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第三話

 環境が人をつくるのか、遺伝子が人をつくるのか。

 人間という不可思議な存在を前に、この問いは何度も繰り返されてきた。

 幾人もの学者たちが、数え切れぬほどの議論を費やし、時代ごとに異なる解答を導き出しては、その度に塗り替えられてきた。

 けれども、いまだにこの問いに対する決定的な答えはない。

 だが、社会はこの問題に対し、一定の方向へ──つまり、環境説へ──誘導するよう舵を切り出した。

 近年、環境説が主流であるかのように語られるのは、単なる学術的な結論ではなく、むしろ社会の倫理的な選択に過ぎなかった。

 遺伝の影響が絶対であるとするならば、人間の可能性は最初から定められたものであり、努力も教育も無意味となってしまう。

 このような考えが、最終的に優生学へと結びつく危険を、人類は本能的に嗅ぎ取ったがために、遺伝説を圧殺することに決めたのだ。そして、環境が人間の本質を決定するのだという幻想を育ててきた。そうすることで、すべての人間に公平な希望を与えることができると信じているかのように。

 だが、これが間違いであることを私は知っている。

 人間の性質とは、生まれ持ったもの──すなわち遺伝子、血統によって決まるのだ。

 環境などという曖昧で移ろいやすいものが、人の本質を変えることなどあり得ない。

 たとえどれほど劣悪な状況に身を置かれようとも、尊い血を引く者はその尊厳を失わないし、逆に、どれだけ恵まれた環境を与えられようと、卑しい血筋の者は卑しいままである。

 現に、()()()()()()()()()()()()()がゆえに、九十九はその高潔な精神を保てている。

 出自自体は下流であるにもかかわらず、まるで貴族であるかのような雰囲気を常に纏っているのが、何よりの証左である。

 たとえ汚泥の中に沈めども、ダイヤモンドがその輝き自体を損なうことがないように、どれだけ劣悪な環境にいようとも、受け継がれた血が尊ければ、その価値を損ねることはない。

 その強固な血筋のおかげで、九十九は芋蟲的属性に染まらずにいるのだ。

 しかし、遺伝説を支持するからといって、環境説の持つ力強さを否定するわけではない。

 この世界に生きる多くの人間は、良くも悪くも周囲の環境に染まっていく。

 生まれ育った家庭、教育、社会的立場──それらによって人格は補填されていき、本体自体は変わらないとしても、肉付けされていくパーツが醜い場合は、その本質を覆い隠すほどの邪悪さへとつながっていく。

 だが、それは私のような凡夫の場合であって、亡き妻や娘のような人間にとっては、無視しても問題のない些末事だった。

 現に、九十九は、私がつくり出した環境に毒されることなく、まるで薄い透明な膜に護られているかの如く、自らを保持できている。そしておそらく、その膜は、妻の血の中に刻まれた尊厳が生み出したものなのだろう。

 また、遺伝説の優位を裏付ける強固な根拠は、私たちの現況を見れば一目瞭然だ。


 私と九十九は、築何十年にもなる古びた県営住宅の一室で暮らしていた。

 四階建ての団地の外壁は、ひび割れたまま修繕されず、ところどころコンクリートが剥がれ落ちている。長年の雨風にさらされたその表面には、黒ずんだ水の跡が筋を描き、夜露に濡れた姿は、この建物の寿命がとうに尽きていることを物語っているかのようだった。

 当然ながらエレベーターなどは設置されておらず、健常者も、高齢者も、障害者も、皆平等に、薄汚れた外階段をのぼらざるを得ない。さらに悪いことに、共用の手すりはすべて錆びつき、軽く触れるだけで赤茶けた粉が手にまとわりつく。

 ここは、住居と呼ぶにはあまりに疲弊していた。

 そして、この場所で暮らす人々もまた、建物と同じように疲れ果て、錆びついていた。

 事実、住人たちは皆一様に陰鬱な顔をしていた。廊下ですれ違う度に、ぼんやりと虚ろな瞳がこちらに向くのだが、そこに感情の色はない。

 彼らは、すでに何かを諦めてしまった人間の顔をしていて、まるで、この先に希望など存在しないのだと、事前に神から告げられているかのようだった。

 そんな場所で、私と九十九は、細々とした暮らしを続けていた。

 私の不安定でか細い収入を頼りに、必要最低限のものだけを揃えた生活。

 家の中には高価な物などひとつもなく、家具と家電は中古品のものばかりだった。

 テーブルの脚はわずかな衝撃でギシギシと軋み、ソファのクッションはへたりきっていて、腰を下ろすたびにスプリングが鈍く音を立てる。照明も薄暗く、接触が悪いのか、蛍光灯は無闇にチカチカと明滅を繰り返す。この部屋の中で最も上等なものは、故障のため仕方なく買い替えた冷蔵庫くらいであり、他は二束三文のモノばかりであった。

 加えて、この部屋は隣接する建物の壁が立ちはだかるせいで、陽当たりが極端に悪かった。

 わずかに差し込むはずの陽光すらも遮られているので、日中でさえ、部屋の中には鈍い闇が漂い、夜になればさらに濃くなった。この暗闇は部屋の隅にいつまでもまとわりつき、じわじわと肌に纏わりつくのだ。

 この閉塞感は、単なる物理的なものではなかった。

 ここに住み始めてから、私は日に日に何かを失っていくような気がしていた。それが何なのかは、はっきりとは分からなかった。ただ、ゆっくりと、確実に、何かが私の内側から削り取られていくのを感じていた。

 私は、この世界を憎んでいた。

 このみすぼらしい現実が心を蝕み、押し潰していくのを理解しながら、それでも抜け出すことが叶わない絶望。

 周囲を見渡せば、どこまでも続く灰色の風景。ここでは、夢や希望といったものは、ただの絵空事に過ぎない。

 そして一番の皮肉は──私のような芋蟲的人間が生息するのには、此処が最適な環境であるということだった。


 しかし、九十九は違った。

 彼女だけは、周囲の陰鬱さに呑み込まれることなく、特別な輝きを宿し続けていた。

 通常であれば、こうした暮らしに嫌気が差してしまい、不満のひとつでもこぼしてしまうはずだが、弱音を聞いたことは一度たりともなかった。ただの一度も、だ。卑屈になることもなく、不満を滲ませることもなく、淡々と日々を過ごしていた。

 それは、劣悪な環境に甘んじることなく、与えられた条件の中で最善を尽くすという、生まれ持った気高さを象徴しているかのようだった。

 実際、九十九は、この世界の陰鬱な空気を少しでも払拭するためなのか、常に室内を清潔に保っていて、ホコリひとつない状態を維持していた。

 また、細かな部分にも気を配り、たとえば、何気なく置かれた小物のひとつひとつにも、彼女なりのこだわりが見られた。殺風景になりがちな空間に、控えめながらも品のある装飾を施すことで、どこか気品のある雰囲気を生み出していた。

 壁にかけられたカレンダーひとつとっても、ありきたりな企業広告のものではなく、落ち着いたデザインのものを選んでいたし、テーブルクロスやカーテンの色にも統一感があった。すべてが高級品ではないにもかかわらず、彼女の手にかかると、不思議と上質な空間に見えてくるのだった。

 それは、服装においても同じだった。

 クローゼットの中には、高価な衣服はひとつとしてなく、どれも安価で、量販店で手に入るようなものばかり。

 しかし、九十九はそれをまるでブランド品のように着こなしていた。

 彼女の持つ立ち居振る舞い、清潔感、そしてわずかな工夫が、服そのものの価値を引き上げているのだろう。シンプルなシャツに安物のスカートを合わせているだけなのに、彼女が着ると、なぜかショーウインドウのマネキンが着用しているような一品物に見えてくる。

 その在り方は、まるで貴族の娘のようだった。

 血筋の尊さは、こうした何気ない日常の振る舞いにこそ現れるのだろう。貧しさに甘んじることなく、けれど無理に虚勢を張るのでもない。ただ静かに、自分のあるべき姿を保ち続ける。

 それが九十九の在り方であり──そして、その在り方こそが、私をみじめにさせるのだ。

 彼女を見ていると、自分の無様さが際立つのを感じた。

 私には、彼女のような気高さはない。

 この劣悪な環境に骨の髄まで染まり、卑屈になり、愚かになり、現実を嘆くことしかできない。

 故に、九十九が気高くあればあるほど、私は低い谷底へと突き落とされる羽目になるのだ。

 嗚呼、なぜ、彼女は堕落してくれないのだろう!

 本来、気を緩めるはずの週末でさえそうだった。

 いつも朝になれば決まった時間に起床し、きちんとした身なりに整え、何をするわけでもなくとも、シャキッとした姿勢を崩さなかった。部屋着のまま、だらしなくテレビを眺めるようなこととは無縁であり、常に自分を磨き続けていた。

 九十九は誇り高く、決して自分の弱さを見せようとはしない。

 彼女にとって、それは恥に等しいのだろう。どれほど辛いことがあっても、それを顔に出すことはなかったし、誰かに頼ることもしなかった。ふと溜め息をつく瞬間すらも、私は見たことがなかった。

 だが、完全ともいえる九十九にも唯一、欠点と呼べるものがある。

 私だ。

 不完全な父親である私の存在こそが、彼女の人生における最大の汚点だった。

 おそらく、私が九十九を憎んでいるのとまったく同じように、九十九も私を憎んでいる。

 その点に確信が持てるのは、彼女が私の存在そのものを透明なもののように扱うからだ。

 私の存在を強く認識しているはずなのに、それを意識の表層に引き上げることすら忌避しているような、意識的な無関心。

 それは、憎悪の最も洗練された形だった。

 互いに憎み合う親子が、同じ屋根の下で暮らしている──その歪さを思うと、笑えてくる。

 憎み合うのならば、いっそ声に出して罵り合えばいいものを、そうはならない。九十九は決して、私を罵倒することはない。むしろ、罵倒してくれた方がどれだけ楽か分からないのに。

 しかし、私を貶めることは、すなわち自らの品位を貶めることにつながると知っているため、何もしない。ただ、冷ややかに、淡々と、私とは違う世界にいることを振る舞いによって示すだけだった。

 その態度が、何より苛ついた。

 私は九十九が憎い。

 だからこそ私は──九十九と血がつながっていないことを伝えずにいるのだ。

 私と血がつながっていないと知れば、彼女は解放されてしまう。私という存在を、堂々と誤った存在として葬り去ることができてしまう。それは、許しがたいことだった。

 なぜなら、私が彼女の血縁者であるという虚偽こそが、彼女を『完全』から遠ざける唯一の要素だからだ。

 どれほど美しくあろうと、どれほど気高くあろうと、どれほど高潔に振る舞おうと、彼女の血の中には私がいる。私という不完全な要素が、彼女を完全にすることを阻んでいる。

 それが、芋蟲的人間である私の唯一の抵抗だった。

 ……わかっている。わかってはいるのだ。

 このまま九十九を縛りつけたところで、何の意味もないことも。

 彼女が私を乗り越え、私という足枷を外し、いつか本当に自由になってしまうことも。

 だが、それでも私は変われない。変わることができない。

 九十九を解放してやることが、偽りの父親である自分に、唯一できる善行なのにもかかわらず。

 私は、彼女の唯一の瑕疵であり続ける。

 誰かの足を引っ張ることでしか自身の存在意義を見出せない、哀れで、惨めな生き物であることは、誰よりも理解している。

 けれど……それでも変わることはできなかった。

 芋蟲的人間には、こうした生き方しか、できないのだ。

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