あなたがいない世界に、私は生きている
携帯の電源を切って、深夜0時に公衆電話から自分の番号へ電話をかける。
そして四つのコールを聞いた後、別の世界の自分へ電話が繋がる。
そのバカげた都市伝説を実行しようと思ったのは、この悩みを相談できる人が他にいなかったから。
他人に聞くのは憚られて、かといって本人に聞いてしまうのも申し訳なさが立つ。
導き出した結論は、自分という人間に客観視してもらうということだった。
公衆電話は、今やその姿を見ることすら珍しくなっている。スマホが普及して、その長い役割を終えたからだ。
それでも自分の通っていた小学校の近くには、まだ一台だけ公衆電話が残されている。俺は深夜の冷たい風を浴びながら、必死に自転車を漕いでいた。
別に幽霊という存在は信じていないから、これっぽっちも怖くない。
街灯一本だけが照らす薄暗い公園を横断して、小学校までの道のりをショートカットする。
次に裏通りへ入っていき、右手に見える竹林に沿って自転車を走らせると、向こうにコンビニの明かりが見えた。
その手前に公衆電話はぽつんと立っていて、すぐ近くに自転車を停めておく。四方がガラス張りのその中には、昔ながらの緑色の電話が置かれていた。0時までは後少しだから、ためらいなくそこへ入る。
携帯の電源を落とせば時間を確認できなくなるから、あらかじめ電波時計を用意しておいた。全く信じていないのにこの周到さは、なんだか笑えてくる。
11時58分になった頃、携帯の電源を落とした。
「もう少しか……」
呟いて、俺は幼馴染で恋人である渡来芳乃のことを思い浮かべていた。芳乃との出会いは幼稚園の頃まで遡り、付き合い始めたのは先月の暮れ。
本当にバカげた話しだけど、お互い相手に好意を持っていることを自覚していたのに、この歳になるまで必死に隠していたのだ。
それは、その気持ちを確認しあえば一緒にいられなくなるかも、という怯えからきていた。お互いにそっけない態度を取り続け、それが瓦解したのが文化祭の準備日。
同じクラスでもある俺たちは、クラスの出し物であるお化け屋敷の設営を任されていた。夏場ということもあり教室内は熱気に満ち満ちていて、お化け屋敷という都合上外からの光を全て遮断しなければいけなかった。
様々な要因が、偶然にも重なってしまったんだろう。その日は一番の真夏日で、クーラーも故障してしまっていた。文化祭まであと一日と切迫していたから、みんなもなりふり構っていられなかった。
そんな中、芳乃はなんの前触れもなく唐突に床へ転倒した。遠巻きに彼女のことを眺めていた俺が一番に駆け寄り、そのまま保健室へ連れて行く。
幸い命に別状はなく、診断結果は軽度の熱中症。身体を冷ましていれば時期に良くなるとのことで、心底安堵した俺は、保健室にてつきっきりで芳乃の看病をした。
保健室での出来事は、実は断片的にしか覚えていない。気付けば昔話に華を咲かせていて、その最後に芳乃へ告白していた。もう一つだけ鮮明に覚えているのは、彼女のことを守ってあげたいと思うようになったこと。
ずっとそばにいたのに芳乃のことを気遣ってあげられなかった自分が、情けなかったのかもしれない。そんな情けない俺を、芳乃は泣きながら受け入れてくれた。
それが俺たちの大まかな馴れ初め。
交際は順調すぎるほど順調に進んでいたけど、しかし先日、芳乃が付き合う前と同じくそっけない態度を取り始めた。
その理由がさっぱりわからなかったから、他でもない自分に客観視してもらおうと思ったのだ。
電波時計を見ると、もう11時59分40秒だった。10円を公衆電話に投入して、自分の携帯の番号を打ち込んでいく。
受話器を耳元に当てたあと、残りの数秒をただジッと待った。秒針が12の数字を超える1フレーム前に、携帯番号の最後の数字を押した。
1コール、2コール、3コール、4コール。
こんな話、都市伝説かと思っていた。
だから4コール目で電話が向こうへ繋がった時、ドクンと大きく心臓が跳ねる。
今、自分の中にあるのは焦りだけ。冷や汗が身体をつたいはじめたころ、受話器からくぐもった声が届いた。
それは、少し不機嫌な女の声だった。
『もしもし? 間違い電話ですか?切りますよ?』
「あ、えっと、ちょっと待って!」
その不機嫌な声は、本当に切ってしまいそうな冷酷さをまとっていたから、慌てて声を絞り出して制止させる。
なおも、不機嫌な声は続いた。
『……あなた、誰ですか。こんな真夜中に電話をかけてくるなんて、ストーカーですか?』
俺は少し、ムッとした。舐められたりしないように、あくまで気丈に振る舞う。
「お前こそ誰なんだよ。一体何者なんだ」
『はぁ?』
「名前だよ、名前。お、お前、俺じゃないのか?」
思わずどもってしまったのが恥ずかしい。
『……あなた、頭大丈夫?病院に行ったほうがいいんじゃない……?』
「いや、すいません……脳は正常です……」
あんな都市伝説を少しでも信じようとした時点で、俺の脳みそはイかれてるのかもしれないけど。とりあえず、かけ間違えてしまったのだということを理解した。
受話器の向こう側の人間に申し訳ないことをしたなと思い、謝罪する。そういう常識はちゃんと持ち合わせていた。
「あの、ほんとすいません。間違い電話だったみたいです」
『でしょうね。私、あなたみたいな礼儀知らずの男性なんて知りませんし』
その言い方は少しカチンときて、だけど元はこちらが悪いんだと言い聞かせて怒りを鎮めた。大丈夫、俺はこいつよりかはずっと大人だ。
しかし次に彼女の発した言葉は俺自身を心配してかけてくれたもので、少しばかりの動揺をした。
『で、何かあったんですか?』
「……え?」
『こんな時間に、あんなに慌ててたんですから、何かあったんですよね? 私でよければ、話聞きますよ』
突然優しい一面を見せるのは卑怯だと思う。だけど現状で相談できる人間といえば、この名前も顔も知らない彼女だけだった。
間違えて打った電話番号だから、きっと通話を終えれば二度と話すこともないだろう。
これっきりの関係だと考えた俺は、彼女に相談を持ちかけることにした。
突然、芳乃が俺に対してそっけない態度をとるようになった。それまでに交わしていた会話も含めて彼女に伝えると、『なるほどなるほど』と言いながら真剣に考えてくれる。
やっぱりこいつ、いい奴なんじゃないか?
『ひとつ確認しますけど、あなたが影で彼女さんに悪口を言ったりしたことはないんですよね?』
「そんなことするわけない。だいたい、好きになった人の悪口なんて、思い浮かぶわけないだろ」
そう言うと、彼女は安心したような声音で、『ですよね、分かってますよ。あなたがそういうことをする人じゃないってことは、今までの話を聞けば十分に分かります』とフォローしてくれた。
彼女は俺のことを過大評価しすぎていると思ったけど、そういう風に見てくれているのは素直に嬉しかった。
『彼女さんが、あなたのことを嫌いになった線も考えられないですね。ずっと一緒にいてずっと仲が良かったんだから、何もしないで嫌われるのはちょっと考えられません』
「じゃあ、どうしてそっけなくなったのかな」
『学校で、他の異性と仲良くしたりしました?』
「それなりに仲のいい人はいるけど、そういうのは気にしないやつだと思う。三人で出かけたこともあるし」
『なるほどなるほど』
もう一度彼女は深く考えてくれて、俺はジッとそれを待つ。なぜだかわからないけど、答えを教えてくれる気がした。俺のわからないことを、彼女は分かる気がする。
そういう確信めいたものが、胸の中にうずまき始めていた。
考えをまとめた彼女は、俺に一つのアドバイスをくれた。
『明日彼女さんに会ったら、とにかく外見を見つめてあげてください』
「外見?」
『何か今までと変わってることはないか、探してみるんです。たとえば髪を切ったとか、リボンの柄を変えたとかそういうの』
「おいおい、そんな単純なことなのかな……」
『女の子って、案外単純ですよ。変わったことに気付いてくれなかったら、そんなに見てくれてないんだって落ち込む人、友達の中にいますから』
「そういう経験今までにあるの?」
『と・も・だ・ち・の話ねっ!』
俺はおかしくなってくすりと笑う。彼女は少しご立腹なようで、たしかに女の子は単純だなと思った。
とにかく、明日は芳乃の外見を特に注意してみよう。一つの仮説が見つかると少しだけ安心して、彼女に相談してよかったと思えた。
「ごめん、ほんとにありがと。お前いいやつだな」
『困ってる人がいたら、助けてあげるのは当然ですよね?』
「やっぱり、いい奴だ」
そう言うと、彼女は『むっ……』と言って黙り込んだ。おそらく照れているんだろう。やっぱり彼女は単純だった。
「ありがとね。もう話すこともないだろうけど、名前だけ聞いていいかな」
『そういうのは、そっちから名乗るのが礼儀なんじゃないですか?』
それはせめてもの反抗なんだろう。俺は先に名乗ることにした。
「日比谷京介。それが俺の名前だよ」
『……ん? ごめん、よく聞こえなかった。なに、京介?』
「だから、日比谷」
『……ごめん京介くん、回線が悪いみたい。全然聞こえないや。切れる前に私の名前教えておくね。私の名前は……』
彼女はきっと名前を名乗ったんだろう。しかしザザッと砂嵐のような音が聞こえてきたと思ったら、電話はプツンと切れてしまった。
こんな終わり方は、少し名残惜しい。新型の公衆電話はリダイヤル機能が付いていないから、彼女への連絡手段は完全に絶たれてしまった。
「もう少し、話したかったな……」
ひとりでにそんなことを呟いた後、俺はポケットに入れておいた携帯の電源を入れる。現在時刻を確認すると、0時11分になったところだった。
そこで、都市伝説の続きを思い出す。
別の世界の自分と会話ができるのは、電話が繋がってから10分間。まさかなと思いつつ、俺は着信履歴を開いた。
全身に寒気が走り、鳥肌が立つのを感じた。
電話は、繋がっていた。10分間、誰かと通話したという記録だけが残されていて、思わず携帯を電話ボックスの床へ落としてしまう。
「……お前は、いったい誰なんだ」
おそらく声質からして同年代だろうけど、聴いたことのない優しい声をしていた。
彼女の話した一言一句を思い返す。どこかで会ったことがないか、必死で頭を回した。
だけどやっぱり思い当たる節が全然なくて、その思考は唐突にシャットアウトされる。
突然、俺の入っている電話ボックスが、何者かに叩かれたのだ。
いつの間にか囲まれていて、恐怖を感じた俺は大声で叫んだ。
それ以来、夜に出歩くのはやめようと決心した。
※※※※
「……ねぇ、京ちゃん聞いてる?」
「ん、あぁ……聞いてるよ」
「はいダウト、全然聞いてなかったよね?」
「ごめん、聞いてなかった」
「素直でよろしい」
俺と芳乃は、いつも通り学校への道のりを歩いていた。昨日ショートカットに使った公園はそのままスルーして、今度は左右に大きな木が立ち並んでいる坂を登る。
学校へ行くには、必ずこの坂を登らなきゃいけない。
「何か考えごと?」
「考えごとってほどじゃないよ」
昨日まではそっけない態度を取っていたのに、今朝は俺に心配の感情を向けてくれていた。純粋に、俺は芳乃のことを不安にさせてしまっているんだろう。
彼氏として申し訳ないなと思った。
「やっぱり、昨夜のこと?」
「それはほんとにごめん……心配かけさせたね」
「ほんとに心配したんだよー。京ちゃんのバカが警察に職質されたって、お母さんからメール来て」
ぷくっと頬を膨らませた芳乃は、俺の脇腹を優しく小突いてきた。昨日、公衆電話で話していると、いつの間にか複数の警官に囲まれていたのだ。
高校生があの時間にあんな場所にいれば、補導されるのも無理はない。本当はバレないように立ち回るつもりだったけど、あいつの件で注意力が散漫になっていた。
「夜中に公衆電話なんて、何か用事があったの?」
「ほら、前に芳乃が言ってたじゃん。都市伝説だよ」
「あぁ、あれのこと。でも京ちゃん、そういうの信じてないんじゃなかったっけ」
「少し、信じざるを得なかったんだよ」
芳乃は少し首を傾げただけで、特になにも聞いてこなかった。
しばらくたわいのない会話を交わしながら、坂を登る。
ふと、名前も知らない彼女の言葉を思い出した。
何か今までと変わったところはないか、探してみて。
俺は横からチラと芳乃を盗み見て、変わったところがないか探してみた。前髪を切っていないか、長い髪をまとめているリボンを変えていないか、靴を変えていないか。
思いついたように、俺はスッと息を吸ってみる。その芳乃の変化に、俺はようやく気付いた。
「もしかして、シャンプー変えた?」
正解だったのか、芳乃は以前まで見せていた笑顔をパッと作ってくれて、俺の腕に腕を絡ませてきた。本当に単純なことだったんだなと、苦笑した。
「京ちゃん、気付くの遅すぎっ」
「ごめんごめん。昨日まで鼻詰まりだったんだよ」
「じゃあ仕方ないねっ」
「今度何か変わったら、すぐに見つけてあげるよ」
「期待してるからね」
お互いにくすりと笑い合い、いつの間にか微妙な距離感は解消されていた。
※※※※
その日の深夜0時、宛先不明の一本の電話がかかってきた。俺はもしやと思い、その電話をすぐに取る。
それはたぶん、4コール目だった。
「もしもし?」
『うわぁ?!』
失礼な叫び声が返ってくる。だけどそれだけで、相手が誰なのかすぐに理解できた。
「なんでお前が俺の携帯番号知ってるんだよ」
『え、京介くん? なんで京介くんが電話に出るの?』
「……お前、頭大丈夫?」
『頭は大丈夫だけど……』
こんな会話を昨日も交わした気がした。それから彼女へ事情を聞くと、友達から俺と同じ都市伝説の話を聞いて、すぐに実践してみたらしい。
だけどかかったのは俺の携帯電話で、謎は一層深まるばかり。しかし今は、そういうことは頭の隅に置いた。
「昨日はありがとう。おかげで仲直りできたよ」
『あっ、彼女さんの話? よかったじゃん』
「ほんとに助かった。一言、お礼が言いたかったんだ」
『彼女さんと、ちゃんと仲良くしなさいよ。きっとお似合いだから』
「あぁ、仲良くする」
それからどうして彼女は都市伝説を実践しようと思ったのかを考えて、すぐに理由が思い立った。お世話になってしまったから、これぐらいの恩返しはしたい。
「何か悩み事あるんだろ?」
『むっ、なんでわかったの?』
「違う世界の自分にかける電話なんて、そういうことしか思いつかない。話してみてよ」
観念したのか、彼女は事情を話し始めた。
俺と同じ理由で、彼氏と上手くいっていないらしい。ある日を境にそっけない態度を取られるようになったらしく、その理由がさっぱり分からないようだ。
俺は全ての事情を聞いた後、すぐに理由がわかった。
「彼氏の前で、他の男と仲良くしてるのはダメだろ」
『えっ、他の男っていっても部活の先輩だよ? 仕方なくない?』
「それでも、男って生き物は嫉妬しちゃうもんなんだよ」
『はぁ、男ってめんどくさっ……』
「なんか言った?」
『なんも言ってない』
「めんどくさいけど、その彼氏のことは好きなんだろ?」
彼女は唐突に黙り込む。何も喋れないということは、図星を突かれたということだ。どうしてかわからないけど、こいつはちょっと俺に似ている。
「まあ、ちゃんと仲直りしろよ」
『うわっ、上から目線ってうざい』
「悪かったな上から目線で」
『ん、でも感謝してるよ』
「上手く行くの祈ってるから」
それから彼女の名前をまだ聞いていなかったことを思い出し、俺は昨日と同じく話題を投げる。
「そういえば名前、聞いてなかった」
『教えてなかったっけ?』
「昨日は雑音が混じって聞こえなかったんだよ」
『あぁ、そうなんだ。私の名前は……だよ』
また、ザザッと砂嵐のような音が響いた。
「なんだって?」
『だーかーら、』
その名前は、たしかに俺の耳へと届いた。
しかし、やはりそれは知らない名前で、不可思議な謎が残ってしまった。
※※※※
「日比谷京子」
私がそう告げると、ぷつんと電話が切れてしまった。名前を聞いておいて電話を切るなんて、とっても失礼な人ね。
少しむくれながら、ポケットに入れておいた携帯の電源を入れる。そして私は驚いた。
番号を間違えたかと思っていたのに、たしかに携帯に着信の跡が残っていた。急に全身に鳥肌が立ち、私は電話ボックスの中を飛び出す。
来た道を全力で駆け戻った。竹林のそばを走り、公園を横断してショートカットする。いつも見慣れている我が家に着いた頃には、完全に息が切れ切れだった。
一体全体どういうことなんだろう。
たしかに電話は京介くんへ繋がった。だけど私の携帯にも繋がっている。この世界に二つ同じ番号なんて存在するわけない。
ということは、本当に別の世界に電話が繋がったのだろうか。
都市伝説。
それは幼馴染であり親友でもある、渡来芳乃ちゃんから教えてもらったもの。
もしかすると、都市伝説なんかじゃないのかもしれない。とりあえず、明日は芳乃ちゃんにこのことを報告しよう。
もう深夜帯だから、家のドアをそっと開けて中へ入る。お母さんたちが寝静まってから家を出たから、多分気付かれてはいないと思う。
そっと、そっと二階の自室へ……
「ちょっと、京子! あんたこんな夜中に出かけてるんじゃないわよ!」
「ご、ごめんなさい!」
リビングからちょうど出て来たお母さんに、あえなく見つかってしまった。私は両手で頭を覆うも、お母さんのチョップが優しく後頭部に炸裂する。
「もうっ、女の子なんだからこんな時間に出かけるのはよくないわよ」
「ごめんなさい……」お母さんの言っていることは、もっともである。だから反論は一つも出来ない。
「で、なんでこんな時間に外へ行ったの?」
「ちょっと、電話」
「携帯があるでしょうに」
「公衆電話まで出かけてきたの」
いよいよ混乱してきたのであろうお母さんの目は、頭のおかしい娘を見るようなものになった。
これで都市伝説とか言いだしたや本気で病院へ連れていかれそうだから、お口はチャックしておく。
代わりに話をそらすため、質問をすることにした。
「お母さん、京介くんって知ってる?」
話をそらすために何気なくした質問。
そのはずだったのに、私の質問を訊いたお母さんの瞳から、唐突に一筋の涙がつたった。肉親の涙を見たのは初めてだったから、心底動揺する。
「ちょ、ちょっとお母さんどうしたの?」
「え、あ、ご、ごめんなさい……なんでもないの……」
「なんでもないってこと、ないでしょうに」
私はお母さんの真似をしてから、持っていたハンカチで涙を拭ってあげた。それで少しは楽になったのか、お母さんはその涙の理由を教えてくれる。
「そうね……そろそろ、京子にも話していいかもね……」
そしてお母さんは話し始めた。
私には、双子の兄がいた。
しかしそれは、私が生まれてから一時間にも満たないほどの短い時間で、京介はすぐに命を落とした。
難産だったらしく、もう少しいろんなものが遅れていたら、私も命を落としていたかもしれないらしい。
母親から過去の出来事を聞いた。俺には双子の妹である京子がいたらしい。
妹の京子がいたのは、俺が生まれてから一時間にも満たないほど短い時間で、すぐに命を落とした。難産だったらしく、もう少しいろんなものが遅れていたら、俺も命を落としていたかもしれない。
俺は――私は――君の半分だったんだ。
だから君は、私の電話に出た。
だから君は、俺の電話に出たんだ。
俺はようやくすべてに合点がいって、おかしくなり微笑んだ。きっとその世界には、俺という人間の代わりに京子が存在するんだ。
その私の半身とも言える存在と話が出来て、とても嬉しかった。
もしかすると、京介は私のことを助けてくれたのかもしれない。
京子は俺のことを、助けてくれたのかもしれない。
お母さんは涙を拭きながら「こんな大事なこと、今まで黙っていてごめんなさい……」と言った。
「ううん、気にしてないよ。きっと、どこか遠い場所で元気にやってると思うから」
そうだ。
だから遠くにいる君のために、二人ぶん強く生きなきゃいけないと感じた。
君は限りなく俺に近い人間で、私から限りなく遠い場所で元気に生きているんだ。