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9. 告白

 追手を避けるために王都から離れた国境付近から始めた聖女の力による癒しは、順調に進んでいた。


 長期にわたる日照りで深くひび割れていた大地は、豊かな実りをもたらす緑の大地へと変わっていった。涸れかけていた湖や川は溢れるほどの水をたたえ、活きのいい魚が飛び跳ねている。


 聖女が現れたという噂は国中を駆け抜け、癒しを終えた土地の住民は聖女を称えて恵みにあずかり、まだ聖女が現れない土地の住民は祈るようにしてその訪れを待っていた。


 アルブレヒトはこれだけ派手に癒しを行えば、その噂が城にいるヴュルテン国王の耳に届くのも時間の問題だと覚悟していた。いつ王が差し向けた兵が自分達を捕えに来てもおかしくない。けれど、すべての癒しを終えるまでは止める訳にはいかない。


 周囲を警戒して身を潜めながら、シャルロッテとアルブレヒトは王都に向かって少しずつ移動していた。しかしシャルロッテが襲われかけた時以降は、不思議とヴュルテンの兵士に遭遇することは無かった。

 それを不気味に思いながらも、どうにか二人は誰にも邪魔されることもなく癒しを続けることが出来た。


 攻め滅ぼされたとはいえ、まだチェスライヒ王国は国土を完全に隣国ヴュルテンに掌握されたわけではなかった。それを知っていたからアルブレヒトは危険な王都を後回しにして、戦の傷跡もほとんどないヴュルテンからは反対側の国境付近から癒しを始めたのだった。


 そして今は王都がもう目の前に迫り、二人の癒しの旅もそろそろ終わりを迎えようとしていた。




 

 少しずつ辺りが夕陽で赤く染まりかけた頃。

 癒しを終えてまだ目覚める気配のないシャルロッテを膝に抱えて、アルブレヒトは焚火の前に座っていた。


 ぱちっぱちっという木のはぜる音を聞きながら、視線をシャルロッテに落としたアルブレヒトが寂し気に呟く。


「あとどれくらいこうしていられるのか。……シャルロッテ」


 ひんやりと冷たくなってきた外気に当たらないように、シャルロッテの体を包んでいる毛布を軽く引っ張って包みなおしていると、静かにシャルロッテが目を開けた。


 寝惚けながら毛布の隙間から手を伸ばして自分の頬に触れようとするシャルロッテの手をアルブレヒトが掴んだ。

 シャルロッテがその手をぎゅっと握ると、アルブレヒトも同じように握り返した。


 あれほどシャルロッテに対して冷たく素っ気なかったアルブレヒトは、王都が近づくにつれて時折だが、優しい素振りを見せるようになっていた。


 それが、癒しの旅が終わりに近づいたことをアルブレヒトも名残惜しいと思っているからなのかどうか、シャルロッテには分からなかった。


 シャルロッテが分かっているのは、癒しの旅が終わってもアルブレヒトと一緒にいたいという自分の気持ちだけだった。


 癒しが終わったら、アルブレヒトとはもうお別れなの?

 離れたくない。ずっと一緒にいたい。

 妹としてなら、それなら一緒にいられるの?


 温かい大きな手を握りながら、シャルロッテは目の前の紫の瞳を見上げた。




 やがて、その日が来た。


 ここしばらくは、王都近くで半日から一日近くも眠り続けるのは危険とアルブレヒトが判断して、なるべく狭い範囲で癒しを行い、シャルロッテの意識を保ったまま移動するようにしていた。


 そして今、城壁がすぐそこの眼下に広がる森の中に、すべての国土の癒しを終えたシャルロッテとアルブレヒトが立っている。


 最初の頃は癒しを終えた後は丸一日眠り続けていたシャルロッテは、今では癒しにもすっかり慣れて、アルブレヒトの手を借りることなく自分の足で立っていた。


 アルブレヒトは、城を囲む城壁の向こうに見える緑の光景を眩しそうに目を細めながら見ていた。

 シャルロッテがその横に並んで同じ光景を眺めていると、しばらくしてその横顔に視線を落としたアルブレヒトが静かに口を開いた。


「お前はもう自由だ。どこへでも好きな所へ行って、自由に生きるといい」


 呆然として自分を見上げるシャルロッテに、アルブレヒトが言葉を続ける。


「お前は聖女としての役目を果たした。これからは自分の人生を生きろ」


 シャルロッテは、覚悟はしていたつもりだった。

 癒しを終えたら、自分はもう必要ないと突き放されると。

 それでも実際にアルブレヒトの口からその言葉を言われると、心が引き裂かれるようにつらい。


「……あなたは、……どうするの?」


 すがるような目を自分に向けるシャルロッテに、アルブレヒトは何も答えずに眉根を寄せて瞼を閉じた。


 しばらくして覚悟を決めたように目を開けたアルブレヒトは、数歩後ろに下がって腰に下げていた剣を鞘から引き抜いた。

 そして戸惑うシャルロッテの前にその剣を置くと、片膝を地につけて跪いた。


「どうか、私のこれまでの非礼をお許しください」


 目をぱちぱちとしながら呆気に取られているシャルロッテを見上げて、アルブレヒトはさらに言葉を続けた。


「あなたが聖女の力を失ったのも、この国が飢えに苦しみ滅びたのも、すべて私のせいです」


 困惑したような表情を浮かべるシャルロッテの前に、アルブレヒトは静かに頭を垂れた。


「どうぞ、あなたの手で私を殺して下さい」





 それは、十年程前のことだった。


 まだ十歳だったアルブレヒトは、妹のリーゼと一緒に湖に遊びに来ていた。

 夏の強い日差しにうんざりして、水辺に涼みに来たのだった。


「ねえ、お兄ちゃん。お母さんが自分達だけで湖に行っちゃダメって言っていたでしょ」

「平気さ」

「ダメだよ」

「じゃあ、お前は一人で帰ればいい」


 アルブレヒトは引き留めようとする妹の手を払い、湖の中にじゃぶじゃぶと入って行った。そして水位がお腹の辺りまで来たところで水に飛び込み、気持ちよく背泳ぎで泳ぎ出した。


 ちらりと水際にいるリーゼに視線を送ると、水に入りたそうにむずむずしているのが見える。


「お前も来いよ!」

「うんっ!」


 嬉しそうに声を上げてリーゼが水に入ってきた。

 じりじりと焼けるように強い日差しの中、冷たい湖は気持ちが良かった。


 しばらくリーゼと楽しく泳いでいるうちに風が吹きだした。

 そろそろ水から上がろうと言いかけたアルブレヒトは、リーゼの姿が見当たらないことに気づいた。


「リーゼ?」

「お兄ちゃんっ!」


 その叫び声に驚いて振り返ると、波に攫われたリーゼがはるか遠くに見える。


「リーゼ!!」


 アルブレヒトが妹を助けようと必死に手足を動かすが、次第に高くなった波に遮られて前へ進めない。

 波間に見える妹の姿に何度手を伸ばしても届かずに、とうとうアルブレヒトは波に岸へと追いやられてしまった。


「リーゼ!」


 それでもアルブレヒトが立ち上がって再び湖に入って行こうとすると、どこからか幼い少女が駆けてきた。


 見るからに高貴な身なりのその少女は、自分のドレスが濡れるのも気にせずに水際にしゃがみ込んだ。そして、その少女の手が水に触れた瞬間、金色の光が現れて水面を走っていく。


 やがて金色の光に包まれた湖が、真っ二つに割れた。

 湖の水が水位を保ったまま真ん中で左右に分かれて、その間に道が出来た。


 アルブレヒトがあんぐりと口を開けていると、少女が苦しそうに顔を歪めながら呟いた。


「……急、いで」


 その言葉で我に返ったアルブレヒトが、湖の中に現れた道を慌てて駆けて行く。そして道にぐったりと倒れていたリーゼを助け起こすと、そのまま抱きかかえて水際へ走って戻って来た。


 アルブレヒトとリーゼが無事に戻って来たのを見届けた少女は、ほっとしたように微笑むと、その場にふらっと倒れた。

 その少女が意識を失って倒れるのと、二つに割れていた湖が元の姿に戻るのは同時だった。


 アルブレヒトがリーゼを腕に抱えて、呆然としながら倒れた少女と元に戻った湖とを交互に見ていると、血相を変えた女性がこちらへ向かって走ってきた。


「きゃああっ! 姫様っ! シャルロッテ様っ!」


 アルブレヒトは、この時初めて目の前に倒れているのがシャルロッテ王女だと知った。そして、この王女こそが聖女だと悟ったのだった。


 城に戻ったシャルロッテ王女は、そのまま一月以上も眠り続けた。そして目覚めた時にはすっかり虚弱になっていて、城の外に出ることさえ出来なくなってしまっていた。


 この国に雨が降らなくなったのは、それからしばらくしてからだった。

 作物の立ち枯れが目立つようになり、どうにか収穫の時期を迎えても獲れる量は次第に減っていった。


 雨を待ち続けた民は、やがて言い伝えの聖女を待つようになった。

 聖女が現れて、雨を降らせてくれる。自分達を助けてくれる。


 まるで合言葉のように、民は顔を合わせればどちらともなく聖女の話を始めた。そんな大人たちの会話を避けるように、アルブレヒトは部屋の隅で震えながら耳を塞いでいた。

 アルブレヒトは、聖女が誰なのか知っていた。

 そして、その力がすでに失われたことも。


 聖女の力は、体ではなく、その魂に宿る。

 けれど、一度にあまりにも大きな力を使い過ぎると、体を損ねて二度とその力を使えなくなってしまう。

 かつて聖女に会ったことがあるという村の長老が、前にそう話していた。


 ……あの王女は、あんなに小さな体で湖を真っ二つにした。


 アルブレヒトは、自分のしでかしたことの代償にがたがたと震えていた。




 忘れた頃に降っていた雨は、やがてまったく降らなくなった。

 作物は枯れ、地面はひび割れていった。湖や川の水位も目に見えて下がっていった。

 民は飢え、国力は衰え、それを好機と見た隣国に一気に攻め滅ぼされた。


 そして、捕らえられた国王一家が明日処刑されるという日。

 アルブレヒトは、机の上に置いてある小瓶をじっと見ていた。


 このまま聖女であるシャルロッテ王女が処刑されるのを、黙って見ているわけにはいかない。

 例えその体が失われても魂を残すことが出来れば、聖女の力は失われずに済む。飢えに苦しむ民を救うことが出来る。


「……体を入れ替えることが出来れば」


 小瓶を見ながら呟くアルブレヒトの後ろから、凛とした声が響いた。


「わたしがやるわ」

「……リーゼ」


 小瓶を手に取ったリーゼはアルブレヒトを見上げて微笑んだ。


「聖女は乙女じゃないといけないのよ。お兄ちゃんには無理よ」

「リーゼ、お前……」

「知っていたわ。あの時、金色の光に包まれたのをかすかに覚えてる」

「……そんなことをしたらお前が……」

「お父さんとお母さんの所へ行くと思えば平気よ。そのかわり、お兄ちゃんを一人にしてしまうけど。……許してね」





 アルブレヒトは、シャルロッテの前で項垂れていた。

 シャルロッテは呆然としながらその話を聞いていた。


「……私があなたと入れ替わりたかった。本来ならそうすべきだった。だが男の私では代わりは出来ない。だから妹が身代わりになった。……私はたった一人の妹を死なせてしまった」


 アルブレヒトは苦しそうに眉根を寄せて、膝に乗せていた手を握りしめた。


「最初から、すべてを終えたら死ぬつもりでした。私のしたことは万死に値する。どうか、あなたの手で私を殺して下さい」


 懇願するようにアルブレヒトがシャルロッテの瞳を見た。

 まだ頭の整理が出来ずに動揺しているシャルロッテは、すがるようなアルブレヒトの瞳にたじろいで一歩、また一歩と後ろずさってしまう。


「……出来ないわ、そんなこと。わたしに出来るはずがない……」

「どうか」

「……嫌よ、……無理よ」


 アルブレヒトの声を遮るように自分の両耳を塞いだシャルロッテは、顔を強張らせながら震えていた。


 そこへ突然、静寂を切り裂くような声が響いた。


「いたぞ! あそこだ! 聖女を捕らえろ!」


 いきなり現れて次から次に周囲を取り囲む多数の兵士に驚くシャルロッテの前に、剣を手に取ったアルブレヒトが立って彼女をその背に匿った。


 シャルロッテを奪い取ろうと襲いかかる兵士を、アルブレヒトがその剣でなぎ倒し払いのける。

 アルブレヒトはどうにかしてシャルロッテを逃がすための退路を開こうとするが、あまりにも多勢に無勢で最後には弓矢隊に囲まれて、とうとう二人は捕らわれてしまった。


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