山の魔女
昔々、アーブローディ北部のルクドという小さな王国の山奥に、1人の魔女が住んでいました。
激しい雨が降るある夜のこと、魔女の家に1人の若い婦人がやってきました。
「お願いです、坊やを助けてください」
婦人が差し出したのは、白い布に包まれた小さな赤ん坊でした。
山の魔女はすぐに、赤ん坊がもう死んでいることに気付きました。
母親が言いました。
「山の魔女様は優れたお医者様と――」
「たしかに、やってやれんことはないがね」
魔女が強い口調で母親の話を遮りました。
「死者の蘇生は制約が多い。あんたはこの子のために、一生を棒に振らなくちゃならなくなる」
「何でもします! お願いです、坊やを!」
母親は必死に訴えますが、魔女は冷淡です。
「みんな最初はそう言うんだ。目の前のことで頭がいっぱいになってるからね。でも、何年かすると揃って後悔する。生き返った死者を、自分の手で殺したくなるのさ」
「そのようなことは決してありません! 私は坊やを心の底から愛しているのです! 坊やが生き返るなら、どんな困難も苦ではありません! お願いです、どうか……!」
母親は大声で泣き始めました。
「警告はしたからね」
いつものことなので、魔女は諦めました。
死者の蘇生はとても珍しい魔法ですが、この世界のあらゆる魔法と同じように、魔力と術式の組み合わせで成り立っています。
この時代のこの世界では、魔力は生命にあまねく存在する生命エネルギーがとる特殊な形態と考えられていました。
魔法の使いすぎで人間が死ぬことはめったにありませんが、死者に生命エネルギーがないことは確かなので、死者の蘇生のためには生命エネルギーを生者から分けてもらう必要があります。
つまり、死者を生き返らせるのにも、生き続けさせるのにも、膨大な魔力を必要とするのでした。
「あたしの魔法は、赤ん坊に生命エネルギーを移し替えることで、あんたの命を蝕む」
山の魔女が母親にそう言ったのは、すでに赤ん坊を生き返らせた後でした。
赤ん坊は人並みの体温を放ちながら、母親の腕の中で静かに寝息を立てています。
母親は恍惚とした顔で、一心に赤ん坊を見つめていました。
魔女は自分の話がまじめに聞かれていないことを知りつつ、説明を続けました。
「生命エネルギーは普通に生きていて移動するものじゃない。あんたにもこの子にも、この魔石を呑み込んでもらう必要がある」
魔女はそう言って、2つの小さな赤い石を見せました。
母親はすぐに手を伸ばしましたが、魔女は手を引っ込めました。
「まあ、聴きな。魔石は体に根を張って、あんたの生命エネルギーを魔力に変換し、この子に移った魔力を生命エネルギーに再変換する。その間、あんたの命は削られ続ける。
寿命は短くなり、病気に罹りやすくなり、老けるのが早くなる。
それから、死者は生き返っても死にやすいから、生命エネルギーを補充するために、なるべくずっと触れ合っておかないといけない。
昼に離れるのは構わないが、夜は必ず添い寝をしな。1晩でもサボったら、この子の命はない」
「ええ、必ずそうします。魔女様、ありがとうございます」
話を聞いているのか聞いていないのか、母親は迷いなく魔石を受け取って、すぐに1つを呑み込み、もう1つを赤ん坊に呑ませました。
「ああ、私の可愛い坊や、今度こそ元気に育ってね」
翌朝、母親は町に帰っていきました。
父親とその両親は、母親が赤ん坊のことで錯乱して野垂れ死にした可能性も考えていたので、彼女が生き返った赤ん坊を抱えて帰ってきたことにとても驚きました。
町の人々は不気味だと陰口しましたが、父親は喜ぶ妻と元気な我が子を見て、ひとまず自分も喜ぶことにしました。
その後、母親は魔女に言われた通り、赤ん坊となるべく多く触れあい、夜にはいつも同じ布団で眠りました。
その甲斐あって、息子は他の子供たちと同じように育っていきました。
息子が3歳のとき、父親が家に帰らない日が出てきました。
母親は夫が他の女性に心変わりしたことを悟り、ひどく悲しみました。
(でも、仕方ないのかもしれない)
晩御飯の支度をする最中、涙を拭きながら、母親は思いました。
(私はずっと子供中心の生活で、彼のことは二の次だもの。それに、この子を生かし続けるために、私は日々老いさらばえていく。彼がもっと若々しい娘と、もっと健康な子供を望むのは、仕方ないことよ)
そう思いながらも、母親の目からはさらにさめざめと涙が流れるのでした。
間もなく、父親の不倫相手が妊娠して、母親は嫁ぎ先だった家を追い出されました。
母親は仕方なく実家に帰りましたが、そこにはすでに兄夫婦が住んでいたため、肩身の狭い生活を強いられました。
死んだ子をいつも抱いている母親ということで、近隣の村人たちの目も冷たいものでした。
息子が5歳の誕生日を迎えたとき、母親は息子に、彼が一度死んだことも含めて、事情を説明しました。
息子はその事情をすなおに聞き、それからも母親と添い寝することを受け入れました。
そうしないと死んでしまうと言われたのですから、当然です。
母親と息子がずっと添い寝をし続けることは、もちろん他の村人や子供たちには秘密でしたが、実父が不倫相手に愚痴を言ったことがきっかけで、その噂はじわじわと広まっていました。
それでも息子が幼い頃は深刻な問題になりませんでしたが、息子が13歳ともなると、そうもいかなくなってきました。
当時のルクド王国で13歳と言えば、もう結婚相手が決まってもおかしくない年頃です。
息子自身、同じ年頃の女の子たちに興味を持ち始めていて、自分がいつまでも母親と添い寝を続けていることを恥ずかしく思うようになっていました。
(きっと僕が一度死んだっていうのは嘘で、お母さんが子離れできないだけなんだ。お父さんと事実上離婚しているお母さんにとって、僕だけが心の支えなんだろう)
と、息子は自分に都合の良いことを考えました。
(でも、僕だっていつまでもお母さんと一緒に寝ているわけにはいかない。お母さんがそのつもりじゃなくても、親離れしないと)
ある夜、息子は母親の腕から抜け出し、家の床で眠りました。
母親はそんな時が来ることをずっと恐れていたので、すぐそれに気付いて、息子が再び眠った頃を見計らって、その隣で眠りました。
翌朝、母親は息子を叱りました。
「坊や、昔から何度も言い聞かせているでしょう、あなたは毎晩私と添い寝をしないと死んでしまうの。赤ん坊のあなたを生き返らせてくれた山の魔女様が、そう言いなすったのよ。今後は二度と、勝手に寝床を抜け出すことはしないでちょうだい」
「……分かりました、お母さん」
母親がすごい剣幕なので、息子はひとまずそう言いましたが、内心では納得していませんでした。
息子はその後も、夜ごとに母親の腕を抜け出しました。
母親は息子の気持ちを慮って、いちいち叱ることはしませんでしたが、いつも夜中に起き出して息子の傍で眠り、息子よりも早く目覚めることで、息子の自尊心を守りました。
しかし、何も知らない息子は、何日も母のベッドを抜け出しても自分が死なないことから、母親が自分に嘘をついていたのだと判断しました。
収穫祭の夜、息子は一度家に帰ってから、改めて母親にお酒を勧めました。
母親は息子のためにお酒を飲まないと決めており、このときもすげなく断りましたが、お祭りの後で疲れていました。
「さあ、坊や、今夜も一緒に寝ましょう。そうでないとお前は死んでしまうんだからね」
「うん、そうだね」
「愛してるわ、私の可愛い坊や」
「僕もだよ、お母さん」
母親は浅い眠りに就きました。
息子は余り物のお酒を母親に飲ませました。
肩をゆすっても母親が起きないのを確認して、息子は家を出ました。
町に戻った息子は、収穫祭を終えた友人たちと再び合流し、若者だけの祝宴を楽しみました。
「あら、今夜は出てきて大丈夫なの?」
「君こそ、女の子がこんな時間に外出していて大丈夫なのかい?」
「大丈夫じゃないけど、お嫁に行ったら万が一にも、こんなふうには遊べないわ」
「違いない」
彼らは酒を飲み、歌を歌い、魅力を感じた異性と踊りました。
それは文字通り我を忘れるような時間でした。
息子もこの機会に、意中の女の子とお近づきになろうと頑張りました。
結局、一晩かかっても二人きりになることはできませんでしたが、彼女とおしゃべりして、彼女の笑顔を見るだけで、息子は充分幸せな気持ちになるのでした。
やがて東の空が白み、若者たちは解散しました。
目を覚ました母親は家中を探し、町中を探して、ようやく息子を見つけました。
息子は道に倒れていました。
母親は急いで彼に駆け寄りました。
ですが、その手が触れる前に、息子の体は灰になり、崩れ去ってしまいました。
母親は人目も憚らず、声を抑えるのも忘れて泣きました。
町の人々は、灰の山を前に泣き叫ぶ母親を見て、とうとう錯乱したのだと迷惑がりました。
数日後、息子の遺灰を持った母親が、再び山の魔女を訪ねました。
「もう一度死んじまったのか」
母親の顔を一目見るなり、山の魔女は残念そうに言いました。
「あれから十数年かね?」
「13歳でした」
「そうかい。……で、ここに来たからには、あたしに何か言いに来たんだね?」
「ええ、ケジメをつけたくて」
「何だい、あたしを殺そうってのかい?」
今までにも何度かそういうことがあったので、山の魔女は渋い顔をしました。
しかし、母親は首を横に振りました。
「いえ、私の個人的なケジメです」
そう言って、母親は背筋を伸ばしました。
「たしかにこの13年間、つらいことが色々ありました。
生き返らせていただいた息子を突然失った悲しみも、生涯癒えることではないでしょう。
ですが、息子と過ごした日々は本当に幸せで、何物にも代えがたいものでした。
魔女様、本当にありがとうございました」
母親に深々と頭を下げられて、魔女はただ呆気にとられるばかりでした。
<山の魔女、完>




