エピソード1:What is the truth?③
日が落ちて、時刻は間もなく19時になろうとしている頃。
身支度を整えたユカは1人、仙石線の小鶴新田駅にいた。
いつも使っている最寄り駅が、今回の待ち合わせ場所。『彼女』に自宅まで来てもらうのは気が引けたし、説明も上手く出来そうになかったので……車の乗り降りがしやすく、集合場所としても分かりやすいこの場所を指定したのだ。
今は仕事を終えた人が帰宅する時間帯なので、電車が到着する度に、改札を抜けた多くの人が家路へとついていく。いつもであれば、ユカも政宗と一緒にこれくらいの時間の電車に乗っていた。そしていつも通り一緒に改札をくぐって、出たところで「また明日」と別れる、そんな日常を繰り返していたのに。
「……」
その日常が、今は……とても遠くに感じる。
ユカが物思いにふけっていると、駅前広場に整備されたロータリーの脇に、軽自動車が滑り込んできた。そのフォルムに見覚えがあったユカは、呼吸を整えて歩き始める。
程なくして車の側までやってくると、助手席の窓が開いて……中から柔らかい声が聞こえた。
「ユカちゃん、こんばんは」
「櫻子さん……本当に来てくれたんやね」
少し膝を曲げて車内を覗き込むと、運転席に座っている透名櫻子が、ユカと目線を合わせて軽く会釈をする。
午後に統治から届いたメッセージの中に、こんな内容があったのだ。
『今後のことを考えて、病院の関係者でもある透名さんにも同席を頼み、同意してもらっている』、と。
彼女が仙台から離れた県北の登米市に住んでいることは知っているし、実際どれくらい離れているのかも……6月下旬に健康診断で訪れた時に実感している。
そんな彼女が平日の夜、わざわざ仙台まで出てきてくれるというのだ。ユカはすぐに櫻子へメールを送り、無理をする必要はないと伝えた。彼女に声をかけたのは、政宗と統治が自分に気を遣って、気心の知れた同性の知人を呼んでくれたのだと思ったから。
ユカのメールを見た櫻子が、仕事の合間を縫って電話で連絡をしてくれた。そして、電話の向こうにいる彼女が、ユカが思っている以上に強い意志を持っていたことに気付かされる。
「私も、ユカちゃんの体のことは……ちゃんと知っておきたいと思っていました。そんな時に名杙さんから声をかけていただけて……実は、とても嬉しかったんです」
「櫻子さん……」
「幸い、今日は仕事が17時には終わりますから、そこからゆっくり移動しても間に合います。会えるのは楽しみですが……ユカちゃんも、無理はしないでくださいね。私に出来ることがあれば、遠慮しないでください」
そう言ってくれた櫻子の存在が、今のユカには心強かった。
その後、統治が話をつけてくれたのだろう。櫻子がユカを拾って、政宗の家で合流することになったのである。
助手席の扉を開けてシートに腰を下ろすと、いつもとは違う芳香剤の香りを感じた。
彼女の車に乗せてもらうのは、これが初めてではない。2人で買い物に出かけたこともあるし、政宗や統治を含めた4人で出かけたこともある。その時はどれもワクワクして、期待に胸が膨らんでいたけれど……今はどうしても、不安が先行してしまった。
ユカが無言でシートベルトを締めたことを確認した櫻子は、「では、動きますね」と声をかけた後、アクセルを踏んで車を動かす。今日は女性ドライバーの車に縁があるなぁと思いつつ、ユカは櫻子の方を見やり、オズオズと話しかけた。
「櫻子さんは……その、あたしの体が成長していたこと、知っていたんですか?」
その問いかけに、彼女は首を横に振った。
「いいえ。ユカちゃんが健康診断を受けるという話以外は聞いていませんでした。ただ……あの頃、伊達先生と彩衣さんが話をしていたのを聞いて、名杙さんにご相談したことはあります」
「伊達先生と、富沢さんが……?」
「えぇ。恐らくユカちゃんに関することだと思うんですけど……ユカちゃん、6月に具合が悪かった時に、足が動かなかったんじゃないですか?」
「え? 足……?」
櫻子の言葉に、ユカは反射的に自分の両足を見下ろした。
今は問題なく二足歩行出来る。足に関しては今も昔も何も問題がない、そう思っていたけれど。
足が動かないならば、6月の自分はどうやって生きていたのだろう。
1人では絶対に無理だ。それこそ、誰かがつきっきりでそばに居てくれないと、きっと……。
「……スイマセン。全然覚えてないんです……」
どこか悔しそうに呟いたユカが、膝の上で両手を握りしめる。
櫻子は「突然変なことを聞いてごめんなさい」と謝罪しながら、努めて明るい口調で話題を切り替えた。
「そういえば、もうすぐ福岡からお客様がいらっしゃるそうですね」
「え? あ……はい。福岡であたしがとてもお世話になっていた人が、七夕まつりを見るために来てくれることになっていて……」
「そうだったんですね。私も七夕まつりの期間中は仙台近郊にいることが多いので、簡単にご挨拶が出来るといいなと思ってます。ユカちゃんもこのお祭りは初めてだと思いますので、楽しんでくださいね」
「そうですね、ありがとうございます……」
こう言って無理に笑おうとするユカが痛々しくて、櫻子は思わず、ハンドルを握る手に力を入れてしまった。
そして……自分が立ち聞きをしたもう一つの内容は、伝えないようにしようと心に誓う。
彼女の臨終を想定した備えがなされていたなんて、いくら今は回復しているとはいえ、決して、気分の良い話ではないだろうから。
小鶴新田駅から10分ほど車を走らせ、政宗が住んでいるマンションの下に到着した。事前に聞いておいた来客用の駐車場に車を停めた櫻子は、サイドブレーキを引いて車の動きを止めた後、助手席のユカに目線を向ける。
そして、気付いた時には……硬い表情でシートベルトを外そうとして、脇にある金具に手をかけたユカの手を、反射的に握っていた。
「……櫻子、さん?」
ユカが驚きに満ちた眼差しを自分に向けたことで、櫻子は慌てて我に返る。
「えっ!? あ、あのっ……ゆ、ユカちゃんは1人じゃないですからねっ!!」
「櫻子さん……」
「私には、詳しいことは分かりません。きっと、ユカちゃんと佐藤さん、名杙さんの間には、私が推し量れないような重大な問題が発生しているのだと思います。でも……」
櫻子は一瞬、ほんの一瞬躊躇った後……ユカの手をより強く握る。
片手でたやすくつかめる、子どもの細い腕。内面がどれだけ大人びていても、身体的な成長と精神が乖離している状態で、常に前向きでいることなど不可能だと思っている。
だからこそ……前を向けなくなって、これ以上歩けなくなった時、そっと寄り添っていられる存在でありたい。
あの時――4人で出かけた時の笑顔と、2人で出かけた時の笑顔、その笑顔をまた見たいと思うから。
「……でも、私は……佐藤さんや名杙さんと一緒にいて笑っている、そんなユカちゃんが好きです。私はユカちゃんが来る前のお2人も少し知っていますけど、ユカちゃんが来てくれてから……お2人とも、本当に嬉しそうでした。だから、6月も……ユカちゃんが体調を崩していた時も、皆さんが本当に心配していて、それで……!!」
6月、諸用で『仙台支局』を訪問した時……その場に居合わせた統治は勿論、彼の妹の心愛も、アルバイトの片倉華蓮も、いつもよりも覇気がなくて、どこか沈痛な面持ちにすら思えた。
それは単純に、ユカの状態が不透明だったことに対する不安だったのかもしれないけれど。
でも、それ以上に……ユカのことを心配している、そんな風に見えたから。
言葉がまとまらなくなった櫻子が、どこか悔しそうに口をつぐんだ。
ユカはそんな彼女を見つめた後……自分の手を握ってくれた彼女の手に、そっと、もう片方の手を重ねる。
「……櫻子さん、教えてくれてありがとうございます」
「ユカちゃん……」
「正直、あたしも自分に何が起きとるか……全然分かっとらんとです。政宗や統治が心配してくれたことは自分でも分かっとるつもりなんですけど、どうしても……2人があたしに隠していたこと、そればっかり気になって……駄目ですね。真実を知りたいなら、もっと冷静にならなきゃいけないのに」
こう言って、ユカは軽く目を閉じた後、数回深呼吸をした。
そして、目を開いて櫻子を見据え――肩をすくめる。
「でも正直、これから、どんな真実が出てくるか分かりません。もしも、もしもあたしが正気を保てなくなりそうになっていたら……2人をこれ以上傷つけないように、あたしを外へ連れ出してくれませんか?」
覚悟を決めた表情のユカに、櫻子もまた、笑顔で一度頷いて。
「分かりました。その時は……2人でご飯でも食べに行きましょう」
躊躇いなくそう言ってくれた彼女に、ユカは強張っていた体の力を少しだけ抜いて……一度だけ頷いた。
その後、車を降りた2人は、マンションのエントランスへ入った。
オートロックの自動ドアを目の前にして、ユカは慣れた手付きで部屋番号を押すと、向こう側にいる相手を呼び出す。程なくしてスピーカーからブツっと機械音が聞こえて、向こう側と繋がった。
「――はい、どちらさまですか?」
聞こえたのは政宗ではない声だった。意外な反応に、ユカは一瞬、萎縮してしまったけれど……すぐさま呼吸を整え、いつもの調子を思い出して声をかける。
「伊達先生、ですか? あれ、政宗は……」
「今は自分がお留守番中だよ。オートロックを解除するから、上に上がってきてね」
「わ、分かりました……」
ユカが戸惑いながらも頷いた次の瞬間、目の前の自動ドアが左右に開いた。扉をくぐった2人はエレベーターに乗って、彼の部屋を目指す。
「それにしても……なして伊達先生? 櫻子さん、何か聞いてますか?」
「スイマセン、あまり細かいことは聞いていないんですけど……でも、きっと何か考えがあってのことだと思いますから、今は上に行きましょう」
そう言って笑顔を向けてくれる彼女に、ユカもどこか安心した気持ちで頷いて、エレベーターの到着を待った。
そして、目的の階で開いた扉を抜けて、廊下を歩く。何度も歩いたことがあるこの廊下だけど……そういえば、ここを歩くときはいつも隣に、家主である政宗がいた。統治が一緒だったことも1度や2度ではない。
今は櫻子がいてくれて安心出来るけど、やっぱり、一番しっくりくるのは――
ユカがそう思った時、彼の部屋の前に到着した。聖人がいるということは、ここの扉は施錠されていないのだろう。ユカは躊躇いなくドアノブを握って下に動かし、同時に腕を引いて扉を開く。
廊下の電気がつけたままになっており、玄関には男性用の見慣れない靴が一足。聖人しかいないことを改めて実感する。
ユカは櫻子が入って扉を閉めたことを確認すると、無意識のうちに扉に鍵をかけていた。そして、この動作は……ユカが政宗と一緒にこの部屋へ入ってきた時にやっていたことだということに気付き、苦笑いを浮かべるしかない。
あの時のことを、政宗とどう過ごしたのかを、今のユカが覚えていなくても。
彼と共に、この町で過ごした時間の中で蓄積されたことは……体がちゃんと、覚えているから。
「……ハハッ、なんね、結局……あたしは……」
ユカは1人で自分を嘲笑った後、靴を脱いで廊下を奥に進んだ。
結局、自分は……彼の隣にいたいのだという事実を、不承不承認めながら。
後ろに続く櫻子は、一瞬、ユカの言葉に怪訝そうな表情を見せたものの……すぐに柔らかい笑顔を浮かべて、ユカの後ろに続いて廊下を進む。
そして――
廊下の奥にある扉の向こう、いつも3人で食事をしていたリビング。ダイニングテーブルに付随している椅子に座って、机上の書類に目を通していた伊達聖人が……2人に気付いて、いつも通り、穏やかな表情で出迎えた。
4人で出かけた話→2017年ユカ生誕祭用小話・セカンドデード/ダブルデート(https://ncode.syosetu.com/n9925dq/15/)
ユカと櫻子が2人で出かけた話→ボイスドラマ隙間語⑨・彼には内緒のガールズトーク(https://mqube.net/play/20180823230895)
なんだか前回から、女性キャラばっかり出てきてますね。まぁいいか。(いいのか)
そして本文中の挿絵は、ボイスドラマでユカ役のおがちゃぴんさんが描いてくださいましたよ!! 櫻子とユカの組み合わせはガンガン推していきたい所存です!! ありがとうございますー!!