8. 妹でもいいから
アルブレヒトは眠るシャルロッテを抱きかかえて、焚火の前に座っていた。
聖女の力を使った国土の癒しに、シャルロッテも少しずつ慣れて加減が出来るようになってきたとはいえ、それでもやはり目覚めるまでは不安だった。
いつ目覚めるか分からないシャルロッテを、アルブレヒトはずっとその腕に抱えて待っていた。
辺りが少しずつ暗くなってきた頃、やっとシャルロッテが目を覚ました。
ゆっくりと瞼を開けたシャルロッテが、目の前にあるアルブレヒトの顔を見て嬉しそうに微笑んだ。そして、そっと手を伸ばしてその頬に触れる。
アルブレヒトは思わず息を呑んで、自分の頬に触れながら微笑むシャルロッテを見返した。じっと自分の目を見つめるシャルロッテに、アルブレヒトは困惑したように瞳を揺らしていたが、やがて静かにその目を伏せた。
「アルブレヒト?」
「……あまり、無茶をするな」
少しずつ意識が定まってきたシャルロッテが体を起こしながらアルブレヒトに笑いかけた。
「心配をかけてごめんなさい。でも大丈夫よ」
「お前の心配をしているわけじゃない」
「え?」
いつもとどこか違うアルブレヒトの口調に戸惑いながら、シャルロッテが紫の瞳を覗き込む。
「それはリーゼの体だ」
冷たく自分を見下ろすアルブレヒトに、シャルロッテは一瞬言葉を失った。
「……あ、……ごめんなさい……」
それ以上口を開かず、自分の方を見ようともしないアルブレヒトのどこか頑なな態度に不安を感じたシャルロッテが、たまりかねて躊躇いがちに尋ねた。
「……あなたにとってわたしは、……リーゼなの? それとも、……シャルロッテなの?」
「言うまでもないだろう」
「そう、ね。でも、……わたしは、……リーゼじゃないわ」
シャルロッテは力なく項垂れて唇を噛んだ。
そんな彼女に追い打ちをかけるようにアルブレヒトが言い放つ。
「俺にとってはたった一人の大切な妹だ」
自分を切り捨てるような冷たい言葉に、シャルロッテは打ちひしがれた。
アルブレヒトのたった一人の妹は、自分の身代わりになって処刑された。自分のせいでアルブレヒトは大切な妹を失ってしまった。
もしかして、自分はアルブレヒトに恨まれているのだろうか。
それとも、何をしても「妹の体」としか見てはもらえないのだろうか。
冷たく顔を背けるアルブレヒトの横顔を見ながら、シャルロッテの目からぽろぽろと涙が零れた。
アルブレヒトはシャルロッテから視線を背けたまま、腕に抱えていた彼女を降ろした。そして、そこから立ち上がると彼女に背を向けて歩き出した。
そんなアルブレヒトの後姿を見ながら涙を零していたシャルロッテは、やがて彼に背を向けて毛布にくるまって横になった。頭から毛布を被り、アルブレヒトに気づかれないように声を殺して泣き出した。
シャルロッテに背を向けていたアルブレヒトは、かすかに聞こえてくる彼女の嗚咽に足を止めて振り返った。けれどアルブレヒトは、小さく体を丸めて泣いているシャルロッテを、ただ唇を噛みながら見ていることしか出来なかった。
それ以降、シャルロッテは自分からアルブレヒトに話しかけることをやめた。アルブレヒトの方も敢えて彼女に声をかけずに無言でとおしていた。
食事の時も、移動の時も、二人は一言も言葉を交わさなかった。
シャルロッテには多少後ろ髪を引かれる気持ちはあったが、それでもアルブレヒトに再びあの冷たい目で見られることが怖かった。
下手に近づいて、また傷つくことが怖かった。
いつもなら癒しを終えた後の体を休めるための数日間は、アルブレヒトとゆっくり過ごせる大切な時間だった。けれど、今は同じ空間にいることが気まずく、続く無言がつらい。
アルブレヒトが馬の世話をしている間に、シャルロッテはその気まずさから逃げるようにそこを離れた。
体力も戻ったし、少しくらいなら近くを歩いても大丈夫だろうと、その場にアルブレヒトを残してぶらりと散歩に出た。
そういえば移動はいつも馬で、こんな風にのんびりと歩き回ることなんてなかったと、首筋を抜けていく風を心地よく感じながらシャルロッテは歩いていた。
そこはひっそりと静まり返って、通りを出歩く者は誰もいなかった。
石造りの家々は扉を締め切り、生活音さえ聞こえない。ただ風が時折、小石を転がし、扉をカタカタと揺らすだけだった。
シャルロッテが通りの角を曲がると、ばったりと隣国の兵士数人と出くわした。
自分よりもはるかに体が大きく気の荒そうな男達に、恐怖を感じて身を竦めながらも、シャルロッテはどうにか彼らと目線を合わさずに横を通り過ぎようとした。
「待て」
そのうちの一人がシャルロッテの腕を掴んだ。びくっと体を固くしながらシャルロッテが振り返ると、下卑た笑いを浮かべた兵士たちが彼女の顔を覗き込んだ。
「この国には骨の浮き出た女しかいないと思っていたが、まともなのもいるじゃねえか」
薄汚れた手が乱暴にシャルロッテの顎を掴んで上を向かせる。
無精髭で隠れた口から酒臭い息が漏れてシャルロッテの顔にかかった。自分に向けられた不躾で獰猛な目に体が勝手に震え出す。
がたがたと震えるシャルロッテの体を一人の兵士が通りに引きずり倒した。他の兵士たちはそれを囲みながらニヤニヤと笑いなが見下ろしている。
シャルロッテは恐怖で声が出なかった。瞬きも出来ず、開いた口を閉じることも出来ずに、ただ蛇に睨まれた小鳥のように震えていた。
そんなシャルロッテの腕を兵士が力づくで地面に押さえつけた。
恐怖に怯えるシャルロッテの脳裏に、アルブレヒトの紫色の瞳が浮かんだ。
アルブレヒトはいつも自分に無愛想だった。冷たい目で見下ろすし、平気で冷たい言葉を吐く。でもアルブレヒトの手はいつも優しくて、そっと自分に触れる。目が覚めるまで、ずっとその腕に抱いていてくれる。凍える自分に温もりを分けてくれる。
自分が目覚めた時のアルブレヒトのあのほっとしたような顔。無愛想でぶっきらぼうだけど、時折漏れる優しい顔。
シャルロッテの目尻からつーっと涙が流れた。
……アルブレヒト。アルブレヒト。
「アルブレヒト!!!」
声の限りにシャルロッテが叫んだ。
突然大声を上げたシャルロッテに兵士たちが一瞬顔を見合わせたが、すぐにげらげらと笑い出した。
「こんな腰抜けだらけの国に、俺達の相手が出来る奴がいると思ってるのか。叫んだって誰も来ねえよ」
「好きなだけ叫べばいいさ。……うわあっ」
囲むように立ってシャルロッテを見下ろしていた兵士が、いきなり背後から伸びて来た長い脚に蹴り飛ばされて、まるで雪崩を打つように横の兵士とともに倒れた。
「汚い手で触れるな」
そしてシャルロッテの上に馬乗りになっていた兵士が、後ろから襟首を掴まれて引きはがされたかと思うと、長い脚に蹴り飛ばされて、後ろにもんどり打って倒れた。
体を起こしたシャルロッテが涙で滲む目で見ると、そこには息を切らして駆けつけたアルブレヒトがいた。
「アルブレヒト!」
よろけながら立ち上がったシャルロッテの体をアルブレヒトが抱き留めた。シャルロッテは泣きながらアルブレヒトに抱きついている。
「……怪我は? どこか痛む所は無いか?」
青ざめた顔で自分の顔を覗き込んでいるアルブレヒトに、シャルロッテがふるふると首を振った。
「この野郎、いつまでじゃれ合ってんだ!? ふざけた真似しやがって!」
「このままで済むと思ってんのか!? ああ!?」
アルブレヒトに蹴り飛ばされた兵士たちが、気色ばんだ様子で剣を抜き、こちらに刃先を向けていた。
それを見たアルブレヒトは、腕に抱いていたシャルロッテを離して後ろに下がらせると、おもむろに腰に下げていた剣を鞘から引き抜いた。
兵士は五人いた。
その兵士たちが、じりじりと間隔を開けて逃げられないようにアルブレヒトを囲んだ。
そして目配せをし合い、そのうちの一人が剣を振り上げてアルブレヒトに襲いかかってきた。
兵士が振り下ろした剣を、アルブレヒトが振り上げた剣が撥ね飛ばした。
腕が痺れたのか、剣を持っていた腕を反対の手で支えながら弾き飛ばされた自分の剣を呆気に取られて見ている兵士を、瞬時にアルブレヒトがその長い脚で回し蹴りにした。
兵士はばたりと背中から地面に倒れて、そのまま動かなかった。
「くそうっ! こいつっ!」
倒れた兵士を見て血相を変えた兵士が、もう一人の兵士と挟み撃ちをするようにアルブレヒトに襲いかかってきた。
間合いを見たアルブレヒトがひらりと身をかわし、正面にいた兵士の横腹に剣を振るった。斬られた兵士が声を上げて倒れる。
そして落ちた相手兵士の剣を拾うと、怒りの形相で向かってきたもう一人の兵士の剣を片手に持った剣で受け止め、反対側の手に持った剣を相手の首筋に当てた。
「まだ続けるのか?」
睨みつけるアルブレヒトに怯えを成した他の二人は悲鳴を上げて逃げ出していった。首筋に剣を当てられた兵士は腰を抜かして座り込んだが、這うようにしてどうにか逃げていった。
兵士たちの後姿を見送ったアルブレヒトは、手に持っていた自分の剣でびゅっと宙を切ると鞘に戻した。
そして物陰に潜んで震えているシャルロッテのもとへゆっくりと歩いて行った。
「もう大丈夫だ」
地面に座り込んでいるシャルロッテが、震えながらアルブレヒトを見上げた。まだ放心状態のシャルロッテは見開いた目に涙を溜めながら震えていた。
その様子を見たアルブレヒトがその場に片膝をついてしゃがみ込んだ。
目の前にあるアルブレヒトの顔を見ながらシャルロッテが震える口を開く。
「……ごめ、……なさ……」
アルブレヒトは何も言わずに両手を広げて微笑んだ。
それを見たシャルロッテが、その腕の中に飛び込む。
「お前が無事ならそれでいい」
大声を上げて泣き出したシャルロッテをアルブレヒトはそっと抱きしめた。
シャルロッテはアルブレヒトに抱きついたまま、いつまでも泣き止む様子は無かった。
アルブレヒトは、シャルロッテをその腕に抱いたまま立ち上がった。そして、自分の胸に顔を伏せたまま泣き続けるシャルロッテを、大切そうに両腕に抱えてゆっくりと歩き出した。
アルブレヒトの胸で泣きながら、シャルロッテはずっと心の中でその名を呼び続けた。
恨まれていてもいい。一生、妹としか見てもらえなくてもいい。
アルブレヒトの側にいたい。
わたしをあなたの側にいさせてください。
アルブレヒト。