5 相談の味
佐倉にキスをされてから4週間がたった。今日は一学期の終業式だった。昼休みの時間しか図書室は開かない。
昼休みの時間なので、本来なら男子が当番をしてくれるのだが、塾だというので私が代わりに図書室に来ている。図書室を開けてから一時間、やって来たのは真面目そうな男子生徒だけだった。よく図書室にくるその男子生徒は、珍しく図書室で本を読んでいた。
佐倉はあれから一度も図書室に来ていない。
あまり学校には来ていないようだ。期末考査の時に遠目に見かけることができただけだった。テスト期間だというのに佐倉は女子生徒と腕を組んで使われていない教室へと入って行った。
美子の話だと、佐倉は今荒れているらしい。近づいてくる女を片っ端から手をつけているそうだ。見境なく遊んでいるせいで、喧嘩まで巻き込まれる始末らしい。
私のせいかもしれないと、考えたこともある。しかし、あの時は図書室に来た時から様子がおかしかった。きっと何かあったのだろう。
原因は私ではないにしろ、きっかけは私だったのかもしれない。
一度、佐倉話がしたい。
そして知りたい。あのキスの意味を、言葉の意味を。
カウンターの机に額を付けた。木の冷たさが気持ちいい。
考えがまとまらない、堂々巡りだ。私は悪くないはずなのに、あの時の佐倉を思い出すと罪悪感にさいなまれる。
「はあ…」
ため息口から零れ落ちた。
図書室の扉が開く音がする。もしかしたら男子生徒が帰ったのかもしれない。しかしそちらを向く気力もない。
「はあ…」
もう一度、溜息をついた。
「重い溜息ね。聞いてるこっちが溜息をつきたくなっちゃう。」
「美子…?」
先ほどの扉の音は、どうやら誰かが出て行った音ではなく、美子が入ってきた音だったらしい。
しかし起き上がる気になれず、顔だけ美子の声の聞こえる方に向ける。鞄を肩にかけた美子が胸を張って立っていた。
「明日から夏休みなのよ?もっとテンション上げなさいよ。」
「帰ったんじゃなかったの?」
「用事があったの。それに一学期最後だし、せっかくだから一緒に帰ろうと思って。何時に終わるの?」
壁にかかっている時計をちらりとみる。
「あと一時間」
「そ。」
美子はさも当然のようにカウンターの中に入ってきて、私の隣の椅子に腰かけた。しかし、何かを話す様子もない。
男子生徒が本を読み終えたようで、4冊ほど本を借りて出て行った。
それを見計らったように、美子が口を開いた。
「実希」
「何」
「全くんと何があったの」
「え?何で…」
美子には佐倉とのことを話してないはずだ。どうして、美子が知っているかと考えようすると、美子の得意げな顔が目に入った。
「やっぱり全くんのことなのね?」
美子にやりと笑って見せて、そういった。どうやら鎌をかけられたようだ。それにあっさりと引っかかったのが気に食わなくて、思わず眉を顰めてしまった。
「…何で分かったの?」
「アンタが落ち込み始めた時期と全くんの荒れ始めた時期が被るからよ。あとは…」
珍しく美子が言いよどむ。
「あとは?」
「いえ、それはいいわ。私から言うことじゃないし。」
いつもは口の軽い美子だが、今回は言うつもりはなさそうだった。いちいち、口を割らせるのも嫌で、それ以上は聞かなかった。
「そっか。」
「相談する気はないの?今なら無料よ」
「いつもはお金とるの?」
「当然でしょ。女の悩みほど面倒なものはないもの」
「そうですか…」
いつも通りのふてぶてしい彼女の態度に、少し救われる。きっとこの「いつも通り」は美子の優しさなのだろう。
その優しさが嬉しくて、このことを相談したいと思った。
美子は噂好きで、ミーハーで、口が軽いが、きっとちゃんと話を聞いてくれるはずだ。
「美子、あのね…」
それから時間をかけて、ゆっくりと佐倉と私のことを話した。最初の出会いや、世間話、キスを見たこと、そしてされたこと。私が知っている佐倉のことをすべて話した。
美子は、口をはさむことはしなかったが、うなずいたり驚いたり笑ったりしながら最後まで聞いてくれた。
「色々あったのねー。どうしてそんな面白い話してくれなかったのよ?」
「だって、美子は口が軽いから」
「…否定はしないわね」
美子は軽く、息をつく。きっと今話したことを整理しているのだろう。珍しく真面目な顔をしているのが面白くて、少し笑ってしまった。
そして気が付いた。自分の中にあった、陰鬱としたものが凄く薄まっているのだ。誰かに話を聞いてもらうだけで、こうも楽になれるものなのかと驚いてしまう。こんなことならもっと早くに話すべきだった。
今、美子が聞き出してくれたから楽になれたのだろう。
「実希」
整理し終わったのだろう。美子が私の名前をよんだ。そして唐突にこう聞いた。
「アンタって、佐倉のこと好きなの?」
「…へ?」
予想外な質問で、思わず声が漏れた。
別に自分が佐倉のことを好きかどうかを考えなかった訳ではない。時たま、そのことを考えることがあった。しかし、そのことを美子に聞かれるとは思っていなかったのだ。
「で、どうなの」
ずいっと美子が顔を近づけてきた。その目がとても真剣だったから、私も真剣に答えることにした。
「それは、よく分からない」
「どういうこと?」
「自分の中の気持ちが曖昧で…これが『恋』や『愛』というものなのか私には判断がつかないの。でも、人や友達としは好きだと思ってる。」
自分でもとても曖昧な答えだと思う。「分からない」ということが本当の気持ちだった。
「そう。…じゃあ、実希の気持ちを確かめるためにも一度話し合った方がいいわね」
美子の言葉に、大きく頷く。
「でも、電話番号どころかラインも知らないし…。明日から夏休みだし会えないよ」
「会う方法はあるわ。」
「どんな方法?」
私の問いかけに、美子は胸をはって得意げに笑って見せた。いたずらっ子のような子供っぽい笑顔だ。だけど、その笑顔に私は上手くいく気がして安心した。
「相談の味」はこれでお終いです
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