蓮はボーゲンの基本に忠実な姿勢で、斜面に対して殆ど横向きの方向に、悠然(ゆっくり)と進んだ。三科父が手本として先導し、柏崎父は二人を見守る様に、最後尾から()いて来る。

 「ようし好いぞ、じゃあ方向転換して、次はあっちの端まで」

 そんな感じでジグザグに何往復もしながら、三分の一程下りた所で、次のステップに進む。

 「次は向こうの端に着く直前に、左足にぐーっと体重掛けて、右ターンしよう」

 三科父は動きを交えながらターンの遣り方を教える。蓮は直ぐにコツを飲み込んで、知佳も二三回目で出来る様になった。

 「これ楽しい!」

 知佳は自分の上達が嬉しくて、満面の笑顔になっている。

 「じゃあここから下迄、一気に下りようか。怖くなったら途中で止まっても好いけど、下りれるなら下迄行っちゃって。余り下向いたらスピード出ちゃうから、飽く迄横方向に滑る点だけは気を付けて」

 三科父の合図で、二人の娘は一斉に滑走を始めた。二人の父はそれを追いながら、

 「三科さん、教えるの上手ですね」

 「いやあ、蓮ちゃん中々筋が良いですよ、知佳より大分センスありますね」

 等と褒め合っている。そんな暢気(のんき)な遣り取りが終わらぬ内に、蓮の悲鳴が聞こえて来た。

 「きゃあああ!」

 蓮は殆ど一直線に近い角度で斜面を勢いよく滑って行く。三科父は即座に直滑降で追い掛け蓮の横に付けると、蓮を抱える様にして無理矢理方向を変えさせた。(ほゞ)山を登る方向迄向きを変えられた蓮は見る見る減速し、停止する直前に結局転んだ。

 「大丈夫か?」

 三科父の真剣な問い掛けに、蓮は照れ笑いで応える。直ぐに柏崎父も追い付き、

 「大丈夫か、どっか痛めてないか」

 と心配そうに訊くが、

 「平気、鳥渡失敗しちゃったね」

 と笑っている。

 大分遅れて、知佳も追い付いた。心配そうな顔で、然しテレパスを使って、

 〈(わざ)とスピード出したでしょ〉

 蓮はそれに対しては、ぺろりと舌を出した。

 蓮は父の手を借りて立ち上がると、

 「下まで一気に行きまーす」

 と云って真っ先に滑り下りて行った。既に大分下りて来ていたので、真っ直ぐ下りても大してスピードは出ず、四人はリフト乗り場の辺りで合流した。

 「山頂行きたい!」

 相変わらず蓮は、怖い物知らずなことを云うが、流石に二人の父は揃って首を横に振り、

 「もう何回かこのコース滑ってからだな」

 と三科父に云い渡されて仕舞った。

 「ちぇー」

 「仕方無いよ、先刻の危なかったよ」

 当然ながら知佳も蓮の味方にはなってくれない。

 それから数本、同じコースを滑ったが、流石に蓮も先程の様な無茶はせず、二人共綺麗なボーゲンで卒なく滑れる様になって行った。

 「さあ、愈々山頂に!」

 「まあ待て、大分滑ったからな、休憩がてら鳥渡母さん達の様子見に行こ」

 四人は完太と母がひっそりと橇遊びをしているゲレンデの隅の方迄滑り下りて行った。母が作ったのだろうか、母の膝の高さ程度の、雪を寄せ集めた鳥渡した滑り台状の小山が出来ており、完太は自分で橇を引き摺ってその小山に登っては、ほんの短い距離を滑り下りて、キャッキャと燥いでいる。

 「この雪山母さんが?」

 三科父が感心した様に訊くと、母は疲れ切った顔で頷いた。

 「力作でしょう?」

 蓮が瞳を輝かせて雪山を見ていた。

 「すごーい! あたしも滑ってみたい」

 「ええ、これ完太用だよ、蓮」

 知佳は呆れた様に窘めるが、蓮はお構い無しに、

 「完ちゃん、蓮姉ちゃんにも貸して!」

 と交渉を始めた。

 「えぇー、うんまあ、好いよ。蓮ちゃんだけ」

 「なにそれ。完太、どういう意味?」

 「姉ちゃんには貸さない」

 「はあ? いや別に、要らないし」

 「もう、姉弟(きょうだい)喧嘩しないの!」

 蓮はそう云いながら、完太から橇を受け取ると小山の上から滑り下りて、「ひゃー」などと歓声を上げた。

 「知佳もやりなー。ねぇ完ちゃん、知佳姉ちゃんにも貸してあげて」

 「やだあ」

 「あ、じゃあさ、知佳姉ちゃんと一緒に滑りな」

 「えー」

 完太は渋っていたが、蓮の強引さに押されて結局姉弟で前後に橇に乗り、小山から滑り下りた。重量がある為スピードも思ったより出て仕舞い、制御し切れずひっくり返って止まった。完太はさぞお冠かと顔色を窺うと、満面の笑みに瞳をキラキラ輝かせて、

 「姉ちゃん、もっかい!」

 等と雪塗れの顔で云って来るので、可笑しくなって知佳も笑って仕舞った。

 暫く子供達が橇に夢中になっている間に、大人たちは休憩の相談をしていた。

 「まだお昼には早いんだけど、鳥渡お茶でもしたいなって」

 「そうね、あたしもずっと中腰で疲れたわ」

 「カフェみたいなものなら、その建物の中に在りましたよね」

 「行ってみようか」

 話は直ぐに纏まって、子供達に声を掛ける。

 「おーい、直ぐそこで鳥渡お茶飲まないか?」

 「はーい」

 元気よく返事をしたのは蓮で、三科の姉弟は丁度滑り下りた橇がひっくり返ったところだった。

 「知佳、お茶するってさ」

 「はぁい」

 知佳は弟の手を引っ張り上げながら、蓮に応える。

 「えー、どこ行くの」

 完太は未だ滑り足らない様で、若干不服そうな顔をしながらも、橇を引き摺りながら姉達に続いた。


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