ビター
「お母さん…!明日は何の日か知ってる…?」
真子は腕を後ろで組んで、なんだか恥ずかしそうにしている。
暖かな春の日差しがその頬を照らすと、眩しいくらい白く輝いて見えた。
「明日かあ…何の日だろうなあ…」
私はわざとらしく惚けると、真子は嬉しそう笑う。
「えー!お母さん知らないのー?真子が教えてあげようか?」
うんうんと私が頷くと、座っていた椅子から立ち上がって私のベッドへと腰掛けた。
顔を上げた娘は、あのねとその小さな唇を開いて明日のホワイトデーについて話を始める。
一生懸命話してはいるのだが、やはりまだおぼつかない言葉がなんとも愛らしい。
まだ5才の娘は今年バレンタインデビューを果たした。
好きな男の子にチョコレートをあげたと聞いた時は、うちの娘ももうそんな歳かぁ
となんだかしみじみしてしまった。
チョコレートはパパと一緒にデパートに買いにいったらしい。
パパが複雑な思いでそこに立っている様子を一人で想像して、
つい一人病室で吹き出してしまったのは本当に申し訳ない話だ。
そうして買った初めてのチョコレートは、そのパパが知らないところで無事に男の子に渡されたらしい。
私は真子がチョコレートをあげる姿を頭の中で何度も想像した。
リンゴのように真っ赤染まった頬を隠し切れず、仕方なさそうにチョコレートを突き出す姿。
きっとこうやって渡そうと言う作戦があったにもかかわらず、放たれなかった言葉。
逃げるように去っていく後ろ姿はまだ幼く、それでもどこか女性に近づいているような…
「お母さん…?具合悪いの?」
私は現実に引き戻される。真子の表情は明らかに不安の色に染まってしまっていた。
またやってしまった…私の悪い癖だ。私は「大丈夫よ」と柔らかく微笑むとそっと真子の頭に手をのせる。
「…真子はどんな女の人になるのかな?」
真子はそう聞くと、うーんと少し考えて「お母さん変なの」と少し笑う。
やはり子供と言うのは不思議だ。こんなに小さいうちからしっかりそういう物を感じ取ることができる。
それがいいことなのか、悪いことなのか、それはなんとも言えないけれど。
でもやっぱりできるだけ悲しい思いはして欲しくないから…
「お母さん」
そう呼ぶ我が子。
愛おしくてたまらない。
柔らかいシルクのような黒い髪からいい匂い。
ああ、どうかこうやって
いつまでもあなたの側にいられたなら…