5-3 道はまだ続く
「でもどっちの話もあってね、降りて正解だったという例もあれば降りなくて正解だったというパターンもあるんだって。不正解のパターンがないのは時空に飲み込まれてるってことなのかもね」
どうやら直感的に正しいと思える方を選択しろということらしい。僕は、わかった、と返した。
「異世界とかの駅の話って怖いよね、不気味で」
古来から人は閉鎖空間に異形といったものを見出すらしい。エレベーターで異世界に行く話だとか、電車やバスに乗っていたら知らない世界に来ていたという話があるが、これらに共通する点は「(目的の場所に着くまでは)外に出られない」ということである。そう考えると、自分がこの世界に来たというのはそれとは違うように感じる。
いずれにせよ、いくら考えたところで自分がこの世界に来た本当の理由などわからないだろう。もしかしたら深い意味などないただの物理現象なのかもしれない。
「きさらぎ駅の話って韓国にもあるらしくて、具体的には忘れたけどフッコウェだっけ?って駅に迷い込んだとかいう話だったかな。ただフッコウェって韓国語的には意味がある言葉じゃないらしくて、かなり不気味だって」
後から知ったことだが綴りは후꼬외らしい。調べた感じ現代のハングルでは「フッコウェ」のような発音とのことだが、体験者によると、英語ではHukkoyø、カタカナ表記は「フッコイィ」で、漢字表記は覚えていないとのことだった。奇跡的に次駅の플럿제 랴시(プロッチェ・リャシ: Flattse Lyasi)もハングルと英語表記だけ覚えていたようだったが、これも特に意味のある言葉ではなさそうだった。前の駅は覚えていなかったようだ。
日本語で言うと「アドウリ駅」だとか「マルテ・カライ駅」のような意味のない駅名になるのだろう。それはそれで怖く不気味だ。
「実話なのかは不明だけどね。彼は電車から降りてはいけないと思ってそのまま電車に乗ってたらしいんだけど、電車内にいた老人が『ここに来ちゃダメだよ(여기 오면 안 돼)』的なこと言って気づいたら普通の電車に戻ってたらしい」
よくある筋書きの話だが、この筋書きであっても元の話を考えた人はいるものなのだろう。元の人はもしかしたら実際に体験した(と、少なくとも本人は本気で思っている)のかもしれない。
僕は遠くに見える建物をぼーっと眺めながら元いた世界について思いを馳せた。
「でもさ、あと3日なわけだし、考えたところでって感じだろうから、3日間でどこか観光でもしてみない? できることあるかわからないけど」
ゆーまは話す。確かにこの間に何かしておくべきことがないのであれば観光も楽しそうだ。
「最後の日の前日の夜に飲みとかしたいと思ってる」
彼はそう言った。彼も僕もこの世界に来る前の段階で20歳以上であるが、この国では19歳以上でお酒が飲めるようだ。ゆーまは4月生まれらしい。僕はこの世界に来る3日ほど前に20歳になった。日本の法律的にもサジの国の法律的にも問題はない。この国ではトピスイ教という宗教が主に信仰されているが、飲酒についての規定は法律上はないようだ。自分は少し楽しみだった。
「僕、誕生日にレモンサワー飲んで以来何も飲んでないんだよね。そこまで酔うって程は飲んでないけど」
彼に話す。彼は割とお酒が強い方だと思うとのことだ。1度高校の人と飲み会をしたとき周りから引かれるほど飲んでも平気だったらしい。自分は彼が少し羨ましくなっていた。
僕は横に座っているゆーまの横顔を眺め、その後ぼーっと青空を眺めて思いを馳せた。
「好きなお酒ってある?」
自分はゆーまに聞いてみる。彼は、やっぱりサワー系が好きだと言っていた。ただビールやワインも飲むとのことだ。
「ビール飲めるの?」
ビールは誕生日に買って飲んだ記憶があるが、あまり美味しくなかった。レモンサワーは飲んだがあれは美味しかった。
「この世界にもビールってあるのかな」
自分は調べてみる。存在はしているが、当然ビールという名前ではない。飲み方や製法も同じようだった。とうもろこしのような穀物からできるパルパルというお酒もあるようだ。
「とうもろこしのお酒って聞いたことないな」
そういえば自分も聞いたことがない。もちろん全く詳しくないので、ただ自分の知識がないだけだろう。この世界も言葉が違うだけで元いた世界と同じような日常が送られているのだろう。
文化水準が近い異世界だと異世界に来たという実感があまり湧かない。ファンタジーの世界ではないし、進んだ世界でも遅れている世界でもない。この世界に住んでみても、元いた世界と同じ感覚でなんとかなりそうだと思えてしまう。
元いた世界が嫌になるような経験をしていればこっちの世界に止まることを選択するだろう。しかし自分はそう言った経験をしていない。元の世界に戻れるのであれば戻りたいが、たまにこっちの世界を観光に来てみたいなとも思える世界だ。
ゆーまもそう思っているようだ。ただ、家族や友人を悲しませたくない。そういう理由で元の世界に戻りたいとのことだった。僕は、彼の考え方に納得した。
僕は空を仰ぎ、思いにふけることにした。
「この辺に居酒屋さんみたいな場所ってあるのかな」
ゆーまは呟く。僕は、探してみることにした。残り3日ということもあり、最後の日はお酒を飲んでみたい。自分もゆーまもそう思っているようだ。
「あるみたい」
彼女はそういって調べてくれた。ティバルバ・アタルという店らしい。
「元の世界に戻る前にやっちゃいけないことってないよね?」
僕はふと気になる。井上さんの場所に戻り確認したところ、特に気をつけなければいけないことはないといっていた。飲酒や食事といった行動で戻れなくなることはないとのことだ。僕たちは、わかりました、といって公園まで戻った。




