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4. 許してください

 時折喉を詰まらせながらも何とか食事を終えたシャルロッテは、膝を抱えて座りながら、焚火の向こうにいる男をじっと見ていた。男は木にもたれながら、前方にある湖を眺めている。


 一体、この男は何者なのだろう。

 

 シャルロッテは男に見覚えは無かった。城で見かけたことは一度も無い。

 それなのに、この男は誰も訪ねて来る者のいなかった地下牢に来て、そこから自分を助け出してくれた。未だに信じられないが、この男の妹は自分と体を入れ替えて処刑されたという。


 自分が聖女だから助けたと、その力で国を癒せと言う。

 訳が分からない。

 けれど、逆らえばどんな目に遭わされるか分からない。下手をしたら殺されてしまう。


 どうしたらこの恐ろしい男から逃げ出せるのだろうかと、探るようにシャルロッテがじっと見ていると、突然、男が小さく声を上げて立ち上がった。

 男の視線の先には、先程から湖で遊んでいた子供が溺れたのか、手足を大きくばたつかせているのが見えた。


 駆け出していった男の後を追って、シャルロッテも湖の方へと走って行く。

 干上がりひび割れた湖底に足元を取られながらそこへ行くと、水際から少し先のところが急に深くなっていて、子供はそれに気づかずに溺れてしまったようだった。


 浮き沈みを繰り返しながら、子供が助けを求めてもがいている。男は何故か、それを水際から見ているだけで助けに行く様子は無かった。


 てっきり助けに行くものだと思ってついてきたシャルロッテが、動かない男を不審に思ってその前に回り込んで見上げると、男は真っ青な顔をして震えながら子供を見ていた。


「何をしているの!? 助けに来たんでしょう!?」


 シャルロッテの声が聞こえていないのか、男は目を見開いたまま、ぶるぶると小刻みにその顔を震わせていた。我慢出来ずにシャルロッテが男の上着を強く引っ張って急かしても動かない。


「どうしたの!? 早くしないと沈んでしまうわ! もういい! あなたが行かないならわたしが行く!」


 見かねたシャルロッテが溺れた子供を助けようと水の中に足を踏み入れかけたその時、男の手が彼女の腕を掴んだ。


 急に強く腕を掴まれたシャルロッテが驚いて振り向くと、男は力づくで彼女を引き寄せた。そして無理やりに囲い込むようにシャルロッテを抱きしめると、悲愴な声を上げた。


「だめだ! 行くな! お前は近づいてはだめだ!」


 震えながら叫ぶ男に呆気に取られながらも、溺れる子供を放ってはおけないと、シャルロッテは必死に男の体を押しやり、取り乱す男の頬をパアンッと平手で叩いた。


「しっかりして! 子供が溺れているのよ!? 助けに行かないと!」


 シャルロッテに頬を叩かれて一瞬ぽかんとした男は、溺れる子供を見て我に返ったのか、急いで湖に入って助けに向かった。

 男の様子が変だったことを気にかけながらシャルロッテが水際で待っていると、すぐに男は子供を脇に抱えて戻って来た。

 子供は少し水を飲んでいたが無事だった。


 子供を二人で介抱していると、やがてその子の親が探しに来た。シャルロッテから事情を聞いた親は、何度も礼を言いながら子供をつれて帰って行った。


 子供が去った後、木の根元に座りながら虚ろな目で焚火を見ている男に、シャルロッテが声をかけた。


「……ねえ、さっき様子が変だったけど、どうしたの?」


 じっと火を見たままで男が呟く。


「……昔を、……思い出した」

「昔って?」


 男はそれ以上何も答えずに体の向きを変え、シャルロッテに背を向けてごろりと横になった。






 夜中、シャルロッテは誰かの声で目が覚めた。


 寝惚け眼を開けて体を起こすと、辺りは真っ暗で静まり返っている。

 時折ぱちぱちっという木のはぜる音以外は何も聞こえない。

 

 誰かの声が聞こえたような気がしたけれど気のせいかと、シャルロッテが再び横になった時に、ふいに向こう側で眠っているはずの男の声が耳に入ってきた。


「……許してくれ。……俺のせいだ、すべて……」


 悪い夢でも見ているのか、男はうなされていた。

 途切れ途切れに聞こえてくる寝言が気になって、シャルロッテは恐る恐る男の近くに寄ってみた。


 シャルロッテが側に来ても男は気づいて起きる気配もなく、うなされ続けていた。何気なくその寝顔を覗き込んだ彼女は、思わず声を失ってしまった。

 男は涙を流していた。


 自分に剣を突き付けて脅し、何かと言うと睨みつける恐ろしい男が、悪夢にうなされ涙を流している。

 一体どんな恐ろしい夢を見ているのかと、つい心配になったシャルロッテが男の肩に手を置いて声をかけた。


「どうしたの? 大丈夫?」


 その瞬間に目を見開いた男が、自分の顔を覗き込んでいるシャルロッテに気づくと、がばっと勢いよく彼女を抱きしめた。


「リーゼ! 良かった! リーゼ! 生きていた……!」


 その存在を確認するように強く自分を掻き抱く男に、シャルロッテは混乱してされるがままになっていた。


「リーゼ!」


 確かこれはこの男の妹の名だったはずと、男の腕の中でシャルロッテは思い出した。そして、おそらく妹と自分を間違えているのだと察しはついた。


 そんなシャルロッテの脳裏に、昼間の出来事が浮かぶ。


 湖で溺れている子供を助けた際に、ふと水面に映る自分の姿が目に入った。

 子供を助けるのを優先して、つい後回しにしてしまったけれど、栗色のまっすぐな髪に紫色の瞳。

 それは、男と一緒に地下牢に来た少女の姿だった。

 捕らわれて以降、ずっと独りだったシャルロッテに優しい言葉を掛けてくれた少女。


 男は自分と妹の体を入れ替えたと言っていたが、ずっとそんなことは信じられなかった。けれど水面に映っていたのは、間違いなくあの少女の姿だった。


 ここにいるこの体は、姿はあの少女なのに、心は自分。

 それなら、あの日、断頭台の前に立っていた自分の体の中にいたのは。

 あの日、処刑されたのは。


 シャルロッテは言葉が出なかった。


 ずっと男が出鱈目を言っていると思っていた。体を入れ替えるなんて出来るはずがない。そんなこと有り得ない。


 けれど、男の言葉は本当だった。

 あの兄妹は、本当に自分と妹の体を入れ替えたのだ。

 そしてこの男は、自分の身代わりになって処刑された妹を思って涙を流している。


 シャルロッテは唇を噛んだ。


 一度も面識の無かった自分を、何故そこまでして助け出してくれたのか分からない。いいえ、それよりもこの男に何と言って謝ったらいいのか分からない。


 男に対する申し訳なさでシャルロッテの胸は張り裂けそうだった。

 妹の名を呼びながら自分を抱きしめるこの男に、どうやって償ったらいいのだろう。


 うつむき黙り込んでいるシャルロッテの顔を男が覗き込んだ。

 シャルロッテは男の目をまともに見ることが出来ずに、思わず顔を背けてしまった。


「リーゼ?」


 言葉を返すことが出来ずにいるシャルロッテを怪訝そうに見ていた男は、やがて目が覚めたのか、あっと小さく声を漏らした。

 そして慌ててシャルロッテの体を自分から離すと、気まずそうに横を向いた。


「……すまない。……リーゼと、妹と間違えてしまった」


 シャルロッテは、うつむいたまま固く目を閉じて唇を噛んでいた。

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