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6. 聖女の力

 数日間、馬で走り続けてやっと二人は国境近くに着いた。


 アルブレヒトに馬から降ろしてもらったシャルロッテは、遠くまで広がる無残なその光景を前に、無言で立ち尽くしていた。


 おそらく以前は見渡す限りの豊かな畑だったであろうそこは、作物が育ち切らぬまま枯れて、地面が深くひび割れていた。

 すぐ横にある森も、長く続いた日照りのために木々は葉がすべて落ちて枯れていた。折れて落ちた枝が、灰色に乾燥して重なっている。


 雨が降らずに民が困っていると、かつて侍女から聞いたことはあった。

 大変ねと自室で呑気にお茶を飲みながら、そんな話をしていた覚えはある。

 けれど、ここまでとは想像もしていなかった。


 民の為に、もっと親身になって動くべきだった。もっと早くから干ばつや凶作に備えて手を打つべきだった。わたしは王女だったのに、病弱だからと言い訳をして何もしなかった。


 ひび割れた畑の前に、シャルロッテの体が力なく崩れて膝をついた。

 両手に乾いた土を掴む彼女の目に涙が溢れる。


 その姿を黙って見ていたアルブレヒトが息を呑んだ。


 シャルロッテの体から淡い金色の光が滲み出ていた。

 彼女の目から一筋の涙が零れて、ぽとりと地面に落ちる。


 その瞬間、さああっと金色の光が地面を伝って畑の向こうまで広がり、やがて辺り一面を包んだ。畑も森も、見渡す限りのすべてが金色の光に包まれた。


 シャルロッテとアルブレヒトがその光景に言葉を失っていると、いつのまにか緑が芽吹き、畑を満たしていた。風で緑の葉が波打つようにそよいでいる。

 横を見れば森の木々も青々と葉が茂り、風に揺れる葉擦れの音が聞こえる。

 

「……な、に……これ? ……わたし、どうして?」


 呆気に取られた顔でシャルロッテが後ろにいるアルブレヒトを振り返った。

 アルブレヒトは畏敬の目でシャルロッテを見ていた。


 ふらふらと立ち上がり、目の前に広がる光景を呆然と眺めていたシャルロッテが、やがてゆらりとその体を揺らして後ろに倒れた。

 後ろにいたアルブレヒトが、まるでそれを見越していたかのように彼女の体を両手で受け止めた。

 そして、意識を失っているシャルロッテを抱きかかえたまま、アルブレヒトは眩しそうに蘇った大地を見渡していた。




 

 シャルロッテはそのまま丸一日眠り続けた。


 陽が傾き始めた頃。

 シャルロッテがぼんやりと瞼を開けると、すぐそこには心配そうに自分の顔を覗き込むアルブレヒトの紫の瞳があった。

 不安そうに張りつめていた顔が、シャルロッテが目覚めた途端にくしゃっと崩れた。目を細め、頬を緩めるアルブレヒトを、シャルロッテはうっすらと頭に靄がかかった状態で眺めていた。

 こんなアルブレヒトは初めて見る。


 じいっと自分を見つめているシャルロッテに気づいたアルブレヒトは、気まずそうに顔を背けると、腕に抱えていた彼女を体を包んでいる毛布ごとそっと降ろした。


 そして立ち上がってそこから離れようとするアルブレヒトの後姿に、シャルロッテが声をかけた。


「……ねえ。あれが聖女の力なんでしょう? ……あなたはどうしてわたしが聖女だって知っていたの?」


 アルブレヒトは足を止めてシャルロッテの言葉を聞いていたが、その問いに答えることも、彼女の方を振り返ることもしなかった。

 何も言わずに再び歩き出して、目覚めたシャルロッテの為に食事の準備を始めた。


 シャルロッテはもぞもぞと体を起こして、そんなアルブレヒトの姿を眺めていた。


 しばらくして、いつのものようにアルブレヒトが炙った干し肉とパンをシャルロッテに差し出した。

 けれどシャルロッテはそれを首を横に振って受け取らずに、アルブレヒトを見上げた。


「これはあなたが食べて」

「俺はもう食べた」

「嘘よ。わたしはずっと見ていたもの」

「お前が眠っている間に食べたんだ」


 あくまでも食べたと言い張るアルブレヒトに、シャルロッテが苦笑する。


「自分で気づいていないのね、あなた少し瘦せたわよ。ずっと食べていないのでしょう?」


 アルブレヒトは、声を詰まらせて困ったような目でシャルロッテを見ていた。


「いくらお金を出せば手に入ると言っても、限りがあるわよね。ごめんなさい。そんなことも気がつかなくて」

「……食べなければお前の体がもたない。俺のことは気にしなくていい。食べてくれ。……頼む」


 アルブレヒトはその場にしゃがんでシャルロッテと目線を合わせた。まるで懇願するように自分の目を覗き込み、食事を差し出すアルブレヒトに、シャルロッテは微笑みながら首を振った。

 

 そして、ふと周囲を見たシャルロッテがぽつりと呟いた。


「わたしが眠っている間に移動したのね」


 シャルロッテの視線の先にある茶色い光景を見たアルブレヒトが軽く頷いた。


「ああ、あれからすぐに近くの住人が集まって来たから、騒ぎになる前にあの場を離れた」

「そう」

「そんなことより……」

「ねえ、あそこにわたしを連れて行って」


 シャルロッテは視線の先の小さな窪みを指差した。

 そこはもともと溜池として使われていたようだが、今はわずかに水が残っているだけだった。

 ちらりとそれを見たアルブレヒトが首を振る。


「食べるのが先だ」

「ねえ、お願いよ」

「食べたら連れて行ってやる」

「連れて行ってくれたら食べるから」


 忌々しそうに歯噛みしたアルブレヒトは、仕方ないとシャルロッテを抱き上げて睨みつけた。


「約束したからな」


 シャルロッテは楽しそうに笑いながらアルブレヒトの胸にもたれた。

 初めて聖女の力を使った彼女は、加減が分からずに少しばかりやり過ぎてしまったらしく、まだ体がずしりと重たい。

 それでも、シャルロッテはもう少しだけアルブレヒトの為に頑張りたかった。


 アルブレヒトはシャルロッテを抱えたままゆっくりと歩いて行き、わずかばかりに水が残っている溜池の前で足を止めた。


「降ろして」


 シャルロッテがまだ自分の足では立てないことを見越している様子のアルブレヒトは、彼女を降ろさずに、自分の腕に抱えたままその場にしゃがみ込んだ。


 そしてシャルロッテが手を伸ばして地面に触れようとしているのに気づくと、その手が届くように彼女の体を支えている自分の両腕を低くした。


 ぴたっとシャルロッテの手が地面に降れ、彼女がアルブレヒトの顔を見上げて微笑んだ瞬間、金色の光が地面を広がり走った。


 アルブレヒトがあっと声を発した時には、目の前には並々と水をたたえた溜池があり、びちびちと魚が勢いよく飛び跳ねていた。

 そのうちの数匹の生きのいい魚が、溜池から飛び出て土の上で跳ねている。


 ぽかんと口を開けているアルブレヒトに向かって、シャルロッテが満面の笑みで誘いかけた。


「一緒に食べましょう? わたし、あなたと一緒に食事がしたいわ」

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