2-1新たなる街へ
ウモラ教はかなり厳格な宗教であり戒律も厳しかったようだが、外国からもたらされた宗教だ。土着の宗教というわけではなく、近代化と同時に信仰が薄れてしまったようだ。僕は、そんなことを考えながら空港まで向かっていった。
砂漠と緑の大地を電車は走って行く。電車は様々な土地に止まり、数時間後目的のムスティ空港にたどり着いた。砂漠と草原の境界にあるような空港だった。
ムスティ空港の建物の中に入る。冷房が効いていて涼しかった。今は11時だ。大体想定通りの時間についた。飛行機は12時半に出るらしいが、30分以上前に空港内にいなければならない。僕は中にあるフードコートで昼食を探した。中には通貨を旅行先の通貨に替えてくれる施設があった。僕は、所持金を移動先のアスフィラン国の通貨「タル」に変えてもらった。
飛行機に乗ってアスフィランのアカル・ティの空港まで向かう。飛行機内は元いた世界と同じようなものだった。僕は飛行機に乗り、指定の座席に腰掛けた。使われている言語が違うこと以外は元いた世界の飛行機と全く同じだった。
そして飛行機が飛び立つ。窓側なので外の景色を見ることができる。砂漠の街の中に緑が見えるのが綺麗だ。雲の上まで上がり、地面が見えなくなった。飛行機の中ではアスフィラン国で有名な「バルバイマ」というフライドポテトをショウガで味付けしたような独特な食べ物が提供された。アスフィラン国でもお茶の産地として知られるクアンティ産の緑茶が運ばれてくる。独特の風味が存在しているが決してまずいということは無く、どこか懐かしいとさえ感じられる味だった。
数時間後、飛行機が着陸する。アカル・ティ空港に着いたようだ。僕は荷物をとって、パスポートを見せ、空港の外に出た。
空港の外に広がっていたのは、辺り一面に草原が広がっているような土地だった。複雑な構造をしたターミナルから出たのち、列車の駅を探す。ここからさらに東に向かい、Wandaの国に向かえるクワルテ(Kwàr tlé)の町に向かっていくことになる。
この地域では子音と母音記号を組み合わせて1音節を1文字で構成する文字体系が用いられているようだ。子音記号の下や左に母音記号を置くことにより1音節を1文字で表すことができ、必然的に似たような発音を持つ言葉は似たような綴りになるらしい。子音記号を縦や横に2つ連ねることにより二重子音を表すこともできるようだ。
だだっ広い平原の地下には列車が通っているようだが、他の移動手段はないようだ。今は17時。クワルテの町までは乗り換え2回で10時間ほどかかる。終電が20時のようなので、どうしてもその途中のアンミュンの街で一晩を過ごすことになりそうだ。
列車で東方へと向かってゆく。この国では100年ほど前より汽車が走っているようだが近年は電化したようだ。地下鉄なので外の景色が見えないのが残念だ。
電車内では弁当が販売されていた。餃子に野菜と肉が入っている弁当だった。ウーロン茶のようなお茶のペットボトルがついていた。僕は電車内で少し早めの夜ご飯を食べながら、今後の生活に想いを馳せていた。
「あ、ホテル予約しなくちゃ」
途中の途中のアンミュンの町で泊まるべくホテルを検索する。地下ではあり外の電波は届かないようだが、電車内ではインターネットが使えるようだ。僕は、アンミュンの街のホテルを検索した。アンミュンの街の南側のホテルにまだ泊まれる場所があるようだった。
僕はそのホテルを予約した。本当はちゃんと調べてこの世界について把握しなければならないのだろうが、何から調べるべきなのかわからない。最低限生活に必要な情報を得ながらも、とりあえずはバンダの国にたどり着けば良いと伝えられているので、そこを目指して頑張っているところだ。このペースで移動すれば4〜5日以内にはたどり着きそうだ。
色々調べていると、アンミュンの街は城壁都市らしいことがわかった。周り数十km以上を平原に囲まれた街とのことだ。結局土日はアンミュンの街からの列車が出ていないようなので、土日は街を探索したり調べごとをしながら色々考えることに決めた。