第5話【閏日の悪意】
――【2028年2月29日 AM0:00】
――【六本木クリスタルタワー 21階】
バーのカウンターに一組の男女がいた。
紫色の煌びやかなワンピースを纏い、大きく開いた胸元と脚のスリット。
盛り髪には花とパールで綺麗にまとめられている。
女は、植物の蔓をモチーフにした細い腕時計を確認する。
「せんせ、今日は何の日か知ってる?」
薄暗い店内でもわかるくらい、顔の赤くなった男。
高級スーツに身を包み、高価な指輪に腕時計を装着している。
「んん~? あぁ、もう日付が変わったのか。知っているとも、今年は閏年だから、今日が閏日だな」
「違いますよぉ。今日は記念日でしょ?」
男は女にマティーニを注文。
記念日と言われるも、男はそれには反応しない。
ーー気分を高揚させる店内音楽は、二人の距離を縮めていた。
「うふっ、いただきます」
男のグラスに、届いたマティーニでキスをする。
三角錐の透き通るグラスに、ピンク色のルージュが触れる。
「……確かに、今日は2月29日ですね。4年に一度の。まるでオリンピックみたい」
「そうだな。じゃあ、なぜ閏日があるのか知ってるかな?」
女は人差し指を唇に当てると、微笑みながらもう一度グラスに口をつけ、そしてそっと開かれる。
「地球は太陽の周りを365日と5時間48分45秒で一周します。この0,2422日のずれが毎年起こるので、4年に一度、調整するのに日数の少ない2月に当てられた――」
男は女の顔を見つめたまま――
「詳しいじゃないか」
そして女も男の顔を覗く。
「なんだか……歪んでますよね。規則的な人生に、何度も入り込むこの日が」
「そうとも、言えるな」
目線を女からグラスへと移し、目を瞑り口に含む。
ビキッ――
味わいながら飲み干し、薄っすらと目を開けた。
「おいキミ、私に次の酒を――」
ガシャッ――
男は急に立ち上がったために、カウンターに置いたグラスを割ってしまう。
先ほどまで目の前にいたバーテンダーどころか、棚も、照明も、音楽も、何もかも失われていた。
あるのは、カウンターだけだった。
「こ、これは――誰か、誰かいないのか!?」
女はグラスを手に持ち、ゆっくりと時間を掛けてマティーニを飲み干す。
「うふっ、わたしがいるじゃないですか。せんせ」
男は困惑した。今まで自分がいた場所が、得体のしれない世界へと変貌したのだ。
「上霧くん! 私は――」
上霧と呼ばれた女は、最初と変わらぬ笑顔を顔に張り付けたまま立ち上がると、グラスを漆黒の天に向けて眺める。
「マティーニ、ごちそうさまでした。その時々の想いを表現するのに最適のカクテルですね。でも――」
腕を振り下ろすと、空のグラスは男の胸を貫通し、遥か遠くで割れる音がした。
男は静かに崩れ落ちる。
「最初に注文してくださる? タイミングが悪かったですよ」
生命活動を終えた男の頭をハイヒールで踏みつけると、嬉しそうに更に微笑む。
「今日はあなたの絶命記念日ですから。調整するのにちょうどいい日でしたね」
『上霧マイ』 通称:サイコパス
――【2028年2月29日 AM0:00 同刻】
――【渋谷 道玄坂 商業エリア】
「はえぇ~……あんた、本当に大丈夫なんかい?」
カチャカチャと音を立てないように気を付けながら、黙々とスプーンを口に運ぶ女がいた。
『もの凄く美味しい』を表す笑顔で、店主の声にうんうん頷きながらカレーを食べている。
その近くで同じくカレーを食べていた男が、店主に割と小さな声で質問した。
「ねえ、おやっさん。彼女、あれ何キロ注文したの?」
ばつが悪い顔で答える。
「いや~……3キロなんだが」
「3キロかぁ、すごいな」
腕を組む店主と男。
「――を3杯」
「3杯!?!?!?」
思わずガタッと立ち上がる男を、スプーンを加えたまま不思議そうに見つめる女。
頭の上に乗せた眼鏡が不安定になっていた。
そして、決してその食べる手が止まることは無い。
カチャッと隅々まで平らげたお皿の上にスプーンを置き、両手をしっかり合わせる。
「ごちそうさまでした。店長さん、すっっっごい美味しかったです!」
「お、おう。キレイに食べてくれてありがとうな」
眼鏡をスッと掛けると、ニコニコ顔でリュックをしょい込み、支払いをして店を後にする。
残された店主と男は、口を開けたまま彼女を眺めていた。
「っはぁぁぁやっぱり本場タイのカレーは最高だなぁー! ん、カレーの本場ってタイだっけ、インドだっけ?」
独り言を発しながら、駅の方へ歩く。
「うーん、デザートは何にしようかな」
そんなことを呟いていると、薄いジャケットの内ポケットから通知音が聞こえた。
道のど真ん中で立ち止まり、スマホを取り出す。
あれだけ食べたというのに、スリムなジーンズはそのぴっちり感を保っていた。
「あー……はいはい、わかりましたっと」
何かひとりで勝手に納得している女は、再び歩き出す。
スクランブル交差点を渡り、ポチ公前へと移動した。
多くの人で賑わう広場では、待ち合わせびとでいっぱいになっている。
「え~っと……あぁ、あの方かな?」
女はひとりの男の前に向かうと、頭をぺこっと下げる。
「お待たせしました。あなたが星元さんですか?」
「えっ? 違いますけど……」
ハッとした表情で直ぐにもう一度頭を下げる。
人違いだったようだ。
数人に声を掛け、同じことを繰り返す女。
「う~~っ! もっとちゃんと特徴おしえてよ~!」
なんだか怪しい女となっていたが、次で問題は解決した。
「ん? あぁ、俺が星元だ。何かようか?」
ガタイの良い長身の男がお目当ての人物だったようだ。
「あぁ、やっと会えました! 良かったです! 時間も時間なんで、まずは一緒にデザート食べに行きましょう!」
星元と呼ばれた男は眉をしかめる。
「新手のナンパか?」
「あれ、連絡行ってないです? まぁ、行きましょ! 美味しいショコラがあるお店、あと1時間で閉まっちゃいますから!」
女の勢いに負け、理解が及ばないまま、近くの飲食店へと二人は移動した。
――【渋谷駅周辺 喫茶 アフタヌーン】
テーブル席に座ると二人はデザートとコーヒーを注文し、会話を始める。
「――で、あんま時間無いんだが、あんた俺に何の用があるんだ?」
「えっとですね、一緒に食事をしたあと、行きたいところがあるんですよ。あ、食事はわたしの都合なんですけど」
会話が成り立っているとは言えない中、少し考えていた様子の星元はスマホを取り出し、何かタップし始める。
「よくわからんが、いいぜ。ただ、俺の行きたい所にもついてきてもらうぞ?」
女は笑顔になって返事をする。
「ありがとうございます! じゃあパパッと食べて行きましょう!」
お互いに時間の制約があるようで、まるでない。
これでも初対面同士である。
――15分後、飲食を終えた二人は店の外に出る。
すると更に知らない男が2人、この場に集まっていた。
「星元さん、遅くなりました。この娘が今日の相手で?」
「スタイルめっちゃいいじゃん」
嫌な笑い声が漏れた。
終電間際、人の気配も徐々に閑散する。
「えっ、えっ? 星元さんのおともだちですか?」
「ん? まぁそんなところだ」
ポケットに手を入れたまま星元は口の端を釣り上げた。
「わたしの行きたいところに、おともだちも行っていいんですか?」
「? どういう質問かわからんが、別にあんたの用を先に済ませるなんて言ってないぜ?」
合流した男のうちのひとりが声を荒げる。
「オラ、さっさと来いッ」
女はいきなり腕を掴まれ、三つ編みが揺れた。
「……歪んでんなぁ~」
直前まで高い周波数だったのが、急にドスの効いた低い声色へと変化する。
そしてこの場にいた男3人の眼を順に眺めながら――
「わたしの用件が先だったんですよ。邪魔をするなら――」
ビキッ――
刹那。
呼吸をする間もなく世界は一変。
女の背中には喫茶店がある。
それ以外の全てが無くなった世界。
「「「ッ!?」」」
咄嗟に掴んでいた腕を放し、淀んだ空を見上げる男3人。
そして女との距離をとり、固まった。
「なっ、なんだぁー!?」
「……どこだここ!」
女はしょっていたリュックを地面に降ろすと、指をパキッと鳴らした。
同時に首も捻って鳴らす。
男たちに歩み寄りながら上着を脱ぎ、青のタンクトップが露わになる。
胸や下半身はたしかに女性のものだが、しかしその身体は、大量摂取したばかりの肉体とは思えぬほど、細身だった。
「メインディッシュは星元さんです。あとのふたりはデザートです」
「お、おい、なんだあんた! なんなんだ!」
動揺を隠せない星元。
バカでもわかる、身の危険が香りのように漂う。
「一緒に食事した仲じゃないですか。何をビビッてるんです?」
冷や汗が止まらない男たち。
対して堂々と歩く女。
「星元さん、力比べをしましょう」
「は?」
「力比べです。怖がらないで……ほら、わたしこんなに細いじゃないですか」
恐怖から逃れようと星元は、その太い腕の先にある掌で女の手を掴む。
「ちがいますよ~、こうやって、ほら――」
指と指を絡ませ、まるで恋人同士のように手を繋ぎ、目の前まで上げる。
ーーそしてそのまま星元は膝から崩れ始めた。
「おっ、ぐあぁっ!!!!」
バキバキバキバキ……
その剛腕にみえた腕は見る影もない。
辺りには血の臭いが泳ぎはじめる。
「ほっ、星元さん!!」
「て、てめぇ!!」
女は食事の時と同様に、嬉しそうな笑顔になった。
――数分が経過していた。
立っているのはこの場にただひとり。
そして思い出したように、言葉が漏れる。
「……あ、そうか! そもそもターゲットに連絡なんてするはずないか」
ジャケットを拾い、スマホを取り出すと、女は眉間にシワを寄せる。
「あ~狭間って圏外なのかぁ~。報告は後でいいや……帰ろっ」
『綿藤カンナ』 通称:大喰い
うふっ、折角いらしたんですから……⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎評価・ブックマーク・いいね・感想・レビューをお願いしますね。
今夜も月が綺麗だわ。血が騒いじゃう♡