1. 入れ替わりの王女
非常に残酷な表現があります。
その日、チェスライヒ王国は朝からどんよりと曇っていた。
今にも雨が降り出しそうな鈍色の分厚い雲の下、王都の中央にある広場には大勢の隣国ヴュルテンの兵士が集まっていた。
その兵士達が取り囲む中、人の背丈よりも高い木製の台の上に断頭台が置かれている。かつてこの国の王であった男とその妻が次々とそこへ引きずり出され、木製台の上へ登らされた。
やがて磨き上げられた斜刃が、空気を切り裂き鋭い音を立てて落ちる。
兵士達の歓声と呼応するように、ゴロゴロという雷の音がし出した。
そして、王家の最後の一人となった王女シャルロッテが兵士によってその場に連れて来られた。
痩せこけた体に薄汚れた粗末な衣服。
目の前にある断頭台に怯える様子もなく、ゆっくりと階段を上り終えて木製台の上に立った彼女は、歓声を上げる兵士達を静かに見下ろした。
誰かを探すような素振りの彼女は、自分を取り囲んでいる兵士達の一番後ろの方に黒いフードを深く被った長身の男を見つけると、小さく頷いて微笑んだ。
その男の腕には、毛布に包まれて眠る少女の姿があった。
これよりもほんの半時程前。
一人の長身の男が小柄な少女と一緒に、城の地下に捕らわれているシャルロッテ王女の元を訪れた。
男はフードを深く被って周囲を警戒しながら、同じく黒いマントにフードといういでたちの少女を伴い、石床に敷かれた藁の上に横たわるシャルロッテを鉄格子越しに見ていた。
元から病弱だったシャルロッテは、薄暗い牢の中で満足な食事も与えられずに衰弱していた。透き通るように白かった肌は薄汚れ、美しい金色の巻き毛は輝きを失っていた。
「手早く済ませろ」
そう言って牢番は、男から受け取った小袋を懐に入れて去って行った。
牢番の姿が見えなくなったことを確認した男が、ちらりと視線を横にいる少女に送る。それに気づいた少女が小さく頷いて、シャルロッテに声をかけた。
「王女様、大丈夫ですか?」
チェスライヒ王国が隣国ヴュルテンとの戦に負けて捕らわれて以降、この地下牢にシャルロッテを訪ねてくる者は誰もいなかった。
たった一人で不安と孤独に耐えていたシャルロッテの耳に、少女のその声が優しく響く。
久しぶりに聞く自分へ向けられた言葉にまるで吸い寄せられるように、彼女は鉄格子を掴んで自分を見ている少女の元へよろよろと這いつくばって行った。
「これを飲んで下さい。楽になるお薬です」
少女が微笑みながら小瓶をシャルロッテに差し出した。
咄嗟に、「毒だ」とシャルロッテは思った。
けれど、今のこの苦しみから解放されるのは間違いない。どうせ、もうしばらくしたら自分は処刑されるのだ。恐怖に怯えて醜態を晒した上に断頭台で処刑されるよりも、今ここで毒を飲んだ方がよっぽど苦しまずに済む。
シャルロッテは迷うことなく、その小瓶を受け取って中身を飲み干した。
それを見て、少女も同じように手に持っていたもう一つの小瓶の中身を飲み干し、シャルロッテに向き直った。
「聖女様。どうか、この国をお救い下さい」
毒が効いてきたのか、シャルロッテの意識が少しずつ遠のいていく。
ぐにゃりと石床に倒れた彼女が最後に見たのは、自分を優しく見守る少女の紫色の瞳だった。
そして今、王女シャルロッテは木製台の上で穏やかに微笑んでいた。
敗国の王女のその堂々とした態度に、不満を募らせたヴュルテンの兵士達が次々に嘲りの声を上げ始める。
まるでうねりのように次第に大きくなるその声に、男の腕の中で穏やかに眠っていた少女が目覚めた。もぞもぞと眠たそうに瞼をこすりながら、何事かと周囲の様子を見ようと少女が顔を上げた。
そして、大勢の兵士達の視線の向こうにある断頭台の前に立っている金髪の少女に気づいた。
痩せこけてはいるが、生まれてから何年もずっと鏡で見続けた姿。見間違えるわけがない。
――あれは、あそこにいるのは、わたし!? どうして!?
わたしは今ここにいるのに、あそこにわたしがもう一人いる。わたしが二人? どういうことなの? 何が起きているの?
混乱するシャルロッテの前で、もう一人のシャルロッテが処刑人によってその体をうつ伏せに横たわらせられた。そして急かす観衆の大声に応じるように、鋭利な刃が音を立てて落ちた。
歓声に沸く兵士達の後ろで、シャルロッテは声にならない悲鳴を上げた。
自分の目の前でたった今起きたことに理解が追いつかない。
舌がもつれて言葉がうまく出て来ない。声がかすれる。
「……あ、……わたし、……死んだ、の……?」
処刑されたはずなのに、何故か痛みを感じない。この手はどうしてまだ動いているのだろうと、不思議そうに自分の手を見つめるシャルロッテの耳に、聞き慣れない男の声が入って来た。
「違う。あれはお前じゃない」
シャルロッテが振り返って声のする方を見ると、黒いフードを深く被った若い男が、彼女を腕に抱えたまま前方を見つめていた。
「……あなた、……地下牢に、来た人?」
男はシャルロッテの問いには答えずに、一点を見つめていた。
やがて、男の目から一筋の涙が流れた。
「――――あれは、リーゼ。俺の妹だ」
瞬きもせず声を張り上げることも無く、ただ静かに涙を流す男の様子に言葉を失くしたシャルロッテは、前方を振り返って男の視線の先を見た。
ゴロゴロと鳴り続けていた雷がピカッと光り、一瞬辺りを照らした。
木製台の上で兵士によって掲げられている長い槍の先を見たシャルロッテは、恐怖で目を見開いたまま気を失った。
大きな音を立てて雷が落ち、激しい雨が降り出した。
この国が長いこと待ち望んだ雨は、皮肉にも王家が滅んだ日にもたらされた。
しかし、それは失われた力が復活した証だった。