エピソード1:What is the truth?①
この話は、第4幕後日談:リークアウト・スイートハート(https://ncode.syosetu.com/n2102ew/31/)からの続きです。
忘れた、読んでない、そんなの知らないという方は、お手数ですが一度さかのぼってから戻ってきてください。
昼食用のお弁当3人分を持って戻ってきた名杙統治が目にしたのは、応接用のソファに座って青ざめた佐藤政宗と、その隣で彼をすがるように見上げる、狼狽した山本結果だった。
その表情と室内に漂う異様な空気で何かあったことを悟った統治は、無言で扉を閉めて施錠してから、ゆっくりと2人に近づいていく。
自分の中にある問題は、とりあえず一度、頭の片隅に追いやって。
「佐藤、山本、何かあったのか?」
応接用の机に弁当を置いた統治が、机を挟んだ向かい側――政宗の正面にある椅子に腰を下ろした。
彼の言葉に2人が視線を向けるが……互いに言葉を探し、言いよどむ。
そんな2人に向けて、統治はもう一度、言葉を変えて問いかけた。
「……何があったのか、俺は聞かないほうがいいことなのか?」
どこか悲しそうに見えた統治に、ユカが慌てて両手を横に振る。
「そ、そげなことなか!! それに、統治も写っとったね……」
「写っていた……?」
ユカの言葉に統治が首をかしげると、ユカは机上に置いてある政宗の携帯電話を、統治に向けて押し出した。今は画面が消えて、暗くなっている状態のディスプレイ。統治が覗き込むと、何となく自分の顔が見える。
「佐藤のスマートフォンが、どうかしたのか?」
話が見えずに顔をしかめる統治に、ユカは一度口元を引き締めて……先程見てしまったものを、改めて告げる。
「政宗のスマホに入っとる写真を……見たと」
「写真……?」
「政宗と、統治と……『成長したあたし』が、写っとる写真」
「っ……!?」
『成長したあたし』、と、確信を持って口にしたユカに、統治は思わず……とても珍しく、驚きで目を見開いた。
あの時の――6月にあった出来事のこと、そこに居た『彼女』に関しては、目の前にいるユカは『何も覚えていない』、そう思っていたから。
「佐藤……山本に、話したのか?」
統治の言葉に、政宗はゆっくり首を横に振る。
「いいや、ただ……俺が迂闊だった。それだけだ」
「……」
政宗の様子から察するに、この事実が誰も意図しないところから偶然明るみに出たのは明白だった。統治の態度から彼もまた事態を把握していたことを悟ったユカは、ターゲットを政宗から統治に変えて、自分の中でくすぶる疑問をぶつける。
「ねぇ統治、2人はどうして、そげん隠したがると? 一体……あたしに、何があったと?」
すがるように自分を見つめるユカに、統治は一瞬口ごもった。
目の前にいる彼女に、何を伝えればいいのだろう。
そもそも……統治自身も、詳しいことはほぼ知らない。この場で一番話を知っていそうなのは政宗だが、今の状態を見ると、まともに説明出来るとは思えなかった。
ユカの疑問に明確な回答をくれる存在、それは……。
「……山本、その話なんだが……伊達先生の都合を聞いて、場を改めてもいいだろうか」
「伊達先生……?」
「ああ。俺も正直、あの時の山本に何があったのか、正確に把握出来ていない。あの時の俺は……山本と一緒にいると体調を崩すことがあって、あまり一緒にいられなかったんだ」
「そうなん……?」
「ああ。全て伊達先生の指示だった。ここで憶測混じりに話すよりも、多くの情報を持っている伊達先生がいてくれた方がいい。申し訳ないが、少し時間をくれないだろうか」
統治の顔を見たユカは、彼が嘘をついていないことに確証を得て……静かに、首を縦に動かした。
今は、圧倒的に情報が足りない。
6月、記憶が欠落している間に何が起こったのかをはっきりさせるためには、ここで統治や政宗を問い詰めても意味がないと思ったから。
椅子に座り直したユカは、隣に座って黙り込んでいる政宗を見つめた。
そして……2人にならば聞けることだけ、はっきりさせておこうと決意する。
「じゃあ、このことをあたしに黙っとったのは……なして?」
彼女の問いかけに、政宗と統治は顔を見合わせた。そして、政宗が目線で話を引き取ったことを確認した統治は、「一度水を飲んでくる」と言って席を外す。
立ち上がった統治にユカが不安そうな視線を向けるが、こちらを見下ろす統治が一度頷いたことを確認したユカは……視線をそらして統治を見送った。
そして、やっと自分を見てくれた政宗と向かい合い……顔をしかめる。
自分を見つめる彼が、今にも泣きそうな表情をしていたから。
どうして政宗が、そんな顔をしているのか。
――泣きたいのは、どっちだと思ってるんだ。
「なんね……そげな泣きそうな顔して」
自分でも予想以上に冷たい声になってしまったとは思う。ユカの指摘にハッとした彼が口元に手を添えて、決まりが悪そうに視線をそらした。
「悪い。そうだよな……」
「……」
いつもであれば、ため息をついて「もういい」と話を終わらせていたかもしれないけれど。
でも……一度堰を切った感情は、抑えることが出来ない。
だってユカは、目の前にいる彼のことを――
「あのね政宗、あたし……怒っとるとよ。政宗はずーっとあたしに嘘をついて、あることないこと言いまわって、本当のことを黙っとった。あたしは……」
あの時――7月、石巻の仕事へ行く前、ユカは彼に向けて、こう、尋ねていた。
「……本当に?」
直前の彼の言葉が事実かどうか、彼が嘘をついていないかどうかを尋ねると……政宗はユカに向けて、こう答えたのだ。
「ああそうだ。こんなところで嘘をつく理由がないだろう?」
その言葉を、信じていた。
政宗だから、信じられたのに。
――全て、嘘だったじゃないか。
ユカの中に押し寄せる、どす黒い感情。
普段は理性で抑え込んでいるものが――止まらない。
膝の上で両手を握りしめたユカは、無言で彼を睨みつけた。
「あたしは……」
涙は、浮かばない。
ただ……頭に血が上っているだけだ。
「あたしは嘘をつかんかったけど、政宗は全部嘘やった!! あたしやったら騙せるって思ったと!? なして本当のことを教えてくれんかったと!?」
「ケッカ、それは――」
「言い訳なんか聞きたくなか!! それに……今の政宗から何を聞いたって信じられるわけないやんね!!」
こう言って彼の両肩を掴む。ユカの視線の先に居たのは、『過去に一度だけ見たことある』、そんな……泣きそうな彼の顔。
前に見たときは、驚いて、助けたいと思ったけれど。
今は……あの時と真逆の感情が、ユカの全てを支配している。
刹那、衝立の向こうから統治が飛び出してきた。そして2人の間に割って入ろうとした次の瞬間、ユカが明確な意思と共に彼を睨みつける。
「統治は邪魔せんで!! 今は政宗と話ばしよると!!」
初めてユカに一括され、反射的にその場で立ち止まる。
こんなに強く自分を拒絶するユカは、初めてだったから。
「山本……」
「統治だって同じなんやけんね!! 本当のこと、口裏合わせて黙っとったっちゃけん……!!」
そう言われると言い返せない。統治が押し黙ったことを確認したユカは、改めて政宗を睨みつけて――動きを、止めた。
――彼のこんな顔を見たのは一度じゃない、『あの時』にも、見たような気がする。
『あの時』って、いつ?
彼が困惑して、今にも泣きそうな表情だったのは……いつだったか。
「戻るって何だよ……ケッカの本当は、今のこの姿なんじゃないのか? どうして、どうして……また……」
『あの時』の政宗も、泣きそうな顔で困惑していた。
そして、その後……涙を流していた。
どうして?
どうして……彼は、泣いていたんだろう。
「ケッカ、俺……本当にバカだ。最初は違和感しかなかったのに、今はこっちが当たり前になってるなんて……本当、俺はどこまで……君のことが……」
君のことが、何?
今まで靄がかかっていた記憶の中を必死に探る。ヒントから次のヒントへ、表情から言葉を手繰り寄せて、次の言葉へ。
その先にあるのが、きっと本物。ユカが一番知りたい真実。
「昨日は、情けなくて……本当にゴメンな。今日はちゃんと、俺から言わせて欲しい」
彼があの時ユカに伝えたこと、それは――
「ユカ、俺は――」
刹那、ユカは頭部に鈍い痛みを感じて顔をしかめた。
これ以上は無理だと、自分の中の何かが警鐘を鳴らしている。
その先は……今はまだ、思い出せないけれど、
あの時の自分が、一番聞きたかった言葉だ。
そして自分は、その言葉を――彼の全てを、受け入れた。
優しく自分に触れてくれる手も、かけられた言葉も。
その全てが嬉しくて、愛おしかった。
やっと繋いだ手を、全てを、離したくなくて。
だから、彼の言葉を、全てを承諾した。
あの時間が続けばいいと思った。ずっと……ずっとこのまま、繋がっていられたら、そう強く願った。
その瞬間は、全てが幸せだった。
だって結果も、彼のことが――
「――っ!!」
次の瞬間、脳裏に浮かんだ朧気な記憶に目を見開き、ユカは政宗から手を離して立ち上がった。そして、両腕で体を抱きしめると、首を横に振りながら後ずさりしていく。
知らない。
こんな感情は、こんな記憶は――知らない。
「ケッカ……?」
「やっ……!!」
政宗が立ち上がった瞬間、ユカが全身をビクリと震わせた。よく見るとその華奢な体が小刻みに震えているのが分かる。
先程、唐突にユカの脳裏に映し出された、不鮮明な映像。
そこに居たのは……幸せな恋人だった。
その2人は、政宗と――成長した自分。
至近距離で見つめ合い、笑顔になって、抱きしめあって。そんな、幸せな時間の断片。
押し寄せてきた感情を処理出来ない。全てが噛み合わない、そんな、強烈な違和感。
知らない。
政宗のあんな顔も、胸に去来したこの感情も。
そんな『あたし』を――『あたし』は、知らない。
「あたし、は……!!」
震える唇で言葉を紡ごうとしても、頭が上手く働かない。
何かが決定的にズレている。そんな違和感が気持ち悪い。
頭が、痛い。
とても――とても、痛い。
ユカは立っていられず、思わずその場に座り込んだ。
そして、立ち上がったまま自分を見つめている政宗を見上げると――すぐに目を伏せて、一言吐き捨てる。
「……気持ち悪い」
何に対してだったのか……ユカはそれ以上口に出さなかったけれど。
政宗はソファに深く座り直して……手で顔を覆い、深いため息をついた。
その後、ユカは自分から早退を申し出た。
ここ数年、体調が落ち着いてからは早退なんてしていなかった。けれど現に今も頭には鈍痛が残っているし、今は……2人と同じ空間で仕事が出来るとは思えなかったから。
外に出ると言い残し、昼食を持って出ていった彼は、まだ戻ってきていない。ユカは主のない支局長の席に必要書類を置くと、自席に座っている統治の隣に立つ。
少し気持ちが落ち着いた今、先程彼らに言い放った言葉が……自分が蚊帳の外にされ続けたことに対する、八つ当たりにも思えてきたから。
「統治、その……」
口ごもって言葉を探すユカに、統治は無言で、一人分のお弁当が入った袋を差し出した。
「家で食べてくれ。あまり食欲はないかもしれないが……」
「……ありがとう」
袋を受け取ったユカへ、統治は椅子を90度回転させて向き直った。そして、膝の上で両手を握りしめると……ユカへ向けて、深く頭を下げる。
「今回のことは……佐藤だけが悪いわけじゃない。山本の記憶が曖昧なのをいいことに、事実確認を怠って先延ばしにしてきたのは……俺も同じだ」
「統治……」
「今は俺たちが何を言っても信じられないと思う。だから……伊達先生からの話も聞いて、時間をかけて、山本が判断してくれ」
「……分かった。時間と場所が決まったら教えてね」
ユカの言葉に顔を上げた統治が、「分かった」と頷いたことを確認して……ユカは静かに、彼の横をすり抜けた。
道すがら、政宗とうっかり鉢合わせたらどうしようかと思ってしまったけれど……恐らく彼も避けているのだろう。ユカは1人でエレベーターに乗り、建物から出て、仙台駅の方へ歩き出した。
道路の上にあるペデストリアンデッキは、多くの人が行き交っている。夏休み期間中、そして、仙台七夕まつりの直前ということもあり、キャスター付きのケースを引いている人とも多くすれ違った。
仙台の夏を象徴する七夕飾りの吹き流しが、所々で風に揺れている。その様子に立ち止まってスマートフォンを向け、カメラのシャッターを切る人も多い。
友人、恋人、家族……その誰もが、笑顔でこの街を楽しんでいるのに。
どうして自分は、1人なんだろう。
たった1人で……ここに、いるんだろう。
無心でデッキの上を歩いたユカは、仙台駅の構内にある休憩用のベンチに腰を下ろし……カバンの中からスマートフォンを取り出した。
そして、『彼女』からのメッセージが届いていたことに気が付き……思わず、両手で電話を握りしめる。
「レナぁ……っ……!!」
メッセージの送り主は、福岡にいる橋下セレナだった。ユカにとって『縁故』になって初めて出来た親友であり、いつでもユカのことを心配して、背中を押してくれる、大切な存在。
そんなセレナがようやく、仙台に遊びに来てくれる。セレナだけではない、福岡からは一誠や瑠璃子も一緒に来てくれるから、政宗や統治と3人で、どんなおもてなしをしようか……そんな楽しい話に花を咲かせるはずだったのに。
こんな状態で、こんな気持のままで……どんな顔をして、会えばいいんだろう。
「っ……!!」
急に心細くなったユカは、目尻に滲んだ涙に気づき……スマートフォンを片付けて、慌ててそれを拭った。
流石に今日のことをセレナに今すぐ話すわけにはいかない。それに今は、涙で視界を曇らせるわけにもいかないのだ。だって、これから語られる途方もない事実を受け入れて、それで……。
それから……どうすればいいんだろう。
そもそも、受け入れられるような内容なのだろうか。
分からない。
何も分からないことが――とても、怖い。
仙台の中心で、1人……座り込んで途方に暮れているユカは、今はとりあえず自分の部屋に戻ろうと気合を入れ直し、顔を上げた。
そして――前方から近づいてくる人物に気が付き、目を見開く。
「――や、山本さん!! 大丈夫ですかっ……!!」
ユカの方へ近づいてきたのは、スーツ姿の2人の女性。1人は支倉瑞希と、もう1人は……彼女の現雇い主の女性、江合なるみだった。
おがちゃんの描いてくれたタイトル入りのセレナのイラストから、本格的に第5幕が始まります!!
……セレナが名前しか出てこない!!
スイマセン、ここから1週間くらいは第3幕にやり残したことの清算編になるので、福岡組の登場はしばしお待ちくださいませ。
まぁ、ユカが知らないユカが政宗とイチャコラしていただけでも吐きそうなのに、更にそれを周囲が知っていて黙っていたとなれば……不満が大爆発するに決まってるよね、という回です。政宗さんサイテー。