CH1
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ジェーンが瞼を開けると、美しい母の満面の笑顔が目に入った。
「お誕生日おめでとう!」母はジェーンをぎゅーと抱きすくめると、銀の包装紙に赤いリボン、まるでクリスマスのようなラッピングの小さな箱を差しだした。
すんなりと伸びた細い腕のどこからこんな力がでるのだろう、あまりの力にジェーンは一瞬顔をしかめたが、すぐに笑顔を見せた。
「ありがとう」
ベットサイドのメガネを急いでかけると、ジェーンは銀色の瞳を優しく潤ませ、微笑み返す母を見つめた。
ゴールドの美しい巻き毛に縁取られたきめ細かい白い肌、整った目鼻立ち、母と呼ぶにはあまりにも若く、美しい人……子供の頃は無邪気に美しい母を誇らしく思っていたジェーンも、十代を迎える頃には母の横に並ぶ自分が惨めで、日常生活には特に支障が無い視力だが、飾り気のない黒ぶちメガネで顔を隠すようになっていた。
「なんだろう?」
赤いリボンを解き、銀の包装紙を破ろうとしたジェーンは紙で手を切ってしまった。みるみると赤い血が盛り上がったその瞬間、ジェーンは母の目が獲物を見つけた豹の様にきらめくのを見逃さなかった……ジェーンは隠す様に指を口に含んだ。
「気をつけて頂戴」
母は気まずそうに目を逸らした。
「朝ごはんの用意をしてくるわ」
そそくさと部屋を後にする母の揺れる金色の巻き毛が見えなくなると、ジェーンは軽くため息をついた。プレゼントの箱を開けるとそこには薔薇の模様が刻まれた、銀のロザリオのペンダントが入っていた。
「綺麗」
ジェーンは小さく呟くと、そのロザリオを指先に持ち、くるくると回しながら思案した。このプレゼントに、何か深い意味があるのだろうか?
ジェーンはそのペンダントを首にかけると、指から血が出ていない事を確認して、バンドエイドを巻きつけた。そして、急いで白いセーターとジーンズという飾り気の無い格好に着替え、無造作に髪を束ねると、軽快な足取りで階段を下りた。
「ママ、これありがとう! とっても綺麗」
母は、ジェーンの胸元に光るロザリオを見るとにっこり笑い、フライパンに卵を一つ割り入れかき混ぜた。
(ママはなんで17歳の誕生日に、十字架をプレゼントに選んだんだろう……?)
ジェーンは鼻歌を歌いながら卵を皿に移し変えた母の背中をじっと見つめた。
「はいどうぞ」
スクランブルエッグと食パンをジェーンの前に置くと、母はいつも通りにジェーンの前に腰かけ、新聞を読み始めた。いつもと違ったのは母が新聞の見出しに大きく目を見開き、真剣な面持ちで読み始めた事だ。
「どうしたの?」
母はジェーンの声にびくっと肩を震わせたが、軽い口調で、
「別に……サウス地区のレジスタンスがエクストリームズに襲われたんですって、怖いわね」
と言うと新聞を折りたたみ、何事もなかったようにテーブルの上に置いた。
数世紀前にはお話の中の住人だと思われていた空想上の怪物――バンパイア。そのバンパイアのモデルとも言われているシルバーアイズの一人が、お金持ち相手に永遠の命を売るビジネスを始めた。そしてあっと言う間に、シルバーアイズの人口は増加した。一人のシルバーアイズの成功を受けて、世界中でシルバーアイズ達がお金儲けを始めたからだ。そしてそこに、永遠の命、シルバーアイズの有する強さ、外見の美しさを求める金持ちが列を成した。
当初はシルバーアイズの人口が急激に膨れ上がり、人間達が次々と襲われ、大変な惨劇を産んだらしい。しかし、シルバーアイズの長老が事態の収集に乗り出し、数々の掟を定めた事により、つかの間の平和が訪れた。しかし、どこにでも例外はある物で、1部の凶悪なシルバーアイズ、エクストリームズが、狩と称して遊びで人間を殺りくしていた。そしてそれに対抗する人間のグループ、レジスタンスが結成された。
ジェーンの学校にもレジスタンスの集会に顔を出していると噂されている人が何人かいる。ふとその中の一人、マイクの顔がジェーンの頭に浮かんだ。
「もう時間よ」
母の声で正気に戻り、ジェーンは残りのパンを口に押し込んだ。
「行ってきます!」
ジェーンはジャケットを小脇に抱え、暗い室内から明るい通りへと躍り出た。すっきりと晴れた雲一つ無い青空。ジェーンは急ぎ足で石畳を進みながら、すがすがしい朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。空気はまだ冷たいが、心地よい日の光が肌を撫でる。美しいコロニアル風の建物が立ち並ぶ見慣れた風景が、17歳になったジェーンにはなんだか違って見えた。昨日までは刺すように吹き荒れていた冷たい風が、日差しに暖められた木々の若葉を軽やかに揺らし、始まりの予感を運んで来た様に感じられた。
「おはよう! 誕生日おめでとう!」
騒々しい足音と共に、ジェーンの親友リアが、大きな声を上げて走って来た。
「はい、これプレゼント!」
「ありがとう」
ジェーンはプレゼントの袋を受け取った。
「ついに17歳だね~ シルバーアイズになる申請書が出せるね。どうするつもり?」
息を整えながら、リアがくりくりとした目を瞬かせた。
「……まだ決めてない、学校卒業までまだ時間もあるし、もうちょっと考えるつもり」
リアはうんうん頷きながら、
「絶対そう言うと思った。でも卒業まであっと言う間だからね!」
と言うと、辺りを見渡してから急に声を少しひそめた。
「ジェーンが悩み始めたのって、マイクが転校してきてからだよね~」
にやりと意味ありげな微笑みを浮かべるリアにジェーンは焦ったように声を荒げた。
「そんな事ないよ。今朝、ママがこれくれたの」
ジェーンは銀のロザリオをリアに見せた。
「十字架か……昔の人は、バンパイア避けに、お守り代わりに持ち歩いてたんだよね?」
「そうなの。今ではもちろん、シルバーアイズが十字架を恐れていないのは誰でも知っている事だけど、なんだか意味深でしょ? ママは私にシルバーアイズになってほしくないのかな~と思ったんだ……」
「ま~ね~ジェーンの家は特殊だもんね。ジェーンのお母さんはシルバーアイズになりたくてなったわけじゃないからね」
「そうなんだよね……ママは無理やりお祖母様にシルバーアイズに変えられたって、今でも根に持ってるからね、あの二人の仲は今でも険悪なんだよ」
ジェーンはリアの手前、冗談めかして笑ったものの、ジェーンの母と祖母の仲は口では言いあらわせられない程最悪だった。詳しい事は誰も教えてくれないのだが、ジェーンの父はシルバーアイズになった母を嫌い、母とジェーンを捨てて家を出たらしい。母がシルバーアイズに変えられた事を快く思っていないのはそのせいでもあるのだ。
ぼんやりと考え事をしていたジェーンはリアに腕を小突かれて我にかえった。
「ほら!!」
リアの目線の先にはサウス地区に続く橋を渡って来たマイクと、その友達スペンサーがいた。リアはジェーンの腕をひっぱると、マイク達のすぐ後ろに移動した。ジェーンはリアを軽く睨んだが、興味を抑えられずにマイク達の会話に耳を傾けた。
「先週のエクストリームズの襲撃、新聞に大きくでてたな」
スペンサーが興奮した声を上げた。
「ああ、今までのエクストリームズは暇つぶしに人間を狩るようなクズみたいな連中ばかりだったけど、最近は妙に統率が取れてきたし、遊びで人間狩りをしているだけって感じがしないって親父が言ってた」
「今までは遊びでやっていた連中が、レジスタンスに対抗して、本気を出してきたって事かな?」
「そうだな、それか、頭の切れる奴がリーダーになったか……でもそうなると親父たちの活動も、今まで以上に大変になるな」
マイクはスペンサーの問いに真剣な表情で答えていた。
「確かにかっこいいよね、背も高いし、いい体してるし」
リアはマイクの後ろ姿をジロジロと見ながらジェーンに耳打ちした。大股で歩くマイクとスペンサーに着いて行けなくなり、一定の距離を保ってからリアは更に口を開いた。
「でもあんなに無愛想じゃね~。私マイクが女の子に話しかけてるとこ一度も見たこと無いかも。引っ越してきてもう3ヶ月にもなるのに! そういえばジェシカが映画に誘ったのに、無視したんだってよ。まあジェシカは自分が一番と思ってるような女だから、ザマーミロって感じだけど」
リアは歯を見せて笑うと更に続けた、
「しかもレジスタンスの集会に出入りしてるわけでしょ、あんなにかっこいいのに、もてないのはその辺に理由があるよね。留年してるって噂もあるし」
「ふーん」
「理由は色々言われてるけど、エクストリームズと戦って大怪我して休んでたって言うのが最も有力な説らしいよ。だからシルバーアイズが嫌いで、サウス地区の人達としか話さないんだって」
「そんなだったらシルバーアイズの子供が多いうちの学校に通わなければいいのにね」
ジェーンはわざとそっけない声をだしたが、リアはニヤニヤ笑っていた。
ジェーンの暮らすミッドタウンは、シルバーアイズ達がすむアッパー地区と人間のみが住むサウス地区の真ん中にあたる場所で、シルバーアイズと人間が共存している地区だ。その中にあるミッドイーストハイスクールは、なかなか評判の良い学校で、サウス地区にも近い為、純粋な人間の子供達も何人か通っていた。
「始めてマイクが学校に来た日覚えてる? ジェーンマイクの事シルバーアイズだと思ったって言ってたでしょ?」
マイクは背が高く、引き締まった体に、丹精な顔立ちをしている。そして近寄り難い独特のオーラを発していて、ブルーグリーンの瞳をしていなければシルバーアイズと間違えてしまいそうなぐらいの美形だ。
「一目惚れだよね」
リアは目を細めると、指で軽くジェーンを小突いた。
「そんな事無いって」
ジェーンは早口で否定したが、リアに指摘されて始めて、自分がマイクの事を必要以上に気にしている事に気が付いた。
「そういえば今月の星占い、ジェーンは運命の相手に出会うって書いてあったよ!」
リアはニヤリと笑うと、意味深な瞳でジェーンをジッと見つめた。
「星占いなんて信じてないの知ってるくせに」
ジェーンは胸が高鳴るのを感じながらも、ぶっきらぼうな声を出した。始まりの予感がじわじわとジェーンの心を暖め始めた気がした。