エピソード2:ニセモノの感情①
その後、食事の片付けまで終えたところで……5人は改めて、同じ位置に腰を下ろした。
聖人は全員に、先程ユカが凝視していた書類を渡した後、「さて」と、息をつく。
「とりあえず、自分が今から話すことには、事実と憶測が混じっているんだ。憶測に関してはそう前置きして話すようにするから……特にケッカちゃんは、ちゃんと区別してね」
「分かりました……」
名指しで前置きされたことに、これから込み入った話が始まることを察したユカが、背筋を伸ばして気合を入れる。
聖人は一瞬、政宗の方を横目で確認した後……書類の上から、時系列に沿って、話を始めた。
「始まりはこの6月、ケッカちゃんが体調不良になったところから。ここからは自分の憶測だけど、恐らく『縁故』の仕事のストレスで『混濁』状態が極まって、『生命縁』に『ささくれ』が出来てしまった」
『生命縁』がささくれる――己の命を繋ぎ止めている縁に生じた異変が事実だったことを改めて悟ったユカは、背筋に寒気を感じて、反射的に両手を握りしめる。
ささくれが出来るとすれば、そのほとんどが『関係縁』、稀に『因縁』だ。『生命縁』への異常は聞いたことがない。本当に自分は、危ない状況だったのだろう。
だとすれば……写真の中の『自分』は、どうしてあんなに笑えていたのだろうか。
脳裏によぎった疑問は、一度、見ないふりをして。ユカは改めて、聖人の話の続きを聞くことに集中する。
「ケッカちゃんも知ってると思うけど、普通であれば、その『ささくれ』は外部からの影響を受けて、当人を面白おかしくするよね。でも、ケッカちゃんの場合は元々『生命縁』に毒素が蓄積していて、それが放出される形になってしまった。だから、体も成長して、『生命縁』も綺麗な状態になってしまった……と、自分は考えているよ」
「あたしの『生命縁』に、毒素……ですか?」
「ケッカちゃんの成長を妨げている因子……とでも呼べばいいかな。分かりやすい表現として、『毒素』は適切だと思うよ」
「じゃ、じゃあ、その『毒素』を取り除けば、あたしの体はちゃんと成長するってことなんですか?」
「自分の仮定が正しければ、だけどね。まぁ、そう上手くいけばいいんだけど……」
聖人はこう言って、気持ちが先走っているユカを制止した。そして、ユカの隣に座っている櫻子を見やる。
「櫻子ちゃん、ここまでは大丈夫かな?」
「えっ……!?」
急に話をふられた櫻子は、全員の視線を集めたことに一瞬萎縮しつつ……。
「要するに……ユカちゃんの体の中にある『毒素』のせいで、体の成長が阻害されている、6月はその『毒素』が放出されたから、一時的に成長していた……要するに今は、その『毒素』が戻った状態なんですか?」
「そうだね、戻ったというよりも……放出が止まった、と、言った方がいいかな」
聖人はこう言って、自分の隣にいる政宗を見やる。
「政宗君に処置をしてもらったんだ。あのままだと、ケッカちゃんは自分の中の『毒素』に取り込まれて、本当に死んでしまっていたかもしれないからね」
「『毒素』に、取り込まれる……?」
「自分の体内から放出したものが、自分に無害なわけじゃないんだよ。今まではケッカちゃんの体内で、成長を阻害することで命まで奪わなかった『毒素』が、体外に放出されたら……それを吸ったケッカちゃんだけじゃなくて、周囲にいる自分達も危なかったかもしれないね。現に、ケッカちゃんが成長していた間、自分や彩衣さん、統治君は体調が優れなくて、あまり長時間、一緒にいられなかったんだ」
「そ、そうなん!?」
聖人の言葉にユカは斜め前に座ってる統治を見つめて……今日の昼間に聞いた、統治の言葉を思い出す。
「あの時の俺は……山本と一緒にいると体調を崩すことがあって、あまり一緒にいられなかったんだ」
聖人の話と照らし合わせても、統治の言葉に嘘がないことが分かって……ユカは内心、胸をなでおろした。
そして……そんな状態で自分の世話をしてくれていた政宗を、恐る恐る見つめる。
先程、聖人は「自分や彩衣さん、統治君」と、3人分の名前しか告げなかった。そこに政宗の名前を入れなかったということは……彼は何か、特殊な事情があったに違いない。
そう、例えば――ユカの現状に責任を感じて、無理をしていた、とか。
「政宗は……その、あたしと一緒におって、本当に大丈夫やったと?」
「え……?」
ユカの言葉に、政宗は少しだけ顔を引きつらせた後……一度、軽く息を吐いた。
そして、ユカを見つめて肩をすくめる。
「俺は大丈夫だったんだよ。だから、ケッカは俺の部屋で療養してもらったんだ」
「ほ、本当に? 本当は辛いのに、無理しとったんじゃなかと?」
「そこまでしてねぇよ、って……まぁ、信頼ないのは自業自得なんだけどな……」
そう言って頬をかく彼に、ユカがこれ以上何も言えずにいると……横から聖人が助け舟を出した。
「ケッカちゃん、政宗君が言っているのは本当だよ。体質的なものだとは思うけど、あのときは政宗君だけが、体調不良を訴えなかったんだ」
聖人の言葉を受けても、ユカの中に迷いはくすぶるけれど……でも、これは事実なのだろう。「分かりました」と呟いて口を閉ざしたユカの横顔に、政宗は内心、安堵していた。
彼女の側にいて、具合が悪くならなったことは事実だけど。
その理由が――過去の自殺未遂に起因するかもしれない、なんて、知られたくなかったから。
「話を戻すけど……そうやって成長したケッカちゃんにも、大きな問題があった。身体的には下半身を自分の意思で動かせなかったこと。そして何よりも……10年分の記憶が欠落していたんだ。だから、成長した政宗君や統治君のことは分からなかったし、自分や彩衣さんに至っては初対面扱いだったんだよ」
「下半身を……?」
「そう、要するに、1人では歩けなかったんだよ。移動が必要なときは、政宗君や彩衣さんに運んでもらっていたんだ」
聖人の言葉に、櫻子がハッと息を呑んだのが分かった。これも櫻子から聞いていた情報と合致するので、事実であることに違いないだろう。
何だか今の自分は、事実か否かどうかにとてもこだわっている気がする。ユカは横目で政宗を見た後、少しだけ辛くなって視線をそらした。
「今のケッカちゃんに6月の記憶がないように、成長したケッカちゃんには、ケッカちゃんの成長が阻害されている間の記憶が――思い出が、残っていなかったんだ。その理由は分からないけど……結局、ケッカちゃんの問題は、三歩進んで二歩下がったような状況だと思っているよ。だから、もう少し確信的なことがわかるまで、ケッカちゃんにちゃんと説明出来るまでは、なるだけ知られたくなかったけれど……政宗君のうっかりならしょうがないね」
そう言って聖人が政宗を見ると、彼が露骨に目をそらすから。
今、この場でこれ以上追求するのは可哀想だし時間が勿体無いと結論づけた聖人は、瞳の中に困惑が色濃く残っているユカを見つめる。
「そんなことがあったから、成長したケッカちゃんは24時間誰かがついていた方がいいと思って、政宗君の部屋で過ごしてもらったんだ。これからの伊達先生は、その時の情報や現状を頼りにして……ケッカちゃんの体内が『毒素』を生成しないようにするためにはどうればいいか、を、調べていきたいと思っているよ」
「そうですか……」
聖人の言葉に首肯したユカは、目を伏せてため息を1つ。
聞けない。
一番聞きたかったことは、聞けるはずもない。
どうして成長した自分は、あんなにも、政宗のことを――
ユカが口をつぐんだことに気付いた聖人は、手元のお茶を一口すすってから……カップを置くと、櫻子を見つめた。
「櫻子ちゃんは……今の話、信じられるかな?」
「私が、ですか?」
櫻子は自分に話が振られることを予想していたのか、先程のように取り乱すこともなく、一度、静かにお茶をすすった。
そして……カップをテーブルに置くと、隣に座っているユカを見つめた後、改めて、聖人に視線を向ける。
「正直なところ……私は想像も及ばない世界のお話です。ただ、ユカちゃんの現状を打破して、本来の状態に戻すための重要な手がかりが見つかった、と、考えてよろしいのでしょうか?」
「そうだね。今まで何も出来ずに現状維持をするだけだったことを考えると……一歩を踏み出したことになると思うよ」
聖人が頷いたことを確認した櫻子は、「分かりました」と頷いた後、もう一度ユカを見つめて……笑顔を向ける。
「ユカちゃん、私に出来ることがあれば……遠慮しないで言ってくださいね。今度からもっと近くなるんですから」
「ありがとうござ……へ?」
櫻子の言葉に、ユカは思わず目を丸くした。ユカと同じ反応を示した統治と政宗もまた、その言葉の真意を櫻子に問いかける。
「伊達先生……皆さんにお話していなかったのですか?」
「そうだね、特に関係ないと思って」
しれっと笑顔で言ってのける聖人に、櫻子は苦笑いを浮かべた後……足元に置いたトートバックからA4サイズのパンフレットを取り出すと、机の上に置いた。
そこには、『透名診療所 今秋開設』という見出しと共に、真新しい建物のイメージイラストが掲載されている。
ユカは統治がそのパンフレットを凝視していることに気が付いて、そっと、彼の方へと、それを押しやった。そして、櫻子に問いかける。
「透名、診療所……? 櫻子さん、病院を経営するんですか?」
「いいえ、私ではなくて、兄が一旦独立することになったんです」
「お兄さんが……?」
「はい。今も実家の病院で働いているのですけど……富谷で診療所を開設いらっしゃる知り合いの内科医の先生が、高齢を理由に引退なさるのですが、後を継ぐお医者さんがいなくて。それで、兄が今年の春から、登米と富谷を往復してサポートしていたんです。それでこの度、正式に、その診療所を引き継ぐことになって……せっかくなので、規模を少し拡大して、地域に開けた病院にしようという話になって」
バックからもう一部パンフレットを取り出した櫻子は、ユカと政宗の前にそれを置いた。政宗がページをめくってみると、そこには院長挨拶として櫻子の兄・透名健が顔写真とともにコメントを掲載しており、その下に3名ほどの医師の写真がある。内科と小児科が併設されているため、家族全員でかかりつけられる病院を目指します……という触れ込みだった。
そして、小児科の担当医として名を連ねていたのは――
「だ、伊達先生!?」
政宗が目を丸くして聖人を凝視すると、全員の注目を集めている聖人は、したり顔でこんなことを言う。
「いやー、自分、ヘッドハンティングされちゃってね。これからは富谷の診療所で、月曜日と、木~土曜日の4日間、小児科の先生として常勤することになったんだよ」
「お、おめでとうございます……」
政宗の言葉に聖人が軽く会釈を返した。そんな彼の横でパンフレットを見ていた統治は、目の前にいる櫻子に問いかける。
「と、いうことは……君のお兄さんは、実家の病院を継がないということに?」
その問いかけに、櫻子は首を横に振った。
「いいえ、いずれは登米の病院に戻ります。この診療所で兄自身も経験を積んで、後継となる人物を育てる……15年ほどをかけて地域に根ざした病院を作っていき、透名の信頼を広げる、そういう計画です」
そう言い切る彼女の横顔が、ユカにはいつも以上に聡明な女性に見えたから。
そんな彼女に統治が再び問いかける。
「先ほどの言葉から考えると……君も、この病院に関わることになるということか?」
「はい。病院と同じ建物の中に、ちょっとしたホールが出来るんですけど、そこでまずは週に1回、ご高齢の方へ向けた音楽療法のプログラムを実施する予定なんです。私と、看護師さん――兄の奥さんにあたる方なんですけど、2人を中心にやってみようって話になっていて。既に何度か地域の公民館を借りて、プレイベントを開催しているんですよ」
「そうだったのか……」
「名杙さんや佐藤さんが、新しいことを1から始められたご苦労が少し分かった気がします。本当に大変なことも多いですけど……やりがいがありますね」
櫻子の言葉を受けた統治は、「そうか……」と相槌をうった後、手元のパンフレットを見て黙り込んでしまった。
彼女がそこまで積極的に新規事業に関わっていたなんて、知らなかった。
いや、『友人の一人』である知らないのは当たり前なのだけど、でも……。
そんな統治を見た政宗は、パンフレットを静かに閉じて……聖人を見つめる。
「伊達先生、あの、話は……終わりですかね」
この言葉に、ユカがピクリと反応したのが分かった。そして、何か言いたそうに政宗を見つめたが、適切な言葉を見つけられずに口をつぐむ。
そんな2人を見た聖人は、ゆっくりと首を横に振った後、右手の人差指を立てた。そして――
「あと1つ、とても大切なことを伝えておいていいかな。ケッカちゃんと政宗君の、今後に関することなんだけどね」
そこから先、聖人から聞いた事柄は……正直、すぐには受け入れがたい内容だった。