月子を狙う風
今朝耀様にいただいた文とは筆跡が違った。
耀様は流れるような美しい字を書く。
けれど今手にしているこれは……。
「頬染めし少女の心奪ひしは ものがたりかもこころづきなし」
(頬を赤く染めた少女の心を奪ったものは物語なのかなぁ。だとしたら気に食わない。その頬を染めるのは私でありたいのですよ)
途端に暗闇に包まれた部屋が恐ろしく感じた。
私がここにいることを誰かが知っていて、こうして文を寄越した。
こわい。
鍵もない、どこに逃げればいいのかもわからない、こんな場所で一晩明かさねばならないのだろうか。
知らない誰かが訪れるかもしれないという底知れぬ恐怖に戦慄する。
そうするとどんどん五感が研ぎ澄まされてきて、さっきまで気にも留めなかったものが恐ろしいものへと変わる。
カタカタ。カタカタ。
遣戸が揺れる。誰かが手を掛けたのではないかと心臓が跳ねる。
さわっ、ざわわっ。
植栽が風で擦れ合う。そこに人が立っているのではないかと背筋が冷たくなる。
ギィー、ギィー。
床板が踏みしめられる音が扉の向こう側から聞こえる。私は息を押し殺し、ぎゅっと身体を縮めた。
駄目だ、どうすればいいかわからない。
涙を必死にこらえながらじっとしていると、足音はそのまま遠くへ消えた。
「はぁっ、はぁっ」
押し殺していた息を解放する。肺が潰れそうに痛い。
「耀様っ――」
喘ぐように名前を呼ぶ。けれど返事はない。
だって今頃彼は、女を抱きに行っているのだから。
不安、恐怖、後悔、嫉妬。手に負えない感情がぐちゃぐちゃになだれ込んでくる。
「泣いているのですか?」
男性にしてはやや高い、気品のある声が暗闇に響いた。
「っ!」
「今日は風が強いですから、たいそう心細いでしょう」
おそらく庭にいるであろう声の主は悠然と言った。
その穏やかな声色は、不安な私の気持ちを優しく包み込むようで、害を加える気はなさそうな感じがした。
だからと言って油断は出来ない。私はまた声を殺してじっとした。
「僕ならこんな日に貴女を一人にはしませんよ」
いいんだ。私が送り出したんだから文句なんて言えない。
それに私は耀様にとって、何者でもないんだから。
「この部屋の主人は大層薄情なのですね。可愛らしい雛を置き去りにするなど、信じられません」
クスリと笑う声が聞こえ、胸がズキリと痛む。
薄情なんかじゃない。私を拾って、部屋を与えてくれて、贈り物だってしてくださった。
私はぎゅっと目を閉じて、心の中で芽生えた汚い感情に蓋をする。
「風にかどかわされでもしたら――アレはどんな顔をするのでしょうね」
その声と同時にびゅうっと風が吹き込んだ。
僅かに手元を照らしていた灯りがふっと消えた。