01 悲劇のはじまり
――その日の夜は嫌な雨が降っていた。
分厚い雲からゴロゴロと雷の音がして、時折、稲光と共に雷が落ちる音も響き、嫌なくらい雨音が酷い夜だった。
あまりの出来事に、その印象的だった天気以外でも、その日に何をしていたのか、どんな物を食べたのか、どんな人に話しかけていたのかなど、鮮明に覚えているほどだった。
ネフィは目の前で、左足を無くした妹ラフィを見下ろしている。
「うぁああっ!? ぐっ! ぐうう……っ!!」
「ラフィ……?」
どうしてこうなったのかわからない。
気がついたら目の前に左足が切り落とされたラフィがいた。
ラフィは、目の前にいるネフィなど目も暮れることなく、その出血が続く左足を押さえて苦しんでいる。
するとバタバタと駆け足でこちらへ来る足音が聞こえる。
「どうされましたか!?」
駆け込んできたのは、聖堂騎士団隊長アスベル。
ラフィ達、聖女を守ってくれる聖堂騎士のリーダー。
そんなアスベルはネフィを見て、驚愕の表情を浮かべた。
「ネフィ様……! そのお手に持っておられる物は……?」
「えっ……?」
そう言われて右手に何かを握っていたことに気付く。
確かな重みがあるはずの物なのに、ラフィに意識が集中していたせいか、言われるまでまったく気付かなかった。
そしてネフィは、その握っている物に目をやると、
「!?」
片手斧を握っていたことに気付く。
血はまだ凝固しておらず、刃先からポタポタと垂れ落ちている。
その滴っている血が誰のものなのか、鮮明に伝えているようだった。
「ひっ!?」
その片手斧を離すと、ゴインという鈍い音が響き、ネフィは恐れ、疑問が湧き出てくる。
何が起きているのかわからない。
何故、私は斧を持っていたの?
何故、その斧から血が滴っていたの?
何故、ラフィの左足が切り落とされているの?
「ネフィ様……! 貴女様は何ということを……!」
アスベルは状況を見て、当然のようにネフィを疑った。
「ち、違うんです! わ、私は何もしていません!」
そんな慌てふためくネフィを横目にアスベルはラフィを抱え、
「ラフィ様! お気を確かに!」
「はあ、はあ……」
すると更にバタバタと連続した足音が聞こえる。
「どうされました?」
他の聖堂騎士も慌てた様子で現れた。
「丁度良かった! すぐにラフィ様を治癒術師様のところへ!」
「なっ!? ラ、ラフィ様!? か、畏まりました!」
アスベルは部下にラフィを預け、ネフィに事情を尋ねる。
「ネフィ様。事情を伺ってもよいですか?」
「じ、事情と言われても……。わ、私! 本当に何も知らないのです! 気がついたらラフィが倒れていて、それで……!」
そんな事情がわからないネフィを見ながら、部下のひとりがアスベルに尋ねる。
「ネフィ様がどうかされたので?」
「いやな、その凶器と思われる斧、私が駆けつけた時には、ネフィ様が持っていてな」
「なっ!? ネフィ様!?」
「だ、だから違うのです! 私は何も知りません!」
「先程からこればかりなのだ……」
まるでネフィが犯人みたいな雰囲気で語るアスベルだが、ネフィは本当に何も知らなかった。
確かに状況だけ見れば、血で染まった斧を持っていたネフィがやったように見えるけれど、ネフィはいつも通り、礼拝堂で祈りを捧げた後、素直に自室へ戻った記憶がある。
そして気がついたら、左足を失った状態のラフィがいたという状態なのだ。
ネフィも説明できるなら説明したいが、知らないものは知らないとしか言いようがなかった。
「……とにかく如何に聖女様とはいえ、聖女様を襲った疑惑がある以上、取り調べを受けてもらいます。よろしいですね? ラフィ様」
「は、はい……」
ネフィはどうすることもできず、言うことを聞くしかなかった――。
***
――ネフィには憧れていた人がいた。
それは母親であるユフィ。
とても優しくて周りにも慕われていて、それでいて気取ることもない謙虚な母が好きで、憧れだった。
特に聖都オルガシオンの大聖堂で行われる聖女の巡礼の儀式では、その姿がとても神々しく、みんなが慕っていた通りの聖女だった。
ネフィは母から言われていた、『貴女もまた、私のようにこの国を守る聖女になるのよ』と。
ネフィも母や周りの期待に応えるべく、そして自分の憧れの姿になるべく、聖女としての教育を受けてきた。
祭壇では毎日祈りを捧げ、聖堂での振る舞いやネフィ達を守ってくれる聖堂騎士達や慕ってくれる住民への感謝を忘れることなく生きてきた。
それに引き換え、ネフィの双子の妹ラフィはあまり真面目に取り組んでいなかった。
ラフィにも聖力はあるのだが、どうにも素行が悪い。
祭壇での神様への祈りはサボり、聖堂騎士達は召使い、慕ってくれる住民達には慕われて当然と思う横暴な態度。
ネフィや周りが注意しても、治ることがないほどに我儘で傲慢な性格の持ち主。
容姿は瓜二つだけれど、同じ聖女である母から生まれ、同じ教育を受けてきたとは考えにくいネフィではあったが、それでも可愛い妹だから、ちょっと困ることは沢山あったけれど、良い姉妹だったと思う。
だからこそ――、
「被告人ネフィ・リムーベルは、妹であり、聖女でも在らせられるラフィ・リムーベル様を殺害しようとしたものとされます――」
まだ十二歳くらいの娘がこんな息苦しい裁判に、被告人として立たされるなど、あり得ないこと。
ネフィは、ラフィに殺されかけたと証言されてしまったのだ。
信じていたのに……。
同じ聖女という立場だからこそ、お互いに苦労を乗り切って、母のようにこの国を守るんだって思っていたのに、どうしてこうなってしまったのか。
ネフィは絶望している。
幼い聖女の裁判ということもあり、注目もあり、人々の視線が集まる。
いつもの親しみのある視線は何ひとつ感じない。
みんなから感じるのは心配、嫌悪、不快、動揺などの様々な視線。
いくら聖女とはいえ、聖女を殺害しようともなれば、年齢など関係なく、ネフィは罪に問われている。
だがネフィはやっていないし、あの時だって記憶が無いし、何だったらちゃんと自室に入ったことだって覚えている。
だから裁判が行われているわけだが、ネフィが斧を握っていた事実を塗り替えられるはずもなく、実際、あの斧から滴っていた血は、ラフィのものと断定された。
握っていたことは、第一発見者であるアスベルが証言しており、斧からもネフィ以外に触れた者はいなかったそうだ。
色んな大人達がネフィのことで、議論を飛ばしている。
「妹君であるラフィ様を憎み、やった行動である。片手斧という極めて殺傷能力の高い武器を使って、犯行を行おうとしたのが、何よりの証明である!」
「いや、ネフィ様は普段からお優しい方であり、そのようなことなど致しません! ネフィ様の証言では、気がつけば斧を持たされたということ。何かしらの陰謀に嵌められた可能性があるのではないかと思われます」
「そんな曖昧な意見など通りませんな! あまりこのようなことを言いたくはありませんが、ラフィ様は聖女としての品位をネフィ様に限らず、周りからも指摘が多くございました。それに対し、許せないと感じたネフィ様の犯行という可能性も考えられます。お優しく、聖女としての誇りあればこそ、そんなラフィ様を許せなかったとは考えられませんかな?」
「――馬鹿を抜かせ! そんな感情論など――」
「感情論を言い出したのは、そちら――」
「静粛に!」
裁判官が木製のハンマーを叩き、その白熱する議論を打ち止める。
そのカンカンという音が腹の奥まで響いていた。
まるでこれからの未来が無いような、心臓を打たれているようだった。
「はあ、はあ……」
ネフィは助けを求めるよう、ラフィに視線を向けるが、まるで他人事のような顔をしている。
仮にも殺されかけた同じ十二歳の娘の表情ではなかったと思った。
そしてこの日は、慎重かつ平等な調査を行い、後日持ち越しとなった。
手枷を付けて歩かされるネフィに、
「大丈夫です、ネフィ様」
聖堂騎士の一部の方が声をかけてくれた。
聖堂騎士でも聖女が双子のせいもあり、派閥が分かれていた。
声をかけてくれたのは、ネフィの派閥の方だ。
ネフィとしては、仲良くしてほしかったのだが、この事件をきっかけに完全に分かれるかたちとなったようだ。
「ネフィ様の無実は必ず証明してみせます! 今はお辛いかもしれませんが、どうかご辛抱下さい!」
その後ろにはネフィのことを慕ってくれている住民もいました。
その方々も、
「ネフィ様はそんなことをする人じゃない」
「信じております」
などの暖かい言葉をもらった。
やはり普段から人を信じ、真摯に向き合えば、みんなが応えてくれるのだと、ネフィは心から安心できた。
「ネフィ様がどんな聖女様なのか、僕らはちゃんと存じておりますよ。必ず、ネフィ様をこんな目に遭わせた黒幕を炙り出してみせます」
「皆さん……。ありがとうございます。ですが、どうか、無理はなさらないように……」
「……! ご配慮、感謝致します」
確かに今回の件は、側から見ればネフィの犯行に見えるかもしれない。
ネフィがしていないと証言しても、それが虚言として捉えられることはあり得るだろう。
実際、ラフィはそう捉えている。
ですが、ネフィはこの国のことを案じ、そして母の意思を継ぐという気持ちがあり、それが姿勢となって出た結果、自分のことを信じてくれて、味方になってくれた人達がこんなにもいると自覚した。
それがどれだけ勇気付けられることかと、嬉しくなっていた。
それならばとネフィは、自分の意思をこれまで通り曲げず、自分を信じてくれた人達を信じること。
それが今、唯一できることだと考える。
そして天上から眺める神様もまた、ネフィの行いが間違っていないことを知っているはずだと。
「神よ……どうか、私を見守りください」
ネフィができること、それは信じること――だけだったのに――――。
――後日の裁判。
王都バルデルセンより国王陛下も謁見席に来られる中、
「――以上のことから、ネフィ様の……いえ、罪人ネフィによる悪質な犯行だと考えられます」
信じていたはずの人達が全員、手のひらを返したように裏切ったのだ。
まるで示し合わせたかのように。
「なっ……!? 何を言って!?」
「罪人ネフィは、このように人の良心を利用し、あたかも自分が本当の聖女であるかのように振る舞っていました」
違う!
そんなことは考えていない。
「そして本来、異例とも取れる双子の聖女ということもあり、ネフィは聖女様であるラフィ様の殺害を実行に移しました」
違う!
私はむしろ、ふたりでこの国を守っていこうとすら考えていたのに!
「動機はおそらく、聖女としての才能あるラフィ様を妬んでのこと。双子といえど、聖女様の能力に差はあることをご存知だったはず。いくら祈りを捧げたところで、ネフィとラフィ様の聖力の差は埋まらなかったのでしょう」
違う! 違う! 違う!
何もかもが違う!!
貴方、前の裁判の時、無実を証明するっていってくれたのに……!!
信じてたのに……。
「そして邪魔だと感じたネフィはラフィ様の殺害を行おうとした結果、幸いと言うにはあまりに酷なことではありますが、大事な足のひとつを失いました……」
だがラフィのその切り落とされたはずの足は再生していた。
もう失ってもいない。
「そして信じていた姉に裏切られたラフィ様のことを思えば、今回の罪人ネフィの行動はあまりに卑劣極まりなく、残酷な犯行だったと言えるでしょう」
「違う! 私は何も知らない!! 気がついたら斧を持っていたんです!! 私は何も知らないんです!! 信じて下さい!!」
ネフィの悲痛の叫びも届くことはなく、むしろ侮蔑を含んだ言葉が吐き散らされる。
「聖女だからっていい気になって……」
「殺人を犯そうとするのが聖女なわけがない!!」
「ラフィ様がお可哀想……」
「知らないうちに斧を持ってたなんて、悪魔にでも取り憑かれてたんじゃ……!!」
今まで向けられていた優しい視線はもう、どこにもなかった。
向けられた視線は嫌悪、憎悪、不快感などの攻撃的な視線ばかり。
「はあ、はあ、はあ……」
息苦しい。
怖い……!!
そんな追い詰められた状況の中――カンカンカンと木製のハンマーが無慈悲に叩かれる。
「静粛に! 静粛に!」
大人達が色々言っているが、もう耳に入ってくる余裕などなかった。
そして裁判長が凄く高いところから、話しかけてくる幻覚すら見えてきた。
「被告人ネフィ! 何かありますか?」
「あっ……あっ……」
もうネフィの精神は限界に達していた。
それを表すように、身体は震え、声は出なかった。
「では、判決を言い渡す」
それはまだ十二歳の娘にはあまりに重い罰。
「我が国において、聖女様のお命を脅かすことは万死に値するものであり、被告人が如何に幼い娘とはいえ、明らかな犯行の意思があったものであると判断できる。更に被害者である聖女ラフィ様は実の姉からの物理的、精神的ダメージも非常に大きく、聖女ラフィ様を著しく傷つけたものと判断できる」
その当人は、何食わぬ顔をしているのは気のせいだろうか。
とても精神的なダメージを負った人間の顔ではなかった。
もう、裁判長の言っている意味すら考えたくなかった。
「更には聖女を万が一失うこととなれば、我が国において、大きな損失となり、国民の安寧と平和を著しく侵害するものでもある。これらを踏まえると、その幼さでありながら、あまりに悪質かつ卑劣で残酷な犯行だったことから、ネフィ・リムーベルに――死刑を宣告する」
「……!」
十二歳のネフィでもわかる。
あまりにも残酷な判決。
ネフィは走馬灯でも流れたかのように、何か悪いことをしたのだろうかと考える。
私は聖堂で神様に祈りを捧げ、お掃除や洗濯などの炊事等も行い、聖女としての知性を磨くため勉学にも励み、町を歩けば皆さんに笑顔で挨拶をし、町の人達とも仲良くお話をしたりもした。
何か……何か、悪いこと、しましたか……?
声は出ず、もう涙しか零れてこなくなってきた。
ネフィは何もしていないのに、何故斧を握っていたのかも、何故あそこにいたのかも、何故ラフィの左足が切り落とされていたのかも、何もかもわからないままに、全てがトントン拍子に進んで来た先が絶望というゴールだった。




