第四話
薄い壁越しに、鍋が煮立つ微かな音が聞こえてくる。味噌を溶くかすかな水音、包丁がまな板を打つ軽やかな響き──そんな朝餉の支度の音が、まだ覚醒しきらない意識の底を揺さぶる。
今日は、日曜日だった。
仕事があるわけでもなく、決まった予定があるわけでもない。早起きする理由など、どこにもない。むしろ、日々の労働で倦み疲れた私にとっては、休日の朝に惰眠を貪ることこそが、唯一の救いといえるものであった。
だが、九十九の生活リズムに引きずられるようにして、結局、目を覚ましてしまう。
本当は、布団の中でいつまでもまどろんでいたかったけれど、居間から聞こえてくる規則正しい音が、そのまま眠りの中に押し戻すことを許さない。寝返りを打ち、毛布を頭から被る。それでも、なお耳に届く音が、私の怠惰を咎めているかのようだった。
無視すればいいだけの話だ。
彼女の朝の動きを気にせず、ただ目を閉じ、意識を再び闇へと沈めてしまえばいい。この家の中で、どれほど規律正しく振る舞おうと、それに従う義務など私にはないのだから。
しかし、身体のどこかに棘が刺さったような違和感が残り、それを放置したまま眠りに戻ることができなかったのだ。
結局、もぞもぞと瀕死の芋蟲のように這い出て、寝床から起き上がる。重たい体を引きずるようにして、ゆっくりと立ち上がると、薄暗い部屋の中のぬるい空気がまとわりついた。
自室のドアを開けて居間に進むと、エプロン姿の九十九が台所で調理しているのが視界に入った。
彼女は一つにまとめた黒髪を揺らしながら、湯気の立つ鍋の中を見つめていた。静かで、厳かな動作だった。
こちらの気配に気づくと、顔を上げて、「おはようございます」と他人行儀に挨拶した。
私は、ほとんど消え入りそうな声でそれに応じる。
淡白な挨拶。
温度のないやり取り。
それが、私たちのいつもの関係性。
洗面所へ向かい、顔を洗い、髭を剃る。
鏡に映った自分の顔を見て、ため息が出そうになった。
ぼさぼさの髪、深く刻まれた皺、どこか濁った目。九十九の整然とした美しさとは対照的な、不完全な人間の顔がそこにあった。
私は、なぜ身支度を整えているのだろうか。
寝癖を直しながら考える。
別に、誰かに見られる予定があるわけでもない。外に出るわけでもない。それなのに、毎朝同じように洗顔し、髭を剃り、決まりきった動作を繰り返している。この行動に何の意味があるのかと考えると、途端に虚しくなる。まるで九十九のためだけに身綺麗にしているようで、非常に不愉快だった。
自室に戻り、私服に着替える。
その間にも、九十九は淡々と朝食の支度を進めているのだろう。私はそれを見ずとも分かる。彼女は決して怠ることなく、毎朝同じように動き、日々を律し続ける。
再び居間へ戻ると、ちょうど朝食が用意されていた。
白い湯気が立ち昇る味噌汁、ふっくらと炊き上げられた白米、丁寧に並べられた副菜。どれも贅沢なものではないが、器の置き方ひとつとっても無駄がなく、食材自体は安価なものばかりのはずなのに、そうとは思えないほどの出来栄えに見えた。
九十九は席につくことなく、静かに立ったまま、私の動きを待っていた。
私が椅子を引き、腰を下ろすのを認めてから、ようやく彼女も席につく。
この順番は、いつから決まったものだったか、考えてみてもはっきりと思い出せない。意識的な出来事などは何もなく、いつの間にかそうなっていた。
理由は不明なのだが、九十九は、私がある種の行為を終えてから動き出すことが多い。
別に、家長に敬意を払って、一歩引いているわけではないはずだ。彼女の態度からは、そんなものを感じたことは微塵もない。どちらかといえば、血統の奥底に根付いている、古風な観念がそうさせているのだろう。順序を重んじる性格が、自然とこの形式を生んだのかもしれない。
けれど、この古風な観念こそが、私に無意味な起床を強いているのだ。
これは馬鹿げた妄想であるが、仮に私が寝床から動かなかった場合、九十九は箸を手に取ることすらせず、ただ朝食が冷めていく様をじっと見つめることになるのではないだろうか。
無論、そのような顛末は有り得ないとわかってはいるが、小心な私には、この秩序を壊す勇気がないがために、唯々諾々と従っていた。
「……いただきます」
そう呟いて、箸を手に取る。九十九は何も言わず、ただ頷いた。
味噌汁を口に含む。
出汁の香りとともに、素朴な味わいが口内に広がる。
決して特別な味ではない。味噌も出汁も安物で、具材に使われている豆腐やわかめも、最も安価なものに違いなかった。だが、そこにはある種の工夫が凝らされていて、限られた条件の中で、少しでも味を引き立たせようとする努力が感じられた。
それをありがたく思うべきなのかもしれないが、私はなぜか、この味噌汁を飲むたびに心のどこかがざわつくのを感じる。舌や、胃に、長く横たわる残滓。少なくとも、感謝を述べる気にはなれなかった。
私が食事を始めたのを刑務官の如き瞳で視認すると、九十九も手を合わせて「いただきます」と呟いた。
いつものように、先に手をつけることはしなかった。必ず私が食べ始めるのを確認してから、自らの箸をとる。それが、無意識に根付いた習慣なのだろう。
けれど、私にはその行為が、まるで下人が毒味を終えてから食事を始める貴族のように感じられて、一方的な苛立ちを覚えた。
それからは、互いに無言で食事を摂る。
食器の触れ合う音、味噌汁の表面が微かに揺れる音、米粒を噛むわずかな咀嚼音──それらだけが、静寂の中に存在していた。
静かな食卓だった。
食卓を囲んでいるのに、まるで一人で食事をしているような錯覚に陥る。
途中、箸先から玉子焼きがポロリと皿の上に落ちた。
再び箸を伸ばし、慎重に掴もうとするが、またもや滑り落ちてしまう。思うように力加減ができず、箸先が空を切る。もどかしさを覚え、ほんの僅かに奥歯を噛みしめる。
私は、箸の使い方が下手だった。
子どもの頃から、どうしてもうまく扱うことができず、何度か矯正しようと試みたが、ちっとも上達しなかった。大人になってからも変わらず、所作のひとつひとつが不格好だった。
妻は、食事の度にそれを指摘したものだ。
「本当に、あなたって人は……」
呆れたように、しかしどこか嘲るように笑う妻の顔を思い出す。彼女は良家の子らしく、精錬された食事の作法を身につけていた。箸を持つ手は無駄なく美しく、食材を掴む動作ひとつとっても、計算され尽くしたかのような優雅さがあった。
いつも私をせせら笑いながら、箸を正しく持てないことを責めた。
「育ちっていうのは、食事の際にいちばんよくあらわれるのよ。あなたみたいな人を見ていると、改めてそう思うわ」
反して、九十九の箸の使い方は、美しかった。
たかが箸の持ち方ひとつ。そう思う人もいるかもしれない。けれど、妻が言っていた通り、育ちの良さは何よりも食事の作法にあらわれるものなのだ。
しかし不思議なのは──私は九十九に箸の使い方を教えたことなど、一度もないことだった。
だとしたら、彼女はいつ、どこでそれを学んだのか?
いや、箸の使い方だけではない。
私は九十九に、ろくに知識を授けてこなかった。本を買い与えたことも、教育に熱心になったこともない。ただ、この狭く貧しい家の中で、無為に時間を過ごしていただけだ。
なのに、娘は父よりもずっと多くのことを知っている。現に、都内の有名私立校に、特待生として進学してしまったではないか。それも、苦労らしい苦労をしないまま。
それは何故か。
そもそも、子は親から学ぶものではないのか。
私は何も教えなかったというのに、九十九は勝手に学び、育ち、私の手の届かないところへ行こうとしている。
では、彼女はどこから学びを得ているのか。
気づけば、私はじっと九十九の手元を見つめていた。
彼女の箸がすっと動き、流れるような動作で、それでいて優雅に、口へと食物を運んでいく。
その瞬間──娘の姿と、妻の姿が、重なった。
「父さん」
九十九が、私を呼んだ。
その声に、思わず身を固くしてしまう。
長く思索に耽っていたせいか、彼女からすれば、父が突然呆けてしまったように見えたのだろう。箸を持った姿勢のまま、じっとこちらを見つめている。
表情は変わらない。いつもの淡々とした顔。しかし、その瞳の奥には、何か冷たいものが宿っているように思えた。
私は焦って箸を持ち直そうとしたが、すぐにその愚行を思いとどまる。変な動きをすれば、さらに視線を引きつけてしまう。
私は、何事もなかったかのように、もそもそと食事を続けた。
九十九は、それ以上何も言わなかった。
朝食を終えると、私は自室に戻り、無意識に壁の時計へ視線を向けた。
まだ午前の早い時間だった。
何をするでもなく、このまま時間を潰すのは癪だった。かといって、特に予定があるわけでもない。
図書館へ行くか。
そう思い立つ。
読書は、私にとって唯一の趣味と呼べるものだった。
現実に疲れ、何もかもが嫌になったとき、私は活字の海に逃げ込んだ。文学の世界に没入している間だけは、己の惨めな境遇を忘れられる。その時だけは、私は誰でもなく、ただ物語の傍観者でいることができた。
文学──それは私にとって、空想の阿片だった。
無論、いくら本を読もうが、現実は何一つとして変わりはしない。
物事が好転するわけでもないし、内面が磨かれるわけでもない。ただ、一時的に現実から目を逸らせるというだけ。それでも、私は本を読むことをやめられなかった。
外出用の上着を羽織ろうとしたが、季節はすでに夏に移行しかけていることに気がつき、再度、ハンガーにかけ直す。
居間へ戻ると、ソファには九十九が座っていた。
彼女は足を組み、膝の上に本を開いていた。
ページをめくるたび、黒髪がわずかに揺れる。切れ長の大きな瞳が、規則的に移動しているのが見て取れた。
娘もまた読書を好んでおり、しかも、私と読んでいる本の傾向がよく似ていた。
古典から現代文学、哲学や社会科学まで、彼女が借りてくる書籍のタイトルは、私の読書遍歴と奇妙なほど重なっていた。
にもかかわらず、九十九と書について語り合うことはなかった。
するべきではない、とさえ思っていた。
読書は、私にとって唯一の慰みだった。それを──亡き妻のように汚してほしくなかったのだ。
「無知であることを指摘されないがために、わざとらしく本なんか読んでいるのでしょう?」
彼女は、読書が単なる趣味ではなく、自身の浅学を誤魔化す隠れ蓑であることを看破していた。
「知識を得るためや、思想を培うためではなく、ただ他人に『読書をする人間』と思われたいがために、紙面を捲っているのでしょう? 自身を低く見られないための道具として。本当は何も理解していないのにね。浅ましいひと」
そう言われたとき、私は赤面するほかなかった。
なぜなら、読書が薄っぺらな自己演出のための要素を含んでいることは、紛うことなき事実だったからだ。自分はただの醜い芋蟲ではないのだと、多少なりとも秀でた点があるのだと、そう思われたかったのである。
「図書館に行ってくる」
そう告げると、彼女は無言で頷いた。
それだけだった。
何の関心も示さず、ただ一度、わずかに顎を引くだけの動作。それが彼女の返答だった。
必要以上に言葉を交わす必要はないとでもいうように、再び膝の上の本へと視線を戻す。私はそれを確認すると、特に何の感慨もなく居間を出た。
そして、いつもの片脚を引きずるような歩き方で薄暗い玄関に向かい、靴に履き替えようとした時──
「父さん」
背後から声をかけられて、思わず動きを止める。
振り返ると、九十九がすぐ近くに立っていた。それも、かなり近距離に。
こんなにも接近することは、普段あまりない。互いに必要以上に距離を詰めることはせず、会話すら必要最小限にとどめる。それがいつもの関係性だった。だからこそ、娘の存在を急に間近に感じると、妙に緊張してしまう。
九十九は、まっすぐこちらを見つめていた。
「シャツのボタンを、かけ違えているわ」
そう言って、何の躊躇いもなく私の胸元へ手を伸ばした。
指先がボタンに触れる。その感触を意識した瞬間、私は身をこわばらせた。
「じっとして」
彼女は淡々とした口調で言い、器用にボタンを外していく。
シャツの布地がわずかに引っ張られる感覚。
私は息を止めたまま、ただ眼前の指が動く様を見つめていた。
右手の指先でボタンを押さえ、左手でしなやかに切れ目をくぐらせる。
次第に、羞恥がこみ上げてくる。
これでは、どちらが親なのかわからない。
本来ならば、こういう場面では「自分でやる」と手を振り払うべきなのだろう。だが、突然の不意打ちに完全に面食らい、言葉を発する機会を逃してしまった。
声が出ない。喉の奥に引っかかり、言葉が形を成さない。
結果、幼子のように立ち尽くすし、されるがままになっていた。
九十九は、無言のまま作業を続ける。
一見すれば、親愛の情が込められた行為のように見える。
娘が父親の身なりを整えてやる──傍から見れば、そういった温かみのある光景に見えるだろう。
だが、実情は異なる。
九十九にとって、これはただの作業なのだ。
私を気遣っているわけではない。ただ単に、身内の恥を外部に晒したくないだけ。彼女にとって、だらしのない父親を持つことは、自身の品位を損なうことにつながる。
だからこそ、こうして目についた欠点を、機械的に修正しているに過ぎない。自分の周囲から無駄な汚れを拭い去っているだけなのだ。
ふと、彼女の睫毛が微かに揺れるのが見えた。
そして、その形の良い目元のすぐ下にある、胸の隆起が視界に入る。ほとんど成人女性と変わらない、細身ながらも肉付きの良い姿態。
実際、九十九は成人した女性とよく間違えられた。思春期の頃には到底纏えるはずのない、円熟した雰囲気もそれを手伝っていたのだろう。顔付き自体はまだ幼さを残すものの、少なくとも、制服を着ていなければ女子中学生には見えなかった。
そして、成長とともに色濃くあらわれてくる女性としての側面に気づく度──私は強烈な拒絶の念を感じた。
人間には、近親者を性愛の対象として見ることを拒む、生理的な防衛機能がある。
それはひとえに親やきょうだいを異性として愛することへの拒絶なのであり、特別珍しい感情ではない。
私も例外ではなかった。
いや、それどころか、それを誰よりも強く自覚していた。九十九を『ひとりの女性』として認識することなど、到底できるはずがなかった。
想像するだに、おぞましい。
赤子の頃から生活を共にしている者を、性愛の立ち位置に置くことは到底不可能に思える。嫌悪感などという生易しい言葉では足りない。
ただ、ひたすらに、おぞましい。
あらゆる社会において、それこそ未開社会ですら、近親相姦が禁じられているのは、そのおぞましさゆえなのかもしれない。
レヴィ=ストロースは、近親相姦の禁止を社会構造の一部として説明したが、私にとってそれは単なる理屈でしかない。ただ、生き物としての根源的な忌避感に基づくものであると確信している。
近親者を性愛の対象として見なすことは、根本的なタブーであり、犯してはならない一線だ。
しかし、それを前提とした場合、奇妙な矛盾が生じてしまう。
私と九十九の間には、血のつながりがないという事実だ。
では、この強烈な忌避感はどこからくるのか。
私は、自分が九十九の父親ではないと強く自覚している。
けれどその一方で、九十九の父親であるという意識から完全に脱却することができていない。
つまり、二つの相反する意識が存在しているのだ。
彼女は私の娘ではない、という冷静な自覚。
彼女は私の娘である、という根強い誤解。
生物学的には他人であるはずなのに、私は九十九の成長を注視し、彼女に対して父親として接してきた。
この年月の積み重ねが、私の誤解を固定してしまったのかもしれない。
それに気づいた途端、胸の奥に鋭い痛みが生じる。
結局、私は九十九の父親なのか? それともそうではないのか?
否!
父親であるなどありえない……私は赤の他人だ。たまたま『父親』という立ち位置に収まっているだけの赤の他人なのだ。私と九十九が父子関係にあると証明するのは、役所の中に保管されている戸籍だけ……つまり、紙切れ一枚というわけだ!
その書類が、一体何の意味を持つ? たったそれだけのもので、私は「父親」と名乗らねばならず、九十九を「娘」と呼ばねばならぬというのか? 嗚呼、なんという屈辱だろう!
九十九がまだ幼かった頃、私は彼女を「娘」と呼ぶことに強い抵抗を覚えていた。そう呼んだ瞬間、何かを認めてしまうことになる気がしてならなかったのだ。
できる限り「娘」という言葉は口にせぬよう努めていたが、話の流れでどうしても言わざるを得なかった時、喉の奥が凍りつくような冷たい感覚に襲われた。
何かを踏み越えてしまったような、後戻りのできない感触が喉にこびりついたのだ。
九十九が成長するにつれ、その感覚は強くなっていった。
ある日、九十九が舌足らずな声で、私のことを初めて「おとうさん」と呼んだ。
その瞬間、頭に血が上り、その小さな舌を引き千切ってやろうかと思った。断じて、私は「おとうさん」などではないという言葉が、喉元までせりあがったのを覚えている。
だが、その後も九十九は私を「おとうさん」と呼んだ。そう呼ぶことに何の抵抗も持っていなかった。
まるで、それが世の理であるかのように。
まるで、それ以外の呼び方が存在しないかのように。
なぜ、疑わない?
なぜ、疑うことすらしない?
なぜ、この人は本当に「おとうさん」なのだろうかと疑問に思わない?
この醜悪な芋蟲的人間と、自身の端正な容姿を、真の意味で見比べたことはあるのだろうか。どこに類似する点があるというのか。全くの別物じゃないか! 芋蟲と蝶を見比べて、同種の生き物であるとみなすのは白痴だけだ。
しかし、私は気づいてしまっている。当時の拒絶反応は、今や、薄れつつあることに。それは、『父親』としての自分に馴染んでしまったからではないか?
馬鹿らしい!
では、九十九が私のシャツのボタンを直し、手を引いたこの瞬間、私は何者であるべきなのか?
赤の他人が、目の前の女にシャツを直されているというこの状況に、私はどんな立場を取るべきなのか?
この因果に抗うためには──九十九を娘ではなく、女として見る必要があるのではないか。
──いや、違う。
違う、違う、違う。
それは狂人の論理だ。
私は混乱している。
他人性を証明するために、そんな、おぞましいことを考えるなど──
「できたわ」
九十九が手を引いた。
私はゆっくりと視線を落とし、整えられた衣服を見た。
すでにボタンは正しい位置に留められ、そこには何の痕跡も残っていなかった。
ただ、私だけが、未だに体のこわばりを解けずにいた。
「……ああ」
曖昧に返事をして、私は踵を返す。
靴を履き、玄関の扉に手をかける。
その間はずうっと、胸元には指先の動きが残した微かな感触がまとわりついていた。
そして、私の脳髄は愚かにも──どうしようもないほどに、九十九を『娘』として認識しているのであった。