エピソード1:What is the truth?④
聖人の姿を確認したユカは、ゆっくりとリビングに足を踏み入れて……部屋の主である政宗や、自分へ連絡をしてくれた統治の姿がやはり見えないことに首をかしげる。
ユカの表情と態度で彼女の疑問を察した聖人は、足を組み替えて2人に笑顔を向けた。
「2人ともいらっしゃい。政宗君と統治君にはちょっとコピーを頼んだから、コンビニ行ってもらっているよ。下で会わなかったかな?」
「いえ、会ってないです……じゃあ、すぐに帰ってくるんですか?」
「そうだね、コピーを取って、おやつやご飯を買ったら帰ってくるんじゃないかな?」
聖人はそう言って、ユカと櫻子に、机を挟んだ向かい側に座るよう促した。ユカは聖人があえて政宗と統治を外へ出したのだろう思いつつ、入口付近に突っ立っていてもしょうがないので言われるがままに移動して腰を下ろす。聖人の前にユカが座り、ユカの隣――聖人の斜め前に、櫻子が椅子を引いて腰を下ろした。
聖人はユカの様子を横目で確認しながら……机の上に手をのせて、「さて……」と浅く息を吐く。
「2人が帰ってくるまで、ケッカちゃんに何があったのか……簡単に、自分の口から説明してもいいかな」
「お願いします……」
ユカが硬い表情で頷いたことを確認した聖人は、手元で裏返していた書類をひっくり返すと、ユカと櫻子が読めるよう、2人の間にペラリと置いた。
A4サイズの白いコピー用紙には、箇条書きの文字と、写真が2枚。どうやら6月のことを時系列ごとにまとめたものらしい。
ユカと櫻子は、上から読んでいこうと紙の上部に視線を向けて……最初に飛び込んできた写真に、目を大きく見開いた。
書類に視線を落として無言になってしまったユカの代わりに、櫻子が顔を上げて問いかける。
「伊達先生、この女性が……ユカちゃん、ですか……?」
その問いかけに、聖人は静かに一度頷いた。
書類に添えられていた写真には、ベッドらしき場所で横たわって眠っている、大学生くらいの女性が写っていた。
長い髪の毛と整った顔立ちが印象的な美少女。ただ、青白い顔に浮かんでいるその表情は、少し苦しげにも見える。
資料に添えられていた名前は、『山本結果』。
そして、その写真には……彼女の『関係縁』や『因縁』、そして、『生命縁』までが撮影されていた。
――ガダンッ!!
その写真を目の当たりにしたユカは、思わず椅子を蹴って立ち上がった。
そして、震える手でコピー用紙を掴むと、大きく目を見開いて写真の『自分』を凝視する。
「はぁっ!? ちょ、えっ……!?」
「ユカ、ちゃん……? お、落ち着いてください、確かにいきなりご自身が成長していたと言われても落ち着かないと思いますが……」
「いや、その……そうなんですけど、そうじゃなくて……!!」
ユカは櫻子に上手く説明出来ない自分の動揺をもどかしく思いつつ、今は自分の中に渦巻いた混乱を抑えるために、立ち尽くしたまま聖人を見つめ、問いかける。
「伊達先生……あたしの『生命縁』、正常になっとったと……?」
その問いかけに、聖人は一度だけ頷いた。
「そうだね。とりあえず……時系列に沿って説明したいところだけど」
聖人はここで言葉を切ると、リビングの扉の方へ目線を移した。ユカと櫻子がつられて視線を向けると、二人分の足音が静かに近づいてきて――
「……政宗、統治、おかえり……」
「あ、あぁ……ただいま、ケッカ」
立ち尽くしたまま自分たちを見つめるユカの言葉に、政宗もまた条件反射で返答した。
後ろから続く統治が静かに扉を閉めた後、全員分の軽食と飲み物を用意するために、政宗の手からも荷物を受け取ると、静かにキッチンへと向かう。
2対2で向かい合って座れるこの部屋のダイニングテーブルが、初めて人数オーバーになっている。
政宗が予備の椅子を用意しようと自室へ引っ込んだタイミングで、櫻子が静かに立ち上がり、統治を手伝うためにキッチンへと移動した。
ユカは1人、椅子に座り直して……手元のコピー用紙を見下ろする。
今はただ、目の前の写真が信じられない。
昼間に見た政宗のスマートフォンの中にいた女性と、聖人が添付したこの写真の中にいる女性は一致している。それはいい。今の問題はそこじゃない。
今まで見てきたユカの『生命縁』は、色が変色していて、見ているだけで憂鬱になるような色だけど。
写真の中にいる彼女には――綺麗な緑の『縁』が繋がっている。
今のユカが欲しいものを、写真の中の彼女が全て持っていて。
「あたしは……」
成長を、生きることを、諦めなくていいのかもしれない。
糾弾するつもりで乗り込んできたはずなのに、まさか、僅かな希望を見つけるなんて……思っていなかった。
「ケッカ……?」
自室から椅子を持って戻ってきた政宗が、角を挟んだユカの隣に、恐る恐る腰を下ろした。
手元から視線を上げたユカは、自分を見つめる政宗に気付いて……恐る恐る問いかける。
「政宗……この、写真の中のあたしの『生命縁』は、本当にこげな緑やった?」
「……ああ」
「じゃ、じゃあ……あたしは、成長さえすれば、普通に生きることが出来るってこと?」
「それは……正直、今はなんとも言えない。ただ、今までよりずっと、希望はあると思ってる」
こう言ってユカを見つめる政宗が、言葉を続けようとした次の瞬間……聖人がテーブルをトントンと2回叩いて、自分の方へ注目を集める。
「2人で話す時間は、また後で作るから。とりあえず……ご飯を食べたいよね。全員で用意しようか」
こう言った聖人が立ち上がり、一足先にキッチンへ向かった。
水をさされた状態になった2人は、その場でしばし見つめ合って……。
「……行くか」
「分かった」
端的な会話と共に立ち上がると、キッチンの方へ移動するのだった。
政宗と統治が買ってきたピザ4枚とナゲットなどをテーブルの中央に配置し、それぞれが飲み物を持って着席する。
ユカは目の前から漂ってくる匂いにつばをためながら、目の前で笑顔の聖人をジト目で見つめた。
「だ、伊達先生……食べながら話すとですか?」
「ううん、とりあえずの腹ごしらえだよ。腹が減っては何もしたくないからね」
そう言って我先にピザをつまむ聖人に続き、4人もそれぞれピザを手に取った。
ユカはチーズを伸ばしてピザを1ピース自分の方へ引き寄せると、細い角から口に含む。溶けかけた暖かいチーズの甘味とトマトソースの酸味が、口の中にじわっと広がる。ユカが無言で咀嚼していると、隣に座っている櫻子が、手元のピザをまじまじと見つめていることに気が付いた。
「櫻子さん?」
「えっ? あ……その、家族以外の人と夕食を食べるのが久しぶりだったので……」
櫻子はそう言って言葉を切ると、目を細めてユカを見つめる。
「こうして皆さんが揃っていると、嬉しいですね」
彼女の言葉にユカは「そうですね」と同意した後、はにかんだ笑顔を向けた。その様子を目の前で見ていた統治は、櫻子がこの場にいてくれたことに、心の中で深い感謝の念を抱く。
もしも彼女がこの場にいなければ……ユカは誰も味方がいないと思って、もっと身構えていたと思うから。
聖人から「全員で食事をしてから本題に入ろう」と言われたときは、どうなるかと思ったけれど……とりあえず、統治が危惧していた最悪の空気感は回避された気がする。
ただ……この食事が終わったら、どんな事実が出てくるか分からない。それを自分がどう受け止めるのか、そして……ユカや政宗は、どう捉えるのか。
不安がないと言えば嘘になるけれど、もう、ここまできたら流されるしかないのだ。
自分たち3人の縁が試されていることは分かっている。だからこそこの苦境を乗り越えてみせなければ――自分たちは、『仙台支局』は、ここまでだ。
1人、覚悟を改めた統治は、手元にあるピザを口に入れて咀嚼しつつ……目の前で笑っている櫻子の姿に、先日、心愛と会話をした時のことを思い返していた。
「――ねぇお兄様、奥村さんとこのお姉ちゃんのお兄さんに、子どもが生まれたって知ってた?」
とある平日の夜、風呂上がりにダイニングテーブルに座って麦茶を飲んでいた統治に、2階の自室から降りてきた心愛が話しかける。
統治は脳内データベースでその人物の検索をかけて……「あぁ」と1人、思い当たった。
「確か……妹さんが心愛が小学生の時に、登校班リーダーだった……」
「そうそう、今はお姉さんも実家を出て遠くの大学に行ってるみたいなんだけど、この間本塩釜駅でバッタリ出会って、そんな話を聞いたの。今はお兄さんも県外に住んでるみたいで、久しぶりに揃うから姪っ子の顔が見れるって、楽しそうだったの」
「そうか」
統治とは直接関わりがない人物の話だったため、当たり障りのない返事をしておいた。
そんな兄を……妹が、どこか不服そうな眼差しで見つめる。というか睨む。
なまじ彼女が生まれた頃から兄をやっているわけではない。最近は一緒に行動することも増えたため、心愛が言いたいことは何となく分かっていた。
「……心愛、何が言いたい」
「別にー。心愛はいつおばちゃんになれるんだろうって思っただけですー」
「この歳でもう老け込みたいのか? 諦めるのが早すぎると思うが」
「違うわよ!! っていうか、そんな言葉で心愛ははぐらかされないわよお兄様!! 透名さんとは一体どーなってるの!?」
「……」
一番聞かれたくない――むしろ誰かに答えを教えて欲しい、そんな質問に、統治は露骨に視線をそらした。
そんな兄の前に回り込み、椅子を引いて座った心愛は……現実から目をそらす統治へ、どこか言いにくそうに言葉を続ける。
「お兄様は、その……佐藤支局長のお世話ばっかり熱心にしてるって言われてること、知らないの? 変な噂に尾ひれがついて、そのまま泳ぎ出しても知らないからね」
「……」
心愛がここまで言ってくるということは、噂が長い尾ひれをつけて、今にも泳ぎ出しそうな状態なのだろう。確かに、櫻子と見合いという名の顔合わせをしてからある程度の時間が経過しているが……ここまで何も進展がないとは思わなかった。
幼い頃から、女性関係については特に周囲の目が厳しかった。そしてその場の誰もが、笑顔の下に本心を隠して、したたかに彼を狙っていた。
何と言っても名杙家次期当主候補の筆頭である。彼を射止めれば、名杙という巨大な『組織』を手中に収めたも同然だ。なまじ統治は顔面偏差値も平均以上なので、若い人からそうでもない人まで、色々な女性からアプローチされてきたのである。
しかし、元々統治は「その時がくればいずれ結婚するだろう」という受け身の認識で生きていたので、異性に対する興味が薄く……加えて、父親の弟で彼の叔父にあたる人物・慶次の姿を、改めて知ってしまう機会があったことで、男女関係に関してより慎重にならざるを得なくなった。
彼の側にいる女性が何度となく変わっていることには気付かないフリをしてきたけれど、まさか過去に、自分の伴侶と血を分けた娘を、この家から追い出していたなんて。
理解できない。
一度は愛した女性を、最も強いと言われている親子の『関係縁』で繋がり、自分の『因縁』を分け与えた娘を――自分勝手に見捨てたことが。
そして、その事実を――父親を含め、名杙の大人が隠蔽してきたことが。
もしも彼女を――透名櫻子をこの家に招き入れれば、彼女はきっと、閉鎖的な名杙のマイナス面を容赦なく押し付けられることになるだろう。
彼女のことを女性として愛しているかと尋ねられても……今の統治には、はっきり頷く根拠がない。
ただ、彼女は優しく聡明で、将来がある優秀な女性だということは分かる
そんな彼女の将来を……名杙が、自分が、潰すことになるのではないだろうか。
感情だけでは、どうしようもない。
それがこの、名杙という家なのだから。
「心愛は……彼女のことを、どう思う?」
「へ?」
唐突な質問に、心愛が目を丸くした。自分の聞き方が悪かったことを悟った統治は、何とか言い直そうと言葉を言い換える。
「その……もしも、この家に入るとすれば……」
統治の言葉で内容を察した心愛は、「うーん」とうなりながら天井を仰ぐ。そして。
「……こんな厄介な家に呼んじゃって、お嫁に来てもらっちゃって、ゴメンナサイって思うかも」
こう言って苦笑いを浮かべる心愛に、統治もまた、苦笑いを返す。
「そうだな。この家は……とても厄介だと思う」
『厄介』と、一言で言い表すことなど出来ないけれど、今の統治もまた、心愛の表現に納得していた。
ただ……。
「でも……それを知った上でどうするかは、お兄様が決めることじゃないわよね」
「え……」
はっきりと断言する妹に、先程のような苦笑いはもう見られない。
心愛はテーブルに頬杖をつくと、戸惑う兄を楽しそうに見つめた。
「お兄様は1人で考え過ぎなのよね。この家にお嫁にきてくれるかどうかは、透名さんが自分で決めるべきだから、彼女が決めたことを応援してあげればいいんじゃない?」
「応援……」
「ま、お兄様はその前の前の前の前の……とにかく、ずーーーーと前段階なんだけどね」
心愛はそう言って立ち上がると、どこか呆けている兄を流し目で見やり、これみよがしなため息1つ。
「あーあ……お兄様は佐藤支局長みたいな恋愛ヘタレじゃないって思いたいなー」
「……」
「妹を失望させないでね、お兄様。心愛……お姉様が増えるのは、大歓迎なんだから」
そう言って風呂場に向かっていく妹の背中を見送りながら……統治は、彼女と2人でこんな会話が出来るようになった現実に、どこか複雑な思いを抱く。
いつかきっと、彼女も――大切な男性を連れてくるのだろう。
想像するだけで心がざわつくのに、いざ、そんな状況に直面したら……自分は、冷静でいられるだろうか?
少し先の未来を妄想して無言になった統治は、コップに残ったぬるいお茶を一気に飲み干した。
「……」
そんな時のことを思い出すと、どうしても憮然とした表情になってしまって……櫻子とユカは、無言でピザを食べる統治にどう声をかけていいのか悩んだ挙げ句……顔を見合わせて、声をかけるのを諦めるのだった。