選んだ扇は誰のもとへ
側仕えという仕事を与えてもらったものの、着付けが出来るわけでもなく。
結局耀様の支度は全てアキが行った。
地味な着物を着ていても、その美しさは隠しきれていない。
溜息をこらえながらじっとその姿を見つめていると、耀様が視線に気付いた。
「月子、扇はどれがいいと思う」
切れ長の目が笑うと、くしゃっとなって年相応の男の子みたいに見えた。そのギャップにまた胸がときめいてしまう。
大人っぽいと思ったら少年みたいに笑って、この人の引き出しにはどれほどの魅力が詰まっているのだろう。
「選んでもよろしいのですか?」
「あぁ、頼むよ」
私は一本一本扇を広げてみた。
描かれた絵は様々で、竹、瓢箪、波――どれも男性らしく豪快で素敵だったが、私はあえてシンプルなものを手に取った。
「こちらはいかがでしょう」
「蝙蝠か」
「今夜は少し蒸しますので、涼しげかな、と」
「うん、これにしよう」
私が扇を差し出すと、耀様は私の手ごと扇を握った。
「よ、よう、さま……」
手を握られたのは初めてじゃないのにドキドキする。
むしろ初めて手を握られた時よりももっと。
「月子、行ってくるよ」
あ……。
耀様の目が一瞬だけ悲しい色を帯びた。
何か、言わないと。
「お身体、ご無理なさいませんよう」
私がそう言うと、耀様はぽかんとした。
そして一呼吸置いてから破顔した。
「ははは! 月子はおもしろいなぁ!」
何かおかしなことを言ったのだろうか。
でも笑ってくれた。よかった。私も思わず笑顔になる。
「いくら色男で知られているとは言え、そこまで無理はしないよ」
「?」
確かに耀様は色男と呼ぶに相応しいけれど。
耀様は扇を取ると、くるりと回してその先端で私の顎を持ち上げた。
「大人しい顔をして、其の実、月子は無理を働かれたいと」
「何のことでしょうか」
「とぼけるのも策のうちか? あぁ、こうして行かせぬようにしているのか」
そうだ。耀様はこれから予定があるのだ。
昼に仕事をし、これからまた出掛けなくてはならない。
私が引き留めていい人ではない。
「いいえ。いってらっしゃいませ」
私は扇から逃げるように後ろへ下がると、手をついて頭を下げた。
「あぁ、行ってこよう」
私の側を衣擦れの音が通り過ぎる。
その姿が扉の向こうに消えそうになった時、その音がぴたりと止まった。
「月子、約束は覚えているか?」
約束?
何だろう。
「明日、文を出す。待っていろ」
色っぽい声に胸の中心がぎゅっと握られる。
――待っている間、ずっと俺のことを考えておけ――
あの言葉が再び私の身体に刻まれ甘い疼きになる。
きっと今夜は眠れそうにない。
衣擦れの音が扉向こう側へ行き、アキが静かに扉を閉めた。
「月子様」
「は、はい!」
思いがけず弾んだ声になる。
「耀様がどちらにお出ましになるかご存知で?」
「いいえ。聞いておりません」
「六条です」
六条。
地名だとしたら、ここは京都なのだろうか。
「そうですか」
「平気なのですか?」
「私がですか? 耀様のご体調ではなく?」
「耀様は六条にお住みの女性のところに向かわれたのですよ」
「女性の……?」
胸に黒く重い雲がかかってゆく。
「意味がわからぬわけではないでしょう?」
私は他の女のもとへ持ってい行く扇を選び、にこにこと身体の心配をしたのか。
そして一晩中耀様のことを考える約束をさせられた。耀様は別の誰かと身体を重ねているというのに。なんてひどい人だ。
言いようもない脱力感を覚え、そのまま床に手をついた。
「アキさん、一人にしていただけますか?」
「ごゆっくりお休みなさい」
眠れるわけなんてない。
耀様の熱が残る指先が震える。
「っ!」
自分が思うよりもずっと、心は耀様に捕らわれていた。
「月子様、外にこれが。置いていきます」
一度外に出たアキが、カサリと何かを置いて行った。
私は紙蝋の明かりを頼りに紙を開く。
「これは……でも、違う……」
真っ黒な雲で覆われた心に、さらにざわざわと風が吹いた。