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I53 目に入れたい

 俺とひなぎくは、広縁で涼んでいた。

 今は、俺が静花ちゃんを抱きながらだ。

 秋の庭に虫の音がこだまする。

 二人で聞き入っていた。

 ひなぎくは、子守唄に唱歌を歌っている。

 俺って幸せだと思う。

 こういうあたたかい家族に憧れていたのかな。

 いつの間にか、静花ちゃんが寝入ってしまった。


「もう、寝息も聞こえない位の合唱団ですわね」


 俺がしじら織で、ひなぎくがワシリー・カンディンスキーを彷彿とさせる雛菊文様の浴衣、静花ちゃんのは薄紅色の小花柄にレースをあしらったロンパースだ。

 どれもひなぎくが織った生地や編んだレースで仕立てたのだったな。

 結構器用なんだが、不器用な苦労を背負って、生き辛いだろう。


「涼しくないですか、あなた」


 ひなぎくは、あたたかいカフェオレお砂糖マックスを持って来てくれた。

 自分のは太ったのを気にして、緑茶の猫舌バージョンと来た。


「全然、まだまだイケる、アイアム二十歳(はたち)。キラーンじゃもん」


「まあ! キラーンって、歯磨きしましょうね。また、歯周病になりかかっていますわよ。歯周ポケットが三とか、まだ、あるのでしょう」


「ぐぬぬ……」


 などと、いつもの他愛ない談笑を壊すように、ひなぎくの話が突然挟まれた。 


「あなた。……いい話と悪い話があるのよね」


 最も愛している妻、ひなぎくの笑顔から、不思議と低いトーンが届いた。


「う、うん。なんじゃもん」


 俺は唐突に振られて、かなり困惑していた。

 それでも、表情には出さなかったと思う。

 一呼吸置いてから、彼女は静かに続ける。


「……どちらから聞きたいかしら」


 いい話と悪い話か。

 一体、何だろうな。

 どの程度かにもよる。

 俺には予想がつかない。

 良い話、悪い話、どちらから聞くべきだろうか――。


 ◇◇◇


 俺がショックに耐えられるように、悪い方から聞くか。


「ひなぎく、悪い方の話を先に頼む」


「分かったわ。あのね、先日の健診で、私の赤ちゃんベッドに異常が見つかったわ」


 また、具合の悪い所が増えたのか。

 子どもを産む前、十八の頃に乳腺腫瘍(にゅうせんしゅよう)ができたりと婦人科の病にも弱いのに、俺は気付いてやれなかったのか。

 悔いても仕方がないが、何としても笑顔にしたいと願う。


「何だって! 子宮が痛いのかい」


子宮内膜増殖症しきゅうないまくぞうしょくしょうと診断されたの」


 俺は、ショックで言葉を絞り出すのに苦心した。

 随分としかめっ面をしていただろう。


「何……」


組合(くみあい)病院で、佐藤(さとう)医師と会話したときの話ね」


 ひなぎくは、エコーで検査して、診察を受けた後、中待合室から呼ばれたそうだ。


「最悪の場合もありますから、手術が必要ですと説明を受けたわ。もう、子どもが望めなくなりますともね」


 ひなぎくは、そんな大切なことを今日まで黙っていたのか。

 辛かったろうと、髪を撫でる。

 ふんわりと甘い香りがした。

 だが、俺は彼女の本当を察しなければならない。

 パートナーだからな。


「それでね、夫に訊いてみないと答えられないと直ぐにお話ししたら、自分の体のことだから、自分で決めるようにと言われたの」


 肩が震えているのが分かる。

 自分で決めるのが、大変だったのだろう。

 ぐっと抱き締めた。


「その場で、二週間後に手術の予約をして来たわ」


「それは、本当に……。辛かっただろうな。俺が付き添ってはいけないかな」


 秋の虫が鳴り止んだ。

 静謐な中、旋律を撫でるようなひなぎくの声が紡ぎ出される。


「あなた……。よろしくお願いいたしますね」


 もう涼しいから、家に上がろうと、俺の部屋に入った。


「お布団敷きますか? あたたまりますわよ」


「ああ、俺がする。ひなぎくには、大人しくしていて欲しいんじゃもん」


 ぴ。


「おっきしたか? ねんねんしていたものな」


 それから、静花ちゃんをベビーベッドに寝かせ、おむつとミルクタイムを済ませる。

 まだ、眠らないようだったから、やわらかメリーを回した。

 布団は、二組を並べて敷くと決まっている。

 ひなぎくの寝相が(わる)スケなので、仕方なく川の字を諦めた経緯があるのじゃもん。


「いい方は、なんじゃろほい」


「そうそう。静花ちゃんの首がもうしっかりと据わったわ」


 ひなぎくが、我が末娘の腕を引き、そうっと体を起こす。

 すると、あのぐねぐねだと思っていた頭を揺らさないでおっきできた。


「おうおうう、静花ちゃん……! 俺は感動しているんじゃもん。一人前になってな」


 冗句でもなく、泣くかと思った。


「白咲の実家へ連れて行ってもいいかしら? なんて思うのよ」


 俺は大人で首が据わっているから、ぶんぶんと縦に振った。


「あなた、やはり優しいのね。嬉しいわ」


 先程の暗いトーンから可愛い雛菊が咲いた。

 これはいい傾向だ。

 俺だけが幸せなのは間違っている。


「手術が終わって、体調が良ければ、白咲の家へお披露目と行くのじゃもん」


小菊(こぎく)ひいおばあちゃん、光流みつるじいじ、あずさばあば……。皆、喜ぶわ」


 滅多に涙を見せないひなぎくが、目元に雫をたたえた。


「こんなに嬉しいことってないわね……」


 俺は頬にキスをいただいてしまったが、感謝をするのはこちらからだ。


 ぴ。


「まあ、可愛い」

「まあ、可愛い」


 ふふふ。

 あははは……。

 ぴぴ。


 そのまま、部屋の明かりを消した――。

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