10. 最後の願い
残酷な表現があります。
シャルロッテとアルブレヒトは、森の中に突然現れた大勢の兵士によって捕らわれ、そのまま城にいるヴュルテン国王の前へと連れて行かれた。
隣国ヴュルテンの国王は、兵が城を攻め落とし王都を占領するとすぐにこのチェスライヒ王国に入り、今は引き連れてきた重臣たちと共に城で政務を執り始めていた。
シャルロッテが生まれた時からずっと過ごしていた懐かしい城の中は、すでに壁にかけられた絵画も床に敷かれた絨毯も、何もかもが隣国の物に替えられていた。シャルロッテはヴュルテン国王のいる大広間へと連行されながら、今更ながら戦に負けて国が滅びたことを実感していた。
やがて大広間へ着くと、シャルロッテは玉座に座るヴュルテン国王の前に兵によって跪かされた。アルブレヒトはその後ろに、両手を後ろ手に縛られて肩を兵士に押さえつけられた状態で跪かされていた。
ヴュルテン国王は、白貂の長いマントを着けたまま玉座に足を組んで座っていた。気怠そうに肘掛けに肘を乗せて、そこからシャルロッテを見下ろしている。
「聖女が現れたのは知っていたが、思っていたよりも幼いな。幾つだ?」
いきなり年を尋ねられて、シャルロッテは首を傾げた。
自分は十六だが、この体の主のリーゼは何歳なのか、アルブレヒトに聞いたことは無かった。
何と答えたものかシャルロッテが迷っていると、答えを待たずにヴュルテン国王が再び口を開いた。
「チェスライヒに聖女の言い伝えがあるのは聞いていたが、まこと聖女とは都合の良いものよの。こんな荒れた土地を勝手に癒して富ませてくれるのだからな。笑いが止まらぬわ」
高らかな笑い声をあげるヴュルテン国王に同調するように、周りに控えている重臣たちが笑い声をあげる。
「左様でございますな。聖女を捕らえるのは癒しを終えてからで良いという王の御言葉は、まことに御英断でございました」
「追手を出さずに放っておくだけで、幾らでも税を搾り取れる豊穣の土地に生まれ変わるとは。これほど愉快なことはございませんな」
唖然とするシャルロッテの前で、ヴュルテン国王と重臣たちは顔を合わせて、どこまで民から搾り取るかという算段を始めた。
王女として民を救えなかったシャルロッテが、飢えた民を今度こそ救うつもりで聖女としての力を使い、荒れた国土を癒し緑の大地へと蘇らせた。
それは、すべて民の為であって、ヴュルテンを富ませる為でも、民から税をむしり取らせる為でもない。
シャルロッテの胸の奥から、ヴュルテン国王に対する怒りが込み上げてくる。
重臣たちと愉快そうに議論を続けるヴュルテン国王を睨みつけたシャルロッテが、我慢できずに声を張り上げた。
「あなた達の為にやったんじゃないわ!」
その声を聞いたヴュルテン国王と重臣たちが、一斉にシャルロッテを見た。
「……お前のことを忘れておったわ」
「王よ。この娘、野に捨て置くのはまことに惜しい。このまま、王のお側に仕えさせては如何でしょう?」
「それは名案だ。聖女が王の御子を産めば、その力は代々王家に引き継がれていくやもしれませんな」
重臣の言葉にぴくっと片眉を上げたヴュルテン国王が玉座から立ち上がり、ゆっくりとシャルロッテの方へ歩いてきた。
そして兵士に肩を押さえつけられているシャルロッテの顎を掴んで持ち上げると、じろじろとその顔を眺めまわした。
「ふうむ、聖女に子を産ませるか。それも悪くは無い」
ヴュルテン国王に嫌悪の目を向けていたシャルロッテは、蛇のような王の目つきに虫唾が走り、たまらずにその頬を平手で叩いた。
「わたしに触らないで!」
頬を叩かれたヴュルテン国王が、目を見開いてシャルロッテを見た。
後ろで見ていた重臣たちが、慌てふためいて王のもとへ駆け寄ってくる。
すると、ふっと鼻で笑ったヴュルテン国王がいきなり指輪だらけの手でシャルロッテの頬を殴りつけ、シャルロッテの小さな体が吹き飛んだ。
床に倒れたシャルロッテを、王が容赦なく何度も足で踏みつける。
「お前のような卑しい女が許しも無くこの私に触れるとは! 聖女だと!? 勘違いするな! お前など、この私の前ではただの塵芥にすぎぬ!」
眉を吊り上げ荒い息を吐きながら、ヴュルテン国王は繰り返しシャルロッテを踏みつけた。シャルロッテは悲鳴を上げながら体を丸めて耐えていた。
「やめろっ!」
後ろ手に縛られて兵士に押さえつけられていたアルブレヒトが、兵士の手を振り払って飛び出してきた。シャルロッテを足蹴にするヴュルテン国王に体当たりして、背中に彼女を庇う。そして怒りに燃える目で、よろけた体を重臣に支えられているヴュルテン国王を睨みつけている。
「なんだ、お前は?」
ヴュルテン国王は、忌々しそうに自分の体を支えている重臣の手を払いのけた。そして自分の前に立ちふさがり、シャルロッテをその背に庇うアルブレヒトの前に立つと、いきなりその胸を足で激しく踏みつけた。
何度踏まれてもシャルロッテの前から動こうとせずに自分を睨みつけるアルブレヒトに、ヴュルテン国王は次第に苛立ちを募らせていった。
「無礼な!」
ヴュルテン国王が声を荒らげて、側にいた兵士が下げていた剣を引き抜いた。そして逆手に持った剣を振り上げると、一気にアルブレヒトの胸に向かって突き刺した。
「……ぐあっ!」
アルブレヒトの背中に匿われていたシャルロッテの目の前に、ヴュルテン国王が突き刺した剣の先が現れる。悲鳴を上げるシャルロッテの前で、王がアルブレヒトの胸に足をかけて体を貫いた剣を引き抜いた。
アルブレヒトの口から真っ赤な血が噴き出て、その体が床に倒れた。
「きゃあああっ! アルブレヒト!!」
ヴュルテン国王がアルブレヒトとシャルロッテを見下ろしながら、腹立たしそうに手に持った剣を床に叩きつけた。血に染まった剣が、大理石の床を音を立てて転がる。
「興覚めだ。卑しい男の手垢がついた女などいらぬ」
吐き捨てるように言うと、ヴュルテン国王は長い白貂のマントを翻して大広間を出て行った。重臣たちが慌ててその後を追う。
「アルブレヒト! アルブレヒト!」
倒れたアルブレヒトの体を抱え起こしながら、シャルロッテが何度もその名前を呼ぶ。
アルブレヒトの胸からは血が溢れ、口から漏れる血が頬から首へと伝わり流れていた。
「どうして!? どうしてわたしを庇うの!?」
青白い顔で朦朧とした意識の中、薄く目を開けたアルブレヒトが焦点の定まらぬ目でシャルロッテを見た。
「……初めて会った時から、ずっと……あなたをお慕いしていました……」
アルブレヒトが言葉を話すたびに、口の端から血が零れる。
「身分が、……違うと分かっていても、……それでも、私は」
静かに目を閉じたアルブレヒトが、ふーっと小さく息を吐いた。そして最後の力を振り絞るように、瞼を開いてシャルロッテを見た。
「私はもうあなたをお守りすることは出来ません。どうか生きてください。……どうか、生き延びて、……あなたは、幸せに、……今度こそ……どうか」
すべてを言い終えることなく、アルブレヒトはごぼっと口から血を吐き出して動かなくなった。
「……アルブレヒト?」
自分の腕の中で動かなくなったアルブレヒトの顔をシャルロッテが覗き込む。血まみれのその頬をぺしぺしと手で叩いても、アルブレヒトは二度と目を開かなかった。
「アルブレヒト、……目を開けて?」
まだ温もりの残るその体をシャルロッテが両手で抱きしめた。
いつも馬上でシャルロッテを落ちないように抱き留めていてくれた大きな手。目覚めるまでずっと抱きかかえていてくれた温かな腕。まだこんなにも温かいのに、どんなに名前を呼んでも、もう動かない。目を開けてくれない。アルブレヒトの体が、シャルロッテの腕の中でぐったりと重たかった。
重たいアルブレヒトの体を抱きかかえながら、ふるふると首を振るシャルロッテの目から涙が溢れる。
「アルブレヒト、嫌よ。アルブレヒト、わたしを置いていかないで。……目を開けて! アルブレヒト!!」
シャルロッテが叫び声をあげた瞬間、彼女の体から放射状に金色の強烈な光が現れた。
辺りが目も眩むような強い光に包まれ、やがてどこからともなくミシミシッという音が聞こえた。
突然、激しい揺れがその場を襲い、大広間のシャンデリアがガチャガチャと大きな音を立てて左右に激しく揺れ、壁にかけてあった絵画が床に落ち、玉座が高座から転がり落ちた。
「何だ、この揺れは!?」
大廊下を重臣たちと歩いていたヴュルテン国王が、激しい揺れに立っていられずに床に膝をついた。
「地震!? うわっ、天井が崩れるっ!」
「王をお守りしろっ!」
激しい揺れは収まることなく、天井や壁が大きな音を立てて崩れ始めた。粉塵が舞う中、次々と亀裂が入った大理石の柱が崩れて天井が落ちてくる。
やがて城は完全に崩壊して瓦礫の山と化した。