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2. お前が聖女だ

 チェスライヒ王国には古くから言い伝えがあった。


 『聖女が現れて、王国を守る』


 チェスライヒは小国ながらも国土は豊かで栄えていた。

 しかし、十年程前から雨が降らなくなり、長い日照りが続いた豊かな大地はいつしか茶色く乾いた大地へと姿を変え、畑はひび割れて川は涸れた。


 国中が一縷の望みをかけて、聖女が現れるのを待った。

 けれどもその願いは叶わず、聖女は現れず、雨は降らなかった。

 民は飢え、国土は荒廃し、やがて王国は隣国ヴュルテンに攻め滅ぼされた。


 チェスライヒ国王一家は捕らえられて、ヴュルテン国王の眼前で処刑された。

 断頭台を取り囲むヴュルテン兵の歓声の中で、王女シャルロッテも処刑された、はずだった。


 


「……ん」


 目覚めたシャルロッテがぼんやりと瞼を開けると、そこは薄暗い建物の中だった。

 戸惑いながら視線を彷徨わせると、仄かな明かりが目の端に入った。

 見ると、見知らぬ男がシャルロッテに背を向けたまま、薄く積もった埃を払いながら薪を暖炉にくべている。

 シャルロッテは、ゆっくりと体を起こして辺りを見回してみた。

 今はもう使われていなさそうな朽ちかけた古小屋の中に、彼女は見知らぬ男と二人きりでいた。


 その状況が上手く飲み込めずに、シャルロッテは靄のかかった頭のままで男の後姿を眺めていた。

 そして少しずつ意識が定まり出した彼女の脳裏に、あの広場での光景が蘇って来る。

 大勢の兵士達の歓声の中、断頭台に首を乗せて横たわる自分の姿。

 それから槍の先に掲げられた……


「いやあああっ!!!!」


 シャルロッテの悲鳴に、暖炉に薪をくべていた男が振り向いた。

 髪をかきむしりながら泣き叫ぶシャルロッテを見た男が、駆け寄って彼女の肩を両手で押さえつける。


「死んだ! 死んでしまった! 殺された!」

「違う!」

「わたしは死んでしまった!」

「違う! あれはお前じゃない。あれはリーゼだ。お前は生きている」


 悲鳴を上げ続けるシャルロッテに、男が言い聞かせるように何度も言葉を繰り返す。


「お前は生きている。処刑されたのはお前じゃない。お前は生きている」


 泣き叫んでいるシャルロッテの耳に男の言葉が届いたのか、しばらくして呆けた表情で黙り込んだ。そして泣き腫らした顔を上げて、自分を宥め続ける男を見た。


「……わたし、処刑されたはずなのに……どうして生きているの?」


 男はその深い紫色の瞳をシャルロッテに向けると、静かに口を開いた。


「お前と俺の妹の体を入れ替えた。処刑されたのは、お前の体をした妹のリーゼだ。だから、お前は生きている」

「……体を、入れ替えた?」

「そうだ。お前がいるその体は、俺の妹の体だ」


 シャルロッテはまじまじと自分の体を見つめた。

 体を入れ替えたなんて、到底信じられない。

 けれど、痩せこけて骨が浮き出ていたはずの腕は程よく肉がついていて、金色の巻き毛だったはずの髪は、栗色のまっすぐな髪になっている。

 病気がちで常に体が重く、息苦しかったはずなのに、今のこの体にはどこにも不調は感じられない。


「……これは、わたしの体じゃない。……どうして、こんなこと……?」

「お前が聖女だからだ」


 男の口から出た言葉に驚いて、シャルロッテは顔を上げた。


「……聖女?」


 そういえば、昔から皆が口を揃えたように言っていた。

 国の困難時には必ず聖女が現れて救ってくれると。この国は聖女に守られているのだと。

 だが、聖女は現れなかった。

 そんなありもしない言い伝えを信じて、この国は滅びた。

 自嘲するように笑いながらシャルロッテは男を見上げる。


「聖女なんていないわ。そんなもの最初からいなかったのよ」

「……いや、聖女はいる。お前だ」


 一片の迷いもなく断言する男に戸惑い、シャルロッテは思わず後ずさった。


「違うわ。わたしは聖女じゃない。もし本当にわたしが聖女なら、この国は滅びなかったはずよ……!」


 どんなに脆弱であっても一国の王女。そんな力があるなら、みすみす国が滅びるのを放っておきはしなかった。民の困窮ぶりを伝え聞いた時の無念さを思い出しながらシャルロッテは唇を噛んだ。


「……聖女の力は、体ではなく魂に宿る。お前の体は、その力を使うにはあまりにも弱く脆かった。だから力を使うことが出来ず、誰にも気づかれなかった」

「あなたの言うことが本当だとして、それなら何故、あなたはわたしが聖女だと知っているの? わたしですら知らないのに」


 どんな理由があって、この男はそんな出鱈目を言うのか。

 王国は滅ぼされて、父も母も処刑された。もはや王女ではない自分に今更、何が出来ると言うのか。


 シャルロッテは目の前にいる怪しい男を、訝しむようにじっと見た。 

 確かに、この男には見覚えがある。

 あの時、地下に捕らわれていた自分の元に少女と一緒に来た男だ。

 深くフードを被っていたが、この紫の瞳は間違いない。


 男はシャルロッテの問いには答えずに、じっと彼女を見据えたまま静かにその口を開いた。


「……お前には、自分の務めを果たしてもらう」

「わたしに、何をしろと言うの?」

「この国を癒してもらう」


 途方もない言葉に呆気に取られたシャルロッテが、たじろぎながら首を振る。


「わたしはもう王女じゃないし、聖女でもない。そんなことが出来るわけがない。……助けてくれたことには感謝するわ。でももう、わたしのことは放っておいて」


 国も家族もすべてを失ったシャルロッテには、もう何の気力も無かった。

 聖女だの、国を癒すだの、彼女にはもうどうでもいいことだった。

 この先、どうしたらいいのか分からない。けれど、男の言うような大それたことは自分には無理だ。出来るわけがない。


 冷たい目で自分を見下ろす男に、すがるようにシャルロッテは視線を向けた。


「お前は飢えた民を見捨てるのか。王国は滅びても、大地は残っている。民は必死に生きているんだ。お前はそれを見捨てて自分だけ逃げる気か」


 怒りを押し殺すような男の低い声に、恐怖を感じたシャルロッテが怯えてその身を小さく縮こまらせた。


「わたしのせいじゃない! わたしは聖女なんかじゃない! わたしには何も出来ないわ!」


 体を小さくしてその耳を塞いでいるシャルロッテを見下ろしていた男が、おもむろに腰に下げていた剣を鞘から引き抜いた。

 怯えるシャルロッテの首筋に刃を突き付けた男は、冷たく言い放った。


「お前は聖女だ。逃げることはこの俺が許さない」

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