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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

聖女のキスは、とても甘い。

作者: 江戸 菊華

ふんわり設定。

 今日のノルマは、もう終了。

 回るところは回ったし、必要な物は買った。

 幸運な事に、今回はお土産も貰っちゃったから、普段より浮かれていたと思う。

 ルンルン気分で「お昼奢るよ」って、毎度用事に付き合ってくれる弟分のガーヴェルを誘い、彼ご用達の安くて美味しい下町の食べ物屋さんに入っていったのだけれど。


『なぁ、知ってるか?

 嘘か本当かはわかんねぇけど、件の“聖女の接吻”ってヤツ、とろけるような――天国を味わえるって話だぜ』


「――ぐっ!?」


 少し離れたテーブルから、心当たりがあるような無いような、ちょっと意味わかんない会話が聞こえてきた。

 カウンター席。隣に並んでいるガーヴェルにもそれは聞こえているようで、軽く咳き込むわたしの背中を撫でながら、こっそり『だいじょーぶ?』って訊いてくる。

 ヒラヒラと手を振って安心させつつ、チラリと振り返って見てみると、少しムサいお兄さん方が、会話の主のようだ。ガヤガヤとざわめく店内、こちらの様子なんぞ気付く事もなく、会話は続いていく。


『天国を味わえるって、そりゃそうだろ。

 何せ天国に片足突っ込んでるんだからな』

『“聖女の接吻”――それって、効果が凄い解毒薬だっけ?

 片足じゃなくて両足でもイケるって聞いたぞ』

『確か、中央の方なら手に入れられるんだっけか?

 欲しいよなー。一個あるだけで、ちょっとした財産らしいし。

 冒険者やってる身としては、お守りとして持っときてぇなぁ』


 彼らにとってはちょっとした雑談なのだろうが、聞いてるこちらとしては何とも居た堪れない。

 常日頃から注意されてる猫背気味な背中が、更に丸くなってしまう。


「なんていうか、なんていうか――」


 はあぁ、と両手で顔を覆って溜息を一つ。


「あー……うん。何というか――。

 名前間違ってたな」

「え? そこ??」


 こちらの事情を知ってる弟分は、したり顔で頷いて、わたしが考えていた内容とは全く違う事を呟いた。

 気にする事はそこなの、と、信じられない……という目で思わず顔を見つめると、ガーヴェルは不思議そうに首を傾げて見せる。


「………………。ああ。

 猥談っぽかった」

「ガーくん…………………………」


 気にするところはそこかー……。



 幸せだった気分は、聞こえてきた会話(と弟分)によって、何とも言えないものになってしまった。

 まあ、その後にやってきたお料理とデザートで、すぐに浮上しましたけれどね。

 安い女ですみません!




  *


  *


  *




 わたし、ベルギア・ハーデンには、ちょっとした加護がある。

 今より少し、幼い頃。住んでる町で疫病が発生して、あわや全滅か――というような状況に陥ったのだが、何やかんやがあった後、信仰していた水の神様が授けてくださったものだ。

 事件解決には全然役に立たなかったけれど、解決後にとても助けになった加護。

 その加護を使って、わたしは日々、恩返しをするべくせっせと作業を頑張っている。


「ベル、ま〜たニヤけてる。

 そんなにアイツのお土産、嬉しかったんだ……」

「もっちろん!

 ルンさん、いつも旅商で寄った所の名物を、わざわざ送ってくださるんだもの。

 嬉しいに決まってるよー?」


 ひょっこりと水の神様の神殿の一室やってきたガーヴェルに、作業の手を止めること無くわたしは返事をした。

 ルンさん、とは。

 わたしどころかこの町全体の恩人だ。

 旅の守神でもある月の女神様の導きによって、この町の疫病――に見せかけた、魔物の被害を解決してくれた人なのだが。

 わたしが加護を授かった後、月の女神様にも恩を返したいと伝えると、色々と手助けしてくれて――それが今も続いている、という感じなのである。

 それ以降、ルンさんからの手助けの一つに材料の調達というものがあるのだが、今、行っている作業は、ルンさんが手配してくれた材料を使って行っている。


《水の神、章水様に奉る――》


 水神の神言や紋様が描かれた魔法陣を、指先に魔力を灯しながらなぞっていき、わたしの加護を――“耐毒”の効果を、発動させる。

 仄かに光る魔法陣の上に、準備しておいた琺瑯の瓶を置いて、改めて諳んじた祈りを捧げた。

 瓶の中には効果が低めの解毒作用がある粘液が入っているのだけれど、これに祈りを捧げて加護を付与すると、効力が若干増すのだ。

 あとはこのネバネバを布に塗って湿布にしたり、別途用意してもらった治癒の効果が付与された布に塗って湿布にしたりして、水や月の神殿経由で色んな所に納品しているのである。

 一人で布をいっぱい塗るのは大変なので、神殿に併設されている孤児院の子達に仕事としてお願いしているのだけれど。


「アレ? 瓶のはいつものヤツっぽいけど、こっちの砂糖まみれは何?

 初めて見る…………草? 草??」

「あっ、コラ」


 わたしが祈りを捧げている間は暇だったのか、部屋の中を散策していたガーヴェルは、見慣れぬトレーを目敏く見つけていた。乾燥させていた欠片を一つ摘んで、しげしげと観察している。


「も〜……。砂糖、こぼさないでね? 

 それは、面白そうだからってルンさんが送ってきたお土産だよ。

 “チークス”って名前の野菜――薬草? でね、現地では茹でて食べてたりするんだって。

 調べてみたら、麻痺に対しての予防効果があるみたいだし、形が面白いから砂糖漬けにしてみようかな、って」


 大量に貰ったソレは、ここでは見かけない野草だ。見た目はヒョロっとしていて、花の蕾のようにも茸のようにも見える植物。

 記録を司る神様を信仰する位には、わたしは調べる事が好きなのだけれど。そんなわたしを面白がって、ルンさんはよく判らない薬草やら花やら石ころやらを、しょっちゅう――大量に送ってくる。

 大量に送られてきたソレを、毎回どうやって処理するか、使い道に迷うのが悩みの種だけれども、今回は形状の面白さから砂糖漬けを選択して試したわけである。


「チークス、ねぇ……。

 …………うわ、あっま……草……」

「ガーくん、試作品とはいえ、あまりツマミ食いしないでね?」

「なら砂糖漬けにしなけりゃ良いのに。

 う〜ん……いや、微妙に癖になる味、か?」


 一欠片、また一欠片と。

 食べる毎に考え込むような素振りをするのだけれど、ガーヴェルは食べる手を止めるつもりは無いらしい。トレーの中身がじわじわと減っていく。


「あ〜っ、言ったそばから!

 も〜……」


 とりあえず、作ったネバネバ解毒を棚に置き、ガーヴェルの事を横目で見ながら、わたしは使った道具を片付けていった。


「できれば長期保存しておきたいところだけど、そのまま食べたら苦味があったんだもん。

 気軽に、子供でも食べられるように、って思ったら砂糖漬けかなって。

 ……ちょっと! 作るのとか大変なんだからもう終わり!!」 


 ガーヴェルに近寄ると、トレーに伸ばす手をぺしんと叩き落とした。


「皆に頼んでるけど、下処理、大変なんだから。

 そんなぽいぽい食べないで!」

「オヤツには全然足りない……」

「当たり前よ!」


 これ以上は食べられてなるものか、とトレーをガーヴェルから離しつつ、キッと睨む。

 そんなわたしの様子が面白かったのか、ガーヴェルはトレーに手を伸ばそうとするので、また叩き落とした。


「もう駄目です。

 だいたいガーくん、今更だけどここに何の用事?

 お仕事は?」

「あ、そうそう、思い出した。

 ベル、次に納品予定の護符に使う材料、足りないとか言ってなかった?

 採りに行くなら、護衛するよって伝えておこうと思って」

「良いの?」

「もちろん」


 今日の仕事は終わったとの事なので、ついつい「お帰りなさい、お疲れさま」とガーヴェルを労いながら頭を撫でてあげると、少し照れた様子を見せつつも「ただいま」と返事をしてくれる。

 この可愛い弟分は、冒険者として活動しているのだが、それなりの頻度で神殿に顔を出してくるし、月に二回の納品時には、護衛としてわたしのお供をしてくれていた。

 今回も確か、大きい方のギルドに顔を出すと話していたけれど、特に問題もなく用事を済ませてきたらしい。街のお土産、として可愛くラッピングされたクッキーの包みを渡してくる。


「そういえばさー。

 ベルの湿布とか、冒険者ギルドの方にも卸してるじゃん?」

「ん? う……ん、月の神殿の方にお願いしてたから、たぶん……卸してる、のかな?」


 一体何を言い始めたのか、と首を傾げて見せる。

 わたしは解毒作用のある湿布やらポーションやらを効果や種類、値段ピンキリで、色々と子供達に協力してもらいながら作っているのだけれど。月の神様と水の神様、両方に納品しており、頒布先に関してはほぼお任せ状態だ。

 若干の希望として、2年ほど前から冒険者ギルドにも卸すよう、月の神殿の方にはお願いしていたけれど、も。


「今日、ちらっと聞いたんだけど。

 ベルの事、一部の人が“薬の聖女様”って呼んでるみたいだよ」

「へ?」

「薬の聖女様」

「……誰が?」

「ベルが」

「何でっ!?」

「みんなの役に立ってるからじゃない?

 作ってる解毒薬は手に入り易いし、種類があるからお金とかの選択肢の幅が広いし。

 最近だと治癒効果付のも、作ってるからじゃないかな?」


 ガーヴェルからの説明に、全く納得がいかなかった。

 わたしが作れるものは、耐毒や解毒効果があるものだけだ。

 治癒などは全く付与できないから、人任せにしているというのに、なんで“薬の聖女”等という意味の判らない事になっているのだろうか。前の件も含めて、その発想が謎すぎる。薬というのも、意味が幅広すぎるではないか。

 つけるならばせいぜい、毒の聖女――いや、これは無い。


「まあ、噂だよ噂。けっこうみんな、好き勝手に話すからね。

 好き勝手といえば……前の“聖女の接吻”も、笑えるけれど」

「あぁ〜〜…………」


 先日の納品の際の、あの出来事を思い出して頭を抱える。

 噂が独り歩きして、変な方向に行っていると知ったからだ。……忘れていたのに。

 羞恥に悶えるわたしは気付かなかったけれど、「笑える」と言ったガーヴェルの表情は、笑顔を浮かべていつつ――目は笑っていなかった。

 ふう、と溜め息のような呼吸が隣から一つ。


「オレとしては、ベルが髪を切るのは嫌なんだけどな。

 いくら“聖女の祝福”に、必要だからって」


 身悶えるわたしの、肩あたりで切り揃えた萌葱色の髪に手を触れながら、ガーヴェルは不満そうに呟く。

 そう。先日、会話に出てきた薬の名前は、“聖女の祝福”が正しく――そしてわたしが、代償を払って作っている解毒薬だ。作っている中では、最高級のランクになる。

 髪には魔力が宿ると言われているので、魔術師や神官等は髪を伸ばしてたりもする位なのだけれど、わたしの場合は魔術処理をした髪の灰を魔法陣に使うと、更に効果が倍増されるので、定期的に髪を切っているのだ。

 同じようなやり方で、“溜め息”と“囁やき”があるのだけれど、一番やり方や代償が面倒臭いのが“祝福”なのである。


「作るのに使ったら、更に効果が強く出るんだから、使うべきでしょ?

 それとも、短い髪型は似合わない?」

「似合っ……わなく、は、無いけど。

 可愛いけど…………」


 上目遣いでチラリと。

 わたしの視線を感じた途端に、火傷したかのような反応で髪から手を離したガーヴェルの顔は、少し赤い。

 同じ目線だったはずが、いつの間にか合わなくなって、更には見上げるようになった。肉体的は成長著しいガーヴェルだけれど、こういう反応はまだまだ扱い慣れていないようで、可愛いものだ。

 少し照れながらも、褒めてくれようとする気概には、ちょっとした精神の成長を感じてしまう。


「ふふっ、ありがとう。

 ガーくんが褒めてくれるから、わたしはこれで良いんだ〜」

「そりゃ褒めるよ、事実だから。

 でも……」

「それに、助けられるなら、助けたいの」

「……うん、わかってる」


 神様のお導きで、わたし達は助けられたから。わたしも助けたい、と。

 同じような話は、今まで何回も繰り返していつつ、ガーヴェルはやっぱり納得いかない、とグチグチ呟いていたけれど。


「おっねえちゃ〜〜んっ、ベタベタ終わったのー!」

「お砂糖のやつ、食べれる? 食べれるの?」

「あ〜! なんかガーヴェルのやつがいる!

 サボりだサボりだっ」


 任せていた仕事が終わった子供達の乱入により、案の定、

話は途中で終わってしまう。

 その後はもちろん、落ち着いて話の続きをガーヴェルとすることもできずに、ただ次の予定についての打ち合わせを軽くするのみだった。子供達とオヤツをしながら。


「え…………次はこの変な草の砂糖漬け、作るの?」

「別におこづかいもあげるから。お願いできる?」

「も〜、お姉ちゃんはほんと、しかたないなぁ」


 いつもの流れになっているからか、その時だけ大人びた雰囲気で、ヤレヤレ……と肩を竦められた。

 もちろん、最終的には承諾の返事をもらったけれど。

 子供達には、延々と地道な野草のお掃除という下処理をお願いすると、とても嫌そうな顔をされてしまった。




  *


  *


  *




「護符に使う染料の、材料が足りないんだっけ」

「うん。普段の量なら、何も問題無いんだけど。

 これから街の方でも、お祭りがあるでしょう?

 人出も増えるし、準備しておいた方が良いかなって」


 今日は採集目的で、ガーヴェルと共に町からちょっと離れた山の方にまで足を伸ばしていた。今は、山裾を歩いている。

 備えあれば憂いなし、とはよくいったものだけれど、物心ついてから死にかけた記憶がある身としては、ちょっとでも対策しておきたい心境なので。早め早めに準備しておこう、とばかりに材料を採りに来たのだった。

 定期的に解毒薬等は作っているけれど、季節毎に必要になるものも変わってくるから、材料の確保は大変である。

 神殿の方にお願いする事も多いのだけれど、足りなかったりする場合は自分で用意する事もしょっちゅうだ。


「さすがに“華龍の王蜜”は無理だけど、ベルが依頼してくれたら、オレ一人で採ってくるよ?」


 “華龍の王蜜”とは聖女の祝福を作る為に必須な材料の一つなのだが、その希少性故にとても採集が大変で、とってもとってもお値段が高い。ほんの一匙程度でも、一般市民が一ヶ月は暮らせる程度である。

 そんな高級品をどうやってか判らないけれど、定期的にそれなりの量を仕入れてくる神殿やルンさんは、ガーヴェルの冒険者としての目標の一つとの事。それはさておき。

 冒険者への依頼の一つに、薬草の採集はあるけれども。


「んん〜。

 でもガーくん、たまに種類、間違えちゃうし……。

 それなら、自分で採ってきた方が確実なんだよね。

 ホントなら一人ででも大丈夫なんだけど――」

「一人は駄目。

 絶対許さないよ、ベル」

「だよねぇ〜……」


 オレもついていく、と。昔からヒヨコのようにガーヴェルはわたしの行く先々をついて回っている。むしろ若干《憑》いて回るでは、と思えなくも無いのだけれど、やっぱりガーヴェルといると心に余裕が出来るのは否めない。


「ガーくんは過保護だなぁ」

「町の周囲ならともかく、離れた場所に一人で行くのは危険だよ。

 最近は特に、見かけない魔物の出現の報告がきてるし」

「まもの? そうなの?」

「そう、魔物。だからベル、気を付けて欲しい」


 ガーくん曰く、先日の街のギルドへの訪問は、情報収集の為だったらしく。町の人達から見慣れない動物がいる、という報告を受けて、ガーヴェルの方では周辺で何か異変がないか、訊きに行ったらしい。

 ギルドの方では特に何かあった訳ではないが、同様に見慣れぬ動物や小型の魔物が確認されている、との事で、とりあえず注意する程度に警戒を止めている、という話をしてくれた。


「う〜ん、知らない動物が出てくる時って、気候変動とか山火事とか、そういうのがあったりするってよく聞くけれど。

 とりあえず、植生に関しては、前と変わらない、かなぁ……?

 あ、でもあそこ……ちょっと枯れてる? ……季節外れ、かも」

「枯れて? ベル、ドコ?」

「ガーくんこっち」


 ちょいちょい、と手招きをしてガーヴェルを呼ぶ。

 そして、件の場所を指さした。


「ここ、ちょっと他と色が違う気がするけど、ガーくんはどう思う?」

「これ、は……。

 ちょっと見では判らないけど、ベルの言うとおり、少し枯れてるね。

 枝が折れてたりもするようだし、下の方だけど、猪のとかにしちゃ位置が……」


 わたしが示した箇所に近付くと、ガーヴェルは問題の植物に触れないように気を付けつつ、あたりを観察し始めた。


「枯れてるのは、折れてしまったからだけじゃないみたいだ。

 折れてるのは、こっちで……木の表面に、爪痕?

 爪……熊、とかにしては幅が」


 ブツブツと呟きながら該当の箇所を観察し続けるガーヴェルを尻目に、わたしもキョロキョロと他に異変はないか、周囲を見回す。

 獣道を使ってここまで来たけれど、今までとあまり変わらなかったように思う。異変、と言えそうなものは、ここ位だ。

 そう。ここまで、の道筋では、だ。

 ここから先は――――。


「……そういえば、今日は静か――」


 普段と違うところ、と考えていて。思ったのは。

 静かなのだ。比較的入口に近いとはいえ、森の中にいるはずなのに。

 まだ日は高く、普通なら、もっと鳥の声が聞こえてくるはずだ。住んでる町ですら、鳥の声が聞こえてきてうるさいのに。

 今、聞こえてくるのは、遠いところにいると思われるほんの微かな鳥の鳴き声か、木々が風でざわめく音。グルリと周囲を見回すも、動物の気配は無い。

 わたしの呟きに反応してか、ガーヴェルも視線を上げて同じように周囲を警戒している様子を尻目に見る。


「…………」


 一際強く、風が吹いて。

 嗅ぎ慣れない、臭いが漂ってきて。

 ガサガサッと木の枝が揺れる音がして――。


「わっ……」

「っっ、ベルっ!!」


 ドン、っという強い衝撃と共に、声を上げる間もなくその場から吹っ飛ばされて、そして何か重いものが覆い被さってきた。

 何か、ではない。これは……ガーくんだ。


「なっ、ガー……く――」


 身を起こし、被さるガーヴェルに声を掛けようとした瞬間。


――――ガンッッ!!


 という、お腹に響くような重厚な金属音と共に、空気が圧縮されたような衝撃が、体を包み込む。

 ピシリという乾いた音がして、次いでパラパラ、と耳許で欠片が落ちてきた。またピシリ、という音が聞こえてきたと同時に、先程と同じような空気の圧を感じた。


(耳飾り、の、護石――割れ…………っ!!!)


 “何か”に攻撃されている、という事に気付いた瞬間、咄嗟に腰に佩いていた短剣を鞘から抜き出して、地面に突き立てる。


《其は盾なり、我身を護りし牆壁とならん事を――!!》


 自身の魔力を短剣に纏わせながら、呪文を唱えた瞬間、月色の輝きと共に魔法陣が地面に展開され、短剣を基点とした半球状の結界が形成された。バシンッという音が響くが、先程のような衝撃は、今度は感じられない。

 音のした方に視線を向けると、淡い光の膜の向こうに自分よりも大きそうな蜥蜴……と思しき何かが、腕を振りかぶっては何度も攻撃しようするも、弾けるような音と共にその場から吹き飛ばされ、阻まれているのが確認できた。

 とりあえず、無事になんとか結界が張れたようだ……と無意識に止めていた息を吐き出すと、改めて身を起こそうとして――その、鉄臭さに気付く。


「……ガー、くん?」


 何かからわたしを庇うように、覆い被さってきていたはずのガーヴェルが、一言も無い。その体が、腕が、ダランと垂れている。ズルリ、とその体がわたしからずり落ちる。


「ガーくん!?」


 慌ててガーヴェルの下から抜け出そうとすると、ヌルリとした生温かい何かが、手に触れた。その液体は、ガーヴェルの服をしとどに濡らしていく。

 流れる血は、背中からだろうか。確認するべく、震える手を伸ばそうとすると、ぽとりぽとりと……腕に巻いていた筈の紐が、地面に落ちていった。


(ウソ……麻痺避けの、御守が切れてる……。

 っ、まさか)


 布の濡れた感触で、それなりの量の血が流れ出ているのは予想がついたが、毒の可能性が出てきた為、急いでガーヴェルの頭を抱きかかえて体中を確認する。

 背中にはざっくりと、深い爪の痕が数本あり、そこからダラダラと血が流れ続けている。血を失っている為か、顔色は青白く――。


(息! してない!!)


 かろうじて……かろうじて。微かに、脈は感じるので、心臓は動いているようだが――それも時間の問題だろう。

 じわりと視界が滲みかけるも、慌てて首を振り、深呼吸をして気分を落ち着ける。鼻がツンとしたけれど、今じゃない、と心の中で呟きながら、ガーヴェルの血に汚れていない方の手で、カバンを漁った。

 近場だからという事で、そんなに数は持って来ていないけれど……薬はあるはずだ。常日頃から口を酸っぱくして注意されていたので、護石や御守、短剣等を身に着ける習慣にしていて良かった――、と実感しながら探る指は、目当ての薬の包みに触れる。


「あった、“溜め息”……っ。

 効力、高めればっ、何とかなるはず――」


 手持ちの薬は“聖女の溜め息”といって、祝福よりも効果は低いけれど――わたしの加護を使えば、解毒の効力を高めてガーヴェルを毒からは助けられるならはずだ、と。包みから薬を取り出すと、ガーヴェルの蒼白な顔を一瞥した。


「ガーくんは嫌がるけど……。うん、怒ってくれるなら、……うん」


 これは不可抗力だ、と一つ頷いて。

 薬を握り込みながら、地面に突き立てていた短剣の刃に人差し指を滑らせて、切り傷を作る。じんわりと滲み出てきた自身の血を薬に塗り付けると、手短に神様へと祈りを捧げた。


《貴方様に捧げます》


 ほんの一瞬、血が引くような、意識が途切れそうな感覚に襲われるが、それと同時にぽぅ……と淡く周囲を光らせた薬は、ほんのりと熱を持った。

 本来ならば、神言で言祝ぎを紡ぐのだけれど、そんな暇はない。だからわたしは、最も手っ取り早く、最も効力が高い――血液という“わたしの一部”を代償にして、解毒の力を高めたのだ。

 “溜め息”は飴のような形状をしていて、中に薬効成分のある液体が入っているのだが、流石に意識のないガーヴェルに飲んでもらうというのは無理なので、ぽいっと口の中に薬を入れると、歯で噛み砕いてから口移しでガーヴェルに薬を飲まそうとする。


「ん――――……」


 中身の薬はドロッとした液体だが、無事にガーヴェルは飲んでくれたようだ。飲んだというよりは、喉に流し込めたというべきかもしれないが。

 とりあえず、かはっという咳と共に、ガーヴェルの呼吸が再開された。背中の傷も、使用している華龍の王蜜の効果で、塞がりはしたようだ。ただ、血を流しすぎた為か、意識は戻らないし顔色も悪いままなのが問題ではあるが。


(良かった……麻痺毒の影響とかは、無くなったみたい。

 でも、“溜め息”だけじゃ治癒力は弱いから、傷が塞がるだけなんだよね……失った血は、戻らない)


 堪えていた涙が再び溢れそうになり、慌てて目を瞑って鼻をすする。

 力無く横たわるガーヴェルの体をギュッと抱き締めながら、結界の外を見てみると、まだまだ蜥蜴らしき魔物はこちらを諦めてくれないようだ。しきりに、尻尾や爪でこちらを攻撃してきている。

 ただ、多少は学習したのか、攻撃の頻度は落ちてきており、周囲をグルリと回ったり、半球型の結界に取り付いてみたり、と様子を窺っているのが見て取れた。


「篭城だけなら、二日くらいできるけど……。

 ガーくんが、保たない、かもしれない、し…………」


 一応、万が一の時の為に野営なんかの備えもあるし、自分達が帰ってこなければ、町にいる冒険者が探してくれる可能性は高いので、待つのもありだけれど――時間の問題がある。

 みんなから言われているからと、自衛用に攻撃符やら治癒符等もカバンの中に入ってはいるものの、どれも決め手に欠けるものばかり。まさか通い慣れた場所で、見知らぬ魔物に襲われる事もある、というのを想像できなかったのが痛い。

 自分に、もっと力があれば――と。

 泣きそうになりながらも、必死に頭を働かせているその時。


――――クッケェエエエエエエ!!!


 遠くから、ガサガサという葉擦れとそれに合わせて足音が近付いてくると認識した瞬間、ダンッという音と共に甲高い鳴き声が通り過ぎていき、赤い塊が魔物をふっ飛ばしていった。


「へっ……………え……………?」


 赤い塊はそのまま、ガシガシと魔物に近付いては離れて、と、魔物を足蹴にしては宙を舞っているのが遠目で見えた。どうやら、この場から離れて行っている……らしい?


「なっ、何……」


 大きいけれどあれは鳥なのだろうか、と唖然とその様子を眺めていると、再びガサリという葉擦れと共に――先程よりは遅いけれども、駆けるような足音が聞こえてくる。

 思わずガーヴェルを抱き締める腕に力を込めながら、警戒しつつ、音のしている方を向くと――。


「ラ・ア・フ〜〜〜!!

 あぁぁんのクソ鳥、俺様を振り落としやがって!

 ふっざけんじゃねぇぞコラ、食ってやろうかぁあああ?!!!」

「っっっ、きゃああぁあっっ!?」


 飛び出してきた何かの勢いにビックリしてしまい、思わず叫んでしまったけれど。

 草叢から飛び出てきた、見慣れない旅装姿の男の人は、わたしの悲鳴に一瞬だけ警戒したものの、こちらの様子を目視した瞬間、結界の側まで駆け寄ってきた。


「ちょっ、ベルちゃんっ!?

 いやいやいや、何でこんなとこに――あぁいや。うん。

 どうしたの、大丈夫? 血は……ガー坊の?」

「へ……え…………え……?」

「……んん〜、うん、うんうん。ベルちゃんは大丈夫そう、か。

 なら問題は、ガーヴェルの方、っと」


 まだ結界は張ったままだったので、結界の壁越しにだが。その人はわたし達の様子を観察し、一つ頷くと抱えていた大きな荷物を地面におろして、自由になった両手で自身の懐を漁りだす。

 ちょっと軽薄なノリではあるがその低い声は、とても聞き覚えがあるもの――なのだが。まさか……という思いが拭えない。


「るっ…………るん、さん?」

「お〜〜、そうそう、ルンさんルンさん。

 ベルちゃん、直にはひっさしぶり~。

 とりあえず、ガー坊が駄目っぽそうだから、また後でお話しよっか。

 傷ヤバい? 何が原因?」

「ま、魔物っ……爪で、たぶん、毒…………。

 傷は、塞がったと思うけど、血、血が……」

「毒、かぁ。了解了解。

 とりあえず結界、解除できる?」

「はっ、はいっ」


 見知った顔につい、堪えていた涙が止まらなくなりながら、その言葉にコクコクと頷くと、結界の基点となっていた短剣を地面から引き抜いて、解除する。

 咄嗟に結界を張れてエラいなぁと、ぽん、とルンさんに頭を一撫でされながら、まだ汚れがマシな方の手で目を擦った。

 わたしからガーヴェルを引き剥がしたルンさんは、その体を一通り調べて、改めて傷は塞がっている事等を確認していく。その横で、わたしは何度も何度も、袖口で涙を拭ってしまった。


「ふっ………う、うぅ〜〜……」

「ガー坊は早めに診てもらった方が良さそうだな……。

 ん〜……、うん、ベルちゃん“聖女”シリーズ、何持ってきてる? まだあるならもらえる?」

「もっ……持ってきているのは、“聖女の溜め息”で……あと、二個あります」


 グスグスと鼻をすすりながら、カバンの中を漁って先程使用した薬と同じ物を二個、取り出した。それを、差し出されたルンさんの手のひらに置く。


「あーりがと。

 とりあえず、あの蜥蜴ヤローはラアフと俺が始末するから、ベルちゃん達は先に神殿に行っといで」

「……? へ? ルンさん、神殿、って……」

「終わったら町の方に報告とかするから、安心して良いよ。

 その後、俺も神殿行くから。

 んじゃ、転送するからガー坊ヨロシク」


 懐から見慣れない紋様が描かれた御札の束を取り出したルンさんは、いつの間にか拾っていたらしい木の枝でぐるり、とわたし達二人を囲むような円を地面に描くと、ぺたりと一枚、御札を地面に貼った。


「転送、って、え、え、えぇっ!?」

「どうせ神殿に連れてくなら、ポーション使うの勿体ねーしなぁ……っと」


 ―――パンッという手を鳴らす音と共に、一瞬で光に包まれたわたし達は、その場から姿を消すことになった。



 確かに、ガーヴェルの状態は応急処置をしたとはいえ、安心できる状態ではないので、早く医者や神官に見せるべきだとは思っていたけれど。

 まさか、マトモな説明もされずに、街の月神様の神殿に瞬間移動させられるとは思わなかった。


(ルンさん、転送符なんてお高いモノ、お持ちなんだ……)


 等と、ちょっと遠い目になったのは仕方ないのではないか、と。

 顔馴染みの神官様達が、慌てて月神様の神殿から駆け付けてくる姿を見ながら、つい、緊張の糸が切れてしまったわたしであった…………。




  *


  *


  *




「おや? 伝えておりませんでしたっけ」

「聞ーてない、でぇえす」

「ふふ、それは失礼致しました。

 うっかりしてましたね、私とした事が」


 ――――あれから一週間ほど。

 ルンさんに強制転送されたわたしとガーヴェルは、そのまま月の神殿に逗留し続けている。

 ガーヴェルの容態を神官の方に診て頂いたところ、毒の影響は全く残っていないものの、出血が酷かったし傷も開く可能性もあるとの事で、しばらくは体力回復に努めるように、と神殿内の一室に押し込められたのだった。

 わたしの方は諸々の御守によって護られていたので、特にケガ等はないのだけれど、離れがたいというのもあって、ガーヴェルの付き添いをしているような感じだ。もちろん、ここでもお仕事はしてたりするけれど。


 一日に一回は、高司祭のラプナス様が部屋に顔を出してくださるのだけれど、これまではガーヴェルが寝ていたりして、直接会話はできず。

 今日、久々に会えたので、ルンさんについてガーヴェルがラプナス様に質問した答えが、うっかりというものだったのである。


「ヒドいです、ラプナス様。教えといてくださいよ……。

 あの人来るなら、厄災が来る覚悟が必須になるんですよ……?」

「ちょっ、おまっ……、俺についての扱いヒドくない!?」


 がっくり、と肩を落としながらボヤくガーヴェルの声に対し、新たな声が加わった。


「ルンさん! こんにちはっ」

「よっ、ベルちゃんこんにちは。ご機嫌いかが?

 暇なら俺とお茶しない?」

「ベルは暇じゃないしアンタとお茶なんて飲まない」

「おや、噂をすれば。

 ギルドの方に報告は終わりましたか?」


 開け放していた入口から頭を覗かせていたルンさんは、三者三様の反応に笑いながら、手をひらひら振りつつ中に入ってくる。

 そして空いている椅子が無いせいか、ドカッとガーヴェルが使っている寝台の上に腰を掛けた。ガーヴェルは体を起こしているので、蹴り出そうにも微妙に届かない位置である。

 ガーヴェルはとても嫌そうな顔をしているけれど、これは通常運転だ。


「行ってきたぜー、ギルド。

 一応、俺がやるべき範囲での後始末は終わり。残りはギルドの方で、現地調査をして――って感じだな。

 ラスに言ったのとほぼ変わんねーけど、あっちは裏付けを取るんだろうなぁ」

「それはお疲れ様でした。

 君には苦労をかけますね」

「ほんっと、マジ勘弁してくれって感じなんだけど……。

 ラスの方でどうにかできん?」

「無理ですね。我等が神の思し召しです。諦めて下さい」

「面倒臭ぇ…………」


 わたし達を飛ばしたあと、ルンさんは荷鳥のラアフと共に毒蜥蜴の魔物を倒しただけでなく、町に行って周辺の調査依頼やわたし達の状況について、報告してくれたりしたのだった。

 ただでさえ助けてくれたのに、その後の尻拭いやフォローまでもしてもらったので、頭が下がるばかりである。

 ルンさん曰く、いつもの事だというけれど、こうやって命を助けてもらったのは事実だし二回目なので、今後も恩返しをしたい所存だ。


「第一、ガー坊もガー坊だ。

 ギルドの方に異変有って報告があんのに、警戒が足りないだろ」

「それは――」

「ラアフが突っ走らなきゃ、お前死んでたかもな?

 ベルちゃんには色んな意味で感謝しとけよ。

 アイツ、ベルちゃんに懐いてるから、気付いたっぽいし」


 ルンさんの旅商の相棒でもあるラアフは、色々とあって卵から孵化した子なのだけれど、雛の頃に一時わたしもお世話した事があり、それを覚えてくれていたようで。今回、乗せていたルンさんと荷物を振り落として、わたしを助けるべく駆けつけてくれたらしい。

 もちろん、こちらに戻ってきた後はガーヴェルの看病の合間に、ラアフのお世話をしたりオヤツをあげたりと、お礼をしているけれど。


「アンタが来るなら、警戒してた。

 ……厄災連れてくるから」

「馬ァ鹿、俺が厄災を連れてくるんじゃなくて、厄災になりそうだから俺が巻き込まされるんだよ。

 俺は、好き好んで、首突っ込んでない!」


 不貞腐れながら、視線を逸らしたガーヴェルの頭を、座っていた場所から移動したルンさんがワシャワシャと撫でる。

 嫌がって振り払おうとしても、犬を構うように撫でるから、その白橡色の髪がグシャグシャで、ついクスッと笑ってしまった。


「ヤメロ、サワルナ」

「はあぁぁあー、あの可愛いガー坊が独り立ちなぁ」

「やめっ」

「でも、俺様に楯突こうなんて十年早い時間ぞー」

「いや、アンタとは十歳も差はないよな!?」

「…………ふっ」

「…………………」

「経験の差」


 経験の差、と聞いて。それは冒険者の経験か人生の経験か、それとも――ルンさんだから女性遍歴の差なのだろうか、等と思い浮かんだけれど、男同士の話に突っ込むのもどうかと思っているので、とりあえず黙ったままで二人の話を聞いている。まあ、ガーくんは全部負けているだろうけれど。同い年になっても……ほとんど負けてそう。

 そんなわたしの考えている事などお見通しなのか、同じく黙ったままのラプナス様と目が合うと、クスリと笑われてしまった。……恥ずかしい。


「とりあえずお前、今回みたいな状況は、革鎧くらい身に着けとけ。

 まだまだ実力、足りねぇんだから。

 お前がそんな感じじゃ、ギルドの方にも便宜図ってくれてるベルちゃんがかわいそーだぞ。

 今回だって、思い切ってたろーに。報われないとか……なぁ」

「る、ルンさん!?」

「えっ、ベルが……?」


 傍観してたら、何かが飛び火した。


「えっ、ちょっと、ベルが何!?」

「なんでも……なんでも無いからガーくん!!」


 寝台から腰を上げたルンさんを捕まえようと、手を伸ばそうとしたガーヴェルの腕を掴む。そんなわたしの様子に笑いながら、ラプナス様も立ち上がった。


「さて、と。ガーヴェルも問題なさそうですね。

 そろそろ時間なので、私はこれで。

 いやぁ、愉しませてもらいました。青春ですね」

「あっ、そうそうベルちゃん。

 チークスの件、軽く話したけどまた今度。

 次は詳細な話しよーねー。

 後、割れた護石の耳飾りとか、似合うヤツをプレゼントしてあげる」

「アンタはさっさと去れ!」


 ラプナス様とルンさんは連れ立って、部屋を出ていく。

 その後ろ姿をぼんやり眺めていたら、廊下の方でお二人が楽しそうに、何かを会話しているのが聞こえてきた。たぶん、わたし達の反応について、……だろうなぁ。


「………………」

「……え〜っと、ベル。その」

「何かな、ガーくん」

「アイツが言ってたこと……って、何?」

「ひみつ」

「何?」

「ひみつ」

「オレが何?」

「ひみ――」

「教えてよ、ベル。知りたい」


 お互い、しばし、無言。

 中庭の方だろうか、子供達が笑う声が、風に乗って微かに聞こえる。

 共に自分の意志を通そうと、にらめっこの如く見つめ合っていたのだが――今、ここで負かしても後々うるさそうだ、というのに思い至ったわたしは、溜め息一つ零して微苦笑を浮かべた。


「ギルドの便宜については……ガーくんが冒険者になるっていうから、そっちの方にも解毒薬を回して下さい、ってお願いしてたの。

 わたしが作った解毒薬を使った人が、巡り巡ってガーくんを助けてくれるかもなー、って思って。

 もちろん、困ってる人を助けたいっていうのもあるけど――」

「そう、なんだ」

「……うん、ガーくんの助けになればって。

 心配だったし」

「そっか……」


 じんわり。じんわり、と、別に言わなくても良いかと思って、伝えなかった心をバラすのは恥ずかしいな――等、指を組んだり握ったり、ともじもじ照れていたわたしは、もう一つの火種の事を忘れていた。

 そして、ガーくんはその火種に気付かないでいてくれなかった。


「で?」

「え? うん?

 ……ガーくん、なぁに?」

「今回」

「うん?」


 じっと睨むような勢いで、少し身を乗り出しながらこちらを見てくるガーくんに、わたしは首を傾げる。


「アイツが言ってたよね、“思い切ってた”って、何?」

「……………………」

「べーる?」

「いや別に……そんな、思い切ったとか、そん、な…………。

 ふ、フツウダヨ」

「……ふぅうん?

 普通なんだ、ベルにとっては」

「…………たぶん」


 にじりにじりと、寝台の端まで体をずらし、今度こそ逃さんとばかりにガーヴェルは手を伸ばし、わたしの手の甲を指で擽ってきた。


「普通なら、もっかい同じ事。できるよね?」

「は?」

「ベルならしてくれるよね?」


 項垂れたままだった視線をほんの少しだけ上げると、それに気付いたガーくんは首を傾げてみせる。


「ベル?」

「………………………………普通じゃないです。

 ゴメンナサイデキマセン」

「あ〜、やっぱり」

「ごめん、嘘でした」

「うん。で?

 何をしたの?」

「…………」

「…………」


 そこまで追求してきますかー、という視線をわたしは向けると。

 もちろん、と以心伝心の如く良い笑顔で頷くガーくんの姿。

 はくはく、と口を何度か開けては締めを繰り返したけれど、諦めて深呼吸をして、一息に言った。もちろん、視線どころか顔は向けずに、下を向いたままだったけれど。


「“聖女の溜め息”を口移しでガーくんに飲ませました」

「へ……え――、っ、うわっ!?」

「ガーくんっ?!」


 慌てて声のした方に目を向けると、床に転がり落ちたガーヴェルがいた。

 手を差し伸べるべきか悩むものの、伝えた内容がなんとも気恥ずかしくて、上げかけた腰を再び椅子に下ろす。


「…………」

「……ガーくん?」


 自分で起き上がるだろう、と思っていたのに、ガーヴェルはうつ伏せに突っ伏したままだ。よくよく見てみると、耳が赤く染まっている……ようである。


「赤くなるなら、聞かなきゃ良いのに」

「うん、ゴメン……ちょっとダメージ大きかった」

「ダメージ。………嫌だった、と」


 そう、ぽつりと呟いた言葉に反応し、ガバッと体を起こしたガーヴェルは、慌てた雰囲気でこちらに擦り寄ると、両手でわたしの手を取って上目遣いで顔を見つめてくる。


「いや、いやいやいや。

 嫌じゃない、全っ然、嫌じゃない。

 けど――――」

「……なぁに?」

「そのっ。

 …………起きた時に、口の中――甘かったな〜、って思い、出して」

「……あ〜、まあ、そうだね」


 “聖女の溜め息”は華龍の王蜜を使ってるから甘いよね、とちょっと遠い目をしてみるも、わたしの気を引く為か。

 ガーくんの、手を握る力が強くなる。


「その、生々しい、と、いうか…………。

 ベルなら。嬉しい、です。ハイ」

「お、おぅ。

 ……いや、そういう状況になっちゃダメだよね?」

「――――反省してます」


 視線を合わせて、クスッと笑った。

 まだまだお互い、顔は赤いままだけど。とりあえずはまだ、……たぶん、ガーくんはわたしの弟分、のはず。

 たぶん。

 お互いに、意識はしてるみた、い……?


「……“聖女の接吻”は、確かに甘かったな」


 ガーくんの呟きに、思わず頭を叩いてしまったけれど。




  *


  *


  *




 ちなみに。

 チークスの砂糖漬けはわたしが作っても効果の向上はさほど起こらず、増えたのは効果時間らしい、というのがルンさんとの会話や実験でわかったり。

 ガーヴェルはツマミ食いしたお陰で、毒蜥蜴の魔物の攻撃を受けた際に耐性がまだ残っていて、即死する可能性を回避できたという。そんな説明を受けて、ガーヴェルはとても複雑そうな顔をしていたけれど。

 たまたま、ルンさんが送ってきてくれた物で命拾いしたんだもんね。仕方ない。


 魔物が現れたのは、気候の変動で本来の生息地から移動して――という訳では無いらしい。自力での移動の形跡が見つからなかったとの事で、引き続き調査中だけど、今回はダンジョン等の暴走で転送されてきたのでは無いか、という推測はされている。

 が、結論が下されるのはまだ先だ。



 とりあえずわたしは、月の女神様に巡り会いに感謝しながら、今日も解毒薬の作成です。







 


土筆のお干菓子は楽しいけど、作る時のハカマ取りが面倒臭いのです……。


ガーヴェルはルンさんに負けたくないけれど、経験等の差でどうしても勝てないし、見せ場を持っていかれるの巻。

駆け出しからは卒業してるんですけどね。

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