5-7 最後の夜
当然、この世界ではハンバーガーはハンバーガーという名称ではないし、サンドイッチもサンドイッチという名称ではない。しかしながら、ハンバーガーやサンドイッチをこの世界の言葉である「セアコルフィン」「ドピール」という名称で書いたとしても理解が困難になるだけだろう。この世界は幸いにも、元いた世界と(少なくとも、表面上は)同じくらいの文明の世界なので、必然的かは不明だが地球と同じような食べ物が多い。ここでは、セアコルフィンを分かりやすさのためにハンバーガーと記している。
「言い出すとキリがないもんね」
ゆーまはそう言った。実際は日本語に翻訳しているだけだろう。やりすぎるとカタカナの単語が羅列した理解できない文章になってしまう。地名や人名は仕方ないが、それ以外の食べ物の名前や一般名詞は日本語に直している。もっとも、見たことがないような食べ物はそのままカタカナになってしまうかもしれないが……。
「オフチョベットしたテフ状態じゃん」
ゆーまはそう言った。
「何それ」
僕の質問に対してゆーまは答えた。
「ちょっと前に何かの番組でエチオピアのインジェラって食べ物の作り方を紹介する際に『オフチョベットしたテフをなんちゃら』っていうのがあって、それが専門用語使い過ぎな例として有名になって」
僕は初めて聞いた。
「そんなのあるんだ」
ゆーまはたまたま見て笑ってしまったようだ。それ以降よくわからないものをよくわからないもので説明するための比喩で使っているらしい。
「元の世界に行って戻ったら見てみようかな」
自分はそう思った。かなり多くの種類のハンバーガーが売っているようだった。そこまでお腹が空いているわけでもないが何か軽く食べたい。僕はセアコルフィン・アッ・アラード(ダブルチーズバーガー)を注文した。ゆーまも同じものを注文していた。
僕たちは同じタイミングで食べ始めた。自分の口に合うハンバーガーだった。
「同じ食べ物でも名前が違うと結構印象変わるよね」
セアコルフィンという名前を聞くと、自分は錠剤をイメージする。あるいはドーパミンのような化学物質をイメージするかもしれない。異世界は異世界の命名規則でものが名付けられているので、元いた世界の直感が通じないのは当然だろう。
「なんとかインという物質多いよね、今思いついたのだとアスコルビン酸みたいな、そのせいかも」
ゆーまはそういった。自分は彼の言葉に納得する。僕たちは食べ終わるとトレーを所定の位置に戻しハンバーガーショップからホテルまで戻って行った。
自分の部屋の前でゆーまと解散した。自分の部屋に入ると急激に眠くなった。僕はベッドに横になり眠ってしまった。
気がつくと空が暗くなっている。もう17時らしい。変な夢を見ていた記憶があるが覚えてない。ただ、全身に汗をかいていた。とりあえず水を飲んだ僕は、このあとどうするかぼーっと考えていた。
「起きた?」
ゆーまは起こしに来てくれた。もうすぐ飲み的なものの時間らしい。僕は頑張って起きて、その店まで向かうことにした。
「ここか」
ゆーまはその店の前まで向かってくれた。サジの国の文字でWANDAと看板に大きく書いてある居酒屋だった。
「2名様でご予約の伊藤様でよろしかったでしょうか」
店員はそういって僕たちを席まで導いてくれた。タブレットで注文できる仕組みになっているようだ。
異世界の文字と言ってもそこまで異世界を思わせるような文字ではない。アルファベットに似た文字体系だ。この世界の言語の知識がなくても読めそうで読めないなのが違う世界感を感じるという人もいるかもしれない。とりあえず僕たちはビールと唐揚げを頼むことにした。
注文して3分程度でビールと無料の枝豆がきた。僕たちは乾杯して一口めのビールを飲んだ。苦い。自分は頑張って最後まで飲み切った。
「よく飲めるね」
ゆーまは平気な顔をして飲酒していた。自分は、彼をすごいと思ってしまった。注文した食べ物が来るまでの間、僕はゆーまが話すのを聞いていた。
「この世界も今日で最後だよ」
僕はなぜか寂しくなった。帰りたいと思っていたのにこの世界が恋しくなっていたのかもしれない。ゆーまもそんな話ぶりだった。
「元の世界に戻りたいと思っていても、どこか寂しい気持ちがある」
ゆーまはそういった。自分もそう思っているところはあるかもしれない。
「元の世界に戻った後、またこの世界に来れたらいいね」
自分はそう言った。2杯目のアルコール(レモンサワー)が届く。自分はそれを飲んだ。そして注文していた唐揚げのようなものがくる。僕はそれを食べながらゆーまの話を聞いていた。
「私ね、元の世界に戻ってまた会えたら伝えたいことがあるんだよね」
ゆーまはそう言った。何かと聞いてみたが元の世界に戻ってからにしたいと言っていたので深掘りしないことにした。
「おけ、また会いたいね」
元の世界でも再び会いたいという想いが芽生えた。
ゆーまに酔いが回ってきたようだ。自分はそこまで気持ち悪くなってはいない。ゆーまは話した。
「世界って誰かの想像でできてたりしてね」
突拍子のない話のようにも聞こえるが、突拍子もない今までの経験を踏まえるとなんでもあり得る気がしてくる。
「なんかのフィクションでこの世界自体が誰かのシミュレーションだったみたいな話も聞くし、今だったら信じられる気もしてくる」
この9日間で世界に対する見方が変わったのは間違いない。自分は目の前にあるものを食べながら、思いを馳せた。
「シミュレーション仮説か」
自分はゆーまの話を聞いていた。この世界も誰かがシミュレーションしているかもしれないし、その誰かも誰かによってシミュレーションされているかもしれない。この世界も誰かをシミュレーションしている可能性もある。終わりのないマトリョーシカ的な構造が自分の脳内に浮かんだ。
「正直、どんな現実を突きつけられても受け入れられる自信がある」
ゆーまはそう言った。自分もそう思える気がしてくる。少なくとも、この世界がこの世界として存在していることを受け入れられる気がした。
自分は3杯目も同じレモンサワーを頼んだ。ゆーまも同じものを頼んだようだ。僕は笑いながらアルコールを飲んだ。




