極楽鍋に御用心
実際の事件をもとにして書いた創作です。事件のまねをしないでください。
ここは中国内陸部のとある都会。
繁華街からすこし離れた道沿いに一軒の鍋料理専門店があった。
ガラス窓越しに店をのぞけば、ガスコンロ付きのテーブルが所狭しと並び、各テーブルの下にプロパンガスの小さなボンベを置いてあるのが見渡せる。なんの変哲もない、油にまみれた小汚い鍋レストランだ。
夕暮れ時は、いつもおおぜいの客でにぎわった。
おいしいと評判は上々だった。
鶏鍋、烏骨鶏鍋、鴨鍋、豚肉鍋、骨付き豚肉鍋、豚モツ鍋、魚鍋、檸檬鍋などなど、各種の鍋料理がメニューに載っている。一見、ごくありふれたどこにでもありそうな鍋だが、そのどれもがうっとりさせる味わいで人々を虜にした。体がぽかぽか温まるのはもちろん、なんともいえず心地良い気分になれた。
この店の鍋を囲めば、家族や友人と会話が弾む。取引先を招待すれば商談が弾む。みんな愉快になって笑顔が絶えない。箸が進んで鍋がからっぽになるので、肉や野菜をどんどん追加注文して、ばっさばっさと鍋へ放りこむ。満腹になった客は、だれもがきらきらと輝いた目になり、しあわせそうに店を後にした。人々はこの店の鍋を極楽鍋と呼んだ。まるで天国にいるような心持ちにさせてくれる鍋だったから。
店主の話によれば、味の秘訣は自家製のタレにあるのだとか。
その作り方は、だれにも教えられない秘伝中の秘伝だ。
タレの材料の仕入れも、製造も、店主夫妻だけが行なった。もちろん、だれかに作り方を盗まれてはまずいので、店のなかではぜったいに作らない。店主夫婦が従業員の知らないどこかでタレを作り、ペットボトルにつめて店へ運びこむ。雇われコックは店のレシピにしたがってごくふつうの鍋をこしらえ、最後に、ペットボトルのタレを鍋に入れてかきまぜるだけ。それだけで極楽鍋の味になる。だから、いったいどうすれば客を魅了してやまないあの味を作ることができるのか、謎だった。タレだけで極上の鍋を仕上げるとは、まさに仙術だ。
口コミが広がり、店はますます繁盛した。
リピーターも多かった。
あのうっとりする味わいが忘れがたい。どういうわけか、むしょうにこの店の鍋を食べたくなってたまらなくなる。一度食べればやみつきになった。
平日であろうと、休日であろうと、夕方の六時以降は予約を入れておかなければ店へ入れない。順番待ちの行列が、一時間待ちや二時間待ちになるのは当たり前。それでも、極楽鍋を味わいたさに客がひきもきらない。
地元のテレビや新聞にも取り上げられ、客は増えるいっぽうだった。マスコミは店主を鍋仙人と持ち上げ、ちょっとした有名人になった。彼の鍋料理専門店は、この町ではだれもがその名を知る話題の店となった。
銀行はいくらでも資金を融資するので二号店、三号店を出すようにと勧めた。だが、鍋仙人は首を横に振るだけだ。店を増やせばおいしい味を保てなくなるからというのが彼の主張だったのだが、それが巷間へ伝わり、まっとうな料理人魂を持った人物だと彼の評判は一層高まった。
店は連日、満員御礼。
極楽鍋をつつく客のほがらかな笑い声が店のそこかしこで響く。
鍋仙人の店はわが世の春を謳歌した。
数か月後、夕刊紙の一面を見た人々はあっと驚きの声をあげた。
警察に手錠をかけられた鍋仙人の写真が大きく載っている。
なんと、容疑は「大麻を混入した鍋を客に提供した」というものだった。
あの秘伝中の秘伝のタレは大麻を煮詰めたものだった。道理でだれにも教えられないわけだ。極楽鍋は、大麻鍋だった。種明かしをしてみれば、仙術でもなんでもなく、ただの人間業だった。
あのうっとりとした感覚は大麻のせいだと知り、だれもが怖気をふるった。客はみな、知らないうちに大麻のエキスを胃の腑へ流しこんでいた。味蕾を楽しませる味覚を味わっていたのではなく、脳を刺激する快楽そのものを貪っていたのだ。極楽鍋を食べた人々の笑い声も目の輝きも、大麻でキマっていたからにほかならなかった。
「お客さんによろんでもらわなくっちゃね。お客がよろこべばよろこぶほど、金儲けできるのよ」
これが店主の口癖だった。
どうやら、彼は客を悦ばせすぎたようだ。
極楽鍋に御用心。
了