Ch7
CH7
ショッピングギャラリア・ミッドタウン。その薄暗い店内は中世のヨーロッパの町並みを再現したもので、土曜日ということもあり、沢山の人で賑わっていた。
ミッドタウン内にいくつかあるショッピングモールの中では一番大きく、シルバーアイズ向けのレストランの横にハンバーガーショップが並んでいたりと、ミッドタウンならではの店揃いだ。
店内が薄暗いのは、沢山のシルバーアイズがモールを利用するからだ。大昔は、バンパイアは昼間棺おけの中で寝ていて、夜起き出して徘徊すると本当に思われていた様だが、シルバーアイズは嗅覚、聴覚、味覚、全ての体の機能が鋭く敏感な為、明るい光を嫌うだけで、朝日を浴びると死んでしまうという事はもちろん無いのだ。
ミッドタウンには沢山人間も住んでいるので、特殊な場所以外は普通の光が取り入れられているが、アッパー地区は町全体が薄いドームで覆われていて一日中薄暗い。空が見えないアッパー地区を嫌って、ミッドタウンに移り住んできたシルバーアイズもいるようだ。
「この店見てみない?」
リアが黒とピンクを基調にしたおしゃれな店の中に入っていった。
ジェーンがキョロキョロしている間に、リアはピンクのニットとチェックのミニスカートを見つけてジェーンに手渡した。
「これ着てみて!」
ジェーンはフィッティングルームに入ると、ピンクのニットとスカートを身に着けた。
「ちょっと短くない?」
「全然! それぐらい普通よ。ジェーンはスタイル良いのにいつもだぼっとした服ばっかり着てるんだから! 今度はこっち着てみて!」
リアは次々と新しい服を持ってきた。
「200ドルあれば、これと、あ、これも似合ってたよね……はい! これでOK! スカートはあっちの店で見てみよう。あとはリップも買わないと……」
リアに連れられジェーンはあっという間に数件の店を回り数個の紙袋を持たされていた。こんなに洋服を買ったのは産まれて初めてだ。
「ジェーンは色が白いから、リップはピンクがいいよね」
ピンクといっても口紅には色んなピンクがありジェーンはどうして良いのか分からずにカウンターの前でキョロキョロしてしまった。そんなジェーンにリアはなれた手つきでリップを数本取り上げると、ジェーンの口元に次々とリップをかざした。
「この色かな? ちょっと塗ってみて」
リアはキラキラ光る薄いピンクのリップをジェーンに手渡した。
ジェーンは鏡を覗き込むと、はみ出さないように恐る恐るリップを塗った。唇と唇を合わせ色を馴染ませた瞬間、ジェーンの後ろに男の人が映った。
「?!」
プラチナゴールドのサラサラな髪、透き通る様に白い肌、すっと通った鼻筋、印象深い、でもなんだか陰りのある銀色の瞳を持つ青年。普段美しい母を見慣れているジェーンですら驚く程 ――これ程美しい男の人をジェーンはかつて見た事がなかった。
鏡の彼はジェーンに微笑みかけたかのように見えたが、パッと視線を逸らし、右後方を鋭く一瞥すると、一瞬にして視界から消えてしまった。ジェーンが振り向いた時には彼は跡形も無く消えていた。
「何? どうしたの?」
急に振り向いたジェーンをリアがいぶかしがった。
「別に、何でもない…」
彼は本当にそこに居たのだろうか? 幻にしては、あまりに鮮やかに、その青年の顔がジェーンの瞳に焼きついた。
銀色の瞳――シルバーアイズなら、瞬時に移動する事は可能だろう。
「キャー」
急にあたりが騒がしくなった。
「なんだろう?」
好奇心旺盛なリアはジェーンが止める間も無く、騒ぎの方に歩いていった。
「どうしたんですか?」
リアは臆する事もなく、野次馬の一人に質問した。
「え、ああ、なんか、エクストリームズとレジスタンスの小競り合いがあったみたいだよ。
でもすぐに警備員が来て、皆逃げて行ったみたいだ」
「そうですか」
レジスタンス! ジェーンはマイクが居るのではないかと、キョロキョロあたりを見渡した。
「マイク大丈夫かな?」
「は?」
言ってからジェーンはすぐにしまった、と思ったが手遅れだった。
リアはニヤニヤしていた。
「ほー、レジスタンスといえばマイクね~これでも恋じゃないと言い張るのかね~」
ジェーンは何でもすぐに口に出してしまう自分を呪った。
「ふ~」
こんなに買い物をしたのは始めての経験だったので、ジェーンは疲れてしまい、家に帰るとベットにドサッと横になった。
モールはあの後、何事も無かったのごとく、平常に戻った。それらしき怪しげな人達も見受けられなかったので、みんな逃げてしまったのだろう。
今まで自分とは関係の無い世界だと思っていたが、現実に自分のすぐ傍でも対立しているのだと考えると、ジェーンは急に怖くなった。あのマイクがレジスタンスの一員なのだと、今更ながら事の重大さに気づいたのだ。マイクは今日のように騒ぎに巻き込まれる事はないのだろうか? そういえば、噂ではマイクが留年したのは、エクストリームズと戦って、大怪我を負ったからと言うことだが……ジェーンは噂があてにならない事を十分に承知していた筈なのに、それでもとても心配になった。
ジェーンは頭を軽く振ると、気を取り直して、ベットから起き上がった。ジェーンがこうして悩んでみたところで、何かが変わるわけでもないのだ。
ジェーンはマイクの事を考えない様に、買ったばかりの袋からピンクのリップをとりだし、机の引き出しから手鏡を取り出した。
「綺麗な色」
ジェーンは暫くそのつやつやと光るリップを眺めていた。新しいそれは、何だか使うのがもったいないぐらいだ。
暫くリップを眺めていたら、ふと、昼間の青年を思い出した。美しい、でも何だか寂しげな瞳をした青年。ジェーンは一瞬見ただけで、これ程深い印象を受けた事に驚いた。
ジェーンはもう一度鏡を見ると、そっとリップを塗り、髪をブラシで撫で付けた。鏡に向かって微笑んだ瞬間に、ドアをノックして母が顔を出した。母は珍しく用事があると、昼から出掛けていて、今戻ったようだった。きちんとした洋服に、普段はしないお化粧をしている母を見た瞬間に、ジェーンは鏡を見てへらへらしていた自分が情けなくなった、いくら着飾っても、所詮自分は母のように美しくなれない。
「わ、珍しい! 口紅塗ったの? かわいいじゃない!」
母にしてみたら、年頃の娘がお化粧やおしゃれに興味を持ち始めて何となく嬉しいのだろう。でもそのはしゃいだ声が余計にうっとおしく、ジェーンは顔をしかめた。
「夜ご飯はさっき軽く食べたからいらない。今から勉強するから」
ジェーンはそれだけ言うと、母から視線を逸らしてドアを無理やり閉めた。
母はジェーンがただ単に機嫌が悪いと思っただろうか? まるっきり理不尽で、ただの八つ当たりなのは十分承知している。でも卑屈で惨めな自分の感情をコントロールできないのだ。
ベットに倒れこむと、ジェーンのお腹が大きな音を立てた。自分で付いた嘘なのだから自業自得だ。
「馬鹿みたい」
ジェーンは天井を見上げてそっと呟いた。鏡を見なくても、今自分がどんなに嫌な顔をしているのか分かる気がした。