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六色恋模様  作者: 中村ゆい
第五章 山田和臣
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(3)夕焼け空の色、思い出。

 一週間くらい、大学とバイト以外はずっと部屋の中に引きこもっていた。

 引きこもって何をしてたかというと、ただピアノを弾いていた。期末試験の課題曲の練習。

 二月の寒さに冷えた指先は、鍵盤の上を行き来するうちに温まり、そのうちとても調子が良くなる。苦手なフレーズを集中的に練習したり、一曲通して気持ちよく弾いたりしているうちに、今度は指がピークを通り越して疲れてくる。ミスが多くなってきたなと思ったら、休憩したほうがいい頃合い。水分取ったり、ちょっとソファに寝そべったり、他の科目の期末レポートを片づけたりする。回復したら、またピアノの前に座る。

 そんなことを何回か繰り返して、ときどき食事や睡眠を挟めば、あっという間に時間は過ぎる。


 太陽が西に傾き空が赤みを帯び始めた、昼と夕方の中間。

 苦手もある程度克服して、かなり完成した課題曲を流して弾いていると、インターホンが鳴った。

 一度練習を中断して玄関へ向かうと、訪問者はユキさんだった。


「こないだの鍋のときに話題になってた崎元くんのお姉さんのカフェ、行かない?」

「ああ、写真の? 今から行くんですか?」

「崎元くんの写真はまだ飾ってないらしいけど。授業終わって崎元くんも新谷さんも今いるらしいからさ。ディナーメニューあるって」


 要するに、みんなで晩ご飯食べようよという誘いらしい。そういえばここ数日、あまりちゃんと自炊していない。いつも試験前とか、忙しくなるとわりとコンビニ飯になりがち。

 急にお腹が空いてきた。


「上着取って来ます」

「おー。ここからちょっと距離あるからちんたら歩こうぜ」


 一度部屋の中に戻り、ピアノを簡単に片づけてコートを羽織る。

 マフラー片手に外に出ると、待っていてくれたユキさんがにこっと笑った。


「グリーグの曲弾いてたろ。聞こえてた。お前の好きなショパンじゃないんだ」

「課題曲ですから。でもグリーグ、わりと好きです。異世界転生ものと親和性ある曲調でテンション上がるっていうか。一番はやっぱロマン派ですけどね」

「ロマン派はストーリー性あるもんな。転生っつーよりは少女マンガっぽいけど」

「俺は少女マンガも好きです」


 二次元の話と音楽の話をごっちゃにしながら二人でアパートを出る。

 本当にちんたら歩いているうちに、空の色はだんだんと濃い赤になっていった。俺の一番好きな夕焼け色。


「高校生のとき、髪をあの空みたいな色にしたことがあるんですよ」

「……ピンクってこと? うわ、目立ちそう」

「目立ちましたねー」


 俺とユキさんの小さな意味のない笑いが、冷たい空気で白いもやを作る。不真面目ではなかったけれど、真面目でもなかった。そんな高校時代。


「ユキさんは高校生のとき、頭何色でした?」


 俺と違って一度も染めたことがなさそうな、つやのある短い黒髪が風で揺れている。案の定、ユキさんは「黒だよ黒」と笑って言った。


「吹奏楽部でトランペット吹いてたから。校則違反してるとステージ立たせてもらえねえもん。下手すりゃ部停。山ちゃんはそういうのなかった?」

「俺、帰宅部でしたもん。そもそも校則緩かったから違反じゃなかったし」

「ピンクにして違反じゃなかったの!? 都会の学校は違うねえ。俺田舎もんだからさあ」

「田舎って」

「家から高校まで、自転車で田んぼ道を走るわけよ」

「のどかですね」


 しばらくユキさんの地元の小田舎トークに耳を傾けているうちに、目的のカフェに到着した。

 童話に出てくる家みたいに可愛らしい外装の建物。ユキさんがドアを開けるとカランコロンと優しい音色の鐘が鳴った。いらっしゃいませ、と女性の声がする。


「あ、幸人さーん。山ちゃんも」


 店の中を見渡すと、窓際の席にいた崎元くんがこっちに手を振っていた。いらっしゃいませと言ってくれた女性は俺とユキさんを見て「大志の友達? ゆっくりしていってね」と急に親し気な態度になった。この人が彼のお姉さんらしい。

 先日の鍋会で、ユキさんの山ちゃん呼びがみんなに浸透してしまい、俺はいつの間にか崎元くんからも山ちゃんと呼ばれるようになってしまった。

 ユキさんと一緒にテーブルのほうに足を向け、そこに座っている面々を見る。崎元くん、新谷さん、あ……。


 彼女の隣に、があがいた。

 なぜいるんだろう、と視線を合わせ数秒間まばたきしていると、数か月ぶりのがあは気まずそうに俺から目をそらした。そんな彼の肩に、新谷さんが何か言い聞かせるように手を置く。


「楽、山ちゃんとしばらく会ってないっていうから連れてきました。たまには喋っといたほうがいいですよ。こういうのって、あっという間に疎遠になっちゃいますから」


 この人、何をどこまで知っているんだろう。があが彼女にどの程度俺との関係を話したのかはわからない。そうでなくても勘が良くて色々と察しているんじゃないだろうかと思わせるような口調。

 暗に「気まずさが修復不可能にならないよう今のうちに関係を改善しておけ」と諭されているような気がする。

 妙な居心地の悪さを感じながら、があの向い側に座った。


「山ちゃん、メニュー」

「ありがとうございます」


 ユキさんと二人でメニューを眺め、それぞれオムライスとステーキ定食を注文する。


「あ……そうだユキさん。があ紹介してって言ってましたよね。があ、隣に住んでる高科幸人さん。音楽学科の先輩」

「高科です。君がこっちに住んでたとき、仲良くなってみたかったけど知り合いになるタイミングがなくてさ。引っ越したって聞いて残念に思ってたんだ」

「あ、そうなんすか。どうも……」


 ぼーっと二人のやり取りを眺める。ふいに崎元くんが「そういえば今日、堀さんと連絡取れなかったんだよね」と言ったのをきっかけに、ユキさんは崎元くんと新谷さんとの会話に移っていった。

 があと俺だけ、無言で向き合う。

 久しぶり、くらいは言ったほうがいいかなと思って口を開こうとすると、先にがあがカズ、と俺の名前を呼んだ。


「カズさ、アオイに山ちゃんて呼ばれてんの……? ウケる」


 そんなことでウケるな。


「ここにいる人、があ以外はみんな俺のこと山ちゃんって呼ぶけど?」

「おれがイレギュラーかよ!?」


 驚き過ぎだと思う。でも、場の空気が少し柔らかくなった。


「があ、元気?」

「うん、元気。あー、言ったっけ? 実家戻った後、大学の近くに引っ越した。アオイと同じ学生マンション」

「そうなんだ」


 話題に上がった新谷さんは、ユキさんと何か会話を交わしている。ユキさんの隣に座っている崎元くんは、二人の話を静かに聞いているようだ。

 ふと、お腹の奥が締め付けられるような妙な感覚を覚えた。

 新谷さんとがあを順に見比べる。そうすると、その変な感覚は強さを増す。


「……カズ?」


 不安そうに呼ばれ、意識をがあだけに戻した。思ったよりも普通に話せているけれど、まだ気まずさは残っている。何か俺の癇に障ることを言ったのではと、びくびくさせてしまったみたいだ。そんな臆病な顔、いつぶりに見ただろう。

 ああそうだ。小学生のときの。


「俺の家の窓ガラス割ったときみたいな顔してる」

「……なんだそれ」

「割ったじゃん。があが小四のとき。二階の俺の部屋のさあ」

「あー、あれ!」

「何々、なんの話?」


 みんなが話題に入って来るから、があが半笑いで説明し始める。


「昔、カズと一緒にアニメ見てたら、敵に気づかれないように小石を窓にぶつけて外から合図するっていうシーンがあったから、ほんとにできるか試してみようぜって話になったんすよ。カズと一緒にやってみたけど石が窓まで届かなくて。おれサッカーやってたからボールならいけるかもってサッカーボールを窓に蹴ってみたら見事にカズの部屋の窓に当たってガラスが粉々になったっていう」

「ボールなんか当てたらそりゃあ割れるでしょうよ」


 新谷さんの辛辣なツッコミに、一同こらえきれず噴き出した。


「おれら結構バカな子どもだったな、カズ」

「そうだね。あの後すごい怒られたよね」

「部屋の中にいたカズが怪我しなかったのが奇跡だった」

「ボール飛んでくるの見た瞬間、思ってたよりもやばいって気づいて全速力で廊下に逃げたからね」


 幼少期の俺たちがバカだったという話は、俺の注文したオムライスが来るまで続いた。

 気まずさも、変なお腹の奥の違和感も、いつの間にか消えていた。

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