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5. 冷たさと温もりと

 次の日も、男は国境を目指して馬を走らせていた。


 シャルロッテはもう男の元から逃げることはやめた。

 知らない男に訳の分からないまま聖女だと言われ、いきなり剣を突き付けられて恐怖しかなかった。だから逃げたかった。


 けれど、今こうして馬上から見る景色はどこも茶色く乾いていて、ひび割れた大地は、風が吹けば土埃が立って霞んで見える。

 この荒れた大地を癒すために、男の妹は自分と体を入れ替えて処刑された。

 自分を聖女だと信じて。


 シャルロッテは自分にそんな力が無いことは知っていた。

 それでも自分にわずかでも出来ることはないかと、男とともに行くことを決めた。それは男に対する償いのつもりだった。




 日が傾きかけた頃、男が手綱を引いて馬を止めた。


「今日はここまでだ」


 手際よく火を起こして野宿の用意をする男の後姿を、シャルロッテはぼんやりと眺めていた。


 男は背が高かった。その長い手足を使って軽々と馬に跨り、時にはシャルロッテを抱き上げた。

 そして今は、その大きな体を屈めてシャルロッテのために切った干し肉を火で炙っている。艶のある黒髪が、男が動くたびに揺れる。


 ふいに男がこちらを振り向いた。自分に向けられた深い紫の瞳にシャルロッテが戸惑っていると、男はこちらへ歩いてきて炙った干し肉とパンを無愛想に差し出した。


「……ありがとう。あなたは?」

「俺は先に食べた」

「いつ?」


 ずっと見ていたつもりだけれど、そんな素振りがあったかしらと首を傾げるシャルロッテを男がじろっと見下ろす。


「食べないのか?」

「頂きますっ」


 慌ててシャルロッテが干し肉とパンを受け取って噛り付くと、男は何も言わずにそこから離れて、木の根元に座ってそのまま後ろにもたれた。

 

 シャルロッテはパンを齧りながら、焚火の向こうにいる男を眺めていた。


「……ねえ、わたし、あなたの名前を知らないわ。あなたのこと、……兄さん、とでも呼んだらいいの?」


 シャルロッテの問いかけを、木にもたれたまま男は黙って聞いていた。

 そして、しばらく考えた後、宙を見ながら呟いた。


「アルブレヒトだ。……お前には兄と呼ばれたくない」


 


 

 その夜、シャルロッテはなかなか寝付けなかった。

 昼間に強く吹いていた風が夜になっても止まず、首筋を冷たく通り過ぎる。

 

「寒いのか?」


 寒さで眠れずに毛布の中でもぞもぞと動いているシャルロッテに気づいたアルブレヒトが声をかけた。


「少し」

「こっちへ」

「平気よ」


 毛布から少しだけ顔を覗かせて返事をするシャルロッテの側に来たアルブレヒトは、毛布ごと彼女を抱え上げた。

 そして焚火の近くに座ると、シャルロッテを抱きかかえたまま組んだ自分の足の上にのせた。


 その行動に混乱して瞳を揺らしているシャルロッテに、アルブレヒトが突き放すように言った。


「勘違いするな。これは妹の体だ。俺がお前に対して欲情することは無い」


 その冷たい言い様に目を見開いていたシャルロッテは、やがて唇を噛み、目を閉じて、アルブレヒトから顔を背けた。


 アルブレヒトの冷たい言葉は、容赦無くシャルロッテの心を傷つける。

 王女としていつも侍女達にかしづかれ優しい言葉にしか接したことが無かったシャルロッテには、アルブレヒトと過ごすことが時折苦痛に感じられることもあった。


 それでも、もう逃げ出すわけにはいかない。この兄妹が自分の為に払った代償を思えば、どんな苦痛にも耐えなければ。シャルロッテはそう自分に言い聞かせていた。


 びゅううっという風が吹き抜ける音を聞きながら、いつしかシャルロッテはアルブレヒトの腕の中で眠りについた。一日中馬の背で揺られた彼女は疲れ切っていた。


 シャルロッテが眠ってからも、アルブレヒトは彼女を抱きかかえたまま、火を絶やさぬように時折枯れ枝を火にくべていた。


 じっと焚火を見ていたアルブレヒトが、視線を眠るシャルロッテに落とした。


 冷たい空気に晒されたシャルロッテの頬は赤くなっていた。

 アルブレヒトは、すやすやと寝息を立てている彼女の頬に指の背でそっと触れた。触れた指から、冷たさが伝わる。

 アルブレヒトは冷え切ったシャルロッテの頬に躊躇うようにそっと触れ、そして手のひらで包み込んだ。

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