6 作戦の味
夏休みが始まり一週間ほどたった。
私は今日、最寄り駅から数個離れた大きめの駅に来ていた。人は多いが、なんとか待ち合わせの場所までたどり着く。
約束の時間まであと十五分だ。少し緊張しているせいか、心臓が早い。この汗も暑さだけのせいではないだろう。
ズボンのポケットに入れているスマホが震えたので、確認する。美子からだった。
(予定どおり。あと五分で着く。)
そのシンプルな文面を見て、不安が大きくなった。本当に上手くいくのかという不安だ。しかし今日失敗すれば、もう上手くいくことはないだろうと思う。
手汗でスマホが滑るので、着ているロングカーディガンで強くこする。落ち着こうと、深呼吸を繰り返す。
しばらくすると、人ごみの向こうで美子の姿が見えた。横にいる人と腕を組んでいる。
横にいる人は、私の待ち人だった。
その姿を見るのは期末考査の時以来だった。高めの身長も、金色に染められた髪も変わっていない。しかし、その表情は私と図書室での表情とは雰囲気が違う。時たま軽薄な笑みを浮かべているが、疲れている気がする。
二人はこちらに向かっている。美子がちらりとこちらを確認して、組んでいる腕の力を強めるのが見えた。私の数メートルさきで、佐倉が私に気が付いた。
「何で…」
顔を顰めて、すぐに引き返そうとするが美子が腕を組んでいるため失敗した。佐倉は美子を睨みつける。
「どういうこと?」
怒っている様子に、慌てて二人に近寄った。
「佐倉くん、ごめん」
「もう逃げられないわよ、全くん。そのために呼び出したんだもの」
佐倉は、眉間にしわを寄せたまま私たちの顔を見た。そして溜息をついた。
「そういうことなら、僕帰るよ」
「待って!話が、したいんです」
「…話すことなんてないよ」
せっかく会えたというのに、佐倉の態度は取り付く島もない。どうすればいいのかと考えようとすると、美子が声を上げた。
「全くん。いい加減にしたらどうなの?」
「はあ?」
「貴方のせいで、実希が傷ついているの。それに私だって、一ファンとして全くんのそんな姿見たくないのよ。」
佐倉のファンだという割には美子の態度といい方は厳しい。しかし、美子が彼女なりに佐倉と私のことを思っているのは知っている。
「佐倉くん。少しでいいから話がしたい。今回だけだから、もしいやだったらもう関わらないようにします。」
できるだけ感情的にならないように、佐倉の目を見ながらそう言った。
佐倉と話すことは、私にとって必要なことなのだ。自分の気持ちを知るために。それに、佐倉のあの言葉がずっと気になっている。のどに引っかかりとれない小骨のように、何か考える度に小さな痛みを生むのだ。
しばらくの沈黙ののち、佐倉が小さく頷いた。
それを見て、美子と私が同時に息をついた。
「じゃあ私は帰るわね。」
「うん、ありがとう」
美子はそういうとすぐに人ごみに紛れてしまった。
佐倉の表情は読めない。すこし不満そうにも見えるし、安堵しているようにも見える。
「どこかに入りますか?」
「僕の家が近くだから、そこでもいい?」
「はい」
私の返事を聞くと、佐倉は無言で歩き出した。慌ててその後を追う。
それから、佐倉の三歩あとをついて行ったが、佐倉は一度も私の方を振り向くことはなかった。
十分ほど歩いて、大きなマンションに着いた。ここが佐倉のうちだろうか。うすうす感じてはいたが、佐倉はお金持ちだ。
オートロックのマンションを佐倉は進んでいく。気後れはしたが、離されないようについて行った。
広いエレベーターの中では二人っきりになってしまい、沈黙がとても気まずかった。佐倉は目を合わせようとはせずにずっと前だけを見ていた。
やがて、佐倉は一つの扉の前で止まった。どうやらここが佐倉の家のようだ。扉を開けて、首だけで私に入るように促す。
「お邪魔します。」
佐倉の家は広かった。しかし、雑多に物が置かれている。机にはインスタントのカップやコンビニ弁当のごみが置かれっぱなしで、床には服や雑誌が散らばっている。
玄関にあった靴や部屋の物から、一人暮らしではないはずだ。これだけ散らかったているのが不思議に思うが、緊張で上手く考えられない。
佐倉がソファーに乗せられている服をのかす。
「座って」
「ありがとうございます…」
佐倉は、机を挟んだ向かいのソファーに座った。目を合わせないようにか、うつむいている。
「今日、だますような真似をしてごめんなさい。」
「…君が考えたの?」
「ううん、美子。佐倉くんは今、…あー、時間さえあれば、誘った人について行くから、それを利用しようって」
「なるほどね…」
佐倉はうつむいたまま気まずそうに視線を彷徨わせた。思い当たる節はあったのだろう。
「それで、何が話したいの?あのキスのこととか?」
佐倉は顔を上げて嘲笑いながら私を見る。
「それのためだけにこんなことしたんなら、自意識過剰も大概にして欲しいね。キスなんてものは誰とでもできる。」
佐倉のその答えは少し悲しくなったが、予想の範囲内だったので深く傷つくことはなかった。それに、嘲笑いながらそう言った佐倉が、虚勢を張っているようにしか見えなかった。だから、私は落ち着て話すことができそうだった。
「それもあります。だけど、他にも聞きたいことがあります。」
「なに」
「あの時『分かってくれないんだね』って言いましたよね。何のことを言ったんですか?」
佐倉の笑みが崩れた。ごまかすように顔を横にそらした。
「そんなこと言ったかな?覚えてないや」
「言いました。その前には、分かってくれるかとも聞いてきました。何のことだったんですか」
「…さあ?」
とぼける佐倉は、言う気がないようだった。どうやって聞き出せばいいのかも分からない。思わずため息をつきたくなるが、ぐっと飲み込む。
もう一度聞こうと口を開こうとした時、玄関の扉が開く音がしたので、口を閉じた。ご家族が帰って来たのだろうか。
どうすればいいのか分からず、佐倉をみて驚いた。
佐倉の表情はかたまっていたが、嫌悪や悲しみなどが入り混じっているように見えた。佐倉のこんな表情は初めて見た。佐倉は私が思っているより、表情に出やすいのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、リビングに女性が入ってきた。鼻も高くスタイルのいい綺麗な女性だった。恐らくはハーフだろう。
「あら。」
「おじゃましています。」
会釈をして挨拶をするが、とても気まずい。
その人は佐倉の母親だと思われた。
赤いスカートはひざ上で足のラインがよく見え、トップスも胸元がざっくりと開いており、放漫な胸の谷間が見えている。
「いらっしゃい。全、アンタ学校は?」
「夏休み」
「ああ、そうなの。」
佐倉の母親は棚をまさぐって何かを探している。会話はしているがとても単調で、お互いがお互いを見ようとはしていない。どうやら、あまり仲良くは内容だ。
「あ、あった。じゃあわたし忘れ物取りに来ただけだし、もう行くわね。」
それだけ言って、佐倉の母親はさっさと家から出ていった。
その後の部屋には、気まずい沈黙が落ちた。きっと佐倉にとってあの母親は見せたくない人だったのだと雰囲気で感じ取ることができた。
「…お母さん。綺麗ですね」
ありふれた感想が口からでた。
「若作りなだけ。」
いかに憎々しいという口調でそう切り捨てた。
「お母さんが、嫌いなんですか?」
「…うん、大っ嫌い」
その言い方が子供っぽくて、場違いに面白く思ってしまった。前々から感じてはいたが、彼は子供っぽいところが多い。そのくせ、女遊びを繰り広げたりと大人っぽいところがあって、とてもアンバランスだ。
「あいつだけじゃない、親父だって嫌い。」
「…」
佐倉はソファーの上で膝を抱えた。
そこには、先ほどまでの私を拒絶する雰囲気がない。母親をみられてしまったせいで、佐倉の中のなにかの糸が切れてしまったのだ。
佐倉の姿はひどく弱弱しい。
「聞いてもいい?ご両親のこと」
「面白くないよ」
「それでも、佐倉くんのことが聞きたいです。」
膝からすこし顔を上げて、私を見た。前髪のせいで片目だけしか見えない。しかしすぐに膝に顔を戻してしまった。
「…。お袋は、見たまんま。母親としてより、女として生きていたいって人。実際、そうして生きてる。親父は、厳格ぶってるけど他所で女作って、あんまり帰ってこない。」
ぽつりぽつりと、佐倉が話し始めた。
「作戦の味」はこれで終わりです。
読んでくださった皆様ありがとうございます!
これからは、4000文字を越えなければ一つにまとめようとおもいます