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戦場のハッカー  作者: 森
9/12

 高速道路を走ること数時間。天助たちは百里基地へ到着した。途中のインターチェンジで昼食を購入し、食べながらの移動だった。

 茨城空港入口から滑走路を回りこむと基地正門が現れる。戦闘機が運用される飛行場とあってか、フェンス際にはカメラを抱えたファンが大勢いた。

 基地正門で手続きを済ませ、車を止めた。

 門の近くには引退した戦闘機が展示されていた。時間があれば見学もしてみたい。後ろ髪を引かれる思いで天助は敷地の奥へ向かう。

 指定された会議室には、すでに十名ほどが集まっていた。部屋の中央には楕円のテーブルがあり、その周りに椅子が二十脚ほど並んでいた。五人は卓上プロジェクターの近くに座っていた。

「研究所の方々ですね」

 痩せ型の男が前に出た。高級そうなスーツを着こなしており、軍人というよりビジネスマンという雰囲気だった。年齢は五十代前半だろうか。整髪料で固められた髪に幾ばくかの白髪が混じっていた。背後には同じようにスーツを着た部下を控えさせていた。

「空幕防衛部、播磨(はりま)です。こちらは第七航空団の方々です」

 播磨は背後に立つ制服組を示した。皆、目付きが鋭く、日に焼けていた。そのうち最も色黒の男が前に出た。

「第三〇五飛行隊、虎丸(とらまる)吾郎(ごろう)です。以下、同隊の者です。よろしくお願いします」

 言葉は丁寧だが、口調にはふてぶてしさが滲んでいた。ガッシリとした体格で、背も高い。スポーツ選手のような体つきだった。播磨の紹介では、彼らは皆パイロットとのことだ。

「ご紹介ありがとうございます。情報セキュリティ研究所の染島真司です。こちらは同じく双海、高森です」

 染島が前に出て自分たちの紹介をした。観月が隣で敬礼をしたので、天助もそれに倣って同じように体を動かす。

「すみません、遅れました!」

 そのとき、何人かが慌てて会議室に駆け込んで来た。

「サイバーシステム保全隊、木田です」

 木田と名乗った男は申し訳なさそうに走ってきた。その後ろから三名ほどが続いた。うちひとりは横田だった。

 天助が視線で合図をすると、横田は疲れた顔に笑みを浮かべた。目の下にはくっきりと隈が浮かんでいた。心なしか頬もこけていた。わずか三週間でひどいやつれようだった。

 ウイルス作成チームは十名規模と聞いていたので、この四人は代表なのだろう。

「全員揃ったようなので早速始めましょう」

 播磨が音頭を取って、各自が空いている席に座った。

 いよいよ作戦概要の発表だった。わざわざ空幕から人が派遣されたのだから、その重要度はこれまでの作戦の比ではないだろう。天助は痛み始めた腹を押さえながら会議に臨んだ。

 そして、それは予想通りとなった。


「まず、我が国が置かれた状況をご説明します」

 播磨はそう言って、プロジェクターにパソコンをつないだ。プレゼンテーションスライドにはシリアを中心とした中東の地図が映されていた。

 まっさらな地図上に点が現れる。シリアの中央、北寄りの場所を示していた。

「ここは、昨年八月、過激派組織アラドゥーイにより制圧されたシリア空軍基地がある場所です。付近一帯はラッカという県なのですが、同基地が制圧されると同時に県全体がアラドゥーイの支配下に置かれました。ラッカはユーフラテス川を有する豊かな土地です。首都ダマスカスからは離れていますが、作戦上重要な拠点です。本件は、県が一つまるまる武装勢力に奪われた初めての例になりました。――――ここまでは、みなさんニュース等でご存知と思います」

 播磨は一度言葉を切った。まるでそこから先は誰にも知られていない秘密があると言わんばかりだった。

「空軍基地が制圧される際、自由シリア軍は撤退戦に失敗していたことが判明しました。空軍基地の諸設備を温存しようとしたため、アラドゥーイに制圧されたときには、戦闘機および空軍兵十名が取り残されていたというのです」

 にわかに会議室がざわついた。稼働可能な戦闘機を残したまま敵勢力に基地を制圧される。

 それは、つまり──。

「そうです。アラドゥーイが航空戦力を手中に収めたことを意味しています」

 サイバーシステム保全隊と研究所から来た面々は一様に驚きを隠せない様子だった。その衝撃は天助にも十分理解できた。これまで過激派組織は武装していると言えども、あくまで白兵戦の装備のみだった。だからこそ、多国籍軍による空爆が絶対的な攻撃手段として機能していた。

 しかし、敵が空戦可能となれば話は違う。安易に空爆を実行しようとすれば、迎撃される恐れが出てくる。

「アラドゥーイに戦闘機に乗れる人材はいるんですか?」

 染島が質問する。

「現時点では確認されていません。しかし、可能性はあります」

 スライドが切り替わり、アラブ語で書かれたローカル紙が表示された。

「今年の四月頃、スーダンでMig-29に搭乗経験のある軍人が相次いで行方不明になったそうです。もしも、この退役軍人がシリアに流入していたとしたら。アラドゥーイに参入する意志があるとすれば。盗まれた戦闘機は脅威となります」

「だからこのところ空爆がなかったんですか?」

 パイロットのうちひとりが言った。

「そうです。ここ数ヶ月は空軍基地の様子を確かめる程度にしています。万が一にも戦闘機が応戦してくることがあれば、自衛軍側もただではすみません」

 航空機同士が戦えば、文字通りの航空戦となる。戦後以来、日本は航空戦を経験したことがなかった。必ず勝てる確証はなく、最悪の場合、パイロットと戦闘機を失うことになる。あらゆる意味で損失は計り知れない。

「……行方不明になった軍人の素性から推測するに、敵が有するのはMig-29なんですね?」

 パイロットは続けた。気落ちするような口調だった。

 Mig-29。先程から何度か話題に上っているが、天助には聞き覚えのない単語だった。隣に座る観月に耳打ちをした。

「Mig-29ってすごいの?」

 観月は顔を少しだけ傾けて、

「旧ソ連の戦闘機だ。多くの国家で現役稼働している。シリアが保有する戦闘機の中では最新機だ。世代的にはF-15と同じだ。おそらく、機体性能に優位な差はない」

 F-15なら知っている。日本を代表する戦闘機だ。それと同等に飛べる戦闘機となれば、無傷で倒せる相手ではないだろう。

「今回の作戦目的は敵戦闘機の無力化ですか?」

 再度、染島が聞いた。播磨は肯き、

「はい。Mig-29の航続距離は、イラク西端アンバル州にある航空自衛軍基地を往復して余りあるものです。同基地は先月に空軍兵が拉致されています。兵が極度の混乱状態に陥っていたため、どのような情報が流出したかは定かではありませんが、基地の防衛情報が漏れたことも考えられます。そうなれば、最初に狙われるのはここです」

「狙われる?」虎丸が口を挟んだ。「……アラドゥーイが攻撃を仕掛けてくるということですか?」

「武器を持ったテロリストがそれを使わない道理はありません。むしろ、防衛だけに使うと考える方が難しいでしょう」

「しかし、戦闘機で基地を狙うのは無理がありませんか?」

「いいえ。盗まれた機体には爆撃機も含まれます。最悪、それが基地へ向かって飛んでくるでしょう」

 虎丸は顔を歪めた。

「基地は民間の飛行場に併設されているはずです。無差別爆撃をするというんですか?」

「するでしょうね」

 播磨は断じた。多国籍軍による空爆では、特定施設をピンポイントで狙う精密爆撃が主流だ。民間人の安全を思えば当然だが、アラドゥーイにその思考があるかは確かに疑わしいものだった。

 再度、染島が手を挙げる。

「アラドゥーイ勢力圏での運用とは限らないのではないでしょうか? シリアからならエジプトやトルコなんかも狙える距離でしょう」

「それはありません」

 播磨は即答する。

「彼らの狙いはシリアとイラクにまたがった支配地域で国家を樹立することです。米軍、イラク軍、シリア軍の施設が優先目標のはずです。……しかし、今回はその優先順位を覆すほどに航空自衛軍基地が地理的にまずい位置にあります。アラドゥーイとしてはアンバル州に拠点を築きたい。そこを足がかりにアサド空軍基地を狙う、というのは誰でも思いつく計画です」

「アサド空軍基地は米軍とイラク軍の基地だ」観月がこっそりと教えてくれる。「イラクで二番目に大きい飛行場でもある」

 つまり、米軍の重要拠点ということだ。

 地図を見ると位置関係がよくわかる。ユーフラテス川の上流にラッカがあり、川沿いに南方へ進むと航空自衛軍の基地が姿を見せ、更に下るとアサド空軍基地に行き着く。

「僕も質問していいですか?」本隊からやってきた木田が言った。「なぜ対策チームを立てたのがこの時期なんですか? もう少し早ければ余裕があったんですが……」

 質問というより恨み言のようだった。播磨は申し訳なさそうに答えた。

「複雑な事情がありました。主に自由シリア軍の協力を得られなかったことが問題でした」

「それはなぜですか?」

「相対組織の性質によるものです。自由シリア軍はシリア内戦時に発足しましたが、源流はシリア軍から離反したシリア軍将校によって作られた反体制派勢力です。現在は穏健な反対派として知られるシリア国民連合の傘下に入りましたが、分裂や合併を繰り返す性質は今も変わっていません。指導者層には外国勢力との協力関係を嫌う者も多く、統率の取れた動きができていないようです。そのため、交渉は非常に難航していました」

 話の中身から推測するに、自由シリア軍は正規軍ではないようだった。正規軍から離反した将校が作った非正規軍。その目的はシリア政府の打倒だ。日本は反対派勢力に協力していたことになる。なぜそのような勢力に手を貸すのか。

「歴史的経緯だ」天助が頭を抱えていると、観月がコメントを入れた。「シリアは元来一党独裁体制だった。政府はロシアや中国の支持を受けている。しかし、民主化運動が勃発した際に西欧諸国は反対派勢力に援助した。日本も後者に支持表明をした。特に自由シリア軍には金銭的な援助もしている」

 日本は自由シリア軍がシリア政府を倒すことを期待していた。実際、相応の活躍を見せ、ラッカのシリア軍基地を陥落させた。そして、アラドゥーイに攻め落とされるまで、自由シリア軍基地として運用してきた。

「アラドゥーイは自由シリア軍の敵なの?」

「あぁ。アラドゥーイの目的は新たな国の樹立だ。自身以外のすべての組織と敵対しているが、最も勢力が強い。自由シリア軍はシリア軍を牽制しつつ、アラドゥーイと戦っていた」

 難しい状況だと天助は思った。様々な思惑を持った組織がいくつもあり、互いに寝首をかこうとしている。しかも、反体制派も一枚岩ではなく、米国が支援するクルド人組織などもあるそうだ。誰かがどこかを制圧すれば、別の誰かが背後から襲いかかる。内戦状態が続くのも肯けた。

「……では、今後も協力を得られないんですね」

 木田は落胆して言った。

「いいえ、現状、自由シリア軍に自力で空軍基地を取り戻すだけの余力はありません。彼らとしても我々を頼らざるを得ない状況なのです。サーバーシステム保安隊には、外交筋で入ってきたものを含め、すべての情報を開示しています」

「なるほど。……ありがとうございます」

 本田の歯切れは悪かった。思うに、有益な情報が少なかったのだろう。そのことが苦しい道のりだったことを想像させた。基地を奪われてから作戦開始まで一年を要したことからも、交渉が難航したことはうかがえる。

「敵戦力に関する情報はあるんですか?」

 パイロットの虎丸が言う。

「あります。紙面でお配りします。日本にのみ開示が許された情報ですので、取り扱いには十分気をつけてください」

 播磨の部下が全員に紙を配った。資料は手書きで作成されていた。

 極限までアナログを突き詰めれば、確かにハッキングには合わない。空幕もかなり情報流出に神経を使っているのだろう。

「こんなにあるんですか……?」パイロットのひとりが言った。「Mig-22もあわせれば戦闘機が十三機。爆撃機も輸送機もあるじゃないですか」

「自由シリア軍によればそうです。保有戦闘機だけで言えば、航空自衛軍基地より数があります」

「先手を打たれたら負けますね」

 虎丸はきっぱりと言った。誰もがはっとする内容だったが、播磨は冷静に補足した。

「はい。Mig-29の兵装にはR-73空対空ミサイルが含まれています。先制攻撃で敵航空戦力を無力化しなければなりません」

「そんなものまであるんですね……」

 虎丸の表情が険しくなる。

 今度も観月に聞こうとしたが、彼女は先読みしていたのか、天助が頼む前に解説を入れてくれた。

「空対空ミサイルは航空戦の要だ。敵を補足して誘導ミサイルを撃つ。たったそれだけで敵を落とせる。片方が持っていなければ、持っている方が必ず勝つ。双方が持っていれば、撃たれる前に撃った方が勝つ」

 敵の姿を捉える前に勝負は終わる。いかに早く敵を見つけるか、敵の飛んでいない空域を飛ぶか。情報こそが最大の武器となる。それが現代の航空戦だった。

「敵空軍基地にレーダーはあるんですよね?」

 虎丸の質問は続く。

「稼働しています。それこそが今回の作戦における最大の障害です。そのためにサイバーシステム保全隊に協力を仰ぎました」

「具体的には?」

「彼らが作成したウイルスで敵管制塔の機能を一時的に麻痺させます。その間に攻撃機で一気に叩きます。ウイルスの仕込みは研究所の方々にお願いします」

 ようやく話がつながった。特別チームは管制設備を狙うウイルスを作っていたのだ。そして、天助の仕事はウイルスをうまく敵の設備に感染させること。思えば、シンプルな作戦だった。

「前例はあるんですか? 現実世界とサイバー空間の双方を利用した作戦など聞いたことがありませんが」

「もちろん、あります。我が国に限れば、先日の空軍兵の救出作戦に続き二例目。似たような事例で言えば、イスラエルがシリアの核疑惑施設を空爆した際にサイバー攻撃で防空レーダーを誤作動させた、という例があります。こちらも世界で二例目ですね」

「どの程度の確度があるんですか?」

 虎丸は神経質に聞いた。

「作戦に必ずはありません。そう教育されているものと思いましたが」

 播磨は急に威圧的な態度を示した。痛いところを突かれたのを誤魔化しているようにも思えたし、心構えのなっていないパイロットを諭したようにも見えた。

「失礼しました」

 虎丸は無愛想な返事をして、黙りこんだ。

「概要は以上です。空戦に発展する可能性はできるだけ低くなるよう立案しました。しかし、ゼロではない。F-15とMig-29が戦闘すれば、史上初の事例です。何が起こるかはわからない。そのことを肝に銘じてください。作戦詳細は個別に連絡します。私からは以上です」

 播磨はそう言って、締めくくった。追加の質問を募ったが、手を挙げるものはいなかった。

 パイロットたちに目をやると、一様に硬い表情をしていた。航空戦の可能性。彼らにとっては命に関わる事態だ。重く捉えるのも無理からぬ話だろう。そして、作戦の成否は特別チームのウイルスによって決まる。他人に命を預けた形となる。

 横田を見ると、疲労が限界なのか目が座っていた。

 天助はその様子を見て不安になった。彼らに与えられた時間は三週間だった。そんな時間でまともなウイルスが作れるのだろうか。



 会議が終わったのは午後三時頃だった。パイロットのみ個別ブリーフィングがあるため、会議室に残った。

 天助は久しぶりに顔を合わせた横田を誘い、喫茶室に立ち寄った。横田の仕事が気になるらしく、観月も着いて来た。窓際の小さなテーブルを囲み、三人で座った。

「それで、どんなウイルスを作ったんだ?」

 他に聞くことはあるだろうが、彼女は真っ先にそれを聞いた。

「作ったというより動作検証がメインだな。ウイルス自体はこの一年で開発されていたみたいでな」

「種類は?」

「簡単に言うとスタックスネットの亜種だ」

 横田は眠たげな顔で言う。

 スタックスネットとは、イランの核融合施設を狙ったウイルスだ。USB経由で感染するが、パソコン内部では冬眠状態となり活動を停止する。特定の機器に接続されたときのみ活性化して攻撃を行う。インターネットに接続されていない核融合施設を攻撃するために、そのような仕様となっていた。極めて精緻な設計で、コードの分量が通常のウイルスの数十倍もあったという。長らく開発者は不明だったが、数年前にアメリカ国家安全保障局(NSA)がイスラエルと共同で制作したことを明かした。

「実際は、スタックスネットほど高機能ではないんだがな。インターネットに繋がっていない機器を狙うという点は似ている。パソコンに侵入して時を待ち、管制設備に接続された時点で活性化する仕組みだ。設備の仕様は向こうから提供されていたから、接続さえされれば誤作動は確実のはずだ」

「管制設備と言っても種類が多すぎるだろう。全部壊すのか?」

 コーヒーをすすりながら、観月は言う。

「それじゃ気づかれる。もっとささやかにやる」

「とすると、狙うは対空レーダーか?」

「正解だ。レーダーを誤作動させて、機体を映らなくさせる」

 そして、その間に航空自衛軍の攻撃機が基地設備を破壊するわけだ。

「けれど、感染したかどうかってどうしたらわかるの?」

「良い質問だな」

 天助が聞くと、横田は嬉しそうに言った。

「ウイルスに感染したパソコンが官制設備に接続した時点で、ウイルスはインターネットにその合図を送る。それを拾ったときが作戦開始時刻だ」

「そんなことしたらウイルスがバレちゃうじゃないか」

 仮にも軍のネットワークだ。不審なパケットを出したら一発で検知されるだろう。最悪の場合、フィルタリングされる恐れもある。

「無論、そのことも考えて、合図はDNSクエリに擬態させてある。特定のドメイン名に対するクエリが来たら、それが合図だ」

「なるほど……。それは賢いね」

 不審な形式のパケットを生成すれば、高確率でブロックされる。だからこそ、合図は誰もが使うようなありふれた形式にすることが望ましい。WEBサイトの閲覧がよく使われる例だ。ただ、不審なサーバと通信しようとするとファイアウォールがフィルタリングすることがある。たとえば、シリア空軍基地から自衛軍基地のサーバにパケットを飛ばしたら、確実にアラートが鳴るだろう。

 そこでDNSクエリだ。DNSはURLからIPアドレスを検索する仕組みだ。普段、人間はURLを使ってWEBサイトにアクセスしているが、パソコンはURLをIPアドレスに変換し、それを使ってWEBサイトにアクセスしている。DNSクエリの宛先は、名前解決用のDNSサーバなので、ほぼ確実にファイアウォールを素通りできる。

 ウイルスにそれらしいURLに対するDNSクエリを投げさせ、DNSサーバ側でそのパケットを待つわけだ。

 この方法ならまず気づかれることはないだろう。

 ただ、一つだけ問題がある。

「スタックスネット同様に人の手にゆだねるってことは、いつ感染するかわからないってことだよね?」

「そうなるな」

 対空レーダーを誤作動させるタイミングを選べない以上、パイロットは二十四時間体制でいつ来るともわからない出撃に備えなければならない。

 観月が疑問を呈した。

「あまり長くなると待つ方も疲弊しないか? いつ感染するかもわからないウイルスを待つのは不確実すぎるだろう」

「それはチームの課題として出ていた。一応、バックアッププランがなくもない」

「どんなプランだ?」

「シリア空軍の基地間ネットワークを利用する。別の基地から直接官制設備にアクセスできる可能性がある、らしい」

「……いやに抽象的だな」

 横田は浮かない顔で首を振る。

「俺も詳しくは聞いてないが、自由シリア軍はバックアッププランを拒んでいるらしい。まぁ、軍の内部ネットワークにアクセスさせろなんて、絶対通らない要求だろう。ないものと考えた方がいい」

「確かにな」観月は肯く。「とは言え、自由シリア軍が単独で片付けられない以上、譲歩してくれてもいいものだが」

「難しいところだな。別に自由シリア軍はギブアップしたわけではないらしい。電子戦のチームを結成して解決策を模索中、というのが公式発表だ。具体的には動いてないみたいだが」

 一年の猶予がありながらも成果が出ていない現状を思えば、自由シリア軍の対応策は行き詰まっていると見ていいだろう。もっとも、電子戦をする余裕があるのか、という問題もある。日々更新される勢力図に対応するだけで手一杯だろう。

「シリア正規軍は静観しているのか?」

 観月が聞く。

「そうらしい。ダマスカスから遠い地域だし手を出しづらいんだろう。ロシアも本件は直接的な被害がないせいか、動きはないんだとか。いずれにせよ、俺たちはやれるだけはやった。あとは攻撃部隊を信じて委ねるだけだ」

 横田は達成感に満ちた顔で言った。喫茶室に着いて来たことを思うに、作業は一段落したのだろう。ここから先は天助とパイロットたちの仕事だ。

 そのとき、後ろの席から声が聞こえた。

「はぁ、サイバーなんとか隊ってのは気楽でいいよなぁ」

 仲間内で話をするには大きすぎる声だった。天助たちの所属を知っていて、わざと聞えるように言ったに違いなかった。

「自分たちは安全圏でウロウロしているだけだもんな。前線に立つ奴のこともちったぁ考えてもらいたいもんだ」

 振り返ると、歪んだ笑みを浮かべる三人組がいた。顔合わせに参加していたパイロットたちだった。追加のブリーフィングが終わって、喫茶室に足を運んだらしい。声から推察するに、しゃべったのは虎丸吾郎のようだった。

「文句があるならはっきり言ってもらおうか」

 観月が真っ先に食ってかかった。席を立ち、後ろに座る虎丸を睨みつけた。

「文句?」虎丸は鼻で笑った。「俺は安全圏でパソコンいじってるだけの腰抜け共が羨ましいと言っただけだ」

「誰が腰抜けだとっ!?」

「なら、お前たちは死ぬのか?」掴みかかろうとする観月に虎丸は告げた。「作戦行動中にお前たちが殺されることはあるのか? 捕まって拷問されることはあるか?」

 観月はぐっと押し黙る。彼の質問に返す言葉が見つからないようだった。

 天助もまた虎丸の発言に説得力を感じていた。研究所の人間は、所詮、部屋の中で仕事をするだけだ。パイロットのように前線に出ることはない。

「あるのかって聞いた。答えろよ」

「……ない」

 執拗な追及に観月は悔しげに言った。

「そらみろ」

 虎丸は馬鹿にするような態度を取る。両者の間には決定的な違いがあった。命を賭して作戦に臨むか否か。その違いが意識の差を生んでいる。

 しかし、強敵に対して全力で挑んでいる事実は変わらないはずだ。どちらが偉いかを語ることに意味などない。

「わかったら、黙ってろよ」

 虎丸は観月を突き飛ばそうとした。天助はその手を掴んだ。

「何のつもりだ」

 睨まれる。咄嗟に手が出てしまった。何を話すかも決めていない。だが、後には引けなかった。

「俺たちは前線に出ることはないけど、手を抜いているわけじゃない」

「だからどうした?」

「お前たちは飛行機の整備をする人たちにも同じことを言うのか? 安全圏にいる腰抜けと思うのか?」

「そんなわけあるか!」虎丸は怒りをむき出しにした。「機体を維持するために夜も寝ずにやってくれているんだぞ!」

「俺たちのしていることも同じだと考えられないか」

「お前たちをだと?」

「パイロットが最高の状態で仕事ができるように、俺たちは環境を整備している。そのために努力を惜しむつもりはない」

 虎丸はじっと天助の目を見た。天助も虎丸を見た。

「敵管制設備の無力化がお前たちの任務だったな」

「そうだ」

「できるのか?」

「できなければ、俺たちに価値はない」

 自然とそんな言葉が口をついていた。大仰なセリフだが、事実だった。そのためだけに呼ばれ、そのためだけに戦っている。できなければいる意味がない。

「わかった。その言葉、信じよう」

 虎丸は短く言って、その場を去った。ふたりのパイロットは虎丸が態度を急変させたことに驚き、慌ててその背中を追いかけた。

 後ろ姿が見えなくなってから、横田が口笛を吹いた。

「双海、お前も言うときは言うんだなぁ。見直したぞ」

 天助は大きく息を吐いた。腰が抜けそうだった。

「勝手に口が動いただけだよ。自分でもびっくりしてる」

「だが、いい語りだった。おかげで俺も覚悟が決まった」

「覚悟?」

「あぁ、俺も現地入りする」

 横田の突飛な発言に天助はまごついた。

「その方が不測の事態にも対応しやすいだろう。これから上に掛けあってくる」

「ちょ、そんなの……!」

 止めなければならない。とっさにそう思った。しかし、何と言えばいいのか。危ないからやめろ、などとは言えない。

「では、先に失礼する」

 横田は寝不足とは思えぬ俊敏さで喫茶室を出て行った。天助は結局、横田を止める理由を見つけられなかった。自分の発言が同僚に何らかの変化をもたらした。良いことなのか悪いことなのかはわからない。ただ、作戦の成功に結びつけば、と思う。

「俺たちも行こうか」

 観月に言うと、彼女は無言で肯いた。

「……怒ってるの?」

「少し」観月はむくれたまま言った。「あいつらは自分の立場を盾にしていた。卑怯だと思う」

 虎丸は観月が反論できないとわかっていて追い詰めた。やり口は確かにずるかった。

「でも、誰だって他人に当たりたくなる時はあるよ。最終的にはわかってくれたと思う」

 天助がそう言うと、観月はむすっとして言った。

「双海がそう言うのなら納得することにする」

 コーヒーを片付けて喫茶室を後にする。

 観月がそんな言い方をしてくれるのが、少し嬉しかった。


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